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い号作戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

い号作戦
ファイル:Yamamoto last image alive.jpg
作戦終了後の4月18日、搭乗員に訓示敬礼する山本五十六(向かって右に草鹿任一)
戦争太平洋戦争
年月日1943年4月7日-4月15日
場所ポートモレスビー
結果:連合軍の艦艇と航空機損失、日本軍は航空機損失
交戦勢力
ファイル:Merchant flag of Japan (1870).svg 大日本帝国 ファイル:US flag 48 stars.svg アメリカ合衆国
ファイル:Flag of Australia.svg オーストラリア
指揮官
山本五十六大将
戦力
第11航空艦隊196機
第3艦隊(艦載機のみ)184機
基地機 約300機
損害
航空機43 駆逐艦1 小型艇4 航空機25

い号作戦(いごうさくせん)とは、日本海軍が1943年4月7日から15日にかけて第11航空艦隊と第3艦隊所属の艦載機により、ガダルカナル島ニューギニア島南東部のポートモレスビーオロ湾英語ミルン湾に対して空襲を行った作戦である。

目次

背景

1943年2月1日から7日に日本軍はガダルカナル島から撤退した(ケ号作戦)。また、ニューギニア島でも連合軍の攻勢により日本軍は1月2日にブナが玉砕、隣接するギルワ、サナナンダも22日に玉砕した。さらに、2月28日から行われた日本軍のラエへの増援も失敗した(ビスマルク海海戦)。3月5日にはコロンバンガラ島への輸送を行った日本軍の駆逐艦がアメリカ軍の艦隊に撃沈された(ビラ・スタンモア夜戦)。その後、このアメリカ艦隊はコロンバンガラ島などを砲撃した。このような連合軍の大攻勢に対し、日本軍はラバウル周辺の航空兵力を集結し、ソロモン諸島およびニューギニア島東部への集中的な攻撃により状況の打開を図ることになり、連合艦隊司令長官山本五十六海軍大将自ら陣頭指揮すべくトラックからラバウルに進出した。

戦闘

ファイル:Igo-sakusen.png
①X攻撃、②Y2攻撃、③Y攻撃、④14日の攻撃

4月7日(X攻撃)

零戦157機、九九式艦爆66機によるガダルカナル攻撃。

  • 日本軍の損害、零戦12機、九九式艦爆9機。
  • 連合軍の損害、駆逐艦、給油艦各1隻沈没など。
  • フロリダ沖海戦と呼称される。

4月11日(Y2攻撃)

零戦71機、九九式艦爆21機によるオロ湾、ハーベー湾攻撃。

  • 日本軍の損害、零戦2機、九九式艦爆4機。
  • 連合軍の損害、巡洋艦、輸送船各1隻損傷など。

4月12日(Y攻撃)

零戦131機、一式陸攻44機によるポートモレスビー攻撃。

  • 日本軍の損害、零戦2機、一式陸攻6機。
  • 連合軍の損害、輸送船1隻沈没、飛行場など炎上。

4月14日(Y1、Y2攻撃)

  • Y1攻撃は零戦52機、一式陸攻37機によるラビ攻撃。
  • Y2攻撃は零戦75機、九九式艦爆23機によるミルン湾攻撃。
    • 日本軍の損害、零戦2機、一式陸攻3機、九九式艦爆3機。
    • 連合軍の損害、輸送船数隻沈没、ラビの飛行場炎上。

結果

4月16日、日本軍は十分な戦果をあげたと判断し、作戦を終了した。しかし、実際には連合軍は駆逐艦1隻の損失はあったものの、他には小型艦艇と航空機多数の損失であった。日本軍は艦艇の損失は皆無であったが、多数の航空機を失った。この結果、ミッドウェー海戦以降急激に低下しつつある航空兵力は更に減少し、作戦は失敗したという意見もある。

い号作戦終了後の4月18日、山本五十六連合艦隊司令長官は前線視察のため一式陸攻でラバウルからショートランド方面へ向かったが、この途中、ブーゲンビル島ブイン上空でアメリカ軍P-38戦闘機の待ち伏せにあい、乗機が撃墜されて戦死した(海軍甲事件)。

この後、連合軍はニュージョージア島レンドバ島に上陸。クラ湾夜戦コロンバンガラ島沖海戦が発生する。

関連項目