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アグフア・ゲバルト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

アグフア[1]・ゲバルトAgfa-Gevaert )は、印刷機材、医療機器マイクロフィルムポリエステルなどを製造する企業。元来は写真用品を製造する企業であったが、すでに撤退した。本社はベルギーのモーツェル。

なお、1981年から1999年まではドイツの総合化学薬品メーカーであるバイエルの子会社であった。

目次

アグファ・ゲバルトの成立

アグフア

アグフアは1867年ドイツベルリンで創業した化学薬品メーカーである。名前の由来は「アニリン製造株式会社」(Aktien gesellschaft für Anillinfaktoren )の頭文字を採ったもの。

1892年に発売された希釈式現像液『ロジナール』が好評で2007年までの実に115年販売されるロングセラーとなった。1925年リーチェルを合併してフィルム式カメラも製造販売した。

1936年に現在ポジフィルムとして一般的な方式となっている多層発色内式反転フィルムとして世界初の『アグファカラー・ノイ』を発売[2]、世界初のネガカラーフィルムプロセスを開発し、1939年にはネガカラーフィルムプロセスによるアグファカラーネガフィルムを販売[3]するなどカラーフィルム開発にも大きな足跡を残している。

かつて、同じドイツの同業者であるBASFOEMカセットテープを販売しており、磁気媒体部門は後にOEMを受けていたBASFと合併した。

ゲバルト

ゲバルト(L. Gevaert & Cie )は1894年にベルギー・アントウェルペンで創業した印画紙メーカーである。少数ながらカメラも製造していた。名前の由来は創業者であるリーベン・ゲバルト(Liven Gevaert )から。オランダ語では「ヘフェールト」と発音する。

事業統合

アグフアとゲバルトは1964年に事業統合してアグフア・ゲバルトが誕生[4]し、世界第3位の写真フィルムメーカーとなった。

写真事業の衰退

1983年にカメラ事業から撤退した。以後のアグフアブランドのカメラは全てOEM供給を受けている。

デジタルカメラの普及で販売額が減少し、2004年11月アグフア・ゲバルト幹部社員らが設立した別会社アグフアフォト(Agfa Photo )にフィルム部門を売却、撤退した。アグフアフォトはアグフア・ゲバルトから商標を借り受けてアグフアブランドのフィルムの生産を続行していたが、2005年5月27日に破産申請を行った。

その後、独Hans O. Mahn & Co. KG社がアグフアブランドのモノクロフィルム・印画紙事業を引き継いだほか、ドイツのLUPUS IMAGING & MEDIAがアグフアフォトブランドのフィルムやメモリカードを発売している。また日本ではSuperHeadzブランドでロモホルガを販売しているパワーショベルがLUPUS IMAGING & MEDIAと業務提携を締結、日本でのアグフアブランドの日本総代理店となり、35mmフィルムの販売や、本国では生産されていない110/120フィルムを独自に再生産することを発表している。名前だけが「アグファフォト」と残るが、中身はモノクロがドイツのマコ社、ビスタはイタリアのフェラニア社のOEMである。発表後120フィルム発売は白紙になった。

さらに「アグフアフォト」ブランドのデジタルカメラを日本のエグゼモードが販売している。

日本における展開

日本でのアグフアの一般への知名度は高くはなかったが、ダイエーなどのスーパーマーケットによるプライベートブランド商品へのOEM供給を盛んに行っていた時期がある。1993年はゼロだったシェアを、僅か1年で5%にまで伸ばしたという。[5]

外部リンク

脚注

  1. ^ 日本法人の名称は「日本アグフア・ゲバルト株式会社」で、「アグフ」ではなく、「アグフ」が正しい表記である。
  2. ^ コダックが世界初の多層発色外式反転フィルム『コダクローム』を発売したのは1935年である。
  3. ^ コダックがこの方式のフィルム『コダカラー』を発売したのは1942年である。
  4. ^ 事実上の合併であるが、ベルギーで外国企業との合併が禁止されていたため、ドイツとベルギーでそれぞれ「アグフア・ゲバルト」を設立する形を採った。
  5. ^ 「日米小売価格比較に関する富士フイルムの追加反論書(概要)」 - 富士フイルム