アレシャンドレ・ロドリゲス・ダ・シウヴァ
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| ファイル:Alexandre Pato Real Madrid-Milan.jpg | ||||
| 名前 | ||||
| 本名 | アレシャンドレ・ロドリゲス・ダ・シウヴァ | |||
| 愛称 | パト(アヒル) | |||
| ラテン文字 | ALEXANDRE PATO | |||
| 基本情報 | ||||
| 国籍 | ファイル:Flag of Brazil.svg ブラジル | |||
| 生年月日 | 1989年9月2日(22歳) | |||
| 出身地 | パト・ブランコ | |||
| 身長 | 179cm[1] | |||
| 体重 | 78kg[2] | |||
| 選手情報 | ||||
| 在籍チーム | ファイル:Flag of Italy.svg ACミラン | |||
| ポジション | FW (CF,ST,WG) | |||
| 背番号 | 7 | |||
| 利き足 | 右足 | |||
| 代表歴 2 | ||||
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| 2. 2011年7月13日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||
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| オリンピック | ||
|---|---|---|
| 男子サッカー | ||
| 銅 | 2008 | サッカー |
アレシャンドレ・ロドリゲス・ダ・シウヴァ(Alexandre Rodrigues da Silva, 1989年9月2日 - )は、ブラジル・パラナ州パト・ブランコ出身のサッカー選手。ポジションはFW。登録名はアレシャンドレ・パト(Alexandre Pato)。ACミランに所属。あだ名の「パト」は、出身地に由来する[3]。
目次 |
経歴
4歳の時にはじめたフットサルで基本技術を身につけ[3]、12歳でSCインテルナシオナルの下部組織に入団した[4]。16歳のときにU-20の州選手権で得点王を獲得し、「クラブ史上最高の素材」と評判になった。当時は他クラブの引き抜きを恐れ、あえて下部組織で教育を続けられた[4]。2006年11月末のパルメイラス戦でデビューすると、開始わずか1分でプロ入り初ゴールを決め、さらに3得点に絡むというドラマチックなデビューを飾った[3]。17歳でFIFAクラブワールドカップ2006に出場、得点を上げるなどの実績を残している。アル・アハリ戦では肩でリフティングをするドリブルを披露するなどし、メディアの注目を集めた[3]。
2007年7月、カナダで行われたFIFA U-20ワールドカップでの活躍により、パトには欧州からのオファーが殺到。ACミラン、インテル・ミラノ、レアル・マドリード、チェルシーFCなど名立たるビッグクラブが獲得に名乗りをあげていた。そして、2007年にACミランへの移籍が決定。移籍金は2200万ユーロ(約36億円)程度とされている。ただし、FIGCのEU圏外選手登録年齢制限が解ける18歳にならないと試合出場ができないため、公式戦に出場するのは翌2008年初頭からとなり、1月4日にレガ・カルチョから登録を完了したことが発表された。
2008年1月13日、セリエA第18節の対SSCナポリ戦にてセリエAデビュー及びセリエA初ゴール記録。このシーズンは最終的に、チーム3位となる9得点を挙げた。2008-09シーズンはレギュラーを掴み36試合に出場。チーム2位でセリエA全体でも6位となる15得点を挙げ、セリエA年間最優秀若手選手賞を受賞。イタリア人選手以外での受賞は、前年度のマレク・ハムシークに続き2人目である。
2008年3月26日、ロンドンで行われた国際親善試合、対スウェーデン戦にてA代表デビュー。見事決勝点となるゴールを決め、A代表でも華々しいデビューを飾った。
2009-10シーズンはレオナルド監督のもとロナウジーニョ、マルコ・ボリエッロとともに3トップを形成し好パフォーマンスを披露。2010年1月にはブラジル人選手として初めて、オスカル・デル・カルチョの年間最優秀若手選手賞を受賞した。しかし2月28日のアタランタ戦でハムストリングを痛めて途中交代。このシーズンは23試合の出場、12得点に終わった。ブラジル代表からも2009年6月から遠ざかっており、2010 FIFAワールドカップへの出場はならなかった。ワールドカップ終了後最初の試合となったアメリカとの親善試合では約1年ぶりに招集され、デビュー戦以来となるゴールも記録した。
2010年はたび重なる怪我に苦しめられ、原因究明の為アメリカで精密検査を受けた。怪我の主な理由は「体の成長、変化によるもの」と語っている。
2009年7月に結婚し[5]、その後はゴールを決めたあとに妻に向け両手でハートマークを作るパフォーマンスを度々していたが[4]、彼女とは2010年に離婚した[6]。
所属するミランでは、2トップ下システムでのCF、2トップでのST、3トップでのWG、とシーズンによって前線のさまざまなポジションをこなしてきた。
所属クラブ
- 2006 - 2007 ファイル:Flag of Brazil.svg SCインテルナシオナル
- 2007 - ファイル:Flag of Italy.svg ACミラン
タイトル
代表
- 南米ユース選手権 : 2007
- 北京オリンピック - 銅メダル
- FIFAコンフェデレーションズカップ : 2009
クラブ
- ファイル:Flag of Brazil.svg SCインテルナシオナル
- ブラジルU-20選手権 : 2006
- FIFAクラブワールドカップ : 2006
- レコパ・スダメリカーナ : 2007
- ファイル:Flag of Italy.svg ACミラン
- セリエA:(2010-11)
個人
- ブラジルU-20選手権得点王 : 2006
- ブラジルU-20選手権MVP : 2006
- セリエA月間最優秀選手 : 2009年1月
- トゥットスポルト・ゴールデン・ボーイ・オブ・ジ・イヤー : 2009
- セリエA年間最優秀若手選手 : 2009
個人成績
利用者:Bcjp/t/fbp国内表 top 利用者:Bcjp/t/fbp国内表 th |- |2006||インテルナシオナル||||||1||1|||||||||||| |- |2007|||インテルナシオナル||11||||9||5|||||||||||| 利用者:Bcjp/t/fbp国内表 th |- |2007-08||ミラン||7||セリエA||18||9||0||0||colspan="2"|-|||| |- |2008-09||ミラン||7||セリエA||36||15||0||0||colspan="2"|-|||| |- |2009-10||ミラン||7||セリエA||23||12||0||0||colspan="2"|-|||| |- |2010-11||ミラン||7||セリエA||25||14||0||0||colspan="2"|-|||| 利用者:Bcjp/t/fbp国内表 通算始|10||6||||||||||| 利用者:Bcjp/t/fbp国内表 通算行|102||50||0||0||colspan="2"|-||||| 利用者:Bcjp/t/fbp国内表 通算終||||||||||||||| |}
利用者:Bcjp/t/fbp国際表 top !colspan="3"|UEFA!!colspan="2"|CL |- |2007-08||ミラン||7||2||0 |- 利用者:Bcjp/t/fbp国際表 th |2008-09||ミラン||7||6||3 |- |2009-10||ミラン||7|||| |- !通算!!colspan="2"|UEFA |8||3 |}
脚注
- ^ http://www.acmilan.com/it/teams/roster_player/7466
- ^ http://www.acmilan.com/it/teams/roster_player/7466
- ^ a b c d アレシャンドレ・パトサンケイSAL
- ^ a b c 「楽しき2年目のマエストロ修行」footballista、ソルメディア、2009年2月11日号、4-5頁
- ^ ACミラン、パット女優の夫人と離婚へニッカンスポーツ、2010年4月25日
- ^ パト、離婚の代償は年収の20%?livedoorスポーツ、2010年7月16日
外部リンク
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