アレッサンドロ・デル・ピエロ
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| ファイル:Del Piero - Juventus.jpg | |||||||
| 名前 | |||||||
| 愛称 | アレ、アレックス、ピントゥリッキオ | ||||||
| カタカナ | アレッサンドロ・デル・ピエロ | ||||||
| ラテン文字 | Alessandro Del Piero | ||||||
| 基本情報 | |||||||
| 国籍 | ファイル:Flag of Italy.svg イタリア | ||||||
| 生年月日 | 1974年11月9日(37歳) | ||||||
| 出身地 | ヴェネト州トレヴィーゾ県コネリアーノ | ||||||
| 身長 | 173cm | ||||||
| 体重 | 73kg | ||||||
| 選手情報 | |||||||
| 在籍チーム | ユヴェントス | ||||||
| ポジション | ST | ||||||
| 背番号 | 10 | ||||||
| 利き足 | 右足 | ||||||
| クラブチーム1 | |||||||
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| 代表歴 2 | |||||||
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| 獲得メダル | |||||||
| 1. 国内リーグ戦に限る。2011年5月31日現在。 2. 2008年9月10日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | |||||||
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アレッサンドロ・デル・ピエロ(Alessandro Del Piero, 1974年11月9日 - )は、イタリア、トレヴィーゾ県コネリアーノ出身のサッカー選手。ポジションはFW。セリエAのユヴェントスに所属しており、キャプテンを務める。その繊細で芸術的なプレーはしばしばピントゥリッキオに喩えられ称賛される。
サッカー界のご意見番でカルチョには特に痛烈な批判をするヨハン・クライフもデル・ピエロに対しては「私はどんなイタリアのプレイヤーよりもデル・ピエロを好む。彼のプレーはとてもファンタスティックだ。ただ強いて言うなら彼はイタリアに生まれるべきではなかった。イタリアサッカーは彼がそのプレースタイルのままでいようとすることを許さないだろう。」と賛辞を送ると共に彼のプレースタイルをもっと生かせる国に生まれていたら、というコメントをしている。
ゴール前左45度からのシュートを得意としており、このエリアは「デル・ピエロ・ゾーン」と呼ばれている。
9歳上の兄、ステファノも元サッカー選手でサンプドリアなどに在籍していた。
目次 |
クラブ
1991-92シーズンにセリエB(当時)のカルチョ・パドヴァでキャリアをスタート、1992年3月15日のメッシーナ戦でトップチームデビューを果たす。パドヴァで2シーズンを過ごした後、1993-94シーズンにセリエA のユヴェントスに移籍、1993年9月12日のフォッジャ戦にてセリエAデビュー、その一週間後のレッジャーナ戦で初ゴール、1994年3月のパルマ戦では初のハットトリックを達成する。翌シーズン、ロベルト・バッジョの不調もあって、出場回数を増やしていくと、1994年12月のフィオレンティーナ戦にて、背後からのロングボールをダイレクトで、しかもアウトサイドにかけたボレーシュートを決めたことによって、デルピエロの名前はファンタジスタとして認知されるようになった(このシーズン、自身初のスクデット獲得。1995-96シーズン、バッジョの ACミラン移籍によって、ミシェル・プラティニやバッジョが背負ってきたユベントスの背番号10を引き継ぐことになった。このシーズン、5試合連続を含む6得点とUEFAチャンピオンズリーグ制覇に大きく貢献し、エースとしての役割を果たす。 翌シーズンには、トヨタカップの決勝点をあげ、MVPに選ばれた。また、このシーズンのスクデットも獲得している。 UEFAチャンピオンズリーグ決勝戦では、ヒールキックによる技ありのゴールを決めたものの敗れ、準優勝に終わった。
1997-98シーズン、このシーズンに加入したフィリッポ・インザーギと先シーズンから所属するジネディーヌ・ジダンとともに強力なトライアングルを形成し(特にインザーギとの2トップは「デル・ピッポ」と呼ばれた)、スクデット連覇を果たした。チームだけでなく、デルピエロ自身も好調で、リーグでは21得点、チャンピオンズリーグでは得点王(10得点)に輝いている。
1998年11月、ウディネーゼ戦で左膝十字靭帯断裂などの選手生命も危ういほどの重傷を負い、膝の手術を行った。約9ヶ月間のリハビリの後、復帰するも以前の調子は取り戻せず、スランプに陥る。しかし、2000-01シーズンに復調の兆しを見せ、2001-02シーズン、リーグ16得点をあげて完全復活を果たし、4年ぶりのスクデットを獲得した(その後も、度々、怪我に悩ませられることになるが、そのたびにこれを克服した)。翌シーズンにもリーグ16得点とチームを牽引し、自身5度目となるスクデットを獲得した。
2005-06シーズン、先シーズンにリーグ14得点と結果を残したデルピエロであったが、加入して2年目となるズラタン・イブラヒモビッチをファーストチョイスと考えるファビオ・カペッロ監督にスタメンを外され、サブに甘んじることになった。しかし、スーパーサブとしてデルピエロはリーグ12得点をあげ、リーグ7得点のイブラヒモビッチを上回る活躍をみせた。
2006年1月10日に行われたコッパ・イタリアの対フィオレンティーナ戦でハットトリックをマーク。これがユヴェントスでの185得点目となり、ジャンピエロ・ボニペルティの持つクラブ歴代最多得点記録を塗り替えた。イギリスのロックバンド、オアシスのファン。また、2006年にミラノで行われたローリング・ストーンズのライブに、マルコ・マテラッツィと共に現れた。
2006年に発覚したカルチョ・スキャンダルでユベントスはセリエBへと降格するが、デル・ピエロはイングランドの強豪マンチェスター・ユナイテッドFCからのオファーを断り、真っ先にチームへの残留を表明した。彼に続くようにネドベドやブッフォンらも残留を決意した。そして、セリエB得点王に輝き、チームを1年でセリエAに復帰させる原動力となった。
セリエAに復帰した2007-08シーズン、自己最多タイとなるリーグ21得点での得点王に輝き、パオロ・ロッシ以来、史上2人目となるセリエB・セリエA連続得点王の快挙を成し遂げた。また、2008年4月6日のパレルモ戦がユベントスでの553試合目となり、ガエターノ・シレアの持つクラブ歴代最多出場記録を更新した。 2008年11月29日レジーナ戦でユヴェントスでの通算250得点を記録。
2010年3月14日シエナ戦でキャリア通算300得点を達成。
2010年10月30日に行われたセリエAの対ACミラン戦で決勝ゴールをマーク。これがセリエAでの179得点目となり、ジャンピエロ・ボニペルティの持つセリエAでのクラブ最多得点記録を塗り替えた。
遠征先などでは、仲間の選手と一緒にテレビゲームをする。好きなゲームはマリオシリーズ。ゲームを通じ、他の選手とのコミュニケーションを取ったり、リラックスを(相互に)したりする。
代表
イタリア代表デビューは1995年3月25日のエストニア戦。イタリア代表通算27得点はバッジョと並んで歴代4位タイ。FIFAワールドカップには1998、2002、2006年と3大会連続、ユーロには1996、2000、2004、2008年と4大会連続で出場している。しかし、大会直前に怪我をしていたり、不慣れなポジション(左サイド等)でのプレーを強いられることが多く、本大会では実力を発揮できているとは言えない。
ユーロ1996では、1994年のU-21欧州選手権を制し、アトランタ五輪を控える当時のU-21世代から飛び級のような形で代表に選ばれるも、初戦のロシア戦で怪我を負い、このロシア戦前半のみの出場に終わる。
1998年のフランスワールドカップでは、アッズーリのエースとして大会に臨むも、1997-98チャンピオンズリーグ決勝レアル・マドリード戦で負った怪我の影響から全く見せ場を作れず、主役をバッジョに譲った。
ユーロ2000では、決勝のフランス戦でシュートチャンスを外し、批判を浴びた。また、1998年11月の大怪我から不調に苦しむ間にフランチェスコ・トッティの台頭もあり、2000年代からは背番号10をトッティに譲る。「僕は『7』の方が合っている」と言って快く譲るなど性格、人間性なども優れた人格者でイタリア国内での人気も高い。なお何故7番かといえば「初めてもらった背番号がこれだったから」、とのこと。
2002年日韓ワールドカップでは、予選で5得点と良い成績を残したが、本大会前になって監督ジョバンニ・トラパットーニはシステムをより守備的なものに変更、スタメンを外される。それでもグループリーグのメキシコ戦で途中出場ながらワールドカップ初ゴールを決めてこの試合を1-1の引き分けに持ち込み、グループリーグ敗退の危機にあったチームを救った。
ユーロ2004では、予選こそ不振のチームを救うほどの活躍を見せていたが、本大会では不慣れな左サイドというポジションや直前の左大腿部の怪我から思うような活躍をすることはできなかった。
2006年のドイツW杯ではかつてユベントスの監督であった恩師リッピ監督からの信頼が厚く、23人のメンバーに名を連ねる。準決勝のドイツ戦では延長戦から途中出場し、アルベルト・ジラルディーノからのパスを受け、「デル・ピエロ・ゾーン」から2点目となるダメ押しゴールを奪った。
ユーロ2008本戦への招集は危ぶまれていたが、2007-2008シーズンのセリエAでの好調さが認められ4度目のユーロ出場を果たした。しかし、ロベルト・ドナドーニ監督は戦術上デルピエロを重用することはなかった。
タイトル
クラブ
- セリエA(1994-95、96-97、97-98、2001-02、02-03)
- セリエB(2006-07)
- コッパ・イタリア(1994-95)
- イタリア・スーパーカップ(1995, 1997, 2002, 2003)
- UEFAチャンピオンズリーグ(1995-96)
- UEFAスーパーカップ(1996)
- UEFAインタートトカップ(1999)
- トヨタカップ(1996)
代表
- FIFAワールドカップ(2006)
個人
- UEFAチャンピオンズリーグ得点王(1997-98)
- セリエA得点王(2007-2008)
- セリエB得点王(2006-2007)
- コッパ・イタリア得点王(2005-06)
- トヨタカップ最優秀選手(1996)
- イタリア最優秀選手(1998,2008)
- ブラヴォー賞(1996)
- ゴールデンフット賞(2007)
- UEFAチャンピオンズリーグ10周年ベストアタッカー(2006)
- UEFA Golden Jubilee Poll(2004)
- FIFA 100(2004)
- 20世紀の偉大なサッカー選手100人 77位(ワールドサッカー誌選出 1999)
- ESM Team of the Year(1995-96, 1996–97, 1997–98)
- ユベントスクラブ歴代最多得点記録(更新中)
- ユベントスクラブ歴代最多出場記録(更新中)
語録
「ユベントスに籍を置くには、高望みをしてはいけない。希望額より少なかろうが、それで満足しなければならない。」
日本などとの関わり
子供の頃に新日本プロレスのテレビ放送を観戦して以来のプロレスファン。好きな日本のプロレスラーはアントニオ猪木と藤波辰爾で、2005年6月にユベントスの遠征で来日した際にテレビ朝日系「ワールドプロレスリング」に出演し、憧れの藤波と対面して感激していた。その際に藤波辰爾に懇願してドラゴンスリーパーを掛けられた。この時に木村健悟からプレゼントされたタイガーマスクを被ったデル・ピエロの写真がユヴェントスの公式サイトに掲載されている。
元日本代表の中田英寿と公私に渡って親交がある。2006年7月の中田現役引退のニュースを聞いた際には、ワールドカップの試合前にもかかわらずインタビューで中田に対して、「直接彼に電話をして、思いとどまるように説得する。」とのコメントを残している。(何の?)雑誌で中田英寿と対談した際に好きな日本のバラエティ番組として、イタリアでも放送されていた風雲たけし城を挙げている。
日本アニメルパン三世のファン。モータースポーツの観戦も趣味の一つであり、亡くなったバイクレーサーの加藤大治郎にサインを求めたことがある。
2011年3月に起きた東北地方太平洋沖地震の惨事を知り、チャリティー用に自らデザインしたTシャツ(イタリアの国旗の上に日の丸を乗せ「友」と言う文字が刻まれている)を販売し、その売り上げは復興の為に募金する事を発表した。特に被害甚大であった仙台市は2002 FIFAワールドカップのイタリア代表のキャンプ地であり、その惨状を視て深い悲しみに陥ったと言う。そのTシャツを長友佑都も着用している。
アメリカ合衆国にも憧れがあるといい「選手生活を終えたら、まず英語の勉強に取り組むつもりだ」と語る。
選手経歴
| 経歴 | リーグ | 国内カップ戦* | 欧州カップ戦** | 国際カップ戦*** | 合計 | |||||||
| シーズン | クラブ | セリエ | 試合数 | ゴール数 | 試合数 | ゴール数 | 試合数 | ゴール数 | 試合数 | ゴール数 | 試合数 | ゴール数 |
| 1991-92 | ファイル:Flag of Italy.svg パドヴァ | B | 4 | - | - | - | - | - | - | - | 4 | - |
| 1992-93 | B | 10 | 1 | - | - | - | - | - | - | 10 | 1 | |
| 1993-94 | ファイル:Flag of Italy.svg ユヴェントス | A | 11 | 5 | 1 | - | 2 | - | - | - | 14 | 5 |
| 1994-95 | A | 29 | 8 | 10 | 1 | 11 | 1 | - | - | 50 | 10 | |
| 1995-96 | A | 29 | 6 | 3 | 1 | 11 | 6 | - | - | 43 | 13 | |
| 1996-97 | A | 22 | 8 | 4 | - | 8 | 6 | 1 | 1 | 35 | 15 | |
| 1997-98 | A | 32 | 21 | 5 | 1 | 10 | 10 | - | - | 47 | 32 | |
| 1998-99 | A | 8 | 2 | 2 | 1 | 4 | - | - | - | 14 | 3 | |
| 1999-00 | A | 34 | 9 | 2 | 1 | 9 | 2 | - | - | 45 | 12 | |
| 2000-01 | A | 25 | 9 | 2 | - | 6 | - | - | - | 33 | 9 | |
| 2001-02 | A | 32 | 16 | 4 | 1 | 10 | 4 | - | - | 46 | 21 | |
| 2002-03 | A | 24 | 16 | 1 | 2 | 13 | 5 | - | - | 38 | 23 | |
| 2003-04 | A | 22 | 8 | 5 | 3 | 4 | 3 | - | - | 31 | 14 | |
| 2004-05 | A | 30 | 14 | 1 | - | 10 | 3 | - | - | 41 | 17 | |
| 2005-06 | A | 33 | 12 | 5 | 5 | 7 | 3 | - | - | 45 | 20 | |
| 2006-07 | B | 35 | 20 | 2 | 3 | - | - | - | - | 37 | 23 | |
| 2007-08 | A | 37 | 21 | 4 | 3 | - | - | - | - | 41 | 24 | |
| 2008-09 | A | 31 | 13 | 3 | 2 | 9 | 6 | - | - | 43 | 21 | |
| 2009-10 | A | 23 | 9 | 1 | 2 | 5 | 0 | - | - | 29 | 11 | |
| 2010-11 | A | 33 | 8 | 2 | 0 | 10 | 3 | - | - | 45 | 11 | |
| 合計 | 504 | 206 | 57 | 26 | 129 | 53 | 1 | 1 | 691 | 286 | ||
* コッパ・イタリア、イタリア・スーパーカップを指す
** UEFAチャンピオンズリーグ、UEFAカップ、UEFAインタートトカップ、UEFAスーパーカップを指す
*** インターコンチネンタルカップ、FIFAクラブワールドカップを指す
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