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アンガウルの戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

アンガウルの戦い
ファイル:Bombardment of Anguar.jpg
爆撃と艦砲射撃を受けたアンガウル
戦争太平洋戦争 / 大東亜戦争
年月日1944年9月17日 - 10月19日
場所パラオ諸島 アンガウル島
結果:アメリカ合衆国の勝利
交戦勢力
ファイル:Flag of Japan.svg 大日本帝国 ファイル:Flag of the United States.svg アメリカ合衆国
指揮官
井上貞衛中将 ポール・ミュラー少将
戦力
歩兵第59連隊第1大隊
1,400
第81歩兵師団
21,000
損害
戦死 1,338
捕虜 59
戦死 260
負傷 2,294

ファイル:Battle of Anguar map.jpg
日本軍の陣地と米軍の侵攻図

アンガウルの戦い(アンガウルのたたかい、: Battle of Angaur)は、第二次世界大戦におけるパラオ=マリアナ戦役における最後の戦い。

当時パラオ防衛は第14師団宇都宮)が担当していたが、アンガウル島防衛に当たっていたのは第14師団配下の宇都宮歩兵第59連隊であった。第14師団はペリリュー島守備のため1個連隊(水戸歩兵第2連隊高崎歩兵第15連隊第3大隊)を割いており、パラオ本島の防衛も行わなければならなかった。そのため、7月20日照作戦命令甲第124号により、第59連隊はアンガウル島防衛に第1大隊を残しパラオ本島に引き上げる。米軍の侵攻が明白になると、日本軍守備隊側は現地住民をアンガウル島外へ脱出させようと企図したが間に合わず、約200名が取り残され戦闘に巻き込まれることとなった。米軍の目的は爆撃機のための飛行場の建設であった。

戦闘経過

9月11日、米軍は侵攻前の空母ワスプ発艦のドーントレスによる予備爆撃及び戦艦テネシーによる艦砲射撃を行った。その6日後の9月17日に米陸軍第81歩兵師団が島の北東及び南西の海岸に上陸した。敷設された地雷による被害や日本軍による水際作戦によって上陸当初はある程度の被害を受けたが、日本軍側が補給に苦しんだことと、15倍という圧倒的な兵力差があったため、9月25日には目標としていた丘を占領、9月30日には島を全面占領することに成功した。10月19日、最後の斬り込みを行いアンガウル島守備隊は玉砕。守備隊員の大半は戦死し、島は焦土と化した。米国軍は方針を変更し、結局飛行場は築かれなかった。

関連項目

外部リンク

マリアナ・パラオ諸島の戦い
サイパンの戦い | マリアナ沖海戦 | グアムの戦い | テニアンの戦い | ペリリューの戦い | アンガウルの戦い