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アンディ・ペティット

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

アンディ・ペティット
Andy Pettitte
ファイル:Andy Pettitte by Keith Allison 8 31 09 pic2 CROP.jpg
基本情報
国籍 ファイル:Flag of the United States.svg アメリカ合衆国
出身地 ファイル:Flag of the United States.svg ルイジアナ州バトンルージュ
生年月日 1972年6月15日(39歳)
身長
体重
6' 5"=約195.6cm
225 lb=約102.1kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1991年 ドラフト外 ニューヨーク・ヤンキース
初出場 1995年4月29日 ロイヤルズ
最終出場 2010年
経歴(括弧内は在籍年)

アンディ・ペティットAndy Pettitte, 1972年6月15日 - )は、アメリカ合衆国ルイジアナ州バトンルージュ出身の元プロ野球選手。フルネームはアンドリュー・ユージーン・ペティットAndrew Eugene Pettitte)。投手、左投左打。

目次

経歴

プロ入りまで ­­­

1972年6月15日ルイジアナ州バトンルージュ生まれ。父から野球を教わる。少年時代にテキサス州ディアパークへ移住してからは、ノーラン・ライアンロジャー・クレメンスに夢中になっていた[1]

1990年、高校卒業時のドラフトにおいてニューヨーク・ヤンキースから22巡目(全体594位)指名を受ける。しかし下位指名だったことで提示された条件は良くなく、ペティットは進学を決意、早くプロになりたかったのと勉強が苦手なために4年制大学ではなく2年制のコミュニティ・カレッジに進学し[1]。1年後の1991年5月、ドラフトを介さずアマチュアFAとしてヤンキースと契約し入団した。

ヤンキース

1995年4月29日メジャーデビューを果たした。当初はブルペンスタートで、5月にマイナー落ちも経験する。しかし半月足らずで再びメジャー昇格を果たし、5月27日メジャー初先発[2]。以後先発ローテーションに名を連ね、最終的には31試合(26先発)で12勝9敗・防御率4.17という成績を残し、新人王投票でも3位につけた。

2年目の1996年オールスターゲームに選出され、21勝8敗で最多勝のタイトルを獲得、サイ・ヤング賞投票でもパット・ヘントゲンに6票差で2位[3]

1997年、リーグ1位の35試合に先発登板し、自己最多リーグ3位の240.1回を投げ、18勝7敗を記録した。1998年は開幕投手を務め、16勝11敗、過去3年の勝利数はジョン・スモルツの56勝に次ぐ55勝を記録し[4]1999年は14勝11敗。2000年は19勝9敗を記録し、9月24日のタイガース戦ではヤンキースの選手として史上15人目の100勝を達成[5]。サイ・ヤング賞の投票で4位に入った。

安定した活躍でヤンキースのワールドシリーズ3連覇をふくめた1996年1998年1999年2000年2009年と5回のワールドチャンピオンに貢献した。

2002年、故障のため22試合の登板に留まったが、2003年はリーグ2位、自己最多タイの21勝を記録した。

アストロズ

ファイル:1st pitch nolan to pettitte 03.jpg
アストロズ時代、ノーラン・ライアン(右)の始球式捕手役を務めたペティット

2003年11月6日にFA宣言をし、12月16日、ヒューストン・アストロズへ3年総額3,150万ドルで移籍し、ヤンキース時代のチームメートのロジャー・クレメンスも引退を撤回してアストロズへ移籍した。1年目は左ヒジの故障で3回の故障者リスト入り(4月7日 - 4月29日、5月27日 - 6月28日、8月13日 - )した[6]。シーズン1回目の故障から復帰した4月29日のパイレーツ戦で通算150勝を達成したが[6]、シーズン通して6勝に終わり、連続2桁勝利は9年で途切れた。

翌2005年は17勝9敗・ロジャー・クレメンスに次ぐリーグ2位の防御率2.39を挙げ、27回(リーグ2位)のクオリティ・スタートを記録した[7]月間MVPの投手部門を7月と9月の2回受賞。7月には6試合に登板し、5勝0敗で球団史上3位なる防御率0.90を記録した[7]。8月21日から9月20日にかけて自己最長タイとなる7戦7勝を記録した[7]。球団史上初のワールドシリーズ進出に貢献し、カムバック賞の最終候補にノミネートされた[7]

2006年、自己最多タイの35試合に先発登板し、14勝を記録したが、自己最低の13敗。チームはセントルイス・カージナルスに1.5ゲーム差でプレーオフ進出はならなかった。シーズン最初の登板となった4月4日のマーリンズ戦で10失点(自責点7)で昨年からの連勝は7で途切れた[8]。4月、5月、6月と3か月連続で月間防御率が5点以上だったが、8月は防御率2.27でリーグ最多の49奪三振を記録した。[8][9]

ヤンキース復帰

ファイル:Andy P.jpg
2007年のペティット

シーズン終了後の12月8日にニューヨーク・ヤンキースと1年総額1,600万ドル(2年目はペティット側が1600万ドルのオプション)の契約で古巣に復帰した[10]2007年は8月に6戦6勝・防御率2.36の成績で月間最優秀投手に選出され、月間勝利数は自己最多を更新[11]。9月19日のオリオールズ戦では8回2死まで1点に抑え、史上110人目(左腕では27人目)となる通算200勝を達成した[12]。リーグ1位の34試合に先発登板し、15勝9敗でヤンキース復帰1年目のシーズンを終えた。

ペティットは1600万ドルのオプションを行使せずにFA宣言したが、12月12日に1年1,600万ドルで残留が決まった[13]。しかし、その1日後の13日に発表された、MLBでの薬物使用の報告書「ミッチェルリポート」でペティットは2002年にHGH(ヒト成長ホルモン)を使用したとして名前が挙がった[14]。その後、ペティットはHGHの使用を認めた。

ファイル:Andy Pettittle 2008.jpg
ペティットの投球(2008年5月17日)

過ちを認めたペティットに対し、ニューヨークでは好意的に受け入れられた。2008年最初の登板となった4月5日のレイズ戦では5回5失点(自責点3)で負け投手となったが、ヤンキー・スタジアムのファンは歓声で迎えた[15]。ヤンキースタジアム最終戦となった9月21日のオリオールズ戦では5回を3失点(自責点2)で勝ち投手となり、ラモン・ヘルナンデスから2回に三振を奪い、通算2,000奪三振を達成した[16]。この年は、オールスター前までに10勝を挙げるが、オールスター以降は防御率5・35と安定感を欠き4勝しか挙げられず、防御率4.54はメジャー定着以来最悪の数字となった。

オフに再びFAとなったペティットにヤンキースは1,000万ドル程度の再契約をオファーするが、1,600万ドル前後を求めるペティット側との交渉は難航したが、1月26日に1年550万ドル+650万ドルの出来高でヤンキースと再契約した[17]

2009年は先発4番手として開幕を迎えるが、王建民の不振などで最終的には3番手に定着して14勝を挙げ、ポストシーズンでも中3日で先発するなど健在さをアピールし、チームのワールドチャンピオンに大きく貢献した。オフにFAとなり、引退か再契約かの決断を迫られることとなったが、12月9日に1年1175万ドルで再契約した。

2010年は前半戦だけで10勝し、9年ぶりにオールスター出場を果たした。しかし後半戦は怪我で長期離脱し、6年ぶりに規定投球回数到達を逃した。終盤に復帰し、地区シリーズのツインズ戦ではポストシーズン19勝目を挙げ、自身の記録を伸ばした。

2011年2月4日、気力の衰えを理由に現役引退を表明した[18][19]

特徴

長身から繰り出す曲がり幅の大きいカーブカッターチェンジアップなど多彩な変化球を持ち、それらをコーナーに決められる優れた制球が武器。ゆったりとした投球フォームからの素早い牽制はメジャートップクラスとされているが、微妙な動きであるため「ボークだ」とする指摘する声も後を絶たない[要出典]。フィールディングに対する評価も高い[要出典]ポストシーズンにも強く、通算19勝は単独で歴代1位。

子供の頃のヒーローだったクレメンスが1999年にヤンキースに移籍してきてから、ペティットはクレメンスを師と仰ぎ、一緒にトレーニングをしている。クレメンスが引退を撤回し、アストロズへ移籍した時もペティットの説得が大きかったという[20]

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1995 NYY 31263001290--.571745175.01831563311148186814.171.41
1996 35342002180--.724929221.022923722316261105953.871.36
1997 35354111870--.720986240.1233765031667086772.881.24
1998 333250016110--.593932216.1226208716146501101024.241.45
1999 3131000141100.560851191.2216208933121311051004.701.59
2000 323231019900.679903204.221917804412523111994.351.46
2001 3131200151000.600858200.222414413616422103893.991.32
2002 222231113500.722570134.214463224972158493.271.31
2003 333310021800.724896208.122721503118050109934.021.33
2004 HOU 15150006400.60034683.07183120794037363.901.23
2005 333300017900.654875222.11881741031712066592.391.03
2006 3635210141300.519929214.1238277092178211141004.201.44
2007 NYY 363400015901.625916215.123816691114130106974.051.43
2008 3333000141400.500881204.0233195547158611121034.541.41
2009 323200014800.636834194.219320761414830101904.161.38
2010 212100011300.786536129.01231341331012052473.281.27
通算:16年 489479254224013801.635129873055.13185263962415122516211146113173.881.36
  • 2010年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

獲得タイトル・表彰

参考資料

  1. ^ a b 三尾圭 「帝国の左腕 アンディ・ペティート ヤンキース」 『月刊スラッガー』64号、日本スポーツ企画出版社、2003年、雑誌15509-8、26-28頁。
  2. ^ Andy Pettitte 1995 Pitching Gamelogs - Baseball-Reference PI” (英語). 2008年1月22日閲覧。
  3. ^ Baseball Awards Voting for 1996 - Baseball-Reference.com” (英語). 2008年1月22日閲覧。
  4. ^ 1998 Career Highlights:MLB.com” (英語). 2008年1月22日閲覧。
  5. ^ 2001 Career Highlights:MLB.com” (英語). 2008年1月22日閲覧。
  6. ^ a b Andy Pettitte 2004 Career Highlights” (英語). 2008年5月26日閲覧。
  7. ^ a b c d Andy Pettitte 2005 Career Highlights” (英語). 2008年5月26日閲覧。
  8. ^ a b Andy Pettitte 2006 Career Highlights” (英語). 2008年5月26日閲覧。
  9. ^ Andy Pettitte 2006 Pitching Splits - Baseball-Reference PI” (英語). 2008年5月26日閲覧。
  10. ^ Feinsand, Mark (2006年12月8日). “Pettitte agrees to deal with Yanks” (英語). MLB.com. 2009年10月11日閲覧。
  11. ^ Kirby, Tim (2007年9月4日). “Pettitte named AL Pitcher of the Month” (英語). MLB.com. 2009年10月11日閲覧。
  12. ^ DiComo, Anthony (2007年9月19日). “Pettitte pitches his way into history” (英語). MLB.com. 2009年10月11日閲覧。
  13. ^ Hoch, Bryan (2007年12月11日). “Pettitte makes return official” (英語). MLB.com. 2009年10月11日閲覧。
  14. ^ George J. Mitchell (2007年12月13日). “Mitchell Report Mitchell, pp. 175–6” (英語). 2009年10月11日閲覧。
  15. ^ 杉浦大介 「MLB30球団レポート&全選手個人成績 ニューヨーク・ヤンキース/NYY 正直者が味わった素晴らしい気分」 『月刊スラッガー』2008年6月号、日本スポーツ企画出版社、2008年、雑誌15509-6、75頁。
  16. ^ Associated Press (2008年9月21日). “For final game at Yankee Stadium, Yanks win to prevent playoff elimination” (英語). ESPN.com. 2009年10月11日閲覧。
  17. ^ Hoch, Bryan (2009年1月26日). “Pettitte holding onto his pinstripes” (英語). MLB.com. 2009年10月11日閲覧。
  18. ^ MLB=240勝左腕ペティットが引退、盟友ジーターらに感謝”. ロイター (2011-02-05). 2011-02-05閲覧。
  19. ^ ヤ軍ペティット投手が引退会見 松井の思い出は満塁本塁打”. 共同通信社 (2011-02-05). 2011-02-05閲覧。
  20. ^ 友成那智、村上雅則 『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2005』 廣済堂出版、2005年、310、313頁。ISBN 978-4-331-51093-3

外部リンク