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アーヘン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

アーヘン
Aachen
ファイル:Stadtwappen der kreisfreien Stadt Aachen.svg
紋章
座標: 北緯50度46分0秒 東経6度6分0秒 / 北緯50.76667度 東経6.1度 / 50.76667; 6.1
ファイル:Flag of Germany.svg ドイツ
ノルトライン=ヴェストファーレン州
行政管区 ケルン行政管区
郡独立市
行政区域 7 Stadtbezirke
行政
 - 市長 ユルゲン・リンデン (SPD)
面積
 - 計 160.83km2 (62.1mi2)
標高 173m (568ft)
人口 (2010年12月31日)[1]
 - 計 258,664人
 - 人口密度 1,608人/km² (4,164.7人/mi²)
郵便番号 52062 – 52080(旧: 5100)
市外局番 0241、02403、02405、02407、02408
ナンバープレート AC
自治体コード 05 3 34 002
ウェブサイト www.aachen.de
ファイル:Aachener Dom.jpg
アーヘン大聖堂
ファイル:Aachener dom oktagon.jpg
アーヘン大聖堂の内部

アーヘン (Aachen) は、ドイツ連邦共和国の都市。ノルトライン=ヴェストファーレン州に属する。フランス語名はエクス・ラ・シャペル (Aix-la-Chapelle)。ラテン語名はアクアエ・グラニ (Aquae-Grani, Aquisgranum)。

目次

地勢

ベルギーオランダ国境に近接している。近隣の都市としては、東の方角にケルン、西の方角にマーストリヒトオランダ)が挙げられる。温泉地としても知られ、町の名称はいずれもを意味する語に由来する。

名称

「アーヘン」の名称は古高地ドイツ語 aha鉱泉)に由来し、ラテン語アクア(水)に対応する。町のラテン語名は「アクアエ・グラニ」であり、アクアは水、グラニとは鉱泉を意味した。フランス語名「エクス・ラ・シャペル」のエクスはアクアから来ている。シャペルとは礼拝堂(チャペル)の意味であり、後述のアーヘン大聖堂にちなんだものである。従って、フランス語名の意味は、「礼拝堂の泉」である。

歴史

この地は古代ローマ帝国の時代から知られており、ローマ人たちは、この地を温泉保養地として発展させて来た(アクアエ・グラニ)。中世に入ると、8世紀末にフランク王国カール大帝が王宮をおき事実上の首都となり、大帝がこの地にイングランドの学僧アルクィンを招いたため、カロリング朝ルネサンスの舞台ともなった。9世紀後半にノルマン人の襲撃を受けて荒廃するが再建し、歴代のドイツ王、神聖ローマ皇帝がアーヘン大聖堂戴冠式を行った。皇帝フリードリヒ1世に都市特権を認められた。14世紀半ば、都市内で手工業者が市政参加を求めてツンフト闘争を展開し、15世紀半ばに市政参加を果たした。16世紀前半、皇帝カール5世の戴冠式が行われ、アーヘンで戴冠された最後の皇帝となった。(ただし、その後1531年にドイツ王としてフェルディナント1世が戴冠式を行っている。これが最後の戴冠式となる。)17世紀の三十年戦争で深刻な打撃を受け荒廃したため、街の再建には長い期間を要した。1668年にはこの地でフランドル戦争(南ネーデルラント継承戦争)の講和条約アーヘンの和約 (1668年)が結ばれ、1748年にはオーストリア継承戦争の講和条約アーヘンの和約 (1748年)が結ばれた。1815年のウィーン議定書によってプロイセン領となった。

文化

宮殿の礼拝堂として建てられたアーヘン大聖堂ユネスコ世界遺産(文化遺産)に登録されている。聖堂の隣の宝物館にはカール大帝の金の胸像などがある。

観光

  • アーヘン大聖堂
  • 市庁舎
  • エリーゼの泉
  • クーヴェン博物館
  • ルートヴィヒ・フォーラム
  • ズエルモント・ルートヴィヒ美術館
  • プリンテン・ミュージアム
  • 国際新聞博物館
  • クレマー通り

スポーツ

サッカーのアレマニア・アーヘンの本拠地である。

姉妹都市

関連項目

引用

外部リンク