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カンボジア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

(カンボジア王国 から転送)

カンボジア王国
ព្រះរាជាណាចក្រកម្ពុជា

ファイル:Flag of Cambodia.svg ファイル:Royal Arms of Cambodia.svg
国旗(国章)

国の標語: ファイル:CambodiaMotto.svg
(クメール語:国民、信仰、国王)
国歌: 素晴らしき王国
ファイル:Location Cambodia ASEAN.svg

公用語 クメール語
首都 プノンペン
最大の都市 プノンペン
政府

国王 ノロドム・シハモニ
首相 フン・セン

面積

総計 181,035km287位
水面積率 2.5%

人口

総計(2008年14,805,000人(64位
人口密度 74人/km2
GDP(自国通貨表示)

合計(2008年45兆3,035億[1]リエル
GDPMER

合計(2008年111億[1]ドル(131位
GDPPPP

合計(2008年282億[1]ドル(99位
1人あたり 2,066[1]ドル
独立

フランスより1953年11月9日

通貨 リエルKHR
時間帯 UTC +7(DST: なし)
ISO 3166-1 KH / KHM
ccTLD .kh
国際電話番号 855

カンボジア王国(カンボジアおうこく)、通称カンボジアは、インドシナ半島に位置する東南アジア立憲君主制国家。東にベトナム、西にタイ、北にラオスと国境を接し、南は南シナ海に接する。首都はプノンペン。国民の90%以上がクメール語(カンボジア語)を話し、仏教上座部仏教)を奉ずるクメール人カンボジア人)である。2010年GDPは約113億ドルであり[2]山口県下関市とほぼ同じ経済規模である[3]

目次

国名

正式名称は、クメール語ព្រះរាជាណាចក្រកម្ពុជា(発音:プレアリアチアナーチャッカンプチア、ラテン文字表記:Preăh Réachéanachâkr Kâmpŭchea)。プレアは王の称号。リアチアは王、ナーチャックは国で、両方合わせたリアチアナーチャックは王国と言う意味。隣国のタイの正式名称とよく似ている。

公式の英語表記は、Kingdom of Cambodia(キングダム・オブ・カンボゥディア)。略称は、Cambodia

日本語表記は、カンボジア王国、通称は、カンボジア。漢字表記は柬埔寨。カンボジアでは自分の国を「カンプチャ」と呼んでいて、建国者といわれるインドのバラモン僧「カンプー」とその子孫を意味する「チャ」に由来する。

地理

ファイル:Cb-map-ja.png
カンボジアの地図

この国の中心には国際河川の大河メコン川が流れ水運を担っている。主食は米で稲作農業が盛んである。この国の中央付近にはトンレーサープと呼ばれる大きな湖があり、その北方にはクメール王朝の遺跡として世界的に有名なアンコール・ワットアンコール・トムといったアンコール遺跡(1992年、世界遺産登録)が存在する。

国土の大部分は海抜100m以下であるが、プノンペン西方にカルダモン山脈が連なり、最高峰プノン・アオラル山(1813m)がある。

モンスーン気候帯に属し、5~10月が雨季、11~4月が乾季である。雨季にはタイ湾からの風で気温は22度Cまで下がり、乾季には北東風で40度Cまで上がる。雨季のメコン川の増水でトンレサップ湖に逆流し、湖面積がほぼ10倍に拡大する。

土地

カンボジア国内にはかつての内戦の影響でたくさんの地雷不発弾が埋まっており、それらの場所の多くには危険標識が立てられているものの、カンボジアの子供達は母国語であるクメール語の文字が読めないために誤って危険地帯に入ってしまうという問題があった。そのためJMASなどの日本のボランティアでは、子供でも理解できるポスターを作ったり、わかりやすい地雷の標識を設置するなどの活動をしている。

歴史

ファイル:Angkor Wat.jpg
アンコールワットアンコール遺跡の一つで、カンボジア国旗の中央にも同国の象徴として描かれている。

ノロドム・シハヌーク国王の下で1949年にフランスから独立後、ベトナム戦争が始まると国内は不安定化し、アメリカと南北ベトナムが介入し内戦状態となった。1968年には米軍の空爆が始まり、1970年には親米派のロン・ノル将軍のクーデターによりシハヌーク国王が追放され、クメール共和国が樹立された。内戦は一層激化し、空爆がカンボジア全域に拡大され数十万人が犠牲となると、クメール・ルージュ勢力の伸張をまねいた。1975年、極端な共産主義を掲げるクメール・ルージュの独裁者ポル・ポト政権が成立。1979年までに、旱魃、飢餓、虐殺などで200万人以上とも言われる死者が出た。 思想改革という名の元で、虐殺が行われた。教師、医者、公務員、資本家、芸術家、宗教関係者、良識ある国民のほとんどが捕らえられて強制収容所に送られた。生きてそこから出られたのはほんのわずかな人数である。 それ故に明確な犠牲者数は得られず今でも、国土を掘り起こせば多くの遺体が発掘される。(内戦前の最後の国勢調査が1962年であり、それ以後の正確な人口動態がつかめておらず、死者の諸推計に大きく開きが出ている)。1979年にベトナム軍が侵攻しポル・ポト政権を打倒。その後ポル・ポト派含む三派とベトナム、ヘン・サムリン派との間で内戦が続いた。1989年にベトナム軍が撤退、1991年10月にパリ和平協定が結ばれた。1992年3月から国際連合カンボジア暫定統治機構による統治が開始され、1993年には国連監視の下で民主選挙が実施された。この時の国連の代表が日本の明石康である。9月に制憲議会が新憲法を発布し立憲君主制を採択、ノロドム・シハヌークが国王に再即位した。

2009年12月18日、カンボジア特別法廷[4]は、キュー・サムファン元国家幹部会議長を大虐殺(ジェノサイド)罪でも訴追することを通知した。法廷は、16日までにヌオン・チア元人民代表議会議長、イエン・サリ元副首相の二人にも大虐殺罪適用を決定している。[5]

政治

国家体制国王元首とする立憲君主制である。現在の元首は2004年10月に即位したノロドム・シハモニ国王。立法府たる国民議会両院制を採用しており、議員は直接選挙で選ばれる。

カンボジアでは、クメール・ルージュ時代にほとんどの法律家(裁判官、検察官、弁護士)が殺害され、法律及びその資料も廃棄された。カンボジアが近代国家として再生、発展していくためには、0に近い状態から民法民事訴訟法などの基本法典を整備し、それらを運用する裁判官、弁護士などの法律家を育成することが不可欠であるが、これらの法整備支援を行っているのは日本である[6]民事訴訟法は、2007年7月から既に適用を開始しており、また、民法も適用にまでは至っていないものの、2007年12月8日に公布されている[7]

カンボジア憲法には、内政不干渉、紛争の平和的解決、永世中立が明記されている。

地方行政区分

ファイル:Cambodge Carte-Provinces.png
カンボジアの地方行政区画

カンボジアは、23の州(ខេត្ត:khett)と1つの特別市(រាជធានី:reach theany)に分かれる。

バンテイメンチェイ州 (Banteay Meanchey) ខេត្តបន្ទាយមានជ័យ
バタンバン州 (BattamBang) ខេត្តបាត់ដំបង
コンポンチャム州 (Kampong Cham) ខេត្តកំពង់ចាម
コンポンチュナン州 (Kampong Chhnang) ខេត្តកំពង់ឆ្នាំង
コンポンスプー州 (Kampong Speu) ខេត្តកំពង់ស្ពឺ
コンポントム州 (Kampong Thom) ខេត្តកំពង់ធំ
カンポット州 (Kampot) ខេត្តកំពត
カンダール州 (Kandal) ខេត្តកណ្ដាល
ココン州 (Koh Kong) ខេត្តកេាះកុង
クラチエ州 (Kratie) ខេត្តក្រចេះ
モンドルキリ州 (Mondol Kiri) ខេត្តមណ្ដលគិរី
ウドンメンチェイ州 (Otdar Meanchey) ខេត្តឧត្តមានជ័យ
プレアヴィヒア州 (Preah Vihear) ខេត្តព្រះវិហារ
プレイベン州 (Prey Veng) ខេត្តព្រៃវែង
ポーサット州 (Pursat) ខេត្តពោធិសាត់
ラタナキリ州 (Ratana Kiri) ខេត្តរតនគិរី
シェムリアップ州 (Siem Reap) ខេត្តសៀមរាប ・・・ アンコール遺跡
ストゥントレン州 (Stung Treng) ខេត្តស្ទឹងត្រែង
スヴァイリエン州 (Svay Rieng) ខេត្តស្វាយរៀង
タケオ州 (Takeo) ខេត្តតាកែវ
特別市
プノンペン特別市 (Phnom Penh) រាជធានីភ្នំពេញ
ケップ特別市 (Kep) ខេត្តកែប
パイリン特別市 (Pailin) ខេត្តបៃ៉លិន
シアヌークビル特別市 (Preah Sihanouk.) ខេត្តព្រះសីហនុ

経済

主要産業は農業、漁業、林業。近年は観光産業と縫製産業が成長し、最貧国ではあるものの外国からの投資も大きな伸びを示している。主な鉱物資源として燐(未開発)、マンガン(未開発)、宝石がある。塩を4万トン生産する。経済成長率は、2004年に10%、2005年に13.4%、2006年には10.4%(カンボジア政府の統計)。

カンボジアの国土に占める農地面積は21.6%に及び、人口の34%が農業に従事している。生産年齢人口が人口の55.8%であることを考慮に入れると、カンボジアの主産業は農業である(以上、2002年時点)。しかしながら、労働生産性が低いため、農産物は国内需要を満たすに過ぎない。主要穀物では米(417万トン)の生産に特化している。商品作物の生産では葉たばこと天然ゴム(4.6万トン)が目立つ。

主要輸入品目は、石油製品(8.2%)、たばこ、オートバイ。主要輸出品目は衣類(77.8%)、天然ゴム、木材である。主要輸出先はアメリカ(36.8%)、シンガポール、タイ。主要輸入先はタイ(15.6%)、香港、シンガポールである。

通貨リエルが存在するが、カンボジア経済の実情と比較してリエルの為替レートが高く、特に輸出に不利なので、一部を除いては通常米ドルが使用される。カンボジアではポル・ポト政権下の1978年、原始共産主義的政策の一環として全ての通貨が廃止された。同政権崩壊後の1980年にリエルは復活した。地方、シェムリアップ西部のクララン周辺以西、以北、アンロンベンやプレア・ヴィヘアなどのタイ国境に近い地域ではリエルよりもタイバーツが使用される場合もあるが、1B=100Rで使用できる。

カンボジア製の衣類は日本にも2000年代以降多く輸出され始めている。例えば、ユニクロの子会社であるジーユーが販売している一本990円という低価格のジーンズなどがカンボジア製である。人件費の安さなどを武器とし、経済成長の緒に就いている。

現在、中国が経済進出し、カンボジア首相府のビル建築や南部シアヌークビルのインフラ整備にも多額の資金援助を行っている。

また、中国以上にカンボジアに影響力を拡大している韓国は、首都プノンペンに42階建ての高層ビルを建築し、プノンペン郊外に20億ドル規模の新興都市を建築中である。都市の名前は、カンボジア (CAM) と韓国 (KO) の国名の頭文字を採って、CAMKO CITYと命名された。多くの韓国企業がカンボジアに進出するとあって、現在カンボジアでは韓国語ブームが起き、プノンペンだけで17の私立韓国語学校が存在する[8]

一方、ソフト面でのインフラというべき法律分野における法整備支援では、民法及び民事訴訟法の起草や裁判官、弁護士の人材育成を支援する日本のプレゼンスが大きい[9][10]。しかし、証券取引所の支援を韓国が行うなど、法整備支援分野でも韓国の存在感が示され始めている[11]

国民

民族

クメール人が90%、ベトナム人が5%、華人が1%、その他4%など36の少数民族である。

言語

公用語クメール語であり、最も話されている。また、フランス語がある程度通じる。

宗教

9割以上が上座部仏教である。国民の4%ほどがイスラム教徒である。(主にチャム族の信者)また、上座部仏教が憲法で国教と定められているが、信教の自由が保障されている。

クメール・ルージュ政権時代には宗教活動が禁止され、多くの寺院やモスクなどの宗教関係施設が破壊され、多くの僧侶が還俗・虐殺された。

教育

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若年層の識字率は低くないが、45歳以上の識字率はクメール・ルージュ時代に教育が禁止された影響もあってか21.0%とかなり低い水準である。

  • 王立プノンペン大学
  • カンボジア工業大学
  • 王立法律経済大学
  • 国立経営大学
  • 国立教育研究大学
  • 王立農業大学
  • 健康科学大学(カンボジア王国)
  • カンボジア大学
  • アンコール大学

文化

  • ボッカタオ
  • 水祭り - 2010年11月に300人以上が死亡する事故がおきた。100メートル、幅6メートルの橋の上に見物客約7、8千人で、橋が揺れたのが原因と見ている。24日の政府発表では、死者数は347人だった[12]

世界遺産

カンボジア国内には、ユネスコ世界遺産リストに登録された文化遺産が2件ある。詳細はアンコール遺跡およびプレアヴィヒア寺院を参照。

脚注

  1. ^ a b c d IMF Data and Statistics 2009年4月27日閲覧([1]
  2. ^ IMF
  3. ^ 下関市の市内総生産
  4. ^ 大虐殺の審理始まる2009年2月18日 しんぶん赤旗
  5. ^ キュー・サムファン大虐殺罪で訴追 「しんぶん 赤旗」2009年12月19日(土曜日)版
  6. ^ 宮崎朋紀「各国法整備支援の状況-カンボジア」
  7. ^ http://www.jica.go.jp/press/archives/jica/2007/071228_1.html
  8. ^ NHK-BS1 2009年11月10日 きょうの世界より
  9. ^ 「特集 法整備支援の課題」法律時報時報2010年1月号(日本評論社)
  10. ^ 特集 日本の法整備支援
  11. ^ http://www.asahi.com/business/update/1011/TKY201010110053.html
  12. ^ 転倒現場で追悼式=死者347人に修正―カンボジア 朝日新聞 2010年11月25日

関連項目

外部リンク

政府

カンボジアの法律

 

日本政府関係

観光