サモア
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- サモア独立国
- Mālō Sa'oloto Tuto'atasi o Samoa
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ファイル:Flag of Samoa.svg ファイル:Coat of Arms Samoa.svg (国旗) (国章) - 国の標語: Fa'avae i le Atua Samoa
(サモア語: 神がサモアにあらんことを) - 国歌: 自由の旗
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- ファイル:LocationSamoa.png
公用語 サモア語、英語 首都 アピア 最大の都市 アピア 独立
- 日付ニュージーランドから
1962年1月1日通貨 タラ(WST) 時間帯 UTC -11(DST: なし) ISO 3166-1 WS / WSM ccTLD .ws 国際電話番号 685
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国名
正式名称は、サモア語ではMālō Sa'oloto Tuto'atasi o Samoa(マーロー・サッオロト・トゥトッアタシ・オ・サモア)、英語ではIndependent State of Samoa(インディペンデント・ステイト・オヴ・サモア)。通称はいずれも、Samoa。文化的には共通であるが、東西サモアの政治的統合は現在のところ現実的な議論の対象とはなっていない。
日本語表記は、サモア独立国。通称、サモア。
かつては、東側のアメリカ領サモアとの対比で西サモア(サモア語でSamoa i Sisifo、英語でWestern Samoa)と呼ばれてきたが、1997年7月4日から現在の国名に変更した。
歴史
- 1722年 - オランダ人の探検家ヤーコプ・ロッヘフェーンに確認される
- 1768年 - フランス人航海者ルイ・アントワーヌ・ブーゲンビルが上陸する
- 1860年 - アピアが捕鯨船の補給港として栄え、ドイツ、イギリス、アメリカが勢力を競う
- 1899年 - ドイツが西サモアを領有し(ドイツ植民地帝国)、アメリカが東サモア(現在のアメリカ領サモア)を領有する
- 西サモアでは、このころ第1次マウ運動と呼ばれる独立運動が起きる。
- 1919年 - ニュージーランドを施政権者とする国際連盟委任統治領となる。
- 1919年 - スペインかぜの流行で人口の22%を失う。
- 1926年 - 第2次マウ運動の勃発。
- 1929年 - ニュージーランド軍がサモア人群衆に発砲し、4人の大首長(タマ・ア・アイガ)のひとりトゥプア・タマセセ・レアロフィオアッアナ2世が死亡する(黒い土曜日事件)。
- 1945年 - 国際連合信託統治領となる。
- 1962年 - 独立。国名「西サモア」。
- 1997年 - 国名を現在のサモア独立国に変更。
- 2009年9月7日 - 路上の車の通行を日本と同様の左側通行へ変更[2]。
- 2009年9月29日 - 朝6時48分頃、アピアの南方約195kmを震源として、マグニチュード8.1の地震が発生(詳細は2009年サモア地震)。ウポル島南部を約10mの津波が襲うなどの被害が生じた。サモア災害管理室によるとサモアで183人が死亡したと報じられている[3]。
- 2011年末 - オーストラリアなどとの時差を少なくするため、日付変更線の東側から西側に移行し、世界で最も日の出の早い国になる予定[4]。
政治
政体は立憲君主制である。議会は一院制で、サモア語でFonoと呼ばれる。議員の定数は49名で、任期は5年である。47名は、サモアの伝統的指導者層である首長(マタイmatai)から選ばれ、残り2名は欧米系などの移民の代表として選ばれる。内閣総理大臣は、立法議会の議員の過半数により選挙された国会議員が、国家元首であるオ・レ・アオ・オ・レ・マーローの任命により就任する。
オ・レ・アオ・オ・レ・マーローの定員は1名。任期は5年間。立法議会による選挙で選ばれる。憲法の規定では、立法議員の被選挙権を有する者は誰でも、オ・レ・アオ・オ・レ・マーローの被選挙権を有するものとされているが、実際には、サモア社会で特別に高い権威を有する4人の大首長(タマ・ア・アイガ)から選ばれるのが当然とみなされている。タマ・ア・アイガはいずれも特定の家系による世襲制である。
地方行政区分
詳細は「サモアの行政区画」を参照
11行政区で構成される。
地理
ニュージーランドの北2,300 km、ハワイの南3,700kmの南太平洋上に位置する広さ2,935 km²(鳥取県より少し小さい)の島国である。東にはアメリカ領サモアを挟んでクック諸島、南にトンガ、そして北にはニュージーランド領のトケラウ諸島が連なる。主にサバイイ島(面積1,700 km²)とウポル島(1,115 km²)の2つの大きな島などで構成されている。大きな2島は18kmの海峡を挟んでいるが、その間には2つの小島(マノノ島とアポリマ島)がある。サバイイ島とウポル島はともに火山島であり、サバイイ島にある最高峰シリシリ山は標高1,858mである。海岸地帯には珊瑚礁が発達している。
経済
経済的に生産されるものの80%以上が自給用である。農業と沿岸漁業中心で、コプラやタロイモなどを生産している。なお、ニュージーランドやアメリカ合衆国(ハワイ州・カリフォルニア州)には国内人口をはるかに上回る規模の移民が居住しており、彼らからの莫大な送金が国内の消費を支え、経常収支の赤字を埋め合せている。
情報・通信
サモア独立局の主要放送局は国営のSamoa Broadcasting CorporationとTelevision Glacelandがあり、Samoa Broadcasting Corporationのテレビチャンネルテレビサモアのオレラリという番組は視聴率90%ときわめて高い。インターネットにおいては、在サモア日本人技術者が運営する「fiafianet」 という無線LANによるインターネットがある。 新聞はSamoaLive!がある。
国民
民族
サモアの国民は、9割以上がポリネシア系のサモア人である。サモア人とヨーロッパ人や中国人との混血が7%程度、また1%に満たない程度のヨーロッパ人がいる。小錦(タレント・元大関)の親類も多く在住する。
治安
サモアは一般的に「安全な国」と認識されているが、サモア警察の統計資料によれば、主な犯罪の対日本比において、より高い犯罪発生率を示しており、サモアにおいても防犯に十分な注意が必要。最近は、住宅への侵入窃盗、薬物犯罪が多発傾向にある。
習慣
母系社会で、村落ではマタイ(村落の首長)を除けば父親の権限は強くない。夫婦の絆は一夫一婦制を堅持して、不倫は少ない。いやなら潔く夫を変えてしまう。近年、貨幣経済の浸透でモラルは欧化している。
女性は多産で子供は家事を手伝いしつけは厳しく、母親となると絶大な権力を持つ。子は独立するまで家事を助け、長女が夫を迎え、同居する形が多くみられる。食事は、客や主人が先に食べ、その間、子供は蝿を追ったり飲み物を用意したりで、幼児を除き食物を口にすることはない。残された食事を子供や同居人が食べ、最後は豚や犬、鶏が食べ、残飯はなく合理的である。
言語
言語は、公用語がサモア語と英語である。住民は、日常生活ではサモア語を使うことが多いが、英語も広く通用する。
宗教
宗教は、プロテスタントが97%である。20世紀後半までは、都市や村々には他の建物とは比べものにならない程立派なコンクリート製のキリスト教会があり、日曜には着飾って家族揃って礼拝やミサに出かける。午後は安息日でもあり、仕事をしないで終日ごろ寝やゲームで静かに過ごす。牧師の権限は地方では大変強く、マタイと肩を並べるほどであった。安息日は刑務所の囚人も開放され礼拝やミサに出かけるが、夕方には戻ってくるという。
文化
| 日付 | フランス語表記 | 現地語表記 | 備考 |
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音楽
脚注
関連項目
外部リンク
政府
- サモア独立国政府 (英語)
日本政府
- 日本外務省 - サモア (日本語)
- 在ニュージーランド日本国大使館 - 在サモア大使館を兼轄 (日本語)
観光
その他
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