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ザンビア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ザンビア共和国
Republic of Zambia

ファイル:Flag of Zambia.svg
国旗

国の標語: One Zambia, One Nation
(英語: 1つのザンビア、1つの国)
国歌: 誇りと自由を胸に、ザンビアの歌を
ファイル:LocationZambia.svg

公用語 英語
首都 ルサカ
最大の都市 ルサカ
政府

大統領 マイケル・サタ
首相 なし

面積

総計 752,614km238位
水面積率 1.6%

人口

総計(2008年12,935,000人(76位
人口密度 14人/km2
GDP(自国通貨表示)

合計(2008年53兆7,063億[1]ザンビア・クワチャ
GDPMER

合計(2008年143億[1]ドル(116位
GDPPPP

合計(2008年174億[1]ドル(135位
1人あたり 1,399[1]ドル
独立イギリスから
1964年10月24日
通貨 ザンビア・クワチャZMK
時間帯 UTC +2(DST: なし)
ISO 3166-1 ZM / ZMB
ccTLD .zm
国際電話番号 260

ザンビア共和国(ザンビアきょうわこく)、通称ザンビアは、アフリカ南部に位置する共和制国家で、イギリス連邦加盟国である。かつてはイギリス北ローデシアであった地域である。内陸国であり、コンゴ民主共和国タンザニアマラウイモザンビークジンバブエナミビアアンゴラの7つの国に接している[2]。首都はルサカ。2010年に発表された世界平和度指数ランキングでは149か国中51位となり、アフリカでもっとも平和な国の一つとして評価されている。

この国と南隣のジンバブエとの国境に流れるザンベジ川には、世界三大瀑布の一つと称される「ヴィクトリアの滝」がある。アフリカを代表する動物、ゾウカバキリンシマウマヌーも多く住み、大自然が大変良く残されている。

目次

国名

正式名称は英語で、Republic of Zambia(リパブリック・オブ・ザンビア)。通称、Zambia(ザンビア)。

日本語の表記は、ザンビア共和国。通称、ザンビア

国名は、国の西部から南部を流れるザンベジ川に因んでいる。

歴史

1798年にこの土地に進出していたポルトガルは、1830年代から大西洋岸のアンゴラ植民地とインド洋岸のモザンビークを結ぶべく、内陸のザンビアへの探検を本格化させた。1880年代に入ってアフリカ分割が進むと、アフリカを横断しようとするポルトガルの利害はカイロからケープタウンまでアフリカを縦断しようとしていたイギリスのそれと真向から衝突するようになる。1889年に南アフリカ会社を設立し統治権を確立していたイギリスは、1890年に最後通牒をだし、ザンビアとジンバブエに相当する地域に展開していたポルトガル軍を撤収させて、ザンビアの植民地化を決定的なものとした。このことはポルトガル本国で共和主義者によるザンビアの領有に失敗した王政への批判を招き、1910年10月5日革命の遠因ともなった[3]

1924年にイギリスはこの地を北ローデシア保護領として直轄植民地化した。北ローデシアは1953年に南ローデシア(現在のジンバブエ)、ニヤサランド(現在のマラウイ)と共にローデシア・ニヤサランド連邦に改編されたが、南ローデシアの白人が主導していたローデシア・ニヤサランド連邦は黒人層の不満から1963年に解体し、翌1964年10月24日に北ローデシア植民地政府首相ケネス・カウンダと統一民族独立党 (UNIP) により、イギリスから独立した。当時は北ローデシアとして東京オリンピックに参加していたが、閉会式にあたる日にザンビアとして独立したため、開会式と閉会式とで異なる国名となるという一幕があった。

独立後直後に国際連合に加盟したザンビアは、国連の経済制裁決議に従ってアパルトヘイトを敷いていた南アフリカ共和国との経済関係を断ち、さらに1965年にローデシアイアン・スミス首相の下で一方的独立宣言を行うと、ローデシアの封鎖にも加わった。両国に大きく経済的に依存していたザンビア経済は大打撃を受け、さらに銅輸出への道を絶たれた。1968年8月には外資系銅企業の国有化が進められ、1970年にはタンザニア、中華人民共和国の援助でタンザン鉄道の建設が進められた。1970年にカウンダは部族主義を克服するために[4]、統一民族独立党による一党制を樹立した。1973年にカウンダはローデシアとの国境を完全に封鎖し、さらに銅企業の国有化政策を推進した。外交面でカウンダはポルトガルからの独立を目指すモザンビーク解放戦線(FRELIMO)やアンゴラ国民解放戦線(FNLA)を支援しており、1974年4月25日にポルトガルでカーネーション革命が勃発し、エスタード・ノーヴォ体制が崩壊すると、9月にFRELIMOとポルトガル新政府を仲介してルサカ合意を実現させた。

しかし、1980年代に入ると独裁化するカウンダの手法や、銅価格の低下に起因するザンビア経済の凋落は国民の不満を招き、1991年に複数政党制を導入した選挙で与党UNIPはフレデリック・チルバ率いる複数政党制民主主義運動 (MMD)に敗れ、カウンダ政権は終焉した。

新たに大統領に就任したチルバは経済の自由化を進めたが、チルバ政権の下では汚職が恒常化し、クーデターが試みられるなど政治は不安定化した。2002年にMMDからレヴィー・ムワナワサが大統領に就任したが任期中の2008年に死去し、その後の大統領選でルピヤ・バンダ大統領代行が当選した。現在の大統領は2011年の大統領選で現職のバンダを破ったマイケル・サタである。

政治

ザンビアは共和制大統領制をとる立憲国家である。現行憲法1991年8月24日に公布(1996年改正)されたもの。

国家元首である大統領は、国民の直接選挙により選出される。任期は5年。1996年の憲法改正により3選禁止事項が盛り込まれた。閣僚は大統領が国民議会議員の中から任命する。首相職は1991年8月31日に廃止された。

立法府一院制で、正式名称は国民議会。定数は158議席で、うち150議席は国民の直接選挙により選出され、8議席は大統領による任命制である。議員の任期は5年である。

1991年からザンビアは複数政党制が認められている。現与党複数政党制民主主義運動(MMD)のほか、愛国戦線(PF)、国家開発統一党(UPND)などの野党活動も活発であり、旧一党支配政党の統一民族独立党(UNIP)の勢力も依然として強力である。

国際関係

独立以来中華人民共和国とは友好関係にあり、ザンビア中部からタンザニアダルエスサラームまでのタンザン鉄道を建設したのも中国である。しかし1998年に起きた銅鉱山を買い取った中国人による労働組合設立の弾圧や、2006年の中国人の賃金未払いによる労働者デモで中国人監督が労働者に発砲し、46人が射殺された事件などでザンビア国民の対中感情は悪くなってきている。2006年秋の大統領選に出馬した野党愛国戦線のマイケル・サタ党首は中国追放論を主張した。結果は敗れたものの、28%の支持を得た。首都のルサカでは選挙を争った前大統領レヴィー・ムワナワサの3倍の票を得た。

地方行政区分

ザンビアは9つの州(Province)から構成されている。

  • 中央州 (Central)
  • カッパーベルト州 (Copperbelt)
  • 東部州 (Eastern)
  • ルアプラ州 (Luapula)
  • ルサカ州 (Lusaka)
  • 北部州 (Northern)
  • 北西州 (North-Western)
  • 南部州 (Southern)
  • 西部州 (Western)

地理

ファイル:Za-map.png
ザンビアの地図。

ザンビアは南部アフリカの内陸国、大部分が高原でいくつかの河川が谷を刻んでいる。南部にザンベジ盆地を擁する。ナミビア、ボツワナ、ジンバブエとの国境を形成しヴィクトリアの滝(落差108m)があるザンベジ川は国の西から東へモザンビークに流れ、一部アンゴラへの支流となる。リヴィングストンはこの滝に近い観光拠点である。北部の河川の一部はコンゴ川へと流れ込むものもある。最北部のタンガニーカ湖はタンザニアとの国境で、南東端にカランボ川が流入し、カランボ滝はアフリカ第2位の落差(235m)を誇る。

気候

熱帯性気候であるが、高地ではしのぎやすい。年降水量は500-1,500mm。首都ルサカ(標高約1,200m)では1月の平均気温は21℃、7月の平均気温は16℃である。乾季は5月-8月であり、12月-4月は雨季である。

経済

後発開発途上国(いわゆる最貧国)の一つである。世界的なの産地であるカッパーベルトを擁し、日本十円硬貨にもザンビアから輸入した銅が含まれている。他にも亜鉛などを産出する。小規模ながら繊維工業なども存在する。しかしながら、主力の銅生産は生産設備の老朽化や投資環境の未整備、銅価格の下落などにより不振が続いており、銅のモノカルチャーに近かったザンビア経済は長期低迷を続けている。

日本はこの国の援助に力を入れており、経済協力は年間5,200万ドル(約57億円、2001年)に及ぶ。この額は日本の対アフリカ援助で3番目となっている。

国民

ファイル:Zambia-demography.png
FAOによる1961年から2003年までの人口動態グラフ。

民族

住民は、バントゥー系民族トンガ人、ニャンジャ人、ロジ人ベンバ人チェワ人トゥンブカ人ンゴニ人、ララ人、カオンデ人、ルンダ人などが全体の99.5%を構成する[5]。その他にもヨーロッパ人アジア人アメリカ人が0.5%ほど存在する[5]

言語

公用語英語であり、その他に各民族の言葉(ベンバ語トンガ語ニャンジャ語など)が用いられる。

宗教

国民の信仰する宗教はキリスト教が50%-75%、イスラム教ヒンドゥー教が25%-49%、伝統的宗教が1%である[5]

教育

2003年の推計によれば、15歳以上の国民の識字率は80.6%(男性:86.8%、女性:74.8%)である[5]。2005年にはGDPの2%が教育に支出された[5]

主な高等教育機関としてザンビア大学(1966)、カッパーベルト大学(1987)の名が挙げられる。

保健

ザンビアにおける2007年のHIV感染者は推計で約110万人であり[5]、感染率は15.2%である[5]。ザンビア人の平均寿命は38.63歳(男性:38.53歳、女性:38.73歳)である[5]。ザンビア国内で高度先進医療を提供する総合病院は、ルサカ市内のザンビア大学付属教育病院が著名[6]

文化

世界遺産

ザンビア国内には、ジンバブエにまたがってユネスコ世界遺産リストに登録された自然遺産が1件存在する。詳細は、ザンビアの世界遺産を参照。

祝祭日

祝祭日
日付 日本語表記 現地語表記 備考
1月1日 元日
3月第2月曜日青年の日Youth Day
5月1日メーデー
5月25日アフリカの日Africa Day
7月第1月曜日英雄の日Heros' day
7月第1火曜日統一の日Unity Day
8月第1月曜日農民の日
10月24日独立記念日Independence Day
12月25日クリスマス

脚注

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  1. ^ a b c d IMF Data and Statistics 2009年4月27日閲覧([1]
  2. ^ 厳密にはナミビア・ジンバブエ両国と接する地点ではボツワナとも国境点で接している
  3. ^ 金七紀男『ポルトガル史(増補版)』彩流社、2003年増補版。pp.190-191
  4. ^ 星昭、林晃史『世界現代史13 アフリカ現代史I 総説・南部アフリカ』山川出版社、1978年。p.235
  5. ^ a b c d e f g h CIA World Factbook "Zambia" 2010年1月31日閲覧。
  6. ^ ザンビア大学付属教育病院医療機材整備計画事前評価表(国際協力機構ホームーページ) (PDF)

参考文献

関連項目

  • ザンビア関係記事の一覧

外部リンク