ジャンカルロ・フィジケラ
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| ジャンカルロ・フィジケラ | |
|---|---|
|
ファイル:Fisichella Monza 2009.jpg フィジケラ(2009年イタリアGP) | |
| 基本情報 | |
| 国籍 | ファイル:Flag of Italy.svg イタリア |
| 出身地 | 同・ローマ |
| 生年月日 | 1973年1月14日(39歳) |
| F1での経歴 | |
| 活動時期 | 1996-2009 |
| 過去の所属チーム |
'96 ミナルディ '97,'02-'03 ジョーダン '98-'01 ベネトン '04 ザウバー '05-'07 ルノー '08-'09 フォース・インディア '09 フェラーリ |
| 出走回数 | 231 |
| 優勝回数 | 3 |
| 通算獲得ポイント | 275 |
| 表彰台(3位以内)回数 | 19 |
| ポールポジション | 4 |
| ファステストラップ | 2 |
| F1デビュー戦 | 1996年オーストラリアGP |
| 初勝利 | 2003年ブラジルGP |
| 最終勝利 | 2006年マレーシアGP |
| 最終戦 | 2009年アブダビGP |
| タイトル | 0 |
ジャンカルロ・フィジケラ(Giancarlo Fisichella, 1973年1月14日 - )は、イタリア、ローマ出身のF1ドライバー。愛称:フィジコ。
目次 |
プロフィール
F1デビュー
カート時代に頭角を現し、1994年にイタリアF3チャンピオンを獲得。1995年にはDTMにアルファロメオで参戦。F1ベネトンチームのフラビオ・ブリアトーレとマネージャー契約し、1996年、当初すでにペドロ・ラミーのチームメイトとしてフル参戦が決定していた井上隆智穂が突然チームを離脱したため、ミナルディからF1デビューした。チームの経済事情で8戦のみの出場ながら、非力なマシンでの好走が認められ、1997年にジョーダンに移籍。チームメイトのラルフ・シューマッハと対立しながらも、表彰台を2度獲得する。ドイツGPでは初優勝のチャンスを迎えたが、ゲルハルト・ベルガーとの接戦に破れた。
低迷から復活へ
1998年にベネトンに移籍し、アレクサンダー・ヴルツとコンビを組み、オーストリアGPで初ポールポジションを獲得。時折活躍したものの、チームの低迷期が災いし、ベネトン在籍4年間には期待されたほどの成績を残せなかった。ブリアトーレとの契約を解除したことで、2001年一杯でベネトンのシートを失う。
2002年には古巣ジョーダンに復帰する(F1デビューした佐藤琢磨の最初のチームメイト)。落ち目のチームにあって健闘し、2003年に第3戦ブラジルGPにて念願の初優勝を達成した。F1デビューから8年目、出走110戦目という遅咲きの勝利だった。このレースは豪雨によるクラッシュ発生により赤旗でレース終了し、またフィジケラが、それまでトップを走行していたマクラーレンのキミ・ライコネンをかわしたタイミングが微妙であったという様に、あまりに混乱した展開であった為に、周回数の判断をオフィシャルが誤ることとなり、一旦は2位と判定された。しかしレース後の裁定によりフィジケラの優勝が確定し、次戦のサンマリノGPでライコネンからトロフィーが手渡されることとなった。
2004年にはザウバーに移籍。いぶし銀の走りでポイントを重ねたことが評価され、再びトップチームのルノーのシートを獲得することになった(ルノーチームの前身はベネトンであり、復帰という見方もできる)。
ルノー時代
2005年
2004年にコンストラクターズランキング3位を獲得し上昇気流にあるルノーから参戦。そして開幕戦オーストラリアGPで見事ポール・トゥ・ウィンを飾った。ここで才能が一気に開花するかと期待されたが、この年史上最年少でチャンピオンに輝いたフェルナンド・アロンソに負かされる事が多く、またフィジケラ自身もクラッシュやトラブルなどチームメイトに比べ完走率が低く、結局思うようにいかないシーズンとなってしまった。それでも堅実にポイントを稼ぎ、チームのコンストラクターズ・チャンピオン初制覇に貢献した。
2006年
ルノー在籍二年目となる2006年、フィジケラは第二戦マレーシアGPで鮮やかなポール・トゥ・ウィンを飾った。彼はこのGP開催の直前にレースを始めた頃から付き合っていた親友を事故で亡くしており、「大事な友を亡くしたこの週末、彼のために必ず勝ってやると決意したんだ。」とレース後に述べている。2006年の前半戦はチームメイトのアロンソには及ばないものの、2005年を上回るペースでポイントを稼ぎ、6月の段階で彼の2007年ルノーチーム残留が正式に発表された。1987年からの連続開催も一旦の区切りを迎えた鈴鹿サーキットでの日本GP、フィジケラはGP開催直前に上記とは別の親友を亡くすという再びショッキングな出来事に遭遇するも、彼は3位表彰台を獲得し亡き親友へと捧げた。結局2006年は彼にとってF1シーズンベスト(ドライバーズランキング4位)となる成績を収めるに至った。
2007年
二年連続チャンピオンに輝いたアロンソのチーム離脱により、在籍三年目のフィジケラは名実ともにルノーのエースドライバーとなり、チームメイトに前年のテストドライバーであったヘイキ・コバライネンを迎えた。しかしルノーは2007年よりワンメイクとなったブリヂストンタイヤへの対応にシーズン序盤から苦しみ、最終的にコンストラクターズ3位へ後退した(本来1位であったマクラーレンが不祥事でポイント剥奪された上の3位なので、実質的には4位である)。フィジケラ自身もシーズンが進むにつれ、ルーキーのコバライネンに予選決勝共に先行を許してしまうレースが続き、実力に対する疑問の声が大きくなる。序盤こそ順調にポイントを重ね信頼性の低いマシンながらも健闘したが、中盤からはコバライネンに劣る場面が多くなる。結局、第6戦カナダGPで上位走行中にピット出口の信号を無視し失格したなどの失態もあり、ポイントは30対21とコバライネンに敗れる。ここで12月、アロンソが契約を残したままマクラーレンを抜けルノーにエースドライバーとして加入、セカンドドライバーはネルソン・ピケと決定してしまったため、フィジケラは放出され、シーズンオフはフォース・インディアのシートを得るためテストを行った。シートの一方はエイドリアン・スーティルが引き続き得ることが濃厚とされていたのと、同時にラルフ・シューマッハ、ヴィタントニオ・リウッツィ、クリスチャン・クリエン、フランク・モンタニー、ロルダン・ロドリゲス、山本左近らもテストに参加したため、一つのシートを多くのドライバーが激しく争う異例の展開を見た。
新たなチームへ
2008年
フィジケラは2007年のフォース・インディアのテストでのパフォーマンスが評価され、2008年1月10日に同チームの正ドライバーに選ばれる。パートナーは前スパイカーから在籍しているスーティルと、テストドライバーは元スクーデリア・トロ・ロッソのヴィタントニオ・リウッツィ。ちなみにフォース・インディアは元々ジョーダンであり(ジョーダン→ミッドランド→スパイカー)、ルノー加入時と同様に再びチームに復帰するという見方もできる。トップチームであるルノーから最下位のチームへの移籍であり、シーズン前には引退したほうが潔いとの批判もあったが、非力なマシンでありながら活躍する事が多く、往年の輝きを見せている。第6戦モナコGPで通算200戦を達成した。イタリアグランプリでは、フォースインディア初の予選Q2進出・最高グリッドの12番手を獲得(決勝は序盤ハミルトン、ライコネンを抑えて走行するも、クルサードとの接触によりフロントウィングがノーズ下にもぐりこんでしまい、ステアリングが切れずに真っ直ぐグラベル→タイヤバリへクラッシュ→リタイア)。この年は僚友エイドリアン・スーティル共々ノーポイントに終わった。
憧れのフェラーリへ電撃移籍、そして引退
2009年
2008年と同じくフォース・インディアから出走。チームメイトもスーティルで変わらず。シーズン中盤まで、入賞まで後一歩という順位でフィニッシュするレースが多くあった。
第12戦ベルギーGPでは、チーム移籍後初となるQ3進出を果たすと、ポールポジションを獲得。自身にとって約3年半ぶり、そして入賞経験のないチームにとっては初めての快挙となる驚異的な予選パフォーマンスを見せた。決勝では、レース序盤にスクーデリア・フェラーリのキミ・ライコネンに先行されるも終始その背後を脅かし続け、僅差で2位フィニッシュ。フォース・インディアに初ポイント、そして初表彰台をもたらした。
その後、第10戦ハンガリーGPで負傷したフェリペ・マッサの代役として出走していたルカ・バドエルの成績不振に伴い、第13戦イタリアGPからフェラーリへ移籍することが発表された[1][2]。また、2010年はフェラーリのテストドライバーに就任することも発表され、2009年限りでの引退が明らかにされた[1][2]。かねてからフェラーリへの憧れを語っていたフィジケラはこの移籍を「長年の夢」と表現した[3]。
しかし、バドエルと格の違いを見せ付けるものの、F60の信頼性と競争力は決して十分とは言えず、さらにはシーズン中のテスト禁止の制約もありマシンを乗りこなすには至らず、ポイントを獲得することは出来なかった。
その後、フェラーリエンジンを使用することになったザウバーと契約交渉するものの合意には至らず、当初の発表通り、最終戦アブダビGPをもってレースドライバーから引退することとなった。出走回数231回、14年の長きにわたるF1キャリアであった。
2010年はフェラーリのサードドライバーを務める傍ら、ジャン・アレジと共にル・マン・シリーズにフル参戦する。
特徴
F1デビュー当初より、才能があるといわれながらなかなかタイミングが合わず、一時期は「盛りを過ぎたドライバー」と言われた時期もある。しかし、下位・中堅チームでしぶとく結果を残し、再浮上のチャンスをつかんだ。ルノーでの献身的な働きは、フェラーリのルーベンス・バリチェロ(現ウィリアムズ)と並び「理想的なナンバー2ドライバー」と評された事もある(ナンバー1ドライバーとしては力不足という意味も含む)。
雨のレースに滅法強く、初優勝を記録した2003年のブラジルGPや初ポールを達成した1998年のオーストリアGPをはじめ、多くの雨のレースで殊勲を打ち立てた。不安定な天候で波乱のレースが多いベルギーGPのスパ・フランコルシャンも得意とする。
またカナダGPの舞台であるジル・ヴィルヌーヴ・サーキットやモナコGPの舞台であるモナコ市街地など、コース幅が狭くドライバーの技量が問われるレースでも、正確なドライビングで結果を残している。
決勝では予選で下位に沈んだ場合でも順位を多く上げてフィニッシュすることが多く、決勝に強いが予選が苦手という声もある。
2003年1月には「ドライバー・オブ・ドライバー」に選出されている。これは現役のF1レギュラードライバーとテストドライバーによって投票されるもので、前年に17戦中11勝を達成したフェラーリのミハエル・シューマッハを抑えての受賞であった。
F1では通算3勝を記録したが、ヨーロッパのレースでは未勝利に終わった。
余談
1男1女の所帯持ちであり、15年間連れ添ったルナ夫人と2009年10月10日にローマで挙式した。数年前の「F1グランプリ特集」の担当コラムで、ガンダム好きであることを語っていた。
また、サッカー好きのF1ドライバーは多いが、中でも彼は熱狂的なことで有名。ドライバー参加のイベント試合ではミハエル・シューマッハと並ぶ常連であり、「フィジケラが一番上手い」との評判である。 地元クラブASローマの大ファン(ロマニスタ)であり、フランチェスコ・トッティら選手とも親交がある。 初優勝時にはASローマの本拠地スタディオ・オリンピコで、サポーターの前で優勝報告をした。 ジェンソン・バトンが、フィジケラをからかうためにASローマと同じくローマを本拠地とする宿敵SSラツィオのユニフォームを着て現れ、本気で憮然とした表情をしたことがある。
F1での年度別成績
(2009年第17戦終了時)
| 年 | 所属チーム | CarNo. | 出走回数 | ポイント | ランキング | 決勝最高位・回数 | 表彰台 | 予選最高位・回数 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1996年 | ミナルディ | 21 | 8戦 | 0 | NC | 8位・1回(カナダ) | 0回 | 16位・2回(オーストラリア・カナダ) |
| 1997年 | ジョーダン | 12 | 全17戦 | 20 | 8位 | 2位・1回(ベルギー) | 2回 | 2位・1回(ドイツ) |
| 1998年 | ベネトン | 5 | 全16戦 | 16 | 9位 | 2位・2回(モナコ・カナダ) | 2回 | 1位・1回(オーストリア) |
| 1999年 | 9 | 全16戦 | 13 | 9位 | 2位・1回(カナダ) | 1回 | 4位・1回(ハンガリー) | |
| 2000年 | 11 | 全17戦 | 18 | 6位 | 2位・1回(ブラジル) | 3回 | 3位・1回(ドイツ) | |
| 2001年 | 7 | 全17戦 | 8 | 11位 | 3位・1回(ベルギー) | 1回 | 6位・1回(日本) | |
| 2002年 | ジョーダン | 9 | 全17戦 | 7 | 11位 | 5位・3回(オーストリア・モナコ・カナダ) | 0回 | 5位・1回(ハンガリー) |
| 2003年 | 11 | 全16戦 | 12 | 12位 | 1位・1回(ブラジル) | 1回 | 8位・1回(ブラジル) | |
| 2004年 | ザウバー | 11 | 全17戦 | 22 | 11位 | 4位・1回(カナダ) | 0回 | 5位・1回(ベルギー) |
| 2005年 | ルノー | 6 | 全19戦 | 58 | 5位 | 1位・1回(オーストラリア) | 3回 | 1位・1回(オーストラリア) |
| 2006年 | 2 | 全18戦 | 72 | 4位 | 1位・1回(マレーシア) | 5回 | 1位・1回(マレーシア) | |
| 2007年 | 3 | 全17戦 | 21 | 8位 | 4位・1回(モナコ) | 0回 | 4位・1回(モナコ) | |
| 2008年 | フォース・インディア | 21 | 全18戦 | 0 | 19位 | 10位・1回(スペイン) | 0回 | 12位・1回(イタリア) |
| 2009年 | フォース・インディア | 21 | 全17戦 | 8 | 15位 | 2位・1回(ベルギー) | 1回 | 1位・1回(ベルギー) |
| フェラーリ | 3 | 9位・1回(イタリア) | 0回 | 14位・2回(イタリア・日本) |
| 年 | 所属チーム | シャシー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | WDC | Points |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1996 | ミナルディ | M195B | AUS Ret | BRA | ARG | EUR 13 | SMR Ret | MON Ret | ESP Ret | CAN 8 | FRA Ret | GBR 11 | GER | HUN | BEL | ITA | POR | JPN | NC | 0 | |||
| 1997 | ジョーダン | 197 | AUS Ret | BRA 8 | ARG Ret | SMR 4 | MON 6 | ESP 9 | CAN 3 | FRA 9 | GBR 7 | GER 11 | HUN Ret | BEL 2 | ITA 4 | AUT 4 | LUX Ret | JPN 7 | EUR 11 | 8位 | 20 | ||
| 1998 | ベネトン | B198 | AUS Ret | BRA 6 | ARG 7 | SMR Ret | ESP Ret | MON 2 | CAN 2 | FRA 9 | GBR 5 | AUT Ret | GER 7 | HUN 8 | BEL Ret | ITA 8 | LUX 6 | JPN 8 | 9位 | 16 | |||
| 1999 | ベネトン | B199 | AUS 4 | BRA Ret | SMR 5 | MON 5 | ESP 9 | CAN 2 | FRA Ret | GBR 7 | AUT 12 | GER Ret | HUN Ret | BEL 11 | ITA Ret | EUR Ret | MAL 11 | JPN 14 | 9位 | 13 | |||
| 2000 | ベネトン | B200 | AUS 5 | BRA 2 | SMR 11 | GBR 7 | ESP 9 | EUR 5 | MON 3 | CAN 3 | FRA 9 | AUT Ret | GER Ret | HUN Ret | BEL Ret | ITA 11 | USA Ret | JPN 14 | MAL 9 | 6位 | 18 | ||
| 2001 | ベネトン | B201 | AUS 13 | MAL Ret | BRA 6 | SMR Ret | ESP 14 | AUT Ret | MON Ret | CAN Ret | EUR 11 | FRA 11 | GBR 13 | GER 4 | HUN Ret | BEL 3 | ITA 10 | USA 8 | JPN 17 | 11位 | 8 | ||
| 2002 | ジョーダン | EJ12 | AUS Ret | MAL 13 | BRA Ret | SMR Ret | ESP Ret | AUT 5 | MON 5 | CAN 5 | EUR Ret | GBR 7 | FRA DNQ | GER Ret | HUN 6 | BEL Ret | ITA 8 | USA 7 | JPN Ret | 11位 | 7 | ||
| 2003 | ジョーダン | EJ13 | AUS Ret | MAL Ret | BRA 1 | SMR 15 | ESP Ret | AUT Ret | MON 10 | CAN Ret | EUR 12 | FRA Ret | GBR Ret | GER 13 | HUN Ret | ITA 10 | USA 7 | JPN Ret | 12位 | 12 | |||
| 2004 | ザウバー | C23 | AUS 10 | MAL 11 | BHR 11 | SMR 9 | ESP 7 | MON Ret | EUR 6 | CAN 4 | USA 9 | FRA 12 | GBR 6 | GER 9 | HUN 8 | BEL 5 | ITA 8 | CHN 7 | JPN 8 | BRA 9 | 11位 | 22 | |
| 2005 | ルノー | R25 | AUS 1 | MAL Ret | BHR Ret | SMR Ret | ESP 5 | MON 12 | EUR 6 | CAN Ret | USA DNS | FRA 6 | GBR 4 | GER 4 | HUN 9 | TUR 4 | ITA 3 | BEL Ret | BRA 5 | JPN 2 | CHN 4 | 5位 | 58 |
| 2006 | ルノー | R26 | BHR Ret | MAL 1 | AUS 5 | SMR 8 | EUR 6 | ESP 3 | MON 6 | GBR 4 | CAN 4 | USA 3 | FRA 6 | GER 6 | HUN Ret | TUR 6 | ITA 4 | CHN 3 | JPN 3 | BRA 6 | 4位 | 72 | |
| 2007 | ルノー | R27 | AUS 5 | MAL 6 | BHR 8 | ESP 9 | MON 4 | CAN DSQ | USA 9 | FRA 6 | GBR 8 | EUR 10 | HUN 12 | TUR 9 | ITA 12 | BEL Ret | JPN 5 | CHN 11 | BRA Ret | 8位 | 21 | ||
| 2008 | フォース・インディア | VJM01 | AUS Ret | MAL 12 | BHR 12 | ESP 10 | TUR Ret | MON Ret | CAN Ret | FRA 18 | GBR Ret | GER 16 | HUN 15 | EUR 14 | BEL 17 | ITA Ret | SIN 14 | JPN Ret | CHN 17 | BRA 18 | 19位 | 0 | |
| 2009 | フォース・インディア | VJM02 | AUS 11 | MAL 18 | CHN 14 | BHR 15 | ESP 14 | MON 9 | TUR Ret | GBR 10 | GER 11 | HUN 14 | EUR 12 | BEL 2 | 15位 | 8 | |||||||
| フェラーリ | F60 | ITA 9 | SIN 13 | JPN 12 | BRA 10 | ABU 16 |
関連項目
脚注
- ^ a b “ジャンカルロ・フィジケラ、2010年はフェラーリのリザーブドライバー”. F1-Gate.com. (2009-09-04) 2009-09-04閲覧。
- ^ a b “フィジケラ 2010年はフェラーリのテストドライバーに”. Gp Update. (2009-09-04) 2009-09-04閲覧。
- ^ “フィジケラ 「チャンスをくれたフォースインディアに感謝」”. Gp Update. (2009-09-03) 2009-10-29閲覧。
外部リンク
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