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ジョニー・デイモン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ジョニー・デイモン
Johnny Damon
タンパベイ・レイズ #18
ファイル:Johnny Damon 2011.jpg
基本情報
国籍 ファイル:Flag of the United States.svg アメリカ合衆国
出身地 ファイル:Flag of the United States.svg カンザス州フォートライリー
生年月日 1973年12月5日(38歳)
身長
体重
6' 2" =約188.0cm
205 lb =約93.0kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 左翼手中堅手
プロ入り 1992年 ドラフト1巡目
初出場 1995年8月12日 マリナーズ
年俸 $5,250,000(2011年)[1]
経歴(括弧内は在籍年)
国際大会
代表チーム ファイル:Flag of the United States.svg アメリカ合衆国
WBC 2006年

ジョニー・デビッド・デイモン(Johnny David Damon, 1973年11月5日 - )は、アメリカ合衆国カンザス州フォートライリー出身のプロ野球選手外野手)。左投左打。現在はタンパベイ・レイズ所属。

目次

経歴

1973年、アメリカ陸軍フォートライリー基地において、白人で軍人の父親とタイ人の母親のあいだに生まれる。1992年ドラフトカンザスシティ・ロイヤルズから1巡目(全体35位)指名され入団。1993年、マイナーリーグで59盗塁を記録した。

ロイヤルズ時代

1995年8月12日にメジャーデビューし、45試合に出場し、打率.282を記録した。翌1996年、初めて1年を通してメジャーでプレーをした。145試合に出場し、打率.271、リーグ8位の25盗塁を記録した、8月10日エンゼルス戦では自身初の満塁本塁打を放った[2]

1998年は全161試合(メジャーは162試合制であるが、1998年ロイヤルズは161試合だった)[3]に出場し、打率.277、リーグ2位の10三塁打を記録した。1999年は打率.307で初めで打率が3割台を記録したが、9月14日エンゼルスとのダブルヘッダー第2戦で欠場したため球団記録を更新し続けていた連続試合出場が305で途切れた[4]

2000年は開幕から4月下旬まで打率が2割を下回るなど極度のスランプに陥り、4月19日のツインズ戦ではトニー・ミューサー監督が彼らしいスイングが全くできていないからと、試合を休ませた[5]。本人はこの欠場が復調のきっかけとなったと認めており、翌日から5月7日にかけて14試合連続安打を記録し、その間に達成した10試合連続先頭打者安打は、25年前にこの記録を付けるようになってからで最長となった[5]

7月には打率.436を記録し、18日のカブス戦ではメジャータイ記録となる4二塁打を放ち[6]月間MVPに選出された。この年のレギュラーシーズンは自己最高となる打率.327・214安打・136得点・42二塁打・88打点・46盗塁を記録し、得点は球団新記録となった[7]

アスレチックス時代

2000年シーズン終了後にロイヤルズは5年総額3,200万ドルで契約を提示したが、デイモンの代理人スコット・ボラスは契約せず1年待ち、FA市場で試すことにした[8]。そして2001年1月8日にロイヤルズ、アスレチックスデビルレイズによる三角トレードでオークランド・アスレチックスへ移籍した[9]。155試合に出場し、打率.256、9本塁打、27盗塁と前年より成績が悪化したものの、チームは2年連続でプレーオフに進出し自身初めてポストシーズンへ出場。ディビジョンシリーズヤンキースに負け、シーズン終了後の11月5日にFA宣言をし、12月21日、ボストン・レッドソックスに4年3,200万ドルで移籍した。

レッドソックス時代

移籍1年目の2002年オールスターにファイナルボートで選出され、初出場を果たした[10]。打率.286、リーグ5位の118得点、自己最多の11三塁打を記録した。2004年は打率.304・123得点・初の20本塁打・自己最多の94打点を記録し、チームの86年振りの世界一に貢献。ヤンキースとのリーグチャンピオンシップの第7戦では、優勝を決定付ける満塁本塁打を放ち、カージナルスとのワールドシリーズの第4戦では、先制のソロ本塁打を放つ活躍を見せた。

キリストを意識した長髪と顔の下半分を覆うヒゲがトレードマークで、当時のあだ名は原始人 caveman だった。シーズンオフのファン感謝イベントではファンの目の前で髭と長髪をばっさり切り落とし、それをチャリティー商品として販売したこともある。

ヤンキース時代

2005年秋、4年総額5,200万ドルでのニューヨーク・ヤンキースへ移籍した[6]。それに伴い、その長髪と髭を切り落とした[11]。 移籍1年目の2006年はレギュラーシーズン開幕前に2006 ワールド・ベースボール・クラシック・アメリカ合衆国代表に選出された。出塁率こそ前年より下がったものの、打率.285・25盗塁、自己最多となる24本塁打を記録し、初めて20本塁打・20盗塁を達成。デレク・ジーターと共にタブルチャンスメーカーとなり、効率よく得点をあげやすい打線を形成[12]。チームの得点は前年より44点上回りリーグ1位の930得点で、それに対しデイモンを失ったレッドソックスは90点減の820点となった[12]

2007年は開幕戦で両膝を痛め、指名打者として出場する機会が増えた。センターの守備範囲も狭まり[要出典]、若手のメルキー・カブレラにセンターの定位置を奪われ、終盤はセンターよりレフトで出場する試合が増えた。成績も打率.270、12本塁打と前年を下回る成績で、30二塁打・100得点が9年で途切れたが、ルー・ゲーリッグスタン・ミュージアルに並ぶMLBタイ記録となった[13]

2008年は開幕から安定した成績を残し、6月7日ロイヤルズ戦でヤンキースの選手では1934年のマイリル・ホーグ外野手以来74年ぶりとなる1試合6打数6安打を記録した[要出典]。しかし、7月4日のレッドソックス戦でボールを追ってフェンスに激突して右肩を負傷し、初めて故障者リストに入った。

2009年は右翼が狭い新ヤンキースタジアムにも助けられ[14]、自己最多タイの24本塁打を記録(本拠地で17本塁打)。デレク・ジーターと入れ替わる形で2番打者を務め、チームの9年ぶり世界一に貢献した。ワールドシリーズ第4戦では、同点で迎えた9回表にヒットで出塁し、二盗を決めると、がら空きになっていた三塁を一気に陥れ、「1球で2盗塁」を記録した[15][16]。シーズン終了後、ヤンキースとの残留交渉がまとまらずにFAとなった。

タイガース時代

2010年2月22日、年俸800万ドルの1年契約で、デトロイト・タイガースへ移籍。タイガースでは、主に指名打者として15年連続となる140試合以上に出場したが、それまで8年連続、15年間で11度記録していた2ケタ本塁打・2ケタ盗塁の同時達成はならず、特に本塁打は自身のキャリアを通じて下から3番目タイ、盗塁は下から2番目に低い数字であった。一方で、メジャー16年目を迎えた事もあり、通算記録部門では1500得点・2500安打・100三塁打・1000打点などを次々に達成した。

レイズ時代

2011年1月31日にタンパベイ・レイズと525万ドルの1年契約を結び、2月3日にはレッドソックス時代の同僚であり、同じくレイズと1年契約を結んだマニー・ラミレスと共に入団会見を行った。

選手としての特徴

打撃ではボールカウントを多く稼ぐスタイルを特徴とし、構えがやや大きいにも関わらずバットスピードは非常に速い[17]。従来のパワーも強く、ボールに強烈なバックスピンをかけるため打球を遠くへ飛ばすこともできる[17]

走塁では一塁到達まで4.05秒のスピードを備え、一塁から三塁まででも巧みな走塁を見せる[17]。盗塁の際には一歩目がとても早いため、加速するのが速く、2000年には盗塁王を獲得している[17]

外野守備では持ち前の俊足である程度カバーしてきたものの、横方向へ走る軌道の捕り方と後方の打球を処理する能力に欠けている[17]。肩の強さにも欠け、2006年の選手投票で『最も肩の弱い外野手』の1位となったこともある[12]。過去に務めたことがある一塁の守備もあまりうまくはないようで、味方の投げた球を後ろに逸らしかけるなど(デレク・ジーターは失笑していた)、安定感がない[要出典]

獲得タイトル・表彰

年度別打撃成績

















































O
P
S
1995 KC 4720618832531153832370231201222.282.324.441.765
1996 145566517611402256190502551053133644.271.313.368.681
1997 146524472701301288182481610614223703.275.338.386.724
1998 161710642104178301018282662612335844844.277.339.439.778
1999 14566058310117939914278773663467535013.307.379.477.856
2000 159741655136214421016324884698126541607.327.382.495.877
2001 OAK 1557196441081653449234492712546115707.256.324.363.687
2002 BOS 15470262311817834111427663316356556704.286.356.443.799
2003 1456906081031663261224667306666842745.273.345.405.750
2004 1507026211231893562029694198037612718.304.380.477.857
2005 1486886241171973561027475181095332695.316.366.439.805
2006 NYY 14967159311516935524286802510256714854.285.359.482.841
2007 141605533931442721221163273136612794.270.351.396.747
2008 143623555951682751725671298216401825.303.375.461.836
2009 1436265501071553632426982120217112989.282.365.489.854
2010 DET 14561353981146365821651111216912905.271.355.401.756
2011 TB 150647582791522971624373196255117924.261.326.418.743
通算:17年 2426106939529164327235161072314146112040410357719863850123093.286.353.435.789
  • 2011年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

脚注

  1. ^ Johnny Damon Stats, News, Pictures, Bio, Videos” (英語). ESPN.com. 2011年11月24日閲覧。
  2. ^ 1996 Career Highlights:MLB.com” (英語). 2008年1月22日閲覧。
  3. ^ Kansas City Royals Team History & Encyclopedia - Baseball-Reference.com” (英語). 2008年1月22日閲覧。
  4. ^ 1999 Career Highlights:MLB.com” (英語). 2008年9月12日閲覧。
  5. ^ a b 「各球団マンスリー・リポート カンザスシティ・ロイヤルズ/10試合連続先頭打者安打をマーク不振から脱出したデイモンの猛打」『月刊メジャー・リーグ』2000年7月号、ベースボールマガジン社、2000年、雑誌 08625-7、45項。
  6. ^ a b Johnny Damon Chronology” (英語). BaseballLibrary.com. 2008年9月12日閲覧。
  7. ^ 2000 Career Highlights:MLB.com” (英語). 2008年9月12日閲覧。
  8. ^ Johnny Damon Biography” (英語). JockBio. 2008年9月12日閲覧。
  9. ^ Johnny Damon Transactions” (英語). Baseball-Reference.com. 2008年9月12日閲覧。
  10. ^ Fans select Johnny Damon and Andruw Jones” (英語). MLB.com. 2008年9月12日閲覧。
  11. ^月刊メジャー・リーグ』2006年3月号、ベースボールマガジン社、2006年、雑誌 08625-3、33項。
  12. ^ a b c 友成那智、村上雅則 『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2007』 廣済堂出版、2007年、43項。ISBN 978-4-331-51213-5
  13. ^ 2006 Career Highlights:MLB.com” (英語). 2008年9月12日閲覧。
  14. ^ Jason Beck / MLB.com,Tigers not expressing interest in Damon,MLB.com(英語),2009/01/21閲覧
  15. ^ (動画)Broadcasters call Damon's steals,MLB.com
  16. ^ 松井秀、世界一王手!デイモン1球で2盗塁!…Wシリーズ,スポーツ報知,2009/01/21閲覧
  17. ^ a b c d e 現役スカウト部長による“本物”のスカウティング・レポート『月刊スラッガー』2006年3月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-3、12-15頁。

外部リンク