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ジョバニ・ドス・サントス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ジョバニ・ドス・サントス ファイル:Football pictogram.svg
ファイル:Giovani Dos Santos - 002.jpg
名前
本名 Giovani Alex dos Santos Ramírez
カタカナ ジョバニ・アレックス・ドス・サントス・ラミレス
ラテン文字 Giovani DOS SANTOS
基本情報
国籍 ファイル:Flag of Mexico.svg メキシコ
ファイル:Flag of Spain.svg スペイン
ファイル:Flag of Brazil.svg ブラジル
生年月日 1989年5月11日(23歳)
出身地 モンテレイ
身長 174cm
体重 77kg
選手情報
在籍チーム ファイル:Flag of England.svg トッテナム・ホットスパーFC
ポジション FW / MF
利き足 左足
クラブチーム1
クラブ 出場 (得点)
2007-08
2008-
2009
2010
2011
ファイル:Flag of Spain.svg FCバルセロナ
ファイル:Flag of England.svg トッテナム
ファイル:Flag of England.svg イプスウィッチ
ファイル:Flag of Turkey.svg ガラタサライ
ファイル:Flag of Spain.svg ラシン・サンタンデール
28 (3)
10 (0)
8 (4)
14 (0))
16 (5)
代表歴 2
2007- ファイル:Flag of Mexico.svg メキシコ 52 (11)
1. 国内リーグ戦に限る。2011年5月10日現在。
2. 2011年10月11日現在。
テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj
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ジョバニ・アレックス・ドス・サントス・ラミレス(Giovani Alex Dos Santos Ramírez, 1989年5月11日 - )はメキシコモンテレイ出身のサッカー選手メキシコ代表である。プレミアリーグトッテナム・ホットスパーFC所属。ポジションはFWまたはミッドフィールダー

しばしば「ジオバンニ・ドス・サントス」と呼ばれるが、名前は「Giovanni」ではなく「Giovani」であるため、呼ぶなら「ジョバニ」、もしくは「ジオバニ」である。

目次

略歴

年少時代

1980年代から90年にかけてメキシコのクラブ・アメリカCFモンテレーでプレイをしていたブラジル人サッカー選手であるジジーニョ(ヘラルド・ドス・サントス)とメキシコ人女性との間に次男として生まれる。サッカー選手の父親を持ったことから幼い頃から自然とサッカーに触れるようになり、アメリカ合衆国で開催されたU-12大会で活躍した後の2001年、父親がかつて所属したCFモンテレーに入団し本格的にサッカーの道へ進むこととなる。2002年、13歳のときにモンテレーのメンバーとして参加したフランスでのユース大会での活躍がスペインリーガ・エスパニョーラFCバルセロナのスカウトの目に止まり一家揃ってバルセロナに渡ることとなる。なお、2人の兄弟もサッカー選手であり、兄のエデル・ドス・サントスはメキシコのクラブに、弟のジョナサン・ドス・サントスFCバルセロナ・アトレティックに所属している。

FCバルセロナ

バルセロナの下部組織で練習を続け、2005年に16歳でバルセロナBへ昇格を果たし迎えた2005 FIFA U-17世界選手権ではメキシコ代表として参加。背番号8を背負って司令塔としてチームの攻撃を統率し、自身のゴールこそ記録できなかったものの実にチームの総得点の半分をアシストする活躍を見せる。決勝ではブラジル代表を下して優勝。その活躍から大会のゴールデンボール(大会最優秀選手)のアンデルソンに次ぐシルバーボールを獲得している。

その後バルセロナBに戻り経験を積んだ後、2006年夏にはトップチームのシーズンオフのツアーに帯同し2006年7月29日にはデンマークのAGFオーフス戦との練習試合で先発出場し始めてトップチームでのプレイを経験しドリブル突破から2人を抜き去ってゴールを記録している。

2007年6月から7月に開催された2007 FIFA U-20ワールドカップにはメキシコ代表の一員として参加。グループリーグの対ガンビア代表戦、対ポルトガル代表戦、そしてトーナメント第一回戦対コンゴ共和国代表戦での3試合で得点(全て先制ゴール)を記録する。チームは準々決勝で、アルゼンチン代表に破れ大会を去ることになるが、自身は大会MVPの選定においてアグエロ、マキシミリアーノ・モラレス(アルゼンチン)に次ぐ3位となるブロンズボールを獲得した。

2007-2008年シーズン、バルセロナBが3部リーグに降格し幾人かの下部組織の有望選手が実戦経験を積ませるため他クラブへのレンタル移籍が検討される中、チームはドス・サントスとボージャン・クルキッチに関しては早々に他クラブへのレンタル移籍を否定、トップチームで起用することを発表する。シーズン前のツアーでは日本にも来日し、2007年8月7日に行われた横浜F・マリノスとの親善試合に出場し得点を記録。前述のFIFAワールドカップやU-20ワールドカップでもメディアに大きく取り上げられたこともあり日本での知名度を更に高める結果となった。シーズンが開幕すると9月2日の対アスレティック・ビルバオ戦で62分にティエリ・アンリとの交代でリーガデビューを、同12日には対ブラジル戦でフル代表デビューを、同19日の対オリンピック・リヨン戦で79分にシャビとの交代でチャンピオンズリーグデビューを果たした。その後も起用され続けるもなかなか実力を発揮しきれないでいたが、リーグ最終戦のレアル・ムルシア戦ではリーガ初得点を含むハットトリックの活躍を見せた。

トッテナム・ホットスパーFC

2008年シーズンからイングランドのトッテナムへの完全移籍をした。しかしながら、定位置は確保できず、2009年3月にはチャンピオンシップ(2部相当)のイプスウィッチ・タウンにシーズン終了までの期限付きで移籍した。

同年6月25日のベネスエラ代表との親善試合で、代表初ゴールを含む2得点を記録。この年開催された2009 CONCACAFゴールドカップではメキシコ代表の中心として活躍。自身も2得点を挙げ、大会MVPに選ばれた。

2009-10シーズン後半はトルコガラタサライへレンタル移籍した。2010-11シーズンはトッテナムへ復帰したが出場機会は乏しく、2011年1月にラシン・サンタンデールへレンタル移籍。そこでの活躍から、シーズン後にはセビージャやビジャレアルなどスペインの幾つかのクラブから関心が寄せられ本人からも移籍を示唆する発言があったが、合意には至らず残留した。

2010 FIFAワールドカップではメキシコ代表の主力として、全4試合にフル出場しメキシコのベスト16入りに貢献。

人物

所属クラブ

ファイル:Flag of England.svg イプスウィッチ・タウン 2009 (loan)
ファイル:Flag of Turkey.svg ガラタサライ 2010 (loan)
ファイル:Flag of Spain.svg ラシン・サンタンデール 2011.1-2011.6 (loan)

獲得タイトル

個人成績

クラブ シーズン リーグ カップ 欧州カップ戦 合計
出場 得点 アシスト 出場 得点 アシスト 出場 得点 アシスト 出場 得点 アシスト
FCバルセロナ 2007-08 28344005103744
通算 2834400510 37 4 4
トッテナム 2008-09 6002004101210
2009-10 100201000301
2010-11 300100100500
通算 10005015102011
イプスウィッチ 2008-09 841000-841
通算 841000- 8 4 1
ガラタサライ 2009-10 14032001001803
通算 14032001001803
ラシン・サンタンデール 2010-11 16520000001652
通算 16520000001652
総通算 761210110111201311411

外部リンク