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ジョホールバルの歓喜

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

1998 FIFAワールドカップ・フランス大会
アジア第3代表決定戦
ファイル:Johor Bahru 1997.jpg
大会名 1998 FIFAワールドカップ・アジア予選
開催日 1997年11月16日
会場 ラルキン・スタジアム(ジョホールバル)
主審 ファイル:Flag of Spain.svgマヌエル・ディアス・ヴェガ

ジョホールバルの歓喜(ジョホールバルのかんき)は、1997年11月16日マレーシアジョホール・バル日本代表1998 FIFAワールドカップ・フランス大会のアジア第3代表決定戦としてイラン代表と戦い、勝利を収めたことによりFIFAワールドカップ本戦初出場を決めたサッカーの試合の日本における俗称である。

目次

背景 - 日本(B組)

日本は、ダブルセントラル方式の1次予選第4組で5勝1分けとし、オマーンを抑えて1位通過し、最終予選に進んだ。

W杯アジア地区の出場枠は3.5。最終予選は10チームがA・B組の2組に分かれ、それぞれホーム&アウェー方式にてリーグ戦を行い、まず各組1位の2ヵ国が本大会出場権を獲得。各組2位同士で第3代表決定戦を行い、この勝者が3番目の本大会出場権獲得。敗者はアジア4位としてオセアニア1位との大陸間プレーオフに回ることとなった(このプレーオフに勝てば本大会出場権獲得)。

最終予選の形式は当初、アメリカ大会予選と同様のセントラル方式が予定されていたが、日本協会をはじめとする東アジアの国はマレーシア開催を主張し、西アジアの国はバーレーンでの開催を主張し対立が起きたため、アジアサッカー連盟が最終予選直前に急遽、ホーム&アウェー方式に変更した。予選の終盤までもたつくも、強豪UAEを逆転してグループ2位に滑り込んだ日本は、結果的にこの変更による恩恵を受けた。

日本はB組に入った。B組は当初、強敵が韓国しかいない楽な組といわれていたが、日本は最終予選の全期間を通じ、UAEと熾烈な2位争いをすることになる。経過は以下のとおり。

対戦チーム 結果 日本の勝点 UAEの勝点
第1節 v. ファイル:Flag of Uzbekistan.svg ウズベキスタン (Home) ○ 6 - 3 1 0 0 3 (試合なし)
第2節(試合なし) - 1 0 0 3 3
第3節 v. ファイル:Flag of the United Arab Emirates.svg UAE (Away) △ 0 - 0 1 1 0 4 4
第4節 v. ファイル:Flag of South Korea.svg 韓国 (Home) ● 1 - 2 1 1 1 4 7
第5節 v. ファイル:Flag of Kazakhstan.svg カザフスタン (Away) △ 1 - 1 1 2 1 5 7
第6節 v. ファイル:Flag of Uzbekistan.svg ウズベキスタン (Away) △ 1 - 1 1 3 1 6 (試合なし)
第7節(試合なし) - 1 3 1 6 7
第8節 v. ファイル:Flag of the United Arab Emirates.svg UAE (Home) △ 1 - 1 1 4 1 7 8
第9節 v. ファイル:Flag of South Korea.svg 韓国 (Away) ○ 2 - 0 2 4 1 10 9
第10節 v. ファイル:Flag of Kazakhstan.svg カザフスタン (Home) ○ 5 - 1 3 4 1 13 9


初戦を大勝し、続くアウェーのUAE戦を引き分けた日本は、このグループ最大のライバルとされた韓国をホーム国立競技場に迎えた。日本は山口素弘のループシュートで先制するも、試合終了間際の2失点で逆転負けを喫し、この時点で早くも1位通過が絶望的になった。

続くアウェーのカザフスタン戦は、コーナーキックから秋田豊のヘディングで先制するも、ロスタイムに同点ゴールを決められて引き分け。ここで加茂周監督は更迭され、ヘッドコーチの岡田武史が監督に就任した。

岡田監督の初戦となったアウェーのウズベキスタン戦では先制されるも、終了間際にDFも前線に上げるパワープレーを敢行した結果、呂比須ワグナーのヘディングで同点とし、首の皮一枚繋がった引き分けとなった。

次の試合はUAEをホームの国立競技場に迎えた2位争いの直接対決で、呂比須が先制ゴールを挙げるも追いつかれ引き分けた。この試合では終始UAE寄りだったジャッジと、異様に短いロスタイムが問題になり、試合後に国立競技場周辺で日本のサポーターが暴れる事態となった。この試合の結果、韓国の1位通過でのW杯本戦出場が決定するとともに、日本の自力による2位からのプレーオフでの最終予選通過が消滅した。

もうあとがなくなった日本。しかしUAEとの勝ち点差1のままで迎えたアウェーでの韓国戦で日本は、主力DFの洪明甫を累積警告で欠いた韓国守備陣を試合開始から翻弄し、名波浩と呂比須のゴールで2-0と快勝。翌日、UAEがホームで最下位ウズベキスタン相手に引き分けたため、日本は2位に浮上した。

日本は最終戦のカザフスタン戦も秋田のヘディングで先制、代表復帰した中山雅史高木琢也のゴールなどで5-1で快勝し、B組2位を確定させ第3代表決定戦への出場権を得た。

最終予選B組の最終順位は以下のとおり(韓国がアジア最終予選のA・B組を通じて最高成績のため、アジア1位として本戦に進出)。

順位 チーム 勝点 得失差 総得点
1 ファイル:Flag of South Korea.svg 韓国 19 6 1 1 +12 19
2 ファイル:Flag of Japan.svg 日本 13 3 4 1 +8 17
3 ファイル:Flag of the United Arab Emirates.svg UAE 9 2 3 3 -3 9
4 ファイル:Flag of Uzbekistan.svg ウズベキスタン 6 1 3 4 -5 13
5 ファイル:Flag of Kazakhstan.svg カザフスタン 6 1 3 4 -12 7
(勝ち点は勝利3、引き分け1、敗戦0。勝ち点が同じ場合、まず得失点差、次いで総得点の優劣で順位を決した。
なお、2006年ドイツ大会の予選では、勝ち点が同じ場合、まず直接対決の結果、次いでリーグ戦全体の得失点差、総得点の優劣で順位を決した)

背景 - イラン(A組)

一方、A組には前大会ベスト16のサウジアラビアと強豪イランが所属していた。当初はイランがA組の首位を走っていたが、第9節にて最下位のカタールに0-2で敗れ、最終節の第10節に試合のないイランは勝ち点12にて全日程を終了。本戦出場権が得られるかどうかは第10節のサウジアラビア(勝点11)-カタール(勝点10)戦の結果待ちとなった。この試合を1-0で制したサウジアラビアが首位となって本戦出場権を獲得、イランは2位に転落して第3代表決定戦にまわることとなった。A組2位が決まるまでの間、日本では、第3代表決定戦の相手としてはサウジアラビアの方が与しやすいとの論が主流であったが、期待に反して第3代表を争う相手はイランとなった。なお、イランの重要な得点源であるバゲリは第9節カタール戦で退場処分を受け、2試合の出場停止処分となり、日本戦に出場出来なくなっていた。バゲリは中盤の底のボランチでありながら、アジア予選で最終的に19得点をあげた。イランの対戦相手は、たとえイランの強力な2トップを抑えることが出来たとしても、バゲリのミドルシュートなどによって失点していた。このバゲリの欠場は日本にとって大きな意味を持つことになる。

最終予選A組の最終成績は以下のとおり(1位のサウジアラビアはB組1位の韓国より成績が劣るためアジア2位として本戦進出)。

順位 チーム 勝点 得失差 総得点
1 ファイル:Flag of Saudi Arabia.svg サウジアラビア 14 4 2 2 +2 8
2 ファイル:Flag of Iran.svg イラン 12 3 3 2 +5 13
3 ファイル:Flag of the People's Republic of China.svg 中国 11 3 2 3 -3 11
4 ファイル:Flag of Qatar.svg カタール 10 3 1 4 -3 7
5 ファイル:Flag of Kuwait.svg クウェート 8 2 2 4 -1 7

背景 - 開催地の決定

第3代表決定戦をホーム・アンド・アウェー方式のもとで2試合開催することは日程的に難しく、中立地での一発勝負の実施が前提とされた。当時のB組の展開から、UAEがB組2位になることが想定されたため、第3代表決定戦はバーレーンで開催されることとなっていた。しかし移動距離や気候などで著しい不利を被ることになる日本協会はこれに猛反発。AFCでは、西アジア勢同士ならバーレーン、東アジア勢同士(中国vs日本という対戦があり得た)なら韓国、西アジア勢対東アジア勢の対戦ならマレーシアイスラム教国であり、かつAFC本部がある)で開催するという案に落ち着いた。

日本の第3代表決定戦出場がイランよりも先に決定したこともあり、マレーシアには日本のサポーターが多数押し掛けて日本のホーム同然となり、かつイランは時差の点で不利を受けたため(日本とマレーシアの時差1時間、イランとマレーシアの時差4時間半)、会場決定も日本に有利に働いた。

さらにイランは直行便が確保できず、試合直前にやっと確保できたのはドバイや香港を経由した約36時間の移動であった。そのため体調を崩す選手が続出し、準備もできなかった。

試合展開

日本は前半39分に中田英寿のスルーパスから中山雅史のゴールで先制、前半を1-0とリードして折り返す。

後半に入るとイランが反撃、後半開始早々(開始25秒)のアジジのゴールで同点とし、後半14分にはアリ・ダエイのゴールで2-1と逆転した。

後半18分、後のない日本の岡田監督三浦知良と中山のツートップを同時に交代、2人に代え城彰二呂比須ワグナーを投入する。この交代が功を奏し、後半31分に中田のクロスから城のヘディングで2-2の同点に追いつく。同点のまま後半を終了、ゴールデンゴール方式の延長戦に突入した。

延長戦開始と同時に日本は、北沢豪に代えて俊足のFW岡野雅行を投入。最終予選においてそれまで一度たりとも出場機会を与えられていなかったが、中田からのパスに何度もゴールに迫る。しかし、GKとの1対1となった決定的なチャンスにおいて、シュートを打たず、ゴールに走りこんできていた中田へ出した力ないパスをカットされてチャンスをつぶしたり、次のチャンスではシュートを打ったもののゴールのはるか上に打ち上げてしまう。

ファイル:19971116scoreboard.jpg
試合終了時のスコアボード

イランも反撃を見せるが、両チームとも決定的なチャンスをものにできなかった。城はゴールへ迫った際に頭をポストに激しくぶつけ、意識が朦朧とした中でもプレーを続けていた。PK戦への突入も近づいた延長後半13分、呂比須が中盤で奪取したボールを中田がドリブルで持ち上がってペナルティエリア直前からシュート、イランのGKアベドサデがはじいたルーズボールに岡野が走りこみ、スライディングしながら右足でゴールに押し込んだ。日本はこの劇的なゴールデンゴールで悲願のW杯本戦初出場を決めた。

その瞬間、フジテレビの中継で解説を務めていた清水秀彦は「やったー!」という歓声をあげ、ラジオで実況を務めたニッポン放送師岡正雄は「岡野だぁーっ!岡野! 岡野!」と絶叫、岡田監督は諸手を挙げて岡野へ全力で駆けていった。翌日の新聞・ニュースには「日本中が歓喜した」との言葉が躍った。散々外した末にとうとう決めた岡野はこのシュートについて「これを外したらもう日本に帰れないと思った」と後に語っている。

この試合は地上波ではフジテレビが生中継し(NHK-BS1でも同時中継していた)、日曜日の深夜の放送にもかかわらず平均視聴率47.9%の高視聴率だった。

なお、この一戦に敗れたイランもオーストラリアとのホーム&アウェーの大陸間プレーオフに勝ち、ワールドカップ本戦進出を決めている(メルボルンの悲劇)。

試合データ

1997年11月16日

日本 ファイル:Flag of Japan.svg 3 - 2
(延長)
ファイル:Flag of Iran.svg イラン ラルキン・スタジアム
ジョホールバル
主審: ファイル:Flag of Spain.svgマヌエル・ディアス・ヴェガ
中山雅史 ファイル:Soccerball shade.svg 39分
城彰二 ファイル:Soccerball shade.svg 76分
岡野雅行 ファイル:Soccerball shade gold.svg 118分
参考サイト ファイル:Soccerball shade.svg 46分 アジジ
ファイル:Soccerball shade.svg 59分 ダエイ
GK 20ファイル:Flag of Japan.svg 川口能活
DF 2ファイル:Flag of Japan.svg 名良橋晃
DF 3ファイル:Flag of Japan.svg 相馬直樹
DF 4ファイル:Flag of Japan.svg 井原正巳
DF 17ファイル:Flag of Japan.svg 秋田豊
MF 6ファイル:Flag of Japan.svg 山口素弘
MF 8ファイル:Flag of Japan.svg 中田英寿
MF 10ファイル:Flag of Japan.svg 名波浩
MF 13ファイル:Flag of Japan.svg 北澤豪 ファイル:Sub off.svg 90分
FW 11ファイル:Flag of Japan.svg 三浦知良 ファイル:Sub off.svg 63分
FW 32ファイル:Flag of Japan.svg 中山雅史  ファイル:Sub off.svg 63分
サブメンバー:
FW18ファイル:Flag of Japan.svg 城彰二 ファイル:Sub on.svg 63分
FW 30ファイル:Flag of Japan.svg 呂比須ワグナー ファイル:Sub on.svg 63分
FW 14ファイル:Flag of Japan.svg 岡野雅行 ファイル:Sub on.svg 90分
  
監督
ファイル:Flag of Japan.svg 岡田武史
GK 1ファイル:Flag of Iran.svg アベドザデ
DF 4ファイル:Flag of Iran.svg ハクプール
DF 5ファイル:Flag of Iran.svg ベイラヴァニ
DF 15ファイル:Flag of Iran.svg オスタド・アサディ  ファイル:Sub off.svg 55分
MF 2ファイル:Flag of Iran.svg マハダビキア
MF 24ファイル:Flag of Iran.svg ザリンチェ  ファイル:Sub off.svg 65分
MF 9ファイル:Flag of Iran.svg エスティリ
MF 7ファイル:Flag of Iran.svg マンスーリアン
MF 8ファイル:Flag of Iran.svg ナムジュ・モトラグ ファイル:Sub off.svg 80分
FW 10ファイル:Flag of Iran.svg ダエイ
FW 11ファイル:Flag of Iran.svg アジジ
サブメンバー:
  25ファイル:Flag of Iran.svg ミナヴァンド ファイル:Sub on.svg 55分
  20ファイル:Flag of Iran.svg パシャザデ ファイル:Sub on.svg 65分
  17ファイル:Flag of Iran.svg モディルースタ ファイル:Sub on.svg 80分
  
監督
ファイル:Flag of Brazil.svg バドゥ・ビエイラ

両監督の再会

2007年2月3日長野市サッカーフェスティバルの講演会で、97年当時日本代表を率いていた岡田とイラン代表を率いていたバドゥ・ビエイラが、ジョホール・バルでの試合以来約9年ぶりに再会し対談を行った。バドゥは当時長野市の社会人サッカークラブAC長野パルセイロで監督を務めており、その縁もあって長野での対談が実現した。対談の内容はやはりジョホール・バルに関する話題が殆どで、采配についての裏話(アジジ車椅子事件の真相)なども語られた。

関連項目