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ステヴァン・ヨヴェティッチ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ステヴァン・ヨヴェティッチ ファイル:Football pictogram.svg
ファイル:Stevan jovetic.JPG
名前
愛称 Jo-Jo(ヨヨ)[1]、ヨヴェ[2]
ラテン文字 Stevan Jovetić
セルビア語 Cтeвaн Joвeтић
基本情報
国籍 ファイル:Flag of Montenegro.svg モンテネグロ
ファイル:Flag of Serbia.svg セルビア
生年月日 1989年11月2日(22歳)
出身地 ポドゴリツァ
身長 183cm
体重 79kg
選手情報
在籍チーム ファイル:Flag of Italy.svg ACFフィオレンティーナ
ポジション FW / MF
背番号 8
利き足 右足
クラブチーム1
クラブ 出場 (得点)
2006-2008
2008-
ファイル:600px Bianconero con stella rossa.svg パルチザン
ファイル:600px Viola con giglio Rosso su sfondo Bianco.png フィオレンティーナ
051 (13)
067 (13)
代表歴 2
2007
2007-
ファイル:Flag of Montenegro.svg モンテネグロ U-21
ファイル:Flag of Montenegro.svg モンテネグロ
6 (2)
14 (9)
1. 国内リーグ戦に限る。2011年10月31日現在。
2. 2011年10月31日現在。
テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj
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ステヴァン・ヨヴェティッチセルビア語: Cтeвaн Joвeтић英語: Stevan Jovetić, 1989年11月2日 - )は、モンテネグロポドゴリツァ出身のモンテネグロ代表フィオレンティーナ所属のサッカー選手。ポジションはフォワード

目次

人物

欧州最高の逸材と呼ばれ、マンチェスター・ユナイテッドレアル・マドリードユヴェントスといった、ヨーロッパ3大リーグそれぞれのビッグクラブから注目を集める若き天才選手。デヤン・サビチェビッチ2世と称されるが、ことプレースタイルは異なる。サビチェビッチはドリブラーであったのに対し、ヨヴェティッチは得点能力に優れたセカンド・ストライカーでもあり、ボックス内で虎視眈々とゴールを狙う点取り屋である。そういった意味ではむしろロベルト・バッジョに近い[3]と言えよう。フィジカルにも優れ豪快なプレーを持ち味とするが、柔らかなロビングや、相手ディフェンダーが予測することが困難な緩急自在のダイレクトパスを操り、また前線からのチェイシングを怠らずメンタル面や戦術理解度も優れており、現代サッカーに通用しうるモダンなファンタジスタである[1]。2011年7月よりフィオレンティーナの副キャプテンとなる[4]

来歴

下部組織~プロ選手

2000年から2003年までムラドスト・ポドゴリツァのユースチームで育った。2003年、ヨヴェティッチが13歳の時にパルチザン・ベオグラードに加入。下部組織に在籍にながらも、2006年4月8日に行われた国内リーグ戦の対ヴォツトヴァック戦において、才能を見抜いていたトップチームのユーゲン・レーバー監督によってわずか16歳でトップリーグにデビューする。2007年8月2日にはUEFAカップ、NKズリニスキ戦においてハットトリック(3得点)を達成、5-0の勝利に貢献した。同月、パルチザン・ベオグラードと正式にプロ契約を結んだ。この頃にはすでにヨヴェティッチの名は、その才能とともにヨーロッパに認知されており、10月頃にはマンチェスター・ユナイテッドやレアル・マドリードといった超ビッグクラブが獲得に動いていた[5]。2007年12月にはイギリスの大衆紙であるザ・サンに、「ヨーロッパにおける20歳以下選手のトップ20」に選ばれている[6]。2008年1月にはレアル・マドリードの練習に参加し、ループシュートを決めるとなどその大物ぶりを見せ付けた。パルチザンはヨヴェティッチを引き止めるために(あるいは移籍金を引き上げるために)、同時期に冬の移籍市場でボルシア・ドルトムントへ移籍していったキャプテンのアントニオ・ルカヴィナの後釜に18歳のヨヴェティッチをキャプテンに据えた。セルビアのリーグ戦では17試合に出場して11ゴール、合計60試合で24ゴールしている。パルチザン在籍時にはU-21のモンテネグロ代表に招集され、同チームでもキャプテンを務めた。

フィオレンティーナ時代

ファイル:Stevan Jovetić Vicario.JPG
18歳でフィオレンティーナへ移籍

2008年2月に、フィオレンティーナのスポーツディレクターであるパンタレオ・コルヴィーノに誘われメディカルチェックを受ける。その前月にレアル・マドリードの練習に参加しており、同クラブに移籍が確実だと思われていた最中であった。同年4月にフィオレンティーナと正式にサインする。移籍金は800万ユーロ。コルヴィーノは資金面では及ばない他のビッグクラブとの差異をアピールするためにヨヴェティッチと両親を一週間フィレンツェに招待し街の「美しさ」を訴えた。彼らは街の美しさを賞賛し、素晴らしい住まいやトスカーナ料理を絶賛、フィレンツェ市民の愛情に夢中になったという[7]。また、ヨヴェティッチの憧れの同郷の選手であるデヤン・サビチェビッチがプレーしたイタリアでのプレーを望んだためだと言われている。移籍後すぐに、アルテミオ・フランキを記念して行われたFCバルセロナとの親善試合に途中交代で出場し、わずか数回のボールタッチのみでヴィオラティフォージを沸かせ、拍手を受けた。フィレンツェではこの頃からロベルト・バッジョの後継者との声が上がった。

2008-09シーズンが始まると、チーム内で絶対的なエースであるアドリアン・ムトゥの控えというポジションでスタートした。後半戦はムトゥの怪我による長期離脱もあり出場機会を増やし、2009年4月5日に行われた、カンピオナートのアタランタ戦においてPKによりセリエA初得点をする。試合に出場すれば随所に才能の片鱗を披露したが、得点に結びつけることは困難であり移籍初年度はリーグ戦で1得点するに留まった。

2009-10シーズンは開幕時から好調ぶりを披露する。2009年8月26日には、UEFAチャンピオンズリーグの予備予選の対スポルティング・リスボン戦において、チームを本戦に導く同点ゴールを決め[8]、続くカンピオナートでのパレルモ戦、サンプドリア戦と続けざまに得点を記録、移籍1年目の懸案であった得点を量産する。同時期にはムトゥの不調や怪我、またチェーザレ・プランデッリ監督がヨヴェティッチを活かすシステムに本格的に変更したことなどから出場機会を増やしている。2009年9月30日に行われたUEFAチャンピオンズリーグリヴァプール戦ではドッピエッタ(2得点)を記録しチームの勝利(2-0)に貢献した。その後は怪我によりシーズン前半戦の約半数を離脱したが、チャンピオンズリーグ等の印象的な活躍により12月には2009年のモンテネグロ年間最優秀選手[9]に選ばれた。

2010-11シーズンは8月に行われたプレシーズンでのキャンプ中に右膝靭帯を損傷し、全治8か月と診断された。2011年の春に復帰する予定だったが、完治の目処が立たず、結局このシーズンは公式戦出場はゼロに終わった。怪我は6月にようやく完治し、4日のブルガリア代表戦で復帰を果たした。

2011-12シーズン開幕前のキャンプ中に新シーズンの副キャプテンとなることが公式に発表された[4]。同シーズン中の10月31日にフィオレンティーナとの契約を2016年6月30日まで延長したと公式に発表された[10]

エピソード

  • フィオレンティーナに移籍後の会見で「ユヴェントスのオファーを蹴って、フィレンツェに来た。」と発言し、ヴィオラティフォーゾを喜ばせた(ユヴェントスはヴィオラティフォージの仇とされる)。また移籍2年目のシーズン序盤での活躍から、新たにチェルシーバイエルンなどのビッグクラブからのオファーが存在すると報道されたが、代理人はその後いかなる交渉も存在しない、そうする意図もないと発言し、「移籍について何も考えていない。ヨベティッチはフィレンツェで満足。」[11]と話している。また、本人も当分移籍する意思はない[12][13]と発言し、「チェーザレ・プランデッリ監督は父親のような存在であり、自分を選んでくれたスポーツディレクターのパンタレオ・コルヴィーノも欠かせない。これからもアドバイスに耳を傾けていく。」とフィオレンティーナへの忠誠を誓っている [13]
  • 本人は移籍する4年前からイタリア語を勉強しており(イタリア人の記者が英語でインタビューしようとしたが、流暢なイタリア語で返答した)、当初からイタリアでのプレーを目論んでいたようだ。フィレンツェではロベルト・バッジョアドリアン・ムトゥの後継者が現れたと期待されている[1]

所属クラブ

個人成績

利用者:Bcjp/t/fbp国内表 top 利用者:Bcjp/t/fbp国内表 th |- |2005-2006||パルチザン・ベオグラード||8||セルビア・スーペルリーガ||2||0|| - || - || - || - ||2||0 |- |2006-2007||パルチザン・ベオグラード||8||セルビア・スーペルリーガ||22||1||4||3|| - || - ||26||4 |- |2007-2008||パルチザン・ベオグラード||8||セルビア・スーペルリーガ||27||12||4||3||2||4||33||19 利用者:Bcjp/t/fbp国内表 th |- |2008-2009||フィオレンティーナ||8||セリエA||29||2||1||0||CL 4||0||34||2 |- |2009-2010||フィオレンティーナ||8||セリエA||24||6||1||0||CL 6||5||31||11 |- |2010-2011||フィオレンティーナ||8||セリエA||0||0||0||0|| - || - ||0||0 |- |2011-2012||フィオレンティーナ||8||セリエA||9||5||1||0|| - || - ||10||5 利用者:Bcjp/t/fbp国内表 通算始 51||13||8||6|| - || - ||61||23 利用者:Bcjp/t/fbp国内表 通算行67||13||4||0||11||5||82||18 利用者:Bcjp/t/fbp国内表 通算終118||26||12||6||13||9||143||41 |}

経歴

  • 2006年4月8日 - プロ初出場 - ヴォツトヴァック戦(スタディウム・ヴォツトヴァック)

獲得タイトル

クラブ

個人

  • 2009年 プレミオ・バンキ賞 (25歳以下の最優秀選手)
  • 2009年 モンテネグロズ・ベストプレーヤー (モンテネグロ年間最優秀選手)

脚注

  1. ^ a b c JOVETIC, Chiamatemi Jo-Jo ma non sono Baggiofirenzeviola.it(2008-7-27)(イタリア語),2010-1-13閲覧
  2. ^ Estate Viola - Estate Viola Jovetic-viola-jovetic.htmlviolachannel.tv(2010-6-8)(イタリア語),2010-6-8閲覧
  3. ^ JO JO COME BAGGIO?, Il parere degli espertifirenzeviola.it(2009-10-1)(イタリア語),2010-1-13閲覧
  4. ^ a b GAMBERINI È IL NUOVO CAPITANOviolachannel.tv(2011-7-17)(イタリア語),2011-7-17閲覧
  5. ^ ヨヴェティッチを巡るマンチェスター・ユナイテッドとレアル・マドリードの戦いThe Sun(2007-10-16)(英語),2010-1-13閲覧
  6. ^ サン紙が選ぶ「ヨーロッパにおける20歳以下選手のトップ20」corrieredellosport.it(2007-12-28)(イタリア語),2010-1-13閲覧
  7. ^ フィオレンティーナの新星ヨヴェティッチ。フランコさんのイタリア通信。(2009-10-6),2010-1-13閲覧
  8. ^ ヨヴェティッチがヴィオラを本戦に導くgazzetta.it(2009-8-26)(イタリア語),2010-1-13閲覧
  9. ^ ヨベティッチが母国の年間最優秀選手にuefa.com(2009-12-25),2010-1-13閲覧
  10. ^ JOVETIC VIOLA FINO AL 2016: GOAL ED EMOZIONI DELLA SUA STORIA」violachannel.tv(2011-10-31)(イタリア語),2011-10-31閲覧
  11. ^ ヨベティッチ代理人、他クラブとの交渉を否定goal.com(2009-9-29),2010-1-13閲覧
  12. ^ 強豪相手の2得点を喜ぶヨベティッチgoal.com(2009-9-30),2010-1-13閲覧
  13. ^ a b 強豪からの関心にも動じないヨベティッチlivedoor.com,提供:Gazzetta.it(2009-12-28),2010-1-13閲覧
  14. ^ サビチェビッチ:「ヨベティッチはクライフに似ている」livedoor.com,提供:Gazzetta.it(2009-10-1),2010-1-13閲覧
  15. ^ ヨベティッチ:「フィオレンティーナは運命」goal.com(2009-10-6),2010-1-13閲覧

外部リンク