スペイン国 (1939年-1975年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
- スペイン国
- Estado Español
-
← ファイル:Flag of the Second Spanish Republic.svg 1939年 - 1975年 ファイル:Flag of Spain 1977 1981.svg → ファイル:Flag of Spain 1945 1977.svg ファイル:COA Spain 1945 1977.svg (国旗) (国章) - ファイル:Spanish State.png
-
公用語 スペイン語 首都 マドリード 通貨 ペセタ
概要
当時のスペインは1936年2月に実施された総選挙にて、左翼勢力を中心とする人民戦線内閣が誕生していた。人民戦線は社会主義に基づく改革を実行に移し、ブルジョワを弾圧した。これにより、地主・資本家・カトリック教会などの保守勢力と政府の対立が激化した。
同年7月、当時のスペイン領モロッコと本土の一部で軍が反乱を起こした。元陸軍参謀総長のフランシスコ・フランコはモロッコで反乱軍を指揮し、本土に侵攻した。保守勢力が反乱軍を支援したため、この反乱はスペインを二分するスペイン内戦に発展した。
反乱軍の指導者は、当初はエミリオ・モーラ・ビダル将軍だった。しかし、短期間にめざましい戦功を上げたフランコは1936年10月1日、ブルゴスにおいて反乱軍の総司令官に指名され、同時に反乱軍の国家元首に就任した。また、フランコは1938年1月30日に正式に内閣制度を導入し、国家元首兼首相(総統)となった。
その後、フランコはドイツやイタリアの支援を受けて政府勢力と戦い、最終的に反乱を成功に導いた。第二次世界大戦では中立国として振る舞い、戦後も他のファシズム国家が滅亡した一方で、スペインはエスタド・ノヴォ体制下のポルトガルと共に独裁体制を維持した。フランコは政治制度について、最終的には君主制に移行するべきだと考え、1947年に「王位継承法」を制定した。これにより、スペインは「空位の王国」でありフランコが国家元首として「王国の終身摂政」となることが決定した。さらに、フランコには後継者となる国王の指名権が付与された。その後のスペインは国際的に孤立しながらもフランコ独裁体制を維持し、国王無き王国として存続した。フランコは、将来は王族を擁きつつも腹心のルイス・カレロ・ブランコを事実上の後継者として実権を握らせ、自らの独裁路線を継続させる構想を描いていたが、1973年にETAがブランコを暗殺したため、頓挫した。
1975年11月20日、フランコは死去し、その遺言に従って1931年までスペイン国王だったアルフォンソ13世の孫であるフアン・カルロス1世が即位し、スペインは名実共に君主制国家となった。しかし、フアン・カルロス1世はフランコの路線を継がずに独裁政治を改め、民主化を推し進めた。
1977年には41年ぶりの民主的な選挙が行われ、翌1978年に新しい憲法が承認され、スペインは立憲君主制に移行した。




