セオ・ウォルコット
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| ファイル:TheoWalcottUnderhill.JPG | |||||||
| 名前 | |||||||
| 本名 | Theodore James Walcott | ||||||
| 愛称 | セオ | ||||||
| カタカナ | セオドア・ジェイムズ・ウォルコット | ||||||
| ラテン文字 | Theo WALCOTT | ||||||
| 基本情報 | |||||||
| 国籍 | ファイル:Flag of England.svg イングランド | ||||||
| 生年月日 | 1989年3月16日(23歳) | ||||||
| 出身地 | ファイル:Flag of England.svg ロンドンハーロウ特別区・スタンモア | ||||||
| 身長 | 176cm | ||||||
| 体重 | 71kg | ||||||
| 選手情報 | |||||||
| 在籍チーム | アーセナルFC | ||||||
| ポジション | FW / MF | ||||||
| 背番号 | 14 | ||||||
| 利き足 | 右足 | ||||||
| クラブチーム1 | |||||||
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| 代表歴 2 | |||||||
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| 1. 国内リーグ戦に限る。2011年4月29日現在。 2. 2011年4月29日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | |||||||
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セオドア・ジェイムズ・ウォルコット(Theodore James Walcott, 1989年3月16日 - )は、イングランド、ロンドンハーロウ特別区スタンモア生まれのサッカー選手。ポジションはフォワード。母はイングランド人(白人)で父はジャマイカ人[1]。現所属クラブのアーセナルFCやイングランド代表では、中盤右サイドや右ウイングとして起用されている[2]。100mを10秒3の快速を生かしたドリブル突破が魅力[3]。
目次 |
経歴
生まれはロンドン郊外だが、幼少期に移り住んだイングランド南部のニューベリー近郊で育った。10歳でサッカーを始め、地元のクラブでは14歳の1年間に100ゴール以上を挙げるなど突出した才能の持ち主と知られていた。その後サウサンプトンFCのユースチームに加入する。
サウサンプトンでは2004-05シーズンに同クラブ史上最年少となる15歳と175日でのプレミアリーグでのベンチ入りもした(試合には出ていない)。サウサンプトンFCはこのシーズン低迷し、翌シーズンは2部リーグに当たるフットボールリーグ・チャンピオンシップに降格してしまったが、ウォルコットはそのクラブとプロ契約を行った。そして開幕戦で途中交代で出場し16歳と173日でトップチームデビューを飾ると、主力の一角として活躍するようになった。
イングランドにはあまりいないタイプの選手と言うことから、同国の将来を担っていく存在として多くのクラブが彼に興味を示すことになり、2006年の1月20日、アーセナルFCが最高24億円という移籍金を支払い獲得。アーセナルとともにチェルシーFCも狙っていたが、アーセン・ベンゲル監督とティエリ・アンリの存在が決め手となり、本人がアーセナルFCを希望したという。
少しずつ試合出場を増やし、2007年2月25日に行われたフットボールリーグカップ決勝(対チェルシーFC戦)において移籍後初ゴールを決める。そして翌2007-08シーズンはフレドリック・ユングベリやアンリの移籍で出場機会が増え、飛躍の年となった。チャンピオンズリーグのスラビア・プラハ戦ではフォワードとして先発し、自身のチャンピオンズリーグ初ゴールを含む2ゴールを決めた。同大会の決勝トーナメント1回戦のACミラン戦では、抜群の快足でサイドを駆け上がり、だめ押し点となるエマニュエル・アデバヨールへのアシストを決め、プレミアシップのクラブとしてサンシーロで初めてACミランを撃破するという快挙に貢献する。同大会の準々決勝のリヴァプールFC戦では、自陣のバイタルエリア付近から相手のゴール前までの距離(約80メートル)を4人の相手DFをかわしながら一人で駆け抜け、アデバヨールのゴールをアシストした。チームは敗れたものの、強烈な印象をアンフィールドのみならず全世界に残した。また、同シーズン2月23日のバーミンガム・シティFC戦でリーグ戦初ゴール(試合では2ゴール)を決め、ここからリーグ戦合計で4ゴールという結果を残した。
2008-09シーズンからはさらなる活躍を期待され、アンリがアーセナルで着けていた背番号14を受け継ぐ。
代表
2006 FIFAワールドカップ
代表デビューはワールドカップ直前の親善試合、ハンガリー戦。後半20分にマイケル・オーウェンに代わって出場し、後半43分には初シュートも放った。17歳75日のイングランド代表史上最年少デビューを飾り、ルーニーが持っていた17歳111日の記録を塗り替えた。さらには2006 FIFAワールドカップのイングランド代表に17歳3ヶ月足らずで招集とトントン拍子で飛躍した。10代の頃から注目を浴びたことでマイケル・オーウェンやウェイン・ルーニーと度々比較されるも、所属クラブでの定位置確保がなかなか出来ないこともあって、代表デビューの早さ以外では、同年齢時の代表における実績はオーウェンやルーニーよりも見劣りしていた。
2006年ワールドカップにおいて当時のエリクソン監督はストライカーとしてオーウェン、ルーニー、クラウチとともにウォルコットを招集した。この招集には批判の声も大きく、プレミアリーグで何の実績も無いウォルコットよりはジャーメイン・デフォー、あるいはダレン・ベント、アンディ・ジョンソン、ディーン・アシュトンらから選ぶべきではないかとも囁かれた。実際、本大会ではエースのオーウェンが故障離脱した後ルーニーとクラウチの2トップ以外に実戦的な選択肢が無くなり、エリクソン監督の選択は裏目に出た。しかし将来を睨んでの判断として一部では評価されていた。
EURO2008、2010 FIFAワールドカップ
ファビオ・カペッロ監督就任後は主に中盤の右サイドを任されており、2008年9月6日に行われたW杯予選のアンドラ戦ではスタメン出場し活躍。続く9月10日のクロアチア戦では代表初ゴールを含むハットトリックを記録し勝利に貢献した。この試合の相手であるクロアチアにイングランドはEURO2008予選で2連敗し、結果的に本戦出場を逃していたため、リベンジの大きな立役者として一躍ヒーローとなった。 また、クロアチアはこの試合で公式戦ホームでの連続無敗記録が「35」で途切れることになった。
2010年4月2日にウェンブリー・スタジアムで行われた親善試合エジプト代表戦後には、後半早くにショーン・ライト=フィリップスと交代となった彼のパフォーマンスに元イングランド代表ウィンガーのクリス・ワドルが、「ウォルコットにはサッカー脳がない。サウサンプトンにいたころからまったく進歩していない」と酷評された[4]。
事前の予想に反して2010 FIFAワールドカップの代表メンバーには選出されなかった。これはメンバー発表の2日前に行われた日本代表との親善試合において、ウォルコットがイングランド代表監督ファビオ・カペッロの指示に従わなかったことが原因であると英紙ザ・サンに報道された[5]。
所属クラブ
- 2005-2006 ファイル:Flag of England.svg サウサンプトンFC
- 2006-現在 ファイル:Flag of England.svg アーセナルFC
人物
- わずか14歳にしてナイキ社とスパイクの契約を行っている。
- 彼の父親そして自身もリヴァプールFCのファンであることを認めている。ウォルコットの場合、憧れの選手がマイケル・オーウェンやロビー・ファウラーだったことが大きいという。
個人成績
| クラブ | シーズン | リーグ | カップ | 欧州カップ戦 | Total | ||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| App | Goals | App | Goals | App | Goals | App | Goals | ||
| サウサンプトン (FLC) | 2005-06 | 21 | 4 | 2 | 1 | - | - | 23 | 5 |
| Total | 21 | 4 | 2 | 1 | - | - | 23 | 5 | |
| アーセナル | 2006-07 | 16 | 0 | 10 | 1 | 6 | 0 | 32 | 1 |
| 2007-08 | 25 | 4 | 5 | 1 | 8 | 2 | 38 | 7 | |
| Total | 41 | 4 | 15 | 2 | 14 | 2 | 70 | 8 | |
| Career Totals | 62 | 8 | 17 | 3 | 15 | 2 | 93 | 13 | |
経歴
- 2005年8月6日 - プロデビュー フットボールリーグ・チャンピオンシップ - ウォルヴァーハンプトン・ワンダラーズFC戦
- 2005年10月18日 - プロ初ゴール フットボールリーグ・チャンピオンシップ - リーズ・ユナイテッド戦
- 2006年5月30日 - A代表初出場(親善試合) - ハンガリー代表戦
- イングランド代表史上最年少出場記録(17歳75日)
- 2008年9月10日 - A代表初ゴール - クロアチア戦
脚注
- ^ “England's teenaged star Walcott linked to Jamaica”. Jamaica Observer (11 June 2006). 12 December 2008閲覧。
- ^ [1]
- ^ “快足ウインガー・ウォルコット、点取り屋としての天賦の才能が開花!”. Number web (Sports Graphic Number). (2010-09-02) 2011-04-28閲覧。
- ^ Theo Walcott has no football brain, says Chris Waddle
- ^ “ウォルコット落選は日本戦が原因だった?”. スポニチアネックス (スポーツニッポン). (2010-06-03) 2010-06-03閲覧。
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