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ダカール・ラリー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ダカールラリー・アルゼンティーナ・チリ
ファイル:Desert Warrior Dakar 2008 EVJPhoto.jpg
開始年 1979
主催 国際自動車連盟
国際モーターサイクリズム連盟
サイト ダカール・ラリー 公式サイト
テンプレートを表示
ファイル:Paris dakar rally countries blank.PNG
パリ・ダカール・ラリーで通過する国(オレンジは1992年のパリ~ル・カップで通過した国)
ファイル:Pajero-dakar2002 masuoka.jpg
2002年の第24回大会で優勝したときの増岡浩選手のパジェロ

ダカール・ラリー(正式名称ダカールラリー・アルゼンティーナ・チリ、通称パリ・ダカ)とはラリーレイド競技による大会の一つで、「世界一過酷なモータースポーツ競技」とも言われている。

目次

概要

1979年から始まり毎年行われていて、例年1月1日(近年は前年の12月末)にフランスの首都・パリからスタートし、スペインバルセロナからアフリカ大陸に渡り、セネガルの首都・ダカールまでのおよそ12000kmを走ることで知られていたが、2009年からは南米アルゼンチンの首都ブエノスアイレスからチリを回る周回コースとなった。1981年より国際自動車連盟(FIA)と国際モーターサイクリズム連盟(FIM)の公認レースとなっている。世界を代表するラリーレイドの大会のひとつである。

かつてのヨーロッパ-アフリカ大陸時代は、途中ほとんど集落や救護施設のないサハラ砂漠を縦断する過酷な競技なため、出場者の5割以上がリタイアする大会も珍しくなく、時折死者や負傷者も出た。競技区間には、西サハラなど政治的に不安定な国が入っていることも「世界一過酷」と呼ばれる由縁であった。それ故、「全ての完走者が勝者である」という言葉が出場者全員の共通の認識となっており、最終日のレースは「ビクトリーラン」と呼ばれている。

同様にヨーロッパ-アフリカ大陸時代は、フランスなど欧米を中心とした選手とメーカーがかつて植民地として支配していたアフリカ諸国で行っているだけに、植民地主義的だとする批判が根強く存在し、テロの標的にされる理由の一つであった。またアフリカの一般住民の住む地域を競技車両が猛スピードで駆け抜け住民と競技車の事故も発生しており、批判されるのもやむを得ないとする見方も多かった。それらの事情から、後に開催地が南米に変更された。

冠スポンサーは2007年はポルトガルでロト(日本でいえば宝くじ)を販売するユーロミルホーが務めた。過去にはテレフンケンde:telefunken:ドイツの電機メーカー)、トタル(フランスの石油メーカー)、テレフォニカ(スペインの通信会社)などが務めている。日本企業ではパイオニアが1991年に冠スポンサーを務めた。 舞台が南米大陸になってからは2009年はトタルや2010年と2011年はpersonal社が冠スポンサーを務めた。

歴史

1978年12月26日に第1回大会が開催、この時の名称は「オアシス・ラリー」となっていた。

本ラリーの創始者はティエリー・サビーヌである。下記の言葉は1978年の第1回開催の時に彼が言ったとされ、ダカール・ラリー創設の精神を語る言葉として有名である。

私にできるのは、“冒険の扉”を示すこと。扉の向こうには、危険が待っている。扉を開くのは君だ。望むなら連れて行こう

ティエリーは運営団体としてTSO(ティエリー・サビーヌ・オーガニゼーション)を設立、主催者としてパリ・ダカを象徴する存在となる。しかし、ティエリーは1986年に競技期間中に起こったヘリコプター墜落事故により死去、彼の遺志とTSOは父ジルベールによって引き継がれた。だが、そのジルベールもティエリー程のカリスマ性を持つには至らず、高齢を理由に1994年1月に引退。TSOは主催者権を売却し、1994年からはフランスのアモリー・グループである「ASO」(アモリ・スポル・オルガニザシオン)が主催している。

1982年の大会では、競技者として参加していたイギリス首相(当時)マーガレット・サッチャーの息子のマーク・サッチャーが競技中に一時行方不明となり、世界を巻き込んだ大騒ぎとなった。この際、サッチャー女史は「息子が発見されなかったら、このような危険なレースを2度と開催させない。」と発言している。TSOによる捜索の結果、マークは数日後に無事発見・保護され、この騒動でラリーが世界的に認知される事となる。

1986年の大会では6人の死者を出した。その中には大会主催者であったティエリー・サビーヌも含まれている。

1987年の大会では、プジョーWRCにおけるグループBの廃止に伴って行き場がなくなった205ターボ16を投入し、圧倒的な速さでラリーを席巻した。それまでのパリ・ダカは耐久ラリーの色合いが非常に濃いものであったが、プジョーはWRCのサービス体制をそのままパリ・ダカに持ち込み、どんなトラブルやアクシデントに見舞われようとも、ゴールまでたどり着けば翌日のスタートには新品同様に車両を修復するという手法でパリ・ダカの長丁場を乗り切った。このプジョーの手法は三菱をはじめとした他のエントラントにも大きな影響を与えることとなり、この年以降、この動きに追従した三菱とプジョー(1990年からは同じPSAグループのシトロエン)による優勝争いはより激しさを増し、パリ・ダカは高速化の一途をたどることとなった。

1988年の大会では、オート部門首位だったアリ・バタネンの車両が盗難に遭うという事態が発生した。後に失格の裁定が下されるが、致命的なトラブルを抱えていたプジョーの自作自演という説も根強く残っている。またこの時、失格の裁定を巡って、プジョーとFIA(と言うよりプジョーチーム監督ジャン・トッドとFIA会長ジャン・マリー・バレストル個人)の間で深刻な対立(両個人間にはそれ以前から遺恨があったとされる。ジャン・マリー・バレストルの項目参照)が生じている。なお、この年から日本のパイオニアがタイトルスポンサーを務めることになった。

1991年にはシトロエンチームのサポートカミオンが、モーリタニア国内でポリサリオ戦線が敷設していた地雷を踏み、コドライバーが逃げ遅れて焼死する事件が発生した。事前警告で地雷が存在するため、メインピストから外れて走らないよう指示が出ていたのにもかかわらず、主催者から指示され、ルートブックにも記載されていたメインピストを外れて走行していたのが原因とされている。

1992年、パリ・ダカの歴史上初めてゴール地がダカールから南アフリカのケープタウンに移された。名前もパリ-ル・カップに改められ、タイトルスポンサーは日本のパイオニアからフランスの石油メーカーのトタル(TOTAL)に変更になった。この年は大会のサポートカーが事故を起こし、救護に駆け付けようとしたメディカルカーに1989年のモトクラス覇者ジル・ラレイが接触し、この世を去るアクシデントが発生した。

1999年にはテレビ局の取材担当者らがテロ組織に襲われた。

この事件だけではなく、特に近年の同レースはテロ組織以外にも強盗も現れ、ドライバーがその被害・脅迫に遭遇することは少なくなかった。銃撃を受ける、盗賊に金品を略奪される等、事件例は枚挙に暇が無い。通行する集落の住民による投石による事故や負傷も多い。シトロエンのサポートカミオンのドライバーが何者かによって射殺されたり、ミツビシのサポートカミオンが狙撃を受ける事態すら発生した。

2008年は走行区間のアフリカ北西部モーリタニアの治安悪化のため、開幕前日になって全区間開催中止が発表された[1]。2008年の再開催の予定はなし。2007年末のフランス人旅行者殺害事件を契機にフランス政府が事実上のレース中止勧告をしていたほか、主催者にも直接テロの脅迫が届いていたという。レースが全面中止されるのは30年の歴史で初めてであり、主催者側はテロの危険が絶えないサハラ砂漠からの撤退を含めた議論を示唆した[2]

2008年2月4日、ASOは中止になったダカール・ラリーの代わりに中央ヨーロッパを舞台にしたラリー「ダカール・シリーズ」を創設、4月20日26日に開催すると発表した[3]ハンガリーの首都・ブダペストからスタートし、途中ルーマニアを通過、同国西部のバラトン湖までのおよそ4800kmを走る。

同年2月11日には2009年のダカール・ラリーは南アメリカアルゼンチンチリを舞台に行われると報じられた[4]ブエノスアイレスが発着点となる。この地が舞台となった理由として、ダカール・ラリーの特徴である砂漠や難コースを持ちながらテロの脅威がないことが挙げられている。

2009年2月、2010年も引き続き南米で開催されることが発表された。この年、長らくトップコンテンダーとして健在だった三菱自動車が、2009年限りでワークスチーム撤退を表明した。撤退が噂されていたフォルクスワーゲンは後に参戦継続を表明したが、パリダカールラリーはワークス主体のレースが継続されるか、初期のプライベーター主体のレースに回帰するか、開催地の問題も含め岐路に立たされた。

2010年1月、この年もアルゼンチン・チリを舞台にし、落盤事故で33人が奇跡的に救出され有名となったチリ・サンホセ鉱山もルートに設定された。 この大会で、市販車クラスのTLC(チーム・ランドクルーザー)が同クラス6連覇を達成した。

コース

ファイル:Dakar traces mauritanie.jpg
コース風景(2005年)

開始当初より1991年まで元日(前年末の時もあった)にパリをスタートし、アフリカ大陸に上陸後、サハラ砂漠を経由してダカールをゴール地点とするレースフォーマットで運営されていた。そのため、日本国内では「パリ・ダカ」と言われることがある。

  • 1992年 - アフリカ大陸縦断の形をとってゴールを南アフリカ共和国ケープタウン(ル・カップ)に置く(これは同年に開催されたパリ・北京ラリーへのエントリー流出を防ぐための対抗策であると言われている)。
  • 1994年 - パリとダカールを往復するコース(パリ・ダカール・パリ・ラリー)を実施。
  • 1995年 - 初めてパリ以外の都市(グラナダ)からスタート。
  • 2000年 - 前年の大会でテレビ局取材スタッフが襲撃されたことを受け、アフリカステージをダカールからスタートしてエジプトカイロのギザのピラミッドにゴールを設定した。
  • 2002年 - アラスよりスタート。この年以降、パリからはスタートしていない。
2003年以降の開始都市


コースはASOのコースディレクターによる事前の試走に基づいて決定される。経由地やルートは毎年変更され、前年と全く同じコースを走行することはほとんどない。なお、コースディレクションはティエリー・サビーヌの存命中は彼自身の手によって行われ、彼亡き後はルネ・メッジやユベール・オリオールなど、本ラリーの過去の参加経験者の手によって行われている。

日々のコースは、リエゾンと呼ばれる移動区間とSS(通常のラリーではスペシャルステージの略であるが、本ラリーにおいてはセレクティブセクターもしくはそのままエスエスと呼称される事がある)と呼ばれる競技区間とで構成される。リエゾンとSSを合計した1日の走行距離はおよそ500kmから800kmにも及び、過去には1,000kmを越える競技区間が設けられた事もあった。

また、マラソンステージと呼ばれる区間が全コース中1度ないし2度設けられる。これは競技車が到着後、通常はその日のビバーク地で行う事が出来る整備を一部禁じ(具体的にはエンジン、駆動系などの部品交換が禁止される)、そのまま翌日のステージを走行するものである。2日にわたるステージをタイヤ交換などの軽整備のみで乗り切らなければならないため、ステージ内でのエンジンや駆動系の深刻なトラブルは即リタイヤに繋がる。そのため、車両を壊さないように労わりながらも速く走らなければならないという、2つの相反する要素が求められるステージとなっている。

競技期間中には1日ないし2日の休息日があり、競技車両の整備やクルーの休息に充てられる。

車両

競技に使用される車両は基本的にオート(自動車)、モト(オートバイ)、カミオン(トラック)に分類される。それ以外の参加車両としてバギー、ATVなどがある。ごく初期においては2輪車と4輪車にカテゴリー分けされている程度であり、ナンバープレートが取得可能な車両であればどのような車両であっても大抵の場合は参加することが可能であった。そのため、参加車両も街中を走る市販車を改造したもの、かつて2輪部門にスーパーカブベスパや、自動車メーカーのプロトタイプカー、軍用車両の流用などがあった。

かつてはT1(市販車無改造クラス)、T2(市販車ベースの改造車クラス)、T3(プロトタイプ車)にグループ分けされ、オート部門にはこれにカミオン部門が加わっていたが、2001年にグループ分けが見直された。2008年時点の大まかなクラス分けは下記のとおりで、更に燃料の種類や排気量で細分化されている。

  • プロダクション(無改造の市販車:二輪・四輪共通)
  • スーパープロダクション(市販車ベースの改造車および競技専用車。バギーを含む:二輪・四輪共通)
  • カミオン(トラックベース)
  • エクスペリメンタル(サイドカーや三輪・四輪のATVなど)

1997年にワークスチームのプロトタイプカー(競技専用車)とガソリンターボエンジンを搭載しての参戦が禁止されたが、2001年から上述のようにスーパープロダクションという形でプロトタイプカーが実質解禁となった。ガソリンNAエンジンの市販改造車のほか、ディーゼルターボエンジンを採用するチームもある。フォルクスワーゲン・レーストゥアレグはディーゼルターボを採用する。

日本との関係

2011年現在、日本からはオート部門に三菱自動車工業日産自動車が参戦している。なかでも三菱は、2001年から2007年まで7年連続総合優勝を飾るなど、2011年までに12回の総合優勝を勝ち取った。だが近年の景気低迷により、各メーカーともワークス参戦を休止しており、日産は2005年、三菱は2009年を最後にワークスでの参戦を行っていない(プライベーターへの支援活動は継続している)。また、オート部門の市販車無改造クラスには、トヨタ自動車(実際のチーム運営はトヨタ車体が行う)がランドクルーザーで参戦しており、市販車無改造クラスで2011年現在6連覇中である。

モト部門では現在日本メーカーのワークス参戦はないが、かつてはホンダヤマハスズキがワークス・チームを編成して参戦していた。ヤマハは9回、ホンダは5回の優勝を手にしている。

カミオン部門では、日野自動車レンジャーで参戦して17年連続完走、1997年にはカミオン部門1-2-3フィニッシュを達成している。また、過去には三菱ふそうが1997年にはザ・グレートで、1998年には純粋な競技車輌ではなくサポートカミオンとしてではあるが、スーパーグレートで参戦したことがある。

日本車では三菱・パジェロ、トヨタ・ランドクルーザー、日産・サファリといった世界的なSUVの他にも、トヨタ・ハイラックスサーフ三菱・チャレンジャー日産・テラノいすゞ・ビッグホーンいすゞ・ミュースズキ・エスクードなど、様々なSUVが国内外のプライベーターの手で参加した。他にも初期の大会には、構造上砂漠で不利なトヨタ・スターレットトヨタ・カリーナといった二輪駆動の乗用車で市販車無改造クラスにエントリーした強者もいた(その後のレギュレーション改定にて、オフロード車である事が義務付けられた)。また、かつてはプロトタイプ(実際に市販されていない競技専用車両)も参加可能であったため、テラノのシャシーに日産・パルサーGTi-R風のボディーを被せたものや、パジェロを国産初の四輪駆動車・PX33風に改造した車両もあった。

日本国内におけるテレビ放送は、かつてはテレビ朝日がダイジェストを大会中毎日放送し、一部のニュース番組のスポーツコーナー内でも取り上げられた。現在、総集編がテレビ東京系列で放送されるほか、J SPORTSが大会期間中にダイジェストを、終了後に総集編を放送している。しかし、放送頻度や認知度は同じモータースポーツであるF1などと比較して低いのが現状である。

ディーラーとの関係

サーキット系レース以上に地域や企業のイベントで競技車両を展示したり、自動車メーカーの販売促進の一環として全国のメーカー系販売会社やショールームを選手が回って報告会を行うなどの取り組みが見られる。特に後者は三菱自動車が熱心で、篠塚建次郎が参戦して以来ほぼ毎年続けられ、2009年までは増岡浩の報告会が毎年2月~3月に開催されるのが恒例となっていた。開催日が平日でも他府県から報告会を見に来るファンが多い。

篠塚が三菱自動車を退職する2002年まで篠塚・増岡の報告会が開催された期間があり、2人揃って行動した年と別行動の年があった。別行動の場合は参戦車種の関係で篠塚がパジェロを扱うギャラン店系販売会社、増岡がRVRやチャレンジャーを扱っていたカープラザ系販売会社を担当した。ギャラン店・カープラザ店の区切りのない販売会社(山口三菱自動車・徳山支店など)では、篠塚・増岡が揃って登場した。

また販売店の士気向上を目的に、全国各地の系列ディーラーのメカニックの中から優秀な者を選抜して、実際にラリーに参戦するチームのメカニックに起用することも多く行われており、2011年現在もトヨタ(トヨタ車体)・日野の両メーカーが同様の活動を継続している。

出場した日本人

四輪(カミオン含む)
  • 増岡浩 - 三菱自動車、2002年・2003年に総合優勝
  • 篠塚建次郎 - 三菱自動車→日産自動車→フリー(トーヨータイヤ開発ドライバー)、1997年に総合優勝
  • 新井敏弘 - 四輪部門、いすゞ自動車
  • 池町佳生 - 二輪部門→四輪部門、日産自動車→トヨタ車体→フリーランス
  • 三橋淳 - 二輪部門→四輪部門、日産自動車→トヨタ車体
  • 片山右京 - フリーランス
  • 菅原義正 - 日本人で唯一、モト・オート・カミオンの全部門に参戦。本田技研工業→三菱自動車→日野自動車
    2005年からは息子の菅原照仁と共に親子で参戦。
  • 菅原照仁 - カミオン部門、日野自動車
  • 夏木陽介 - 俳優。1985年と1986年にドライバーとして、1987年~1993年にチーム監督として参戦。
  • 片山敬済 - 元ロードレース世界選手権チャンピオン。1990年に三菱パジェロ改のPX33で完走。1991年に日産パルサーベースのオリジナルマシンで出場するもリタイヤ。
  • 根本純 - 自動車ジャーナリスト。1981年日本人として初参戦し、完走・1982年・1985年・1988年 - 1997年に参戦。
  • 立松和平 - 作家。ナビゲーターとして2回出場し、1990年はリタイア、1991年に完走。
  • 佐々木隆 - 元モトクロス国際A級ライダー。1989年は二輪で出場するもリタイア、1990年は完走、クラス3位。
  • 岡本佳保里 - 女優。トヨタ・フランスよりドライバーとして参戦。1992年完走などの結果を残す。
二輪
  • 木下博信 - 埼玉県草加市の元市長。同市議会議員時代の2001年に参戦し、完走した。
  • 博田巌 - 高知県出身。ラリーレイド・モンゴルなどでの優勝経験あり。パリ・ダカール・ラリーでは上位入賞を果たす。
  • 山田秀靖 - モータースポーツジャーナリスト及びカメラマン。パリ・ダカール・ラリーでは初期の頃から取材活動を続けている。日本に紹介されるこのラリーの画像のほとんどは彼の撮影によるものである。パリ・ダカール・ラリーでは完走経験有り。
  • 山村レイコ - 合計5回参戦。1997年は二輪総合57位(女性クラス優勝)、夫の山村雅康と共に完走したことで敢闘賞も受賞。1998年は夫婦で四輪部門にいすゞビッグホーンで参戦し完走。
  • 柏秀樹 - ジャーナリスト。計4回参戦:1996年、1997年(35位完走)、1998年、2006年(62位完走)
  • 打田稔 - ジャーナリスト。
  • 松井勉 - ジャーナリスト。
  • 堀田修 - 2002年・2004年・2006年に参戦し100%完走した。総合での上位入賞はないが、クラス別や部門別では常に上位成績を収める実力派。普通の会社員(SE)でありながら有給休暇を利用して参戦した。エコエネルギー(新エネルギー)推進やフォトジャーナリストとしても活躍している。
  • 桐島ローランド - 写真家。2007年に参戦し完走した。
  • 柴田哲孝 - 作家評論家。1986年・1988年に「チーム・シンバ」として参戦。
  • 風間深志 - 冒険家。1982年に日本人として初参戦し、完走(クラス6位で総合18位)。2004年にも再挑戦するが、リタイア。
  • 渡辺明 - 元モトクロス世界選手権チャンピオン。1991年にスズキ準ワークスのガストン・ライエ・レーシングより参戦し、完走。

開催日程

開催日程
第1回1978年12月26日1979年1月14日
第2回1980年1月1日23日
第3回1981年1月1日~20日
第4回1982年1月1日~20日
第5回1983年1月1日~20日
第6回1984年1月1日~20日
第7回1985年1月1日~22日
第8回1986年1月1日~22日
第9回1987年1月1日~22日
第10回1988年1月1日~22日
第11回1988年12月25日1989年1月13日
第12回1989年12月25日~1990年1月16日
第13回1990年12月29日1991年1月17日
第14回1991年12月25日~1992年1月16日
第15回1993年1月1日~16日
第16回1993年12月28日1994年1月16日
第17回1995年1月1日~15日
第18回1995年12月30日1996年1月14日
第19回1997年1月4日19日
第20回1998年1月1日~18日
第21回1999年1月1日~17日
第22回2000年1月6日23日
第23回2001年1月1日~21日
第24回2001年12月18日~2002年1月13日
第25回2003年1月1日~19日
第26回2004年1月1日~18日
第27回2004年12月31日2005年1月16日
第28回2005年12月31日~2006年1月15日
第29回2007年1月6日~21日
第30回中止(2008年1月5日~20日に開催予定だったが
モーリタニアの政情不安定を理由に中止[1]
第31回2009年1月3日~18日
第32回2010年1月1日~17日
第33回2011年1月1日~15日

歴代優勝者

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オート(四輪)

参加台数完走台数優勝ドライバー優勝マシン
第1回80台 ファイル:Flag of France.svgジエネスティエールファイル:Flag of the United Kingdom.svgレンジローバー
第2回116台49台ファイル:Flag of Sweden.svgフレディ・コツリンスキー/ファイル:Flag of Germany.svgルッフェルマンファイル:Flag of Germany.svgフォルクスワーゲン
第3回170台60台ファイル:Flag of France.svgルネ・メッジ/ファイル:Flag of France.svgジローファイル:Flag of the United Kingdom.svgレンジローバー
第4回233台94台ファイル:Flag of France.svgベルナルド・マロー/ファイル:Flag of France.svgマローファイル:Flag of France.svgルノー
第5回  ファイル:Flag of Belgium.svgジャッキー・イクス/ファイル:Flag of France.svgブラッスールファイル:Flag of Germany.svgメルセデス
第6回  ファイル:Flag of France.svgルネ・メッジ/ファイル:Flag of France.svgルモワンファイル:Flag of Germany.svgポルシェ
第7回362台101台ファイル:Flag of France.svgパトリック・ザニローリ/ファイル:Flag of France.svgタシルバファイル:Flag of Japan.svg三菱
第8回282台 ファイル:Flag of France.svgルネ・メッジ/ファイル:Flag of France.svgルモワンファイル:Flag of Germany.svgポルシェ
第9回154台 ファイル:Flag of Finland.svgアリ・バタネン/ファイル:Flag of Finland.svgベルナルド・ジローファイル:Flag of France.svgプジョー
第10回311台 ファイル:Flag of Finland.svgユハ・カンクネン/ファイル:Flag of Finland.svgピローネンファイル:Flag of France.svgプジョー
第11回241台100台ファイル:Flag of Finland.svgアリ・バタネン/ファイル:Flag of Sweden.svgベルグルンドファイル:Flag of France.svgプジョー
第12回236台64台ファイル:Flag of Finland.svgアリ・バタネン/ファイル:Flag of Sweden.svgベルグルンドファイル:Flag of France.svgプジョー
第13回184台 ファイル:Flag of Finland.svgアリ・バタネン/ファイル:Flag of Sweden.svgベルグルンドファイル:Flag of France.svgシトロエン
第14回133台68台ファイル:Flag of France.svgユベール・オリオール/ファイル:Flag of France.svgモネファイル:Flag of Japan.svg三菱
第15回65台 ファイル:Flag of France.svgブルーノ・サビー/ファイル:Flag of France.svgセリエスファイル:Flag of Japan.svg三菱
第16回96台57台ファイル:Flag of France.svgピエール・ラルティーグ/ファイル:Flag of France.svgペランファイル:Flag of France.svgシトロエン
第17回86台58台ファイル:Flag of France.svgピエール・ラルティーグ/ファイル:Flag of France.svgペランファイル:Flag of France.svgシトロエン
第18回99台61台ファイル:Flag of France.svgピエール・ラルティーグ/ファイル:Flag of France.svgペランファイル:Flag of France.svgシトロエン
第19回282台71台ファイル:Flag of Japan.svg篠塚建次郎/ファイル:Flag of France.svgマーニュファイル:Flag of Japan.svg三菱
第20回115台55台ファイル:Flag of France.svgジャン・ピエール・フォントネ/ファイル:Flag of France.svgピッカールファイル:Flag of Japan.svg三菱
第21回88台54台ファイル:Flag of France.svgジャン=ルイ・シュレッサー/ファイル:Flag of France.svgモネファイル:Flag of France.svgシュレッサー
第22回135台95台ファイル:Flag of France.svgジャン=ルイ・シュレッサー/ファイル:Flag of France.svgマーニュファイル:Flag of France.svgシュレッサー
第23回133台53台ファイル:Flag of Germany.svgユタ・クラインシュミット/ファイル:Flag of Germany.svgシュルツファイル:Flag of Japan.svg三菱
第24回117台52台ファイル:Flag of Japan.svg増岡浩/ファイル:Flag of France.svgメモンファイル:Flag of Japan.svg三菱
第25回130台61台ファイル:Flag of Japan.svg増岡浩/ファイル:Flag of Germany.svgシュルツファイル:Flag of Japan.svg三菱
第26回142台60台ファイル:Flag of France.svgステファン・ペテランセル/ファイル:Flag of France.svgジャンポール・コトゥレファイル:Flag of Japan.svg三菱
第27回165台75台ファイル:Flag of France.svgステファン・ペテランセル/ファイル:Flag of France.svgジャンポール・コトゥレファイル:Flag of Japan.svg三菱
第28回174台67台ファイル:Flag of France.svgリュック・アルファン/ファイル:Flag of France.svgジル・ピァールファイル:Flag of Japan.svg三菱
第29回180台109台ファイル:Flag of France.svgステファン・ペテランセル/ファイル:Flag of France.svgジャンポール・コトゥレファイル:Flag of Japan.svg三菱
第30回中止
第31回--ファイル:Flag of South Africa.svgジニール・ドゥビリエ/ファイル:Flag of Germany.svgディルク・フォン・ツィツェヴィッツファイル:Flag of Germany.svgフォルクスワーゲン
第32回--ファイル:Flag of Spain.svgカルロス・サインツ/ファイル:Flag of Spain.svgルーカス・クルスファイル:Flag of Germany.svgフォルクスワーゲン
第33回--ファイル:Flag of Qatar.svgナサール・アルアティヤ/ファイル:Flag of Germany.svgティモ・ゴットシャルクファイル:Flag of Germany.svgフォルクスワーゲン

モト(二輪)

参加台数完走台数優勝ライダー優勝マシン
第1回90台 ファイル:Flag of France.svgシリル・ヌヴーファイル:Flag of Japan.svgヤマハ
第2回90台25台ファイル:Flag of France.svgシリル・ヌヴーファイル:Flag of Japan.svgヤマハ
第3回106台28台ファイル:Flag of France.svgユベール・オリオールファイル:Flag of Germany.svgBMW
第4回129台33台ファイル:Flag of France.svgシリル・ヌヴーファイル:Flag of Japan.svgホンダ
第5回132台29台ファイル:Flag of France.svgユベール・オリオールファイル:Flag of Germany.svgBMW
第6回114台50台ファイル:Flag of Belgium.svgガストン・ライエファイル:Flag of Germany.svgBMW
第7回135台25台ファイル:Flag of Belgium.svgガストン・ライエファイル:Flag of Germany.svgBMW
第8回131台29台ファイル:Flag of France.svgシリル・ヌヴーファイル:Flag of Japan.svgホンダ
第9回154台26台ファイル:Flag of France.svgシリル・ヌヴーファイル:Flag of Japan.svgホンダ
第10回183台34台ファイル:Flag of Italy.svgエディー・オリオリファイル:Flag of Japan.svgホンダ
第11回155台60台ファイル:Flag of France.svgジル・ラレイファイル:Flag of Japan.svgホンダ
第12回136台46台ファイル:Flag of Italy.svgエディー・オリオリファイル:Flag of Italy.svgカジバ
第13回113台46台ファイル:Flag of France.svgステファン・ペテランセルファイル:Flag of Japan.svgヤマハ
第14回98台45台ファイル:Flag of France.svgステファン・ペテランセルファイル:Flag of Japan.svgヤマハ
第15回46台12台ファイル:Flag of France.svgステファン・ペテランセルファイル:Flag of Japan.svgヤマハ
第16回96台47台ファイル:Flag of Italy.svgエディー・オリオリファイル:Flag of Italy.svgカジバ
第17回95台27台ファイル:Flag of France.svgステファン・ペテランセルファイル:Flag of Japan.svgヤマハ
第18回119台50台ファイル:Flag of Italy.svgエディー・オリオリファイル:Flag of Japan.svgヤマハ
第19回126台58台ファイル:Flag of France.svgステファン・ペテランセルファイル:Flag of Japan.svgヤマハ
第20回173台41台ファイル:Flag of France.svgステファン・ペテランセルファイル:Flag of Japan.svgヤマハ
第21回161台40台ファイル:Flag of France.svgリチャード・サンクトファイル:Flag of Germany.svgBMW
第22回200台107台ファイル:Flag of France.svgリチャード・サンクトファイル:Flag of Germany.svgBMW
第23回133台76台ファイル:Flag of Italy.svgファブリツィオ・メオーニファイル:Flag of Austria.svgKTM (オートバイ)
第24回167台58台ファイル:Flag of Italy.svgファブリツィオ・メオーニファイル:Flag of Austria.svgKTM
第25回162台98台ファイル:Flag of France.svgリチャード・サンクトファイル:Flag of Austria.svgKTM
第26回195台65台ファイル:Flag of Spain.svgナーニ・ロマファイル:Flag of Austria.svgKTM
第27回230台104台ファイル:Flag of France.svgシリル・デプレファイル:Flag of Austria.svgKTM
第28回232台93台ファイル:Flag of Spain.svgマルク・コマファイル:Flag of Austria.svgKTM
第29回245台132台ファイル:Flag of France.svgシリル・デプレファイル:Flag of Austria.svgKTM
第30回中止
第31回--ファイル:Flag of Spain.svgマルク・コマファイル:Flag of Austria.svgKTM
第32回--ファイル:Flag of France.svgシリル・デプレファイル:Flag of Austria.svgKTM

カミオン(トラック)

参加台数完走台数優勝ドライバー優勝マシン
第1回12台   
第2回10台7台ファイル:Flag of France.svgアタクア/ブークリフ/カオーラファイル:Flag of France.svgソナコム
第3回15台3台ファイル:Flag of France.svgヴィレット/ガブリエル/ヴォルローファイル:Flag of France.svgアルム・アクマ
第4回23台 ファイル:Flag of France.svgグローヌ/デ・ソウリュー/マルフェリオルファイル:Flag of Germany.svgメルセデス
第5回  ファイル:Flag of France.svgグローヌ/デ・ソウリュー/マルフェリオルメルセデス
第6回  ファイル:Flag of France.svgラルー/デュルスメルセデス
第7回55台20台ファイル:Flag of Germany.svgカピト兄弟メルセデス
第8回  ファイル:Flag of Italy.svgヴィスマーラ/ミネルーリメルセデス
第9回73台 ファイル:Flag of the Netherlands.svgデ・ルーイ/ジューネンス/ヴァンファイル:Flag of the Netherlands.svgDAF
第10回109台 ファイル:Flag of the Czech Republic.svgロプライス/スタッチュラ/イングマックファイル:Flag of the Czech Republic.svgタトラ
第11回中止
第12回93台23台ファイル:Flag of Italy.svgヴィア/デルフィーノ/ヴィナンテファイル:Flag of Italy.svgペルリニ
第13回113台46台ファイル:Flag of France.svgウーサ/ド・ソーリウー/ボッタロファイル:Flag of Italy.svgペルリニ
第14回101台56台ファイル:Flag of Italy.svgペルリニ/アルビエロ/ヴィナンテファイル:Flag of Italy.svgペルリニ
第15回42台 ファイル:Flag of Italy.svgペルリニ/アルビエロ/ヴィナンテファイル:Flag of Italy.svgペルリニ
第16回96台47台ファイル:Flag of the Czech Republic.svgロプライス/スタシュラ/カリナファイル:Flag of the Czech Republic.svgタトラ
第17回24台18台ファイル:Flag of the Czech Republic.svgロプライス/スタシュラ/カリナファイル:Flag of the Czech Republic.svgタトラ
第18回70台21台ファイル:Flag of Russia.svgモストフスキー/コウジミンファイル:Flag of Russia.svgカマズ
第19回55台22台ファイル:Flag of Austria.svgレイフ/デインホッファーファイル:Flag of Japan.svg日野
第20回35台8台ファイル:Flag of the Czech Republic.svgロプライス/スタッチュラ/セルマックファイル:Flag of the Czech Republic.svgタトラ
第21回29台16台ファイル:Flag of the Czech Republic.svgロプライス/スタシュラ/カリナファイル:Flag of the Czech Republic.svgタトラ
第22回30台23台ファイル:Flag of Russia.svgチャギン/ヤコボフ/サヴォステンファイル:Flag of Russia.svgカマズ
第23回30台12台ファイル:Flag of the Czech Republic.svgロプライス/カリナファイル:Flag of the Czech Republic.svgタトラ
第24回34台22台ファイル:Flag of Russia.svgチャギン/マルデエフ/サヴォステンファイル:Flag of Russia.svgカマズ
第25回51台27台ファイル:Flag of Russia.svgチャギン/ヤコボフ/サヴォステンファイル:Flag of Russia.svgカマズ
第26回63台38台ファイル:Flag of Russia.svgチャギン/ヤコボフ/サヴォステンファイル:Flag of Russia.svgカマズ
第27回69台36台ファイル:Flag of Russia.svgカブロフ/ベレイエフ/モケエフファイル:Flag of Russia.svgカマズ
第28回69台33台ファイル:Flag of Russia.svgチャギン/ヤコボフ/サヴォステンファイル:Flag of Russia.svgカマズ
第29回245台132台ファイル:Flag of the Netherlands.svgステイシー/ゴッドリーブ/デルキンデレンファイル:Flag of Germany.svgマン
第30回中止
第31回--ファイル:Flag of Russia.svgカブロフ/ベレイエフ/モケエフファイル:Flag of Russia.svgカマズ
第32回--ファイル:Flag of Russia.svgチャギン/サヴォステン/ニコラーエフファイル:Flag of Russia.svgカマズ

本レースを題材にしたゲーム

日本では、国内の企業がラリーに参加している為に認知度が高く、本レースを題材にしたゲームがいくつか製作・販売されている。

  • スペシャルステージ(PC-9800用・ブラザー社)

追加ディスクで、パリ・ルカップやパリ・北京ラリーも行えた。

参考文献

関連項目

外部リンク