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トニー・ラルーサ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

トニー・ラルーサ
Tony La Russa
ファイル:Tony La Russa May 2008.jpg
基本情報
国籍 ファイル:Flag of the United States.svg アメリカ合衆国
出身地 フロリダ州タンパ
生年月日 1944年10月4日(67歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4cm
190 lb =約86.2kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
プロ入り 1962年 アマチュアフリーエージェント
初出場 1963年5月10日
最終出場 1973年4月6日
経歴(括弧内は在籍年)
選手歴
監督歴

トニー・ラルーサ Anthony La Russa, Jr. , 1944年10月4日 - )は、メジャーリーグベースボールの元選手、監督英語スペイン語バイリンガルである。

目次

略歴

フロリダ州タンパで生まれ、高校卒業後の1962年に内野手としてカンザスシティ・アスレチックスと契約し、翌年1963年5月10日にメジャーデビュー。しかし2年目のシーズンオフに痛めた右腕が完治せず、選手としては大成することなく終わる。選手時代のほとんどをオークランド・アスレチックス、アトランタ・ブレーブスピッツバーグ・パイレーツシカゴ・ホワイトソックスセントルイス・カージナルスシカゴ・カブスなどのマイナーで送る。1973年4月6日の試合に代走で出場したのが最後のメジャー出場となった。

監督になる前にロースクールに通い、フロリダ州立大学から法務博士学位を得たが、法曹界には入らなかった。1979年のシーズン中に、34歳の若さでシカゴ・ホワイトソックスの監督に就任。1983年にはアメリカンリーグ西地区を制し、最優秀監督賞を受賞。同年はリーグチャンピオンシップシリーズボルチモア・オリオールズに敗れる。その後1986年のシーズン中にホワイトソックスが26勝38敗とつまづいた責任を問われ、解雇される。

ホワイトソックスから解雇された3週間後にオークランド・アスレチックスの監督に就任する。マーク・マグワイアホセ・カンセコの通称バッシュ・ブラザースを擁して、1988年から1990年まで三年連続でワールドシリーズにチームを導き、1989年にはサンフランシスコ・ジャイアンツを降してワールドシリーズを制覇する。1988年に二度目、1992年に三度目の最優秀監督賞に輝く。

1995年にアスレチックスの監督を辞任、そのままセントルイス・カージナルスの監督に就任し、1996年、2000 - 2002年、2004 - 2006年の7回ナショナルリーグの中地区優勝を果たす。2004年には105勝でカージナルス監督として初のワールドシリーズ進出を果たすが、ボストン・レッドソックスに4連敗を喫し、翌2005年は2年連続100勝を記録するもヒューストン・アストロズリーグチャンピオンシップシリーズで敗退。2006年は怪我人続出によって83勝で辛うじて地区優勝を果たすなど下馬評は高くなかったものの、ディビジョンシリーズサンディエゴ・パドレスを3勝1敗、リーグチャンピオンシップシリーズニューヨーク・メッツを激闘の末4勝3敗で下し、ワールドシリーズでもデトロイト・タイガースを4勝1敗で破ってカージナルスに24年ぶり10回目の世界一をもたらし、これによりラルーサはスパーキー・アンダーソンに続き史上2人目の両リーグでのワールドシリーズ優勝監督となった。また、対戦相手デトロイト・タイガースの監督ジム・リーランド1997年のワールドシリーズフロリダ・マーリンズを率いてワールドチャンピオンになった経験があり、どちらが勝っても両リーグでのワールドシリーズ優勝監督となっていた。

2010年シーズン終了までの監督としての通算成績は2638勝2293敗、勝率5割3分5厘、そのうちカージナルスでは1318勝1110敗、勝率5割4分3厘である。ア・リーグとナ・リーグの両リーグを制覇した史上6人目の監督であり、通算2638勝は歴代3位である。また、両リーグで最優秀監督賞を受賞した2人目の監督でもある。マイケル・ルイス著「マネーボール」で取り上げられたオークランド・アスレチックスを代表とするビッグボールに対抗し、犠牲バント盗塁等の小技を用いるスモールボールを好む監督である。2006年世界一の時は、デビッド・エクスタイン田口壮らによる小技を多用していた。ラルーサの監督術についてはジョージ・ウィル著『野球術』(原題: Men At Work )の「監督編」に詳述されている。

2011年10月31日、監督引退を表明した。[1]

表彰

  • ア・リーグ最優秀監督賞:3回(1983年、1988年、1992年)
  • ナ・リーグ最優秀監督賞:1回(2002年)

年度別打撃成績

















































O
P
S
1963 KCA
OAK
3453444111101410011700120.250.346.318.664
1968 5330100010000000000.333.333.333.667
1969 8880000000000000010.000.000.000.000
1970 5212310662141027600011511190.198.301.255.556
1971 23883000000000000040.000.000.000.000
ATL 9871200020000010012.286.375.286.661
'71計 3216154200020000010052.133.188.133.321
1973 CHC 1001000000000000000----------------
通算:6年 132203176153552044700122311372.199.292.250.542
  • KCA(カンザスシティ・アスレチックス)は、1968年にOAK(オークランド・アスレチックス)に球団名を変更

年度別監督成績

年度球団地区試合勝利敗戦勝率順位/チーム数備考
1979CWSAL 西 542727.5005 / 7途中就任
19801627090.4385 / 7 
1981533122.5853 / 7前期
532330.4346 / 7後期
19821628775.5373 / 7 
19831629963.6111 / 7ALCS敗退
19841627488.4575 / 7 
19851638577.5253 / 7 
1986642638.4065[2] / 7途中解任
OAK 794534.5703 / 7途中就任
19871628181.5003 / 7 
198816210458.6421 / 7WS敗退
19891629963.6111 / 7WS優勝 
199016210359.6361 / 7WS敗退
19911628478.5194 / 7 
19921629666.5931 / 7ALCS敗退 
19931626894.4207 / 7 
19941145163.4472 / 4 
19951446777.4654 / 4 
1996STLNL 中 1628874.5431 / 5NLCS敗退
19971627389.4514 / 5 
19981628379.5123 / 6 
19991617586.4664 / 6 
20001629567.5861 / 6NLCS敗退
20011629369.5742 / 6NLDS敗退
20021629765.5991 / 6NLCS敗退 
20031628577.5253 / 6 
200416210557.6481 / 6WS敗退
200516210062.6171 / 6NLCS敗退
20061618378.5161 / 6WS優勝
20071627884.4813 / 6 
20081628676.5314 / 6 
20091629171.5621 / 6NLDS敗退
20101628676.5312 / 6 
20111629072.5562 / 6WS優勝 
通算:33年 509627282365.535  
  • 2011年度シーズン終了時

脚注

外部リンク