ドイツ
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- ドイツ連邦共和国
- Bundesrepublik Deutschland
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ファイル:Flag of Germany.svg ファイル:Coat of Arms of Germany.svg (国旗) (国章) - 国の標語: Einigkeit und Recht und Freiheit
(ドイツ語: 統一と正義と自由) - 国歌: ドイツの歌
-
- ファイル:Germany (orthographic projection).svg
公用語 ドイツ語[1] 首都 ベルリン 最大の都市 ベルリン 形成
統一(ドイツ帝国)
連邦共和国成立
東西再統一843年
1871年
1949年5月23日
1990年10月3日通貨 ユーロ (€)(EUR)[3][4] 時間帯 UTC +1(DST: +2) ISO 3166-1 DE / DEU ccTLD .de 国際電話番号 49
ドイツ連邦共和国(ドイツれんぽうきょうわこく、ドイツ語: Bundesrepublik Deutschland)、通称ドイツは、ヨーロッパ中部に位置する連邦共和制国家である。首都はベルリン。北はデンマーク、東はポーランド、チェコ、南はオーストリア、スイス、西はフランス、ルクセンブルク、ベルギー、オランダと国境を接する。また、北部は、北西側が北海、北東側はバルト海に面する。
領域は1990年のドイツ再統一によって、ドイツ民主共和国(旧東ドイツ)を構成していた15県および東ベルリンが6州としてドイツ連邦共和国(西ドイツ)に編入されて、現在の16州となった。2008年まで6年連続で世界最大を誇った輸出額は中華人民共和国に抜かれたものの、なお工業製品輸出額、貿易黒字額、海外旅行客数(送り出し側)などで世界一であり、アメリカ合衆国、中華人民共和国、日本に次いで世界第4位(為替レート換算値による)のGDPを誇る経済大国である。世界の先進7ヶ国 (G7) の一つ。フランスと並ぶ欧州連合 (EU) の中核国である。
また、世界で初めて公的年金、保険制度を導入した国であり、日本など多くの諸外国が規範としている。医学をはじめとして化学、数学、物理学などの自然科学分野、哲学、文学、演劇などでも高い実績を築いてきたが、中でも18世紀後半以降の音楽史では同系国家であったオーストリア(1866年まではドイツ連邦議長国)とともに独占的ともいえる地位を築き、今日もヨーロッパの歌劇場の過半数[1]、全世界のオーケストラの1/4以上[2]がドイツにあるといわれる。また、非英語圏では群を抜いて多くのノーベル賞受賞者を輩出している。
目次 |
国名
ドイツ語での正式名称は、Bundesrepublik Deutschland(ブンデスレプブリーク・ドイチュラント)。通称は Deutschland(ドイチュラント)、略称は BRD。Bund は「連邦」の、Republik は「共和国」の意である。Deutsch の原義は「民衆、大衆」で、フランク王国時代にラテン系言語ではなく、ゲルマン系の語を用いるゲルマン人系一般大衆をこう呼んだことに由来する。
英語表記は Federal Republic of Germany(フェデラル・リパブリク・オヴ・ジャーマニ)。通称は Germany(ジャーマニ)。略称は FRG 。Germany はゲルマンから来ている。
日本語表記はドイツ連邦共和国。通称はドイツ。独逸、獨乙などと表記され、独(獨)と略される。中国語では徳意志、徳国となる。ドイツは原語、若しくはオランダ語の Duits が起源だといわれている。
フランスやスペイン、ポルトガルではそれぞれ Allemagne(アルマーニュ)、Alemania(アレマニア)、Alemanha(アレマーニャ)と呼ばれるが、これはゲルマン人の一派であるアレマン人に由来する。
歴史
詳細は「ドイツの歴史」を参照
| ドイツの歴史 | |
|---|---|
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| ゲルマン | |
| ゲルマン人 | |
| 民族移動時代 | |
| フランク王国 | |
| 東フランク王国 | |
| 神聖ローマ帝国 | |
| 東方植民 | |
| ドイツの形成 | |
| チュートン騎士団 | |
| プロシア公領 | |
| ブランデンブルク=プロイセン | |
| プロイセン王国 | |
| ドイツ統一 | |
| ライン同盟 | |
| ドイツ連邦、関税同盟 | |
| 1848年革命 | |
| 北ドイツ連邦 | |
| ドイツ国 | |
| ドイツ帝国 | |
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ヴァイマル共和政 ザール、ダンツィヒ、ズデーテン | |
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ナチス・ドイツ フレンスブルク政府 | |
| 第二次世界大戦後 | |
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連合国軍政期 + 東部領土 ドイツ人追放 西ドイツ、ザール、東ドイツ | |
| ドイツ再統一 | |
| 再統一後のドイツ | |
| 関連項目 | |
| オーストリアの歴史 | |
ドイツ ポータル |
現在のドイツを含む西ヨーロッパ地域に人類が居住を始めたのは石器などが発見された地層から約70万年前と考えられている。60万年から55万年前の地層ではハイデルベルク原人の化石が、4万年前の地層ではネアンデルタール人の化石が確認されている。新人は約35000年前から現れ、紀元前4000年頃の巨石文明を経て紀元前1800年頃までに青銅器文明に移行している。紀元前1000年頃にはケルト系民族によってドナウ川流域にハルシュタット文明と呼ばれる鉄器文明が栄えた。
紀元前58年から51年までのガイウス・ユリウス・カエサルのガリア遠征などを経てゲルマン人は傭兵や農民としてローマ帝国に溶け込んで行き、紀元後375年には西ゴート族の移動を初めとする大移動によって現在のヨーロッパに定着する。西ローマ帝国の滅亡後、ケルト系民族を北方に追いやったゲルマン人は各地に王国を建てたが、フランク王国が統一した。843年のヴェルダン条約によって三分割されたうちの1つである東フランク王国。
東フランク王国の国王オットー1世(ザクセン朝)は962年アウグストゥス(古代ローマ帝国皇帝の称号)を得て、いわゆる神聖ローマ帝国と呼ばれるゆるやかな連合体を形成した。しかし中世におけるドイツには国家としての統一や民族意識はほとんどなく、各地に領邦国家が分立した歴史は現在に続く連邦主義の基盤となっている。各領邦は近隣諸国に比べて弱体で、また宗教改革では新旧両教に分かれて互いに争ったため三十年戦争ではドイツのほとんど全土が徹底的に破壊された。1600万人いたドイツの人口が戦火によって600万人に減少したと言われる。それまで国名にドイツが冠されていなかったが、15世紀からは「ドイツ国民の神聖ローマ帝国(Heiliges Römisches Reich Deutscher Nation」と称し、対ドイツ搾取的な教皇サイドからの自立の姿勢を示した。1667年にザミュエル・フォン・プーフェンドルフ (de:Samuel von Pufendorf) が著した書ドイツ帝国憲法について (Über die Verfassung des deutschen Reiches) において初めて、ドイツ帝国という呼称が確定できる。
西南部のシュヴァーベン地方のホーエンツォレルン城一帯出身の東北部のプロイセン領邦君主ホーエンツォレルン家は17世紀半ばから勢力を拡大し、1701年にはプロイセン王国を形成した。ドイツ人はナポレオンによる侵略を経て民族意識と統一国家への志向を強め、19世紀前半にはプロイセンに主導的な役割を期待する機運が高まった。分裂国家ドイツの中でも比較的強い中央集権国家であったプロイセンをリーダーとしてドイツの統合が進められてゆく。1806年まで神聖ローマ皇帝位を世襲していたオーストリア(その後はドイツ連邦議長国)は、ハンガリーやチェコなど非ドイツ人地域を多く領有するため、「大ドイツ主義」派(オーストリアから非ドイツ人地域を分離させたうえで統一ドイツの中心とする)にも与することができなかった。オーストリアの主張は、旧神聖ローマ帝国版図を軸とした多民族国家の支配権をドイツ人が握る中欧帝国構想と呼ばれるもので、これは国民国家の潮流に反するため多くの支持を得ることはできなかった。「小ドイツ主義」派のホーエンツォレルン家とオーストリアのハプスブルク家はドイツ統一の役割を争ったが、1871年、プロイセン国王ヴィルヘルム1世の戴冠によってドイツは、ドイツ系オーストリアを除く、小ドイツとしてのドイツ国(ドイツ帝国)として統一され、ベルリンを首都とした。
1918年、第一次世界大戦の敗北によってドイツは共和制に移行したが、ヴァイマル共和政は小党乱立により政局は不安定で、驚異的なインフレなど経て1931年には、アドルフ・ヒトラーの指導下で極右的民族主義やユダヤ人の排斥、再軍備を唱える国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス党)が選挙で国民からの支持を受け1933年に政権を握ると、ナチス・ドイツとなり、軍事力の増強や周辺諸国の併合などを行った。1939年9月に緊張関係にあった隣国ポーランドと開戦し、第二次世界大戦が始まった。
1945年、第二次世界大戦に敗北したドイツはオーデル・ナイセ線以東の、東プロイセンやシュレジェン地域を領土として完全に喪失。これにより、戦前の領土の25%を失うこととなった。さらにはアメリカ、イギリス、フランス、ソビエト連邦の四カ国に分割占領され、1949年、ボンを暫定的な首都とするドイツ連邦共和国(西ドイツ)とベルリンの東部地区(東ベルリン)を首都とするドイツ民主共和国(東ドイツ)に分裂した。冷戦の時代を通じて東西ドイツは資本主義と共産主義が対立する最前線となったが、1989年ソビエト連邦のペレストロイカに端を発した東ドイツの民主化運動(東欧革命)をきっかけにベルリンの壁が崩壊し、翌1990年、再統一を達成し、再びベルリンを首都と定めた。以降、旧東ベルリンを中心とするベルリンの再開発・インフラ整備と、ボンからベルリンへの連邦政府機関移転による実質的な首都機能移転が順次進められ、2001年5月2日にベルリンへの首都機能移転が完了した。
ドイツは現在ではヨーロッパで最大の国家のひとつとなっているが、長期間の分裂を原因とする東西の経済格差がそれまでの順調な成長を妨げている。一方で、歴史的に統一されたドイツが周辺諸国に対して脅威となってきた問題を懸念する見方もあったが、反対に米ソによってドイツが冷戦後の強国の一つになることを容認されたとの分析もある。実際、統一ドイツはフランスと共に欧州連合の中核国として発言力を増し続けている。近年のユーロ危機では、競争力の高いドイツが域内から黒字を吸い上げる一人勝ち構造が批判されるとともに、これまで合理化に耐えてきた国民からは援助支出への不満の声が高まるなど政府は難しい舵取りを迫られている。
地理
詳細は「ドイツの地理」を参照
ドイツは西欧および中欧に属し[3]、北にデンマーク、東にポーランドとチェコ、南にオーストリアとスイス、南西にフランスとルクセンブルク、そして北西にベルギーとオランダと各々国境を接しており、国土はおおよそ北緯47°から55°(ジルト島 (en) の北端が丁度55°)、東経5°から16°の範囲に位置している。総面積は357,021 km2 (137,847 sq mi)に及び、領土349,223 km2 (134,836 sq mi) 、領海7,798 km2 (3,011 sq mi) から成る。この面積はヨーロッパ第7位、世界第62位である[4]。
標高は南部のアルプス山脈最高峰ツークシュピッツェの2,962メートル / 9,718フィートから、北西部の北海(Nordsee)および北東部のバルト海(Ostsee)海岸に及ぶ。中位山地、北ドイツ低地(最低地点はヴィルシュターマールシュ (en) の海抜3.54メートル / 11.6フィート)にはライン川、ドナウ川そしてエルベ川が流れている。
主な天然資源は、鉄鉱石、石炭、炭酸カリウム、木材、褐炭、ウラン、銅、天然ガス、塩、ニッケル、可耕地と水である[4]。
ドイツの地形は北から南へ、大きく5つの地域に分けられる。北ドイツ低地、中部山岳地帯、南西ドイツ中部山岳階段状地域、南ドイツアルプス前縁地帯、バイエルン・アルプスである。
北ドイツ低地は全体的に標高100m以下の平坦な地域で、エルベ川などの川沿いにはリューネブルクハイデと呼ばれる大きな丘陵地がある。バルト海沿岸は平坦な砂浜や、断崖をなす岩石海岸となっている。中部山岳地帯は、おおよそ北はハノーファーの辺りから南はマイン川におよぶ地域で、ドイツの西部と中部に広がり、ドイツを南北に分けている。地形的に峡谷や低い山々、盆地など変化にとんでおり、山地としては西部のアイフェル丘陵とフンスリュック山地、中央部のハルツ山地、東部のエルツ山脈がある。南西ドイツ中部山岳階段状地域にはオーデンヴァルトや、ドイツ語で「黒い森」を意味するシュヴァルツヴァルトの標高1000mを超える広大な森林がある。アルプスはドイツ国内ではもっとも標高が高い地域で、南部の丘陵や大きな湖の多いシュヴァーベン=バイルン高原に加えて、広大な堆石平野とウンターバイエルン丘陵地、そしてドナウ低地を包括している。ここにはアルプスの山々に囲まれた絵のように美しい数々の湖や観光地があり、オーストリアとの国境地帯にはドイツの最高峰ツークシュピッツェ(標高2962m)がそびえ立つ。
ドイツにおける火山活動は先カンブリア代に収束している。先カンブリア代末から始まったカレドニア変動や、後期古生代におこったバリスカン(ヘルシニアン)変動はいずれも主要活動帯がドイツを横切っているものの、地表には痕跡が残っていない。バリスカン変動は2000kmにおよぶ規模の大陸間の変動であった。現在のドイツの地形を決定したのは新生代における褶曲運動である。アルプス変動帯の活動により、最南部は標高1200mにいたるまで隆起した。ドイツにおけるアルプス変動帯は東アルプスと呼ばれている。同時に西部フランス国境に近いライン川に相当する位置に、ライン地溝を形成する。ライン地溝は、約500kmに渡って南北に伸びる。
ドイツ北部(北ヨーロッパ平野)の地表は氷河地形の典型例である。最終氷期においては北緯51度線に至るまで氷河が発達し、ヨーロッパを横切る数千km規模の末端堆石堤を残した。その100から200kmの海岸線方面にはモレーンが残る。末端堆石堤とモレーンの北側にそっていずれも氷食性のレスが堆積し、農業に適した肥沃な土壌が広がる。いっぽう、モレーンの南側は土地が痩せている。ドイツに残る長大な河川はいずれも最終氷期の河川に由来するが、ポーランドのヴィスワ川、ポーランド国境に伸びるオーデル川、エルベ川、ドイツ西部のヴェーザー川が互いに連結し、網目状の流路を形成するなど、現在とは異なる水系が広がっていた。
気候
ドイツの大部分は温暖な偏西風とメキシコ湾流の北延である北大西洋海流の暖流によって比較的温和である[5]。温かい海流が北海に隣接する地域に影響を与え、北西部および北部の気候は海洋性気候となっている。降雨は年間を通してあり、特に夏季に多い。冬季は温暖で夏季は(30℃を越えることもあるが)冷涼になる傾向がある[6][7]。
東部はより大陸性気候的で、冬季はやや寒冷になる[5][7]。そして長い乾期がしばしば発生する。中部および南ドイツは過渡的な地域で、海洋性から大陸性まで様々である。国土の大部分を占める海洋性および大陸性気候に加えて、南端にあるアルプス地方と中央ドイツ高地の幾つかの地域は低温と多い降水量に特徴づけられる[6]。
自然
ドイツは「ヨーロッパの地中海沿岸部山地混交林」と「大西洋北東部大陸棚海域」の二つの生態系ブロックに分けられる[8]。2008年時点ではドイツの過半が耕地(34%)と森林・疎林(30.1%)に占められており、13.4% が放牧地で11.8%が定住地・道路となっている[9]。
動植物は中央ヨーロッパにおいて一般的なものである。ブナ、カシ、およびその他の落葉樹が森林の3分の1を構成しており、また針葉樹が植林の結果、増加傾向にある。トウヒとモミの木が高地山脈を占めている一方で松やカラマツを砂質土で見い出せる。シダ、花、菌類、そしてコケの多くの種がある。野生動物にはシカ、イノシシ、ムフロン、狐、アナグマ、ノウサギ、そして少数のビーバーが含まれている[10]。
ドイツにはシュレースヴィヒ=ホルシュタイン干潟国立公園(Nationalpark Schleswig-Holsteinisches Wattenmeer)、ヤスムント国立公園(Nationalpark Jasmund)、フォルボンマーシェボッデンラントシャフト国立公園(Nationalpark Vorpommersche Boddenlandschaft)、ミューリッツ国立公園(Müritz-Nationalpark)、下オーデル谷国立公園 (Nationalpark Unteres Odertal)、ホッホハルツ国立公園(Nationalpark Harz)、ゼヒジッシェ・シュヴァイツ国立公園(Nationalpark Sächsische Schweiz)、バイエリッシェ・ヴァルト国立公園(Nationalpark Bayerischer Wald)などの国立公園がある。ドイツ国内では400以上の動物園が運営されており、世界最多とされる[11]。ベルリン動物園はドイツ最古の動物園であり、ここには世界で最も多くの動植物種が収集されている[12]。
地方行政区分
詳細は「ドイツの地方行政区分」を参照
ドイツには16の連邦州がある。ベルリンとハンブルクは都市州と呼ばれ、各々単独で連邦州を形成する。ブレーメンとブレーマーハーフェンも合わせて都市州となる。
| 名称 | 人口(人) | 州都/主府/本部 | 備考 |
|---|---|---|---|
| バーデン=ヴュルテンベルク州 Baden-Württemberg | 10,717,419 | シュトゥットガルト Stuttgart | |
| バイエルン自由州 Freistaat Bayern | 12,443,893 | ミュンヘン München | |
| ベルリン Berlin | 3,387,828 | ||
| ブランデンブルク州 Brandenburg | 2,567,704 | ポツダム Potsdam | |
| 自由ハンザ都市ブレーメン Freie Hansestadt Bremen | 663,213 | ブレーメン Bremen | |
| 自由ハンザ都市ハンブルク Freie und Hansestadt Hamburg | 1,734,830 | ||
| ヘッセン州 Hessen | 6,097,765 | ヴィースバーデン Wiesbaden | |
| メクレンブルク=フォアポンメルン州 Mecklenburg-Vorpommern | 1,719,653 | シュヴェリーン Schwerin | |
| ニーダーザクセン州 Niedersachsen | 8,000,909 | ハノーファー Hannover | |
| ノルトライン=ヴェストファーレン州 Nordrhein-Westfalen | 18,075,352 | デュッセルドルフ Düsseldorf | |
| ラインラント=プファルツ州 Rheinland-Pfalz | 4,061,105 | マインツ Mainz | |
| ザールラント州 Saarland | 1,056,417 | ザールブリュッケン Saarbrücken | |
| ザクセン自由州 Freistaat Sachsen | 4,296,284 | ドレスデン Dresden | |
| ザクセン=アンハルト州 Sachsen-Anhalt | 2,494,437 | マクデブルク Magdeburg | |
| シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州 Schleswig-Holstein | 2,828,760 | キール Kiel | |
| テューリンゲン自由州 Freistaat Thüringen | 2,355,280 | エアフルト Erfurt |
主要都市
ドイツは地方分権の歴史が長いため、ロンドンやパリ、東京の様な首都への一極集中はしていない。人口は2008年のデータを使用。
| 都市 | 州 | 人口 | |
|---|---|---|---|
| 1 | ベルリン | 3,431,675 | |
| 2 | ハンブルク | 1,772,100 | |
| 3 | ミュンヘン | バイエルン州 | 1,326,807 |
| 4 | ケルン | ノルトライン=ヴェストファーレン州 | 995,420 |
| 5 | フランクフルト・アム・マイン | ヘッセン州 | 664,838 |
| 6 | シュトゥットガルト | バーデン=ヴュルテンベルク州 | 600,068 |
| 7 | ドルトムント | ノルトライン=ヴェストファーレン州 | 584,412 |
| 8 | デュッセルドルフ | 584,217 | |
| 9 | エッセン | 579,759 | |
| 10 | ブレーメン | ブレーメン州 | 547,360 |
政治
ドイツは連邦制、議院内閣制、代表民主制の共和国である。ドイツの政治システムは1949年に発効されたドイツ連邦共和国基本法(Grundgesetz)の枠組みに基づいて運営されている。基本法改正には両院の2/3の賛成を必要としており、 このうち「人間の尊厳の保証」「権力の分割」「連邦制」そして「法による支配」といった基本法諸原則は「永久化」され侵害は許されない[13][14]。
連邦大統領(Bundespräsident)は国家元首であり、主に儀礼的な権能のみが与えられている[15]。大統領は任期5年で、連邦議会議員と各州議会代表とで構成される連邦会議によって選出される。大統領は連邦議会の解散権を有する[16]。
大統領に次ぐ序列は連邦議会議長(Bundestagspräsident)であり、連邦議会によって選出され、議会運営の監督責任を持つ。
序列第三位であり政府首脳となる地位が首相(Bundeskanzler)であり、連邦議会で選出された後に、議長によって任命される[17]。首相は任期4年で、行政府の長として行政権を執行する。内閣の閣僚は首相の指名に基づき、大統領が任命する。
連邦の立法権は連邦議会(Bundestag)と連邦参議院(Bundesrat)が有し、この両院で立法府を構成する。連邦議会議員は小選挙区比例代表併用制による直接選挙によって選ばれ[4]、598議席[18](ただし選挙制度の関係で超過議席(en)が出るため、選挙のたびに実際の議席数は変わり、2011年現在は622議席[19])で任期4年。連邦参議院議員は69議席で16州政府の代表であり、また州政府内閣の閣僚でもある[17]。
1949年以降、政党政治はドイツキリスト教民主同盟とドイツ社会民主党によって占められており、歴代首相はいずれかの政党の所属議員である。しかしながら、選挙制度の関係で単独政権は稀であり、通常は連立政権が組まれる[20]。近年では中道自由主義の自由民主党(1949年以来、連邦議会に議席を有している)や環境政党同盟90/緑の党(1983年以降に議席を有する)も重要な役割を果たすようになっている[21]。
ドイツはゲルマン法の要素を加えたローマ法を基礎とする大陸法を採用している。連邦憲法裁判所(Bundesverfassungsgericht)は違憲審査権を有する憲法に関する事項の最高裁判所である[17][22][23]。Oberste Gerichtshöfe des Bundesと呼ばれるドイツの最高裁判所制度は専門化がなされており、民事および刑事に関する裁判所は連邦通常裁判所、それ以外の事項に関しては連邦労働裁判所、連邦社会裁判所、連邦財政裁判所、連邦行政裁判所がある[15]。国際刑法典(Völkerstrafgesetzbuch)は人道に対する罪、ジェノサイドそして戦争犯罪について規定しており、幾つかの状況においてドイツの裁判所に対して普遍的管轄権 (en) を与えている[24]。刑法と民法は刑法典(Strafgesetzbuch)とドイツ民法(Bürgerliches Gesetzbuch)に成文化されている。ドイツの刑法制度は犯罪者の更生と一般大衆の保護を主眼としている[25]。
軍事
詳細は「ドイツ連邦軍」を参照
ドイツ連邦軍(Bundeswehr)は陸軍(Heer)、海軍(Marine)、空軍( Luftwaffe )、救護業務軍(Zentraler Sanitätsdienst) そして戦力基盤軍 (Streitkräftebasis) に分けられる。2005年時点においてドイツの軍事支出はGDP比1.5%で対GDP比としては世界99位だが[4]、軍事費自体は世界第8位である[26]。平時において連邦軍は国防大臣の指揮下に置かれる。ドイツが戦時に入れば(基本法は自衛のみを容認している)、首相が連邦軍の総司令官となる[27]。
2011年5月現在、ドイツ連邦軍は職業軍人188,000と兵役最低6ヶ月の18-25歳からなる徴集兵31,000を擁している[28]。ドイツ政府は職業軍人170,000、短期志願兵15,000へ縮小することを計画している[29]。各軍には予備役兵がおり、軍事訓練や海外派兵に参加している。予備役の将来の兵力や機能に関する新たなコンセプトが2011年に発表された[29]。
ドイツ連邦軍と国境警備隊が国防を担っている他、相互防衛条約に基づき6万強の米軍が駐留している。ドイツは欧州連合及びNATOの主要構成国であり、ロシアなど東方諸国を主たる仮想敵国としてきた。時代の移り変わりとともに、政府は連邦軍の主任務を、従来の国土防衛から「国際紛争への対処」に移行させる方針を発表。内容としては、2010年までに紛争地においてNATO即応部隊などに参加する「介入軍」、平和維持活動にあたる「安定化軍」、両軍の後方支援を担当する「支援軍」の3つに再編成するものである。
2011年現在、ドイツ兵約6,900人が国際平和維持活動に参加して国外に駐留しており、この中にはNATO主導の国際治安支援部隊(ISAF)に参加してアフガニスタンやウズベキスタンに駐留する4,900人、コソボ駐留の1,150人、国際連合レバノン暫定駐留軍の300人が含まれる[30]。
2011年まで、ドイツには18歳以上の男性に対する徴兵制度が存在し6ヶ月の兵役期間が課せられていた。しかし、良心的兵役拒否者は同期間の民間役務 (Zivildienst) と呼ばれる老人介護や障害者支援などの社会奉仕活動、または消防団や赤十字に対する6年間のボランティア活動を選択することができた。兵役拒否者は年々増加し、近年では兵役を選択する者は2割に過ぎなくなっていた[31]。このドイツの徴兵制度は2011年7月1日をもって中止となった[32][33][31]。しかし、徴兵制の廃止により、それまでボランティアとして慈善活動に従事させられた兵役拒否者がいなくなってしまい、老人介護などの福祉に多大な経済的負担が発生する懸念が持たれており[34]、ドイツ政府は補充対策を検討している[35]。
2001年以降、女性軍人に対する制限が廃止されて全ての軍務に従事できるようになったが、女性は徴兵制の対象ではなかった。2011年現在で約17,500人の女性の現役兵と予備役兵がいる[36]。
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ドイツ陸軍のレオパルト2主力戦車 |
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ドイツ空軍のユーロファイター戦闘機 |
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「不朽の自由」作戦に参加したドイツ海軍のブレーメン級フリゲート艦「カールスルーエ」がソマリア沖で難民の乗った船を保護している |
国際関係
詳細は「ドイツの国際関係」を参照
ドイツは190カ国以上との外交関係を結び、229ヵ所の在外公館を有している[1]。2011年現在、ドイツは欧州連合への最大の分担金拠出国であり(拠出額20%)[2]、国連に対しては第三位の分担金拠出国である(拠出額8%)[3]。ドイツはNATO、経済協力開発機構(OECD)、主要国首脳会議(G8)、G20、世界銀行そして国際通貨基金(IMF)に加盟している。ドイツは欧州連合発足当初から主要な役割を果たしており[4]、また第二次世界大戦以降はフランスとの緊密な同盟関係を保っている。ドイツは欧州の政治および安全保障面での統合を推進する努力を続けて来た[5][6][7]。
ドイツの開発援助政策は外交政策における独立した分野となっている。政策は連邦経済協力開発省(BMZ)が策定し、関係各機関が遂行する[8]。ドイツ政府は開発援助政策を国際社会における共同責任と位置つけている[9]。ドイツの開発援助支出額は米国、フランスに次ぐ世界第三位である[10][11]。
冷戦の時代、鉄のカーテンにより分断されたドイツは東西緊張の象徴となり、欧州における政治的戦場となっていた。しかしながら、東方外交を行ったヴィリー・ブラント首相は1970年代におけるデタント成功の鍵となった[12]。1999年にゲアハルト・シュレーダー首相がNATOのコソボ派兵への参加を決めたことにより、ドイツ外交の新たな基礎が定められ、第二次世界大戦以後、初めてドイツ兵が戦場へ送られた[13]。ドイツと米国は緊密な政治的同盟関係にある[14]。1948年のマーシャル・プランと強い文化的な結びつきが両国の絆を強めたが、シュレーダー首相のイラク戦争に対する強い反対意見は大西洋主義の終焉を示唆し、独米関係を冷却化させた[15][16]。両国は経済的に相互依存関係にあり、ドイツの対米輸出は8.8%であり、輸入は6.6%である[17]。
日本との関係
詳細は「日独関係」を参照
- 1603年-1870年
江戸時代に来日したドイツ人の一人に、徳川綱吉とも会見した博物学者エンゲルベルト・ケンペルがいる。ケンペルが著した浩瀚(こうかん)な『日本誌』は詳細な紀行文にして博物誌であり、ゲーテも愛読したと伝えられる。日本に西洋医学を伝えたフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトもドイツ人であり、徳川幕府が崩壊した後も、日本人は盛んにドイツから医学を学んだ。
直接の外交関係は、1850年代にプロイセン王国の軍艦が品川沖に来航した事に始まり、アメリカ合衆国のマシュー・ペリーのように武力で外交を開こうとした。このため、1911年まで(即ち幕末から明治まで)の日独関係は、不平等条約で結ばれていた。しかし、後述のように文化交流では重要な国となった。更に、歴史的経過を見ると、ドイツ帝国成立(1871年)と明治維新(1868年)が、ほぼ同じ時期に起こった点も大きい。
- 1871年-1945年
明治維新を経た1870年代から1880年代までの日本では、ドイツ帝国の文化や制度が熱心に学ばれ、近代化の過程に大きな影響を与えた。この為、日本の近代化は「ドイツ的近代化」であるとも言われている[要出典]。伊藤博文は、大日本帝国憲法の作成にあたってベルリン大学の憲法学者ルドルフ・フォン・グナイストとウィーン大学のシュタインに師事し、歴史法学を研究している。当時の東京帝国大学がヨーロッパから招聘した教員にはドイツ人が多く、明治9年(1876年)にエルヴィン・フォン・ベルツが来日したのを初め、哲学では夏目漱石もその教えを受けて「ケーベル博士」と親しまれたラファエル・フォン・ケーベル、化学ではゴットフリード・ワグネルなどがいる。工学においては、大久保利通の命を受けた井上省三が、ザガン市のカール・ウルブリヒト工場で紡績の生産技術を学び、日本に伝えている。その知識は現代の日本の製造業の礎となった。軍事においても、大日本帝国陸軍は、普仏戦争後、軍制をフランス式からプロイセン式へと変え、その制度と理論による近代化に努め、日露戦争の勝利に繋がった。
日清戦争後には、ドイツは、ロシア帝国や、フランスとともに、日本に対し三国干渉を行った。さらに第一次世界大戦が勃発すると日本が日英同盟により連合国側に与したため、ついにドイツ帝国、オーストリア・ハンガリー帝国など中央同盟国側とは山東半島やミクロネシア、地中海などで戦火を交えるに至った(→第一次世界大戦下の日本)。
第一次世界大戦敗戦後、ドイツ帝国は崩壊しヴァイマル共和制が成立し、ヴェルサイユ条約によって莫大な賠償金を課され、全植民地の喪失とともに、国内での軍事産業が制限された。そのためドイツは、ソ連や中国との密貿易関係を構築した。特に中国はタングステンを産出したため、中独合作を行い、日中戦争(支那事変)では蒋介石政権に最新の兵器と軍事顧問団を送り込み、日本軍を苦しめた。当時日本が高度に軍事成長を果たすのに対して、ドイツは黄禍論も背景にあり、脅威を感じていた。その後国際情勢の変動により、1936年には日独防共協定を締結、その後利害を共有する日独両国は親近感を深め、1940年には日独伊三国軍事同盟へと発展、第二次世界大戦では枢軸国(同盟国)として共に戦うこととなった。
- 1945年-現在
技術・経済面での交流は活発で、日本にとってヨーロッパ最大の貿易相手国となっている。特にドイツの自動車は日本でも高い人気を誇り、日本の輸入車の販売数上位3つはメルセデス・ベンツ、BMW、フォルクスワーゲンが占めている。文化や制度の面では第二次世界大戦前ほどの影響力を持たなくなったものの、クラシック音楽ではバッハやベートーヴェンをはじめとするドイツ(およびオーストリア)の作曲家の楽曲が愛好されている。
ドイツでは、1999年1月から2000年9月までは「ドイツにおける日本年」と定められて日本が総合的に紹介され、また日本では2005年と2006年に「日本におけるドイツ年」の諸企画が行われ、新しい形の日独交流が形成されている。
経済
詳細は「ドイツの経済」を参照
2010年のドイツのGDPは3兆3058億ドル(約280兆円)であり、アメリカ、中国、日本に次ぐ世界第4位である[18]。EU加盟国では最大の経済力を持つ。
ドイツ経済の主要産業は工業で、自動車、化学、機械、金属、電気製品などである。ドイツは戦前から科学技術に優れており、ガソリン自動車やディーゼルエンジンを発明したのはドイツ人であった。また現在見られる液体燃料ロケット(スペースシャトル、ソユーズ、アリアン、H-IIAなど、固体ロケットM-Vロケット等を除く)は戦時中にナチスが開発した技術が基礎となっている。現在でも技術力があり、自動車はメルセデス・ベンツ、ポルシェ、BMW、アウディ、フォルクスワーゲンといったブランドが世界的に有名である。その他、化学・薬品大手のバイエル、電機大手のシーメンス、ルフトハンザドイツ航空、ドイツ銀行、経営管理ソフトウェア大手のSAP、光学機器メーカーのカール・ツァイス、ライカ、世界最大の映画用カメラメーカーであるアーノルド&リヒター、人工透析で世界シェア40%のフレゼニウスなど、世界的に活動している大企業は多い。近年は再生可能エネルギー産業を急成長させており[19][20]、太陽電池のQセルズ社が世界一のシェアを保有している。
旧西ドイツは日本同様、第二次世界大戦後に急速な経済発展を成し遂げたが、1990年の東西統一以降旧東ドイツへの援助コストの増大、社会保障のためのコスト増大などが重荷となって経済が低迷。また旧東ドイツでは市場経済に適応できなかった旧国営企業の倒産などで失業が増え、旧東側では失業率が17.2%に達し、深刻な問題となっていた。また企業が人件費の安いポーランドやチェコなどへ生産拠点を移転させようとしているために、ますます失業が増えるのではないかとの懸念もある[要出典]。しかしこの数年はGDPは増加傾向であり[21]、失業率も減少して2011年の時点では1991年以来の低水準となっている[22]。
かつてはすべての州で、「閉店法」により、(空港や駅構内の売店、ガソリンスタンド併設のコンビニを除く)小売店は平日(月曜日から土曜日まで)は20時から翌朝6時まで、日曜・祝日は終日営業できないといった規則が定められていたが、2006年のFIFAワールドカップ開催をきっかけとして営業時間が延長された。同時に各州に閉店法に関する詳細を定める権限も移り、一部州では閉店法自体が撤廃されるところも出てきている。大型のショッピングセンターやトルコ・イタリア・ギリシャ・中国など外国人が経営する店は深夜や土日も開店している場合も多い。
インフラストラクチャー
ヨーロッパの中央部に位置するドイツは輸送機関の中枢となっている。このことは密集化され、かつ近代化された輸送ネットワークに反映されている。自動車大国であるだけに道路網も発達しており、アウトバーンと呼ばれる高速道路が主要都市を結んでおり、総延長は世界第三位である[23]。
ドイツ鉄道(DB, Deutsche Bahn)が全国に路線を張り巡らせ、超高速列車ICEや都市間を結ぶインターシティ、ヨーロッパ各国との間の国際列車が多数運行されている[24]。また、都市部では近郊電車のSバーンや地下鉄(Uバーン)、路面電車の路線網が発達している。なおヴッパータールには、現在運行している世界最古のモノレールがある。
欧州でも屈指の大手航空会社ルフトハンザドイツ航空が世界各国に航空路線を持っている。また、エア・ベルリンなどの格安航空会社もある。ドイツ最大のフランクフルト国際空港とミュンヘン国際空港はルフトハンザの国際ハブ空港となっている。その他の主要空港にはベルリン・テーゲル、ベルリン・シェーネフェルト、デュッセルドルフ、ハンブルク、ケルン・ボン、ライプツィヒ・ハレがある[25]。
2008年現在、ドイツは世界第6位のエネルギー消費国あり[26]、主要エネルギーの60%を輸入に依存している[27]。政府はエネルギー効率改善と再生可能エネルギー活用を推進している[28]。エネルギー効率は1970年前半以降改善しており、政府は2050年までに国内電力需要を再生可能エネルギーのみで賄うことを目標に掲げている[29]。2010年時点でのエネルギー源は石油(33.8%)、褐炭を含む石炭(22.8%)、天然ガス(21.8%)、原子力(10.8%)、水力発電や風力発電(1.5%)、そしてその他の再生可能エネルギー(7.9%)となっている[30]。2000年、政府と原子力産業は2021年までに全ての原子力発電所を閉鎖することに合意した[31]。
ドイツは京都議定書や生物多様性、排出量規制、リサイクリングそして再生可能エネルギーの利用などを推進するその他の諸条約に係わっており、世界レベルでの持続可能な開発を支持してる[32]。ドイツ政府は大幅な排出量削減運動に着手しており、国内の排出量は低下している[33]。しかしながら、2007年時点でのドイツの温室効果ガス排出量は依然としてEU最大である[34]。
環境への取り組み
ドイツは世界的に環境保護先進国と呼ばれている。1994年、基本法第20条a項として「国は未来の世代に対する責任といる面においても生活基盤としての自然を保護するものとする」という条文が採用された。エコノミーとエコロジーは対立するものではない、大気、土壌、水質の保護は経済発展の前提条件とされた。背景には、国土が狭い上に、海岸線が短いため埋立地も十分に確保できず、その上、廃棄物の他国への越境移動が禁止されたため、自国内で処理せざるを得なくなったことである。環境保護に対する国民の意識が高まり、
1998年に同盟90/緑の党が連立政権に参加した。
1986年 廃棄物発生防止・処理規正法
- 産業廃棄物等の発生源によって規制する規則
1991年6月 包装材廃棄物政令
1994年10月 「リサイクル経済促進・廃棄物無公害処分確保法」(廃棄物リサイクル促進法)
1996年10月 同法施行
- 製造業者の関与を深める法体系を作った
2002年1月 デポジット制の制定
- 環境にやさしくない素材のすべての容器包装廃棄物にデポジットが課される
2011年7月 脱原発法の成立
- 2011年3月の福島第一原子力発電所事故の発生を機に反原発の声が高まり、2022年までに国内17基の原発を全て停止することになった。
現在では量り売り、デポジット制などの努力により、ごみの大幅な減量に成功している。ドイツのごみ排出量は日本の4分の1、特に包装物は10分の1である。こうした環境への姿勢が近隣諸国に影響を及ぼし、1994年12月にEUの包装材指令(2001年までに加盟各国で廃棄物リサイクル促進法を法制化することを求めるEU指令)がくだった。
ドイツは循環社会への転換を果たしているといわれている。ごみの排出回避、素材・エネルギーの再利用、環境に配慮した処理法、また「排出者責任」は企業責任と明確にしているなど、廃棄物が巡る経済を実現している。
Duales System Deutschlandの略で、1991年にドイツの企業が協力して設立した、プラスチック、缶、ビン、紙などを回収・リサイクルする組織。国内に195の分別工場を有し、現在17500企業が払う20億ユーロのライセンス料で共同処理を行っている。ここからリサイクルされたものを使用した商品は、グリューネプンクトが表示され、販売価格にリサイクル価格が上乗せされる。この制度をデュアルシステムという。デュアルシステムはドイツを手本にEU圏内で広がっている。
フリーライダーの存在、コストの問題、普通ごみの混入など課題もある。
科学技術
科学におけるドイツの業績は非常に大きく、研究開発活動はドイツ経済にとって不可欠な分野となっている[35][36]。これまでに103人のノーベル賞受賞者を輩出しており[37]、20世紀においては、物理学賞、化学賞、生理学・医学賞といった科学の分野で他のどの国よりも多くの受賞をしている[38][39]。
アルベルト・アインシュタインやマックス・プランクの業績が現代物理学確立への重要な役割を果たし、ヴェルナー・ハイゼンベルクとマックス・ボルンがこれをより一層発展させた[40]。彼らの仕事はヘルマン・フォン・ヘルムホルツやヨゼフ・フォン・フラウンホーファーといった物理学者たちに引き継がれている。ヴィルヘルム・レントゲンはX線を発見し、1901年に第1回ノーベル物理学賞を受賞した[41]。また、カール・フリードリヒ・ガウス、ダフィット・ヒルベルト、ベルンハルト・リーマン、ゴットフリート・ライプニッツ、カール・ワイエルシュトラス、ヘルマン・ワイルそしてフェリックス・クラインといった数多くの数学者たちがドイツから生まれている。ドイツにおける研究機関にはマックス・プランク研究所やドイツ研究センターヘルムホルツ協会、フラウンホーファー協会がある[42]。毎年、10人の研究者にゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ賞が授与されており、最大250万ユーロの賞金は最も高額な学術賞の一つである[43]。
ドイツは多数の著名な発明家や技術者の出身国であり、その中にはヨーロッパで初めて活版印刷を発明したとされるヨハネス・グーテンベルク[44]、ガイガー=ミュラー計数管を開発したハンス・ガイガーそして初めて全自動デジタルコンピュータを製作したコンラート・ツーゼがいる[45]。フェルディナント・フォン・ツェッペリン、オットー・リリエンタール、ゴットリープ・ダイムラー、ルドルフ・ディーゼル、フーゴー・ユンカースそしてカール・ベンツといったドイツの発明家、技術者、企業家たちが現代の自動車や航空輸送技術を形づくった[46]。史上初の宇宙ロケット(V2ロケット)を開発した航空宇宙工学技術者のヴェルナー・フォン・ブラウンは、後にNASAの主要メンバーとなり、サターンV型ロケットを開発してアポロ計画の成功に貢献している。ハインリヒ・ヘルツの電磁波分野での業績は現代の遠距離通信の発展にとって極めて重要である[47]。
また、ドイツは環境技術 (en) の開発と利用に関する主要国の一つである。環境技術を専門とする企業の総売上高は2005年時点で再生エネルギー分野で164億ユーロ、廃棄物処理分野は500億ユーロにのぼる[48]。ドイツ環境技術業界の重要市場は、発電、サステイナブル・モビリティ[49]、材料能率差、エネルギー効率、廃棄物管理とリサイクル、持続可能な水管理 (en) である[50]。
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ヨハネス・グーテンベルク |
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アルベルト・アインシュタイン |
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ヴェルナー・フォン・ブラウン |
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ヘルマン・ワイル |
国民
民族
2010年1月現在のドイツの人口は8180万人であり[1]、EU域内では最大、世界第8位である[2]。平均人口密度は229.4人/km²である。平均寿命は79.9歳。2009年の合計特殊出生率は女性一人当たり1.4人または1000人当たりでは7.9人となり、世界で最も低率の国のひとつである[3]。1990年代以降、死亡率が出生率を上回る状態が続いている[4]。連邦統計局 (en) は2060年までに人口は6,500万人から7,000万人に減少すると予測している(移民の程度による)[5]。
国民の91%はゲルマン系のドイツ語を母語とするドイツ民族である。他にバウツェンにはスラヴ系のソルブ人が、シュレースヴィヒにはゲルマン系のデンマーク人などがおり、帰化ポーランド人も多数居住している。ドイツ人は欧州諸民族の例にもれず厳密には混成民族であるが、主流であるゲルマン系と言語が一致しているため、おおむね自他ともにゲルマン民族として認識されている。
2009時点で約700万人の外国人が登録されており、国内居住者の19%が外国人または両親の一方が外国人(送還された民族ドイツ人を含む)であり、これらの96%が西ドイツまたベルリンに居住している[6]。国際連合人口基金の統計によれば、ドイツは全世界の1億9100万人の移民人口のうち、約5%に相当する1,000万人を受け入れており、移民受け入れ数では世界第3位である[7]。亡命と移民に対して無制限だった以前の法律が改正された結果、2000年以降、亡命地を求める移民や民族ドイツ人を主張する者たち(主に旧ソ連)が着実に減少している[8]。2009年時点で人口の20%が移民系統であり、1945年以降最も高くなっている[9]。2008年現在、最大の民族集団はトルコ人(250万人)であり、イタリア人(776,000人)、ポーランド人(687,000人)がこれに続く[10]。1987年以降、約300万人の主に東ヨーロッパや旧ソ連から移民した民族ドイツ人(Aussiedler)がドイツに再定住した[11]。
このような安価な労働力の流入がドイツ人の雇用悪化を招き、失業者の中には暴動に走る者も現れた。また文化的衝突からネオナチなどの外国人排斥運動に賛同して外国人を襲撃するなど、深刻な問題となっている。
言語
ドイツ語は、ドイツの公用語であり支配的な言語である[12]。ドイツ語は欧州連合の23の公用語の一つであり、欧州委員会の三つの作業言語 (en) の一つである。ドイツで公認されている少数言語は、デンマーク語、低地ドイツ語 (en) 、ソルブ語、ロマ語、そしてフリジア語であり、正式にヨーロッパ地方言語・少数言語憲章(ECRML)により保護されている。移民の間で最も使用される言語はトルコ語、クルド語、ポーランド語、バルカン系諸言語、およびロシア語である。ドイツ国民の67%がバイリンガルであり、27%はトリリンガルである[12]。
標準ドイツ語は西ゲルマン語群であり、英語、低地ドイツ語、オランダ語、そしてフリジア語と密接に関連し、分類されている。低い割合ではあるが、東ゲルマン語群(死語)と北ゲルマン語群とも関係する。ほとんどのドイツ語の語彙は、インド・ヨーロッパ語族のゲルマン分岐から派生している[13]。
単語の相当数がラテン語やギリシャ語からの派生であり、またフランス語そして最近の英語(デングリッシュとして知られる)からも含まれる。ドイツ語はラテン・アルファベットを使用して書かれる。ドイツ語方言(ゲルマン諸民族の伝統的な地方亜種にまで遡る)はその語彙、音韻や文法規則で標準ドイツ語からの言語変種に分類される[14]。
また、2011年現在、少数言語の研究団体エスノローグはドイツ連邦共和国内に以下を含む28言語の存在を認めている[15]。
- ドイツ語(国家公用語)
- 低ザクセン語(北ドイツ)
- 上ザクセン語(ザクセン州)
- アレマン語(バーデン=ヴュルテンベルク州)
- バイエルン語(バイエルン州)
- リンブルフ語(ノルトライン=ヴェストファーレン州の一部)
- マインツ語(マインツ市)
宗教
ドイツにおける最大の宗教はキリスト教で2008年現在で信者数5,150万人(62.8%)である [16]。この内30%がカトリック、29.9%がドイツ福音主義教会(EKD)に属するプロテスタントであり、ドイツ福音主義教会には22の州教会が加盟しており、常議員会議長がドイツ福音主義教会 (EKD) を代表する。その他は小宗派(各々0.5%以下)である[17]。プロテスタントは北部と東部、ローマ・カトリックは南部と西部に集中している。また、1.6%は正教会である[16]。
2番目に大きな宗教がイスラム教で、凡そ380-430万人(4.6-5.2%)[18]、次いで仏教徒が25万人、ユダヤ教が約20万人(0.3%)、ヒンズー教徒が9万人(0.1%)である。これ以外の宗教の信者は5万人以下である[19]。400万人のイスラム教徒のほとんどはトルコからのスンニ派またはアレヴィー派であるが、少数のシーア派や小分派も存在する[18]。ドイツのユダヤ人人口はフランス、イギリスに次いでヨーロッパで3番目である[20]。仏教徒の50%はアジアからの移民である[21]。34.1%が無宗教であり、旧東ドイツ地域と大都市圏に多い[17]。
宗教的多様性と国家干渉主義の両方の伝統を持つ中央ヨーロッパ、とりわけ旧東ドイツの各州においてゼクト(カルト)団体が増加しているドイツでは、予防啓発とゼクト脱退者保護の政策が、地方レベルで実施されている。ゼクト担当委員のポストが各州に創設された。中央レベルでは、教会法人格の取得に関する認証基準が定められた。情報交換を目的とした作業会議が、州職員と州代表者の間で何度も開かれた。とはいえ市民社会には秩序があり、国家宗教は揺らいでいないため、この問題への関心は限定的である。現在のところ、禁止されたゼクトはない。その上、国家権力の行動の幅は狭くなっている[22]。
教育
詳細は「ドイツの教育」を参照
教育課程は初等教育4年、中等教育以降は職業人向けと高等教育向けの学校とに厳格に分けられている。いわゆる「マイスター制」である。12歳までは基礎学校(義務教育)で、子供の能力の見極めが重要になる。13歳から15歳では、就職のための専門的な職業教育が行われる。大学への進学を希望する場合は、ギムナジウムという進学校に進学し、大学進学に必要なアビトゥア資格の取得を目指す。日本においては、俗に「ドイツでは工業職人がマイスターと呼ばれ、尊敬を受けている」という話がまことしやかに語られているが、正確ではない。第二次世界大戦後の高度成長の過程においては確かに事実であったが、近年では多くの子供たちがギムナジウムに進学する傾向が見られ、これがドイツの財政(教育費)を圧迫する原因にもなっている。また、工業職人のイメージが強いマイスター制度だが、これも近年ではコンピュータ技術者といった従来のイメージとは異なる職種の学校が増えつつある。近年、国際化によりマイスター制度が先進工業の発展に寄与しなくなったことや、12歳で人生が決まってしまう学校制度に疑問が上がり、近年は義務教育からアビトゥア資格取得まで一貫した中等教育を行うシュタイナー学校や総合学校が広まっている。
大学においても近年変革の時期を迎えている。ドイツの大学はほぼ全てが州立大学で、基本的に学費は納める必要がない(ただし、州により学費徴収を行うケースもある)。しかし、近年の不況の影響を受け、大学は授業料を徴収するかどうか、検討を始めている。また、かつてのドイツは大学卒業した者はエリートコースを歩み、大学卒業資格は社会で相当に高い評価を得ていたと言える。しかし、近年における財政界からは、もっと柔軟な思考ができる学生が欲しいとの声が強まり、大学のカリキュラムも変革の時期を迎えている。
健康
ドイツは1883年にオットー・フォン・ビスマルクが成立させた疾病保険法に遡る世界最古の国民皆保険制度を有している[23]。現在、全住民には国家によって提供される基礎健康保険が適用される。世界保健機関によれば、2005年現在のドイツ健康管理システムは77%が政府資金、23%が個人資金である[24]。2005年にドイツは健康管理にGDPの11%を支出した。平均寿命は男性が77歳、女性が82歳で世界第20位であり、乳児死亡率は出生児1,000人当たり4人と非常に低い数値である[24]。
2009年現在の主な死亡原因は心血管疾患の42%、続いて悪性腫瘍の25%だった[25]。2008年現在、82,000人がHIV/AIDSに感染しており、1982年以降、合計26,000人がこの病気で死亡している[26]。2005年の統計では成人の27%が喫煙者である[26]。2007年の調査によれば、ドイツは肥満した人の数がヨーロッパで最大である[27][28]。
文化
詳細は「ドイツの文化」および「:en:Culture of Germany」を参照
歴史的にドイツは「詩人と思想家の国」(Das Land der Dichter und Denker)と呼ばれてきた[29]。連邦各州が文化施設を担当しており、ドイツには助成を受けた240の劇場、数百の交響曲オーケストラ、数千の博物館そして25,000以上の図書館がある。これらの文化施設は多くの人々に利用されており、毎年延べ9100万人のドイツ人が博物館を訪れ、20万人が劇場やオペラ、3600万人が交響曲オーケストラを観賞している[30]。国際連合教育科学文化機関はドイツでは36件を世界遺産リストに登録している[31]。
ドイツは高いレベルの男女平等[32]、障害者の権利促進そして同性愛者に対する法的社会的寛容を確立している。ゲイとレズビアンはパートナーの遺伝的子供を養子とすることができ、2001年以降にはシビル・ユニオン (en) (結婚に準じる権利)[33]が認められた[34]。1990年代半ば以降ドイツは移民に対する態度を変えており、ドイツ政府とドイツ人の過半数が移民の管理は資格基準に基づいて許可されねばならないと認識するようになった[35]。ドイツは2010年に世界で最も賞賛される国の統計で50カ国中第2位にあげられた[36]。2011年のBBCの世論調査によれば、ドイツは世界で最も肯定的な影響を与えている国と認められている[37]。
美術
詳細は「ドイツの芸術」および「:en:German art」を参照
ドイツ・ロマン派のカスパー・ダーヴィト・フリードリヒ、フィリップ・オットー・ルンゲなどの画家名やドイツ表現主義などの項目を参照。
第一次世界大戦中から戦後、ドイツは表現主義や新即物主義を生み出し、デザインや建築でもバウハウスを中心に革新的な動きを起こした。バウハウスに集ったヴァルター・グロピウス、ハンネス・マイヤー、ミース・ファン・デル・ローエ、ヨハネス・イッテン、ピエト・モンドリアン、ヴァシリー・カンディンスキー、モホリ・ナギといった美術家・建築家らは、合理主義・表現主義・構成主義といった美術観・建築観に基づくデザインを生み出し、今日のデザイン分野への影響は甚大である。
しかし既存のロマン派的流れを汲む美術団体との軋轢、およびナチスの「退廃芸術」排除の政策から、主だった美術家・建築家はアメリカ合衆国などに移民し、ドイツの芸術は壊滅的打撃を受けた。
1960年代以降、フルクサスやヨーゼフ・ボイス、アンゼルム・キーファー、ゲルハルト・リヒターなど、世界に影響を与える芸術家が多数登場し、ドイツの美術・建築・デザインは再び世界的存在感を高めている。
文学
詳細は「ドイツ文学」を参照
ドイツ文学は中世のヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデやヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの作品にまで遡ることができる。著名なドイツ人作家にはヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテやフリードリヒ・フォン・シラー、ハインリヒ・ハイネがいる。グリム兄弟によって編纂出版された民話集はドイツ民話を国際レベルにまで知らしめた。20世紀の有力作家にはトーマス・マン、ベルトルト・ブレヒト、ヘルマン・ヘッセ、ハインリヒ・ベルそしてギュンター・グラスがいる[38]。ノーベル文学賞にはテオドール・モムゼン(1902年)、ルドルフ・クリストフ・オイケン (1908年)、パウル・フォン・ハイゼ (1910年)、ゲアハルト・ハウプトマン(1912年)、トーマス・マン (1929年)、ヘルマン・ヘッセ(1946年)、ハインリヒ・ベル(1972年)、 ギュンター・グラス(1999年)そして、ヘルタ・ミュラー (2009年)が選ばれている。
ドイツ語圏の出版社は年間7億部を発行しており、出版タイトルは約8万で、その内6万が新刊である。ドイツ語書籍は英語圏市場や中華人民共和国に次ぐ第3位の市場規模を誇っている[39]。500年に及ぶ伝統を持つフランクフルト・ブックフェアは国際取引市場で最も重要な書籍見本市である[40]。ドイツは人口10万人当たりの図書館数がG7で一番多く、10万人当たり14.78館が存在する[41]。2005年にはドイツ語長編小説を対象とするドイツ書籍賞が創設された。
| ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ (1749–1832) | フリードリヒ・フォン・シラー (1759–1805) | グリム兄弟 (1785–1863) | トーマス・マン (1875–1955) | ヘルマン・ヘッセ (1877–1962) | ベルトルト・ブレヒト (1898–1956) |
|---|---|---|---|---|---|
| ファイル:Johann Heinrich Wilhelm Tischbein 007.jpg | ファイル:Friedrich schiller.jpg | ファイル:Grimm1.jpg | ファイル:Thomas Mann 1929.jpg | ファイル:Hermann Hesse 1927 Photo Gret Widmann.jpg | ファイル:Bundesarchiv Bild 183-W0409-300, Bertolt Brecht.jpg |
哲学
詳細は「ドイツの哲学」および「:en:German philosophy」を参照
ドイツ哲学は歴史的に重要である。とりわけ影響力があったものには合理主義哲学に対するゴットフリート・ライプニッツの貢献、イマヌエル・カント、ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ、ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル、フリードリヒ・シェリングによる古典的ドイツ観念論の確立、アルトゥル・ショーペンハウアーの形而上学的厭世論の著作、カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスによる共産主義思想の理論化、フリードリヒ・ニーチェによる遠近法主義 (en) の展開、分析哲学黎明期におけるゴットロープ・フレーゲの功績、存在(Being)に関するマルティン・ハイデッガーの著作そしてマックス・ホルクハイマー、テオドール・アドルノ、ヘルベルト・マルクーゼ、ユルゲン・ハーバーマスによるフランクフルト学派の発展がある。21世紀においてドイツはフランス、オーストリア、スイスそしてスカンジナビア諸国とともにヨーロッパ大陸における現代分析哲学の発達に貢献してきた[42]。
音楽
詳細は「ドイツの音楽」および「:en:Music of Germany」を参照
ドイツは同じドイツ語圏のオーストリアと共にヨハン・ゼバスティアン・バッハ、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン、ヨハネス・ブラームスの「ドイツ三大B」を初めとする、クラシック音楽史上に名を残す作曲家や演奏家を多数輩出している。ベルリン・フィルをはじめとする世界クラスのオーケストラや音楽祭も多い。文学と同じくオーストリアと併せた括りで(相互の移動や各時代における国民意識など分離して考えることが困難なため。ベートーヴェンがドイツ音楽でブルックナーはオーストリア音楽というような分け方は殆どされない)世界最大のクラシック音楽大国とされている。 オペラ、コンサート、演劇への関心も強く、ある程度の規模の街には州立(国立と呼ばれる場合もある)ないし市立の劇場、オーケストラがおかれている。各地の放送局が所有しているオーケストラも総じてレベルが高い。オペラはオーストリアとスイスのドイツ語圏をあわせるとイタリアの4倍近い年間上演数を誇る、世界でも群を抜く中心国であり、諸外国からドイツ語を学んだ歌手が多く集まっている。逆にいえばドイツ人だけでは陣容を維持できない規模になっているともいえ、ポピュラー系のショービジネスや野球におけるアメリカに似た地位にある。その他、オペレッタ、ミュージカル、バレエ、ストレートプレイの上演も盛んである。
ポピュラー音楽については、1979年、ジンギスカンの『Dschinghis Khan(ジンギスカン)』『めざせモスクワ(Moskau)』や、1980年代にNENA(ネーナ)がアメリカ合衆国などでもヒットさせた『99 Luftballons』(ロックバルーンは99)などが知られている。
また最近では、旧・東ドイツの都市ライプツィヒの聖トーマス教会の少年合唱団出身者などにより結成されたDie Prinzen(ディー・プリンツェン)が、2002年のサッカー「FIFAワールドカップ日韓大会」で活躍し、最優秀選手に選出されたドイツ代表のゴールキーパーであるオリバー・カーンをモチーフにした曲『OLLI KAHN』が話題を呼ぶ。
ロック音楽では、主なミュージシャンとしてプログレッシヴ・ロックのタンジェリン・ドリーム、テクノの元祖クラフトヴェルク、 ハード・ロックのスコーピオンズ、マイケル・シェンカー・グループ、フェア・ウォーニング、ヘヴィ・メタルのアクセプト、ハロウィン、ガンマ・レイ、ブラインド・ガーディアン、エドガイ、レイジ、プライマル・フィア、ラムシュタインなどの名が挙げられる。
テクノやトランスなどのクラブ系は、野外レイヴ『ラブパレード』や屋内レイヴ『メーデー』が開催されるなど、ドイツ国内に広く普及している。テクノではベルリンのトレゾアやケルンのコンパクトなど優良なレーベルも多く、世界中から数多くのアーティストが曲をリリースしている。トランスの分野では、東ベルリン出身のDJ・Paul van Dykが「DJ Magazine」誌の人気投票で1位を獲得しているほか、EU(欧州委員会)よりヨーロピアン・ボーダーブレーカーズ賞[43]を受賞した“Cascada”[44]をはじめ、“Baracuda”“Groove Coverage”など国内外で活躍するドイツ人アーティストも多い[45][46]。
電子音楽、エレクトロニカ、サウンドアートなども盛んであり、坂本龍一とのコラボレーションでも知られるAlva Notoが主催するレーベルRaster-Notonなど注目度が高い。
映画とテレビ
詳細は「ドイツの映画」を参照
ドイツ映画は草創期のマックス・スクラダノフスキー (en) に遡り[47]、ロベルト・ウィーネ (en) やフリードリヒ・ヴィルヘルム・ムルナウ (en) といったドイツ表現主義映画が影響力を持っていた[48]。1927年にはフリッツ・ラング監督によるSF映画の先駆たる大作『メトロポリス』が公開された[49]。1930年に公開されたオーストリア系アメリカ人のジョセフ・フォン・スタンバーグ監督『嘆きの天使』がドイツ初の大作トーキー映画である[50]。1970年代から80年代にかけて、フォルカー・シュレンドルフ、ヴェルナー・ヘルツォーク、ヴィム・ヴェンダース、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーといったニュー・ジャーマン・シネマ監督たちが西ドイツ映画を国際的な舞台へと押し上げた[51]。毎年のヨーロッパ映画賞は隔年でヨーロピアン・フィルム・アカデミー(EFA)の本部のあるドイツで開催される。1951年以来、毎年開催されるベルリン国際映画祭は世界で最も重要な映画祭の一つである[52]。
近年では『グッバイ、レーニン!』(Good Bye, Lenin!;2003年)、『愛より強く』(Gegen die Wand;2004年)、『ヒトラー 〜最期の12日間〜』(Der Untergang;2004年)、『バーダー・マインホフ 理想の果てに』(Der Baader Meinhof Komplex;2008年)が国際的な成功を収めている。また、1979年に『ブリキの太鼓』(Die Blechtrommel)、2002年に『名もなきアフリカの地で』(Nirgendwo in Afrika)、2007年に『善き人のためのソナタ』(Das Leben der Anderen)がアカデミー外国語映画賞を受賞している[53] 。
3400万世帯のドイツのテレビ市場はヨーロッパ最大であり、ドイツ世帯の90%がケーブルテレビまたは衛星放送を視聴している[54]。
食文化
詳細は「ドイツ料理」を参照
料理は火を使わずに用意できるカルテス・エッセン (kaltes Essen、冷たい食事) と、調理してから出されるヴァルメス・エッセン (warmes Essen、温かい食事) とに大別される。よく知られているものとしては、前者にソーセージ (Wurst) 、ハム (Schinken) 、チーズ (Käse) などの冷製食品、後者に塩漬け肉アイスバイン(Eisbein)、キャベツの塩漬けザワークラウト(Sauerkraut)、肉や魚の団子クネーデル(Knödel)などがある。
ビールは16歳以上(保護者同伴ならば14歳から)の国民が飲めるアルコール飲料である(ただし、フランクフルトなど地方によってはリンゴのワインの方が人気)。ミュンヘンのオクトーバー・フェストは世界最大のビール祭りだといわれる。ドイツのワインは白ワインが主体。かつてはリースリング種をつかった甘口のワインが多かったが、食生活の変化に伴い辛口の白ワインや赤ワインが生産・消費ともに増加している。蒸留酒は18歳以上の国民が飲む事が出来る。
ドイツ料理は地域ごとに特色があり、バイエルンやシュバーヴェンといった南部はスイスやオーストリアと食文化が共通している。全ての地域で肉はしばしばソーセージのかたちで食べられる[55]。有機農産物が市場の約2%を占めており、今後も増加する見込みである[56]。ドイツの多くの部分でワインが親しまれているが、国民的酒類はビールである。ドイツ人のビール消費量は減少傾向にあるが、依然として年間一人当たり116リットルが消費されており、世界最大である[57]。ミシュランガイドは9件のレストランに三つ星を、15件に二つ星をつけている[58]。ドイツのレストランはフランスに次いで世界で二番目に賞を受けている[59]。
世界遺産
詳細は「ドイツの世界遺産」を参照
ドイツ国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が33件、自然遺産が3件で合計36件の世界遺産が現存する。イタリア、スペイン、中国、フランスに次ぐ5番目の登録件数である。
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アーヘン大聖堂 |
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ヴュルツブルク司教館、その庭園群と広場 |
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シュパイアー大聖堂 |
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ベルリンのモダニズム集合住宅群 |
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メッセル採掘場の化石発掘現場 |
スポーツ
詳細は「ドイツのスポーツ」を参照
サッカー
「ドイツのサッカー選手一覧」も参照
ドイツはサッカーが非常に盛んな国である。通常ドイツのスポーツ競技団体はドイツスポーツ連盟(DSB)に加盟しているが、ドイツサッカー連盟(DFB)は会員数630万人以上を数え、他の団体に比しても規模が大きい事で知られる。
FIFAワールドカップにおいてはドイツ代表が3度の優勝と4度の準優勝(旧西ドイツ時代を含む)を誇るなど、現在も安定した強さを誇るヨーロッパ屈指の強豪国である。またワールドカップ優勝3回は5回のブラジル、4回のイタリアに次いで第3位の記録である。2006年には1974年のワールドカップ・西ドイツ大会以来32年ぶりにワールドカップが地元開催され、3位入賞を果たした。ボド・イルクナーやオリバー・カーン、イェンス・レーマンなどゴールキーパーに名選手が多いことから、PK戦では驚異的な強さを誇る。女子代表も2003年、2007年のFIFA女子ワールドカップを連覇している強豪である。
国内のクラブチームの活動も盛んで、トップリーグであるフースバル・ブンデスリーガ(連邦リーグ)は欧州屈指のレベルを誇り、バイエルン・ミュンヘン等の名門クラブが鎬を削っている。
ウィンタースポーツ
寒さが厳しい地方ではウィンタースポーツが盛んで、冬季オリンピックにも毎回多数のすぐれた選手を輩出している。なお、1936年にはオーストリアとの国境付近の町ガルミッシュパルテンキルヒェンで冬季オリンピックが開催されている(ガルミッシュパルテンキルヒェンオリンピック)。また、西ドイツと東ドイツを含んだ冬季オリンピックでのメダル獲得数が1番であることでも知られている。
モータースポーツ
古くから自動車産業が盛んなことからモータースポーツの伝統国の1つとして知られ、1950年代までグランプリレースなどを席巻したメルセデス・ベンツ、1980年代を中心にスポーツカーの分野で数度のチャンピオンを獲得し、ル・マン24時間レースにおいては最多勝を誇るポルシェ(近年ではアウディ)、1960年代から2000年代にかけヨーロッパツーリングカー選手権(ETCC)で最多勝(18勝)を挙げるなどツーリングカーの分野において圧倒的な強さを持つBMWの4社を筆頭に、自動車会社各社が目覚しい記録を残している。
F1ドライバーのミハエル・シューマッハ、セバスチャン・ベッテルやDTMのベルント・シュナイダーを筆頭に優秀なレーシングドライバーを数多く輩出している国でもある。特に近年では多数のF1ドライバーを輩出している。また世界的に有名な難関コースを持つサーキット・ニュルブルクリンクがあるのはドイツである。
競泳
ドイツは1900年のパリオリンピックから競泳のドイツ人選手が参加しており、メダルを取り続けている。 平泳ぎのエルビン・ジータス、バタフライのミヒャエル・グロス、自由形のパウル・ビーデルマンなどが有名。
オリンピック
近代オリンピックにおいて歴代ドイツ選手団は優秀な成績を収めており、獲得メダル数は旧東西ドイツ時代を含めるとアメリカ、ロシア(旧ソ連含む)に次いで世界第3位となる。2008年夏季オリンピックにおいてドイツはメダル獲得数第5位であったが[1]、2006年冬季オリンピックでは第1位である[2]。ドイツは夏季オリンピックを1936年のベルリンオリンピックと1972年のミュンヘンオリンピックの2回主催しており、冬季オリンピックは1936年にガルミッシュパルテンキルヒェンオリンピックを主催している。
参考文献
- 『ドイツの実情 2010/2011』-ドイツ政府刊行物のオンライン版、編集:Frankfurter Societäts-Medien GmbH, Frankfurt am Main
- 『ドイツ』 池内紀(監修)、新潮社〈読んで旅する世界の歴史と文化〉、1992年。ISBN 978-4106018336。
脚注
- ^ “Beijing 2008 Medal Table”. International Olympic Committee. 19 March 2011閲覧。
- ^ “Turin 2006 Medal Table”. International Olympic Committee. 19 March 2011閲覧。
関連項目
- ドイツ関係記事の一覧
- ドイツ人の一覧
- ドイツの地方行政区分
- ドイツの市町村一覧
- ドイツ法
- ドイツ連邦共和国基本法(憲法)
- ドイツ民法
- ドイツ移民法
- ドイツ観光街道
- ドイツ統一
- ドイツ植民地帝国
- ナチス・ドイツ
- ドイツ再統一
外部リンク
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政府
- ドイツ連邦共和国政府 (ドイツ語)(英語)
- ドイツ大統領府 (ドイツ語)(英語)
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