ニッポン放送
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| ニッポン放送 Nippon Broadcasting System, Incorporated | |
|---|---|
| 種別 | AMラジオ放送 |
| 放送対象地域 | |
| 系列 | NRN系 |
| 略称 | LF |
| 愛称 | ニッポン放送 |
| コールサイン | JOLF |
| 開局日 | 1954年7月15日 |
| 本社 |
〒100-8439 東京都千代田区有楽町一丁目9番3号 糖業会館・ニッポン放送ビル 北緯35度40分30.69秒 東経139度45分38.33秒座標: 北緯35度40分30.69秒 東経139度45分38.33秒 |
| 演奏所 | 本社と同じ |
| 親局 / 出力 | 東京(千葉県木更津送信所) 1242kHz / 100kW |
| 公式サイト | http://www.jolf.co.jp/ |
特記事項:
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| 種類 | 株式会社 |
|---|---|
| 市場情報 |
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| 略称 | LF |
| 本社所在地 |
ファイル:Flag of Japan.svg 日本 〒100-8439 東京都千代田区有楽町一丁目9番3号 糖業会館・ニッポン放送ビル |
| 設立 |
2006年(平成18年)4月1日 (新設分割のため) |
| 業種 | 放送事業 |
| 事業内容 | 放送法に基づく一般放送事業(AMラジオ放送)ほか |
| 代表者 |
代表取締役会長:重村一 代表取締役社長:村山創太郎 |
| 資本金 | 4億8000万円 |
| 売上高 |
225億1,800万円 (2008年4月 - 2009年3月) |
| 従業員数 |
174名 (2009年4月1日現在) |
| 主要株主 | 株式会社フジ・メディア・ホールディングス:100% |
| 関係する人物 |
植村甲午郎 鹿内信隆 |
| 外部リンク | http://www.jolf.co.jp/ |
特記事項:
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株式会社ニッポン放送(ニッポンほうそう)は、関東広域圏を放送対象地域とするラジオ局である。略称・呼称はコールサインからLF、旧法人設立から1967年(昭和42年)9月30日までの略称はNBS[1]。なお、本項では1954年(昭和29年)4月13日から2006年(平成18年)3月31日までの旧会社(フジテレビジョン(現フジ・メディア・ホールディングス)に吸収合併)、及び2006年(平成18年)4月1日に分割新設された現行会社について述べる。
2011年10月からのキャッチコピーは『みんな、つながる。今、聴かなくちゃ!』。
目次 |
会社概要
- 産経新聞・夕刊フジ・サンケイスポーツなどを発行する産業経済新聞社やフジテレビジョン(フジテレビ)と共にフジサンケイグループを構成する中核企業である。文化放送と長く提携関係にあり、文化放送とともにラジオネットワーク「NRN」のキー局を務めている。
- もともとフジテレビ(現:フジ・メディア・ホールディングス)の親会社的な存在であったが、2005年(平成17年)1月17日よりフジテレビによる子会社化を目的に株式公開買い付け(TOB)が実施される。同時期にインターネット関連会社ライブドアが、経営権奪取を目的として大量のニッポン放送株式を取得したが、同社との間で4月18日和解が成立し、9月1日にフジテレビの完全子会社になった。この件はさまざまな問題提起を残した。詳しくはニッポン放送の経営権問題を参照のこと。
- 「オールナイトニッポン」のキーステーションとして全国的には知られているが、リスナーからはしばしば葉書やお便りで「ニッポン放送」を漢字で「日本放送」と誤記されるため、「ニッポンはカタカナでお願いします!」と言った後で、ニッポン放送の郵便番号を述べて葉書を募集する手順が通例である[2]。その理由として、日本テレビや日本テレビ系の中波ラジオ局ラジオ日本(JORF)、NHKの国際放送「ラジオ日本」と混同されることが挙げられる。外回りリポートの際には「ラジオのニッポン放送ですが」と言うことが多かったが、2005年(平成17年)のライブドアによる株式大量取得事件で一躍有名となって以降は、前記のことを言わなくなった。今でも、「ラジオビバリー昼ズ」の清水ミチコは「ニッポンはカタカナでお願いします!」と発言し、山本剛士はミュージックスクランブルでの宛先読みの際に時折「カタカナでニッポン、漢字で放送」と呼びかけている。
- 本社・演奏所は、1997年(平成9年)3月24日〜2004年(平成16年)9月5日の期間は、本社として使用していたビルの建て替えに伴い、東京都港区台場のFCGビル(通称フジテレビ本社ビル)にあった。
- 原則として5:00起点の24時間放送(日曜深夜3:10〜月曜早朝5:00は休止)[3]。
- レコード・CDの所有枚数は約22万枚。これはNHK浜松支局(所有枚数34万枚)に次いで多く、民放では最多の枚数を誇る。
- かつての大株主がNECであったことから送信機器は、開局当初から代々NEC製を使用している。
- ラジオマスターは、かつてNEC製を使用していたが、現在は、東芝製を使用している。
- 社員の給与はラジオ単営局の中では高い方であった。[4]
- 設立に財界が関与したこともあり、労働組合が存在しないラジオ局である。[5]
時報
- 時報音は開局以来現在まで鳩時計を模した特徴的なものを使用している[6]。ちなみに開局と同時に放送されたラジオドラマ「ポッポちゃん」と言うタイトルもこの時報をヒントにして名づけられた。
- 1992年(平成4年)3月15日よりAMステレオに対応したものに変更された。
- 「ピ・ポ、ピ・ポ、ピ・ポ、ポーン」と、鳩が鳴いてるような音になっている。音階はイ長調で「ソ・ミ、ソ・ミ、ソ・ミ、(上の)ド」となる。
- 予報音の「ピ」は660Hz、「ポ」は550Hz、正報音の「ポーン」が880Hzであり、この三つの音でイの長三和音を構成する。
- AMステレオの受信環境下では、予報音の「ピ」では左チャンネルの、「ポ」では右のチャンネルの音量が大きくなっている。正報音の「ポーン」は左右均等に流れる。
- サイマル放送を行っているradikoでは時報音が放送されず、別のBGMが流れる。
送信所
木更津送信所
- 所在地 千葉県木更津市椿318番地
- 送信アンテナ 120m支線式トラス鉄柱 サブ60m支線式トラス鉄柱 (施工電気興業)
- 旧送信機(1994年春まで) BN-7252V(NEC) MB-136C(NEC)いずれも終段真空管蒸発冷却式
- 現送信機(1994年3月本格運用)MBT-9050A 50kWデジタル振幅変調方式(全固体化)(NEC)×2台で100KW、設置工事NEC、鹿島建設 MBT9100A(NEC)
- 民間の大電力中波局の完全固体化としては文化放送の方が1年早かった(1993年3月運用)。但し文化放送はPWM(Pulse Width Modulation パルス帯域変調)方式であり、デジタル振幅変調方式はニッポン放送が初めてである。PWM変調方式に比べ高電力変調増幅器が不要のため効率が良く消費電力と発熱が少ない、変調時の歪みが少なく高品質の電波を発射可能、使用部品も少なくメンテナンスも楽など利点が多い。
- STL 送受信装置(日立国際電気)出力10W、1.8mグリッドパラボラアンテナ。バックアップ回線としてKDDI(開設時はTTNet)の光ファイバーとコーデック(英国APT社)を使用。
- 制限増幅器/プリエンファシス VOLUMAX-4300(CBS Laboratories) OPTIMOD-AM9100B(orban) OPTIMOD-AM9400(orban;導入予定) Audioaxyz ED-BLC2(NEC;2009年春頃導入)
- AMステレオエキサイタ AX-10(ブロードキャスト・エレクトロニクス)
- 備考
1971年(昭和46年)、100kW増力に伴い東京都足立区から千葉県木更津市に移転。足立送信所では1310kHz(kc)で50kWであったが、ここで増力すると強電界の影響を受ける世帯が多く、さらに世田谷、多摩、神奈川方面の難聴地域の対策にもならないため聴取率に響くことなどから木更津への移転を決めた。
このプロジェクトは、高橋琢二の元に行われた。周波数は当初1310kHzの予定であったが、FEN(現AFN)810kHzとのビート混信の懸念から、郵政省(当時)から1240kHzに変更するよう指示があった。1240kHzへの変更には、「モスクワ放送(1251kHz・1000kW)を妨害するため」などの諸説があるが、大電力局のため、国際調整で割り当て可能な周波数は1240kHzしかなかったというのが実情であろう[要出典]。1978年(昭和53年)に中波周波数が10kHzステップ(刻み)から9kHzステップに変更され、現在の1242kHzになった。
木更津送信所からの電波は、ニッポン放送の放送エリア西端である静岡県東部・中部でも比較的良好に受信可能である(特徴の項も参照)。また木更津送信所から直線距離で100km程度の場所では、非常に受信状態が良くなることが、雑誌「ラジオパラダイス」での実験により確認されている。なお日中でも受信可能な限界は、西は名古屋市や知多半島辺りから和歌山県、大阪でも受信可能地区あり。 ただし、他の関東広域圏を放送対象地域とする中波放送は、NHK等を含め埼玉県内から送信であるのに対し、送信所の位置関係から、北関東でも聴取困難な地域がある他、東京都島嶼部も送信所から遠方となる南方へ行くほど聴取困難、都内においても新宿駅を過ぎた辺りからの中央線沿線や、練馬区以西の一部を中心に、新宿新都心の超高層ビル群の影響で他局よりも受信感度が落ちる地域がある。
受信エリア外で比較的良好に受信可能な地域は、秋田県大潟村や山形県山形市付近などが確認されている。電波の電離層による反射具合が大きい冬場の場合、四国東部、特に徳島県の海沿いでは10:00~15:00を除いた時間で聴取可能。またグアムでは、夜間に受信状態さえ良ければ、RFラジオ日本と共に聴取可能であった。早朝は韓国の一部でも受信可能。 夜間では、電波の電離層による反射具合が大きいためほぼ全国的に聴取可能で、ニッポン放送だけで放送されている番組を聴取する人が多い。地元局東北放送の周波数が近い宮城県がその好例である。近畿広域圏では和歌山放送や四国放送と混信する可能性がある。また、長崎や青森ではそれぞれの地元局(長崎放送、青森放送)親局が1233kHzと周波数が近接しているため受信が厳しい地域もある。なお西日本の一部地域では同一周波数の韓国MBCの原州文化放送と混信する地域もある。
足立予備送信所
足立送信所は非常用に残されており、木更津送信所のトラブル時に出力1kWで送信される。毎年4月~6月ごろに、定期検査のデータ採取のため、月曜未明の放送休止中に試験電波を流して電界強度測定を実施している。なお、試験電波を受信して受信報告書を送ると「足立予備送信所1KW 受信確認」の印鑑が押されたベリカードが送られる。
1986年(昭和61年)9月、ナイター中継中に電力会社側での地絡事故により木更津送信所が停止、急遽被害を受けていない足立予備送信所から送信された。また2006年(平成18年)8月14日には木更津送信所付近で停電があり、その際もこの送信所から送信された。
新聞番組表
- 産経新聞の関連放送局ということで、産経新聞東京本社版(関東向け=朝刊のみ)のラジオ番組表では、番組タイトル部分をゴシック体で表記している。グループ会社であるフジテレビの番組欄は、黄色く網かけされている(休刊日前に2日分掲載するときなど、ときどき網かけしないこともある。また、テレビ欄にフジテレビの番宣広告が掲載された場合は当該番組のみ網かけされる)。なお、同じフジサンケイグループでも文化放送については、ラジオ番組表で特別な扱いを受けることはなく、休刊日のおしらせの時にグループ企業として紹介されるにとどまっている。
- また、多くの地方新聞では夜間~早朝に電波が全国で届きやすいことも配慮し朝刊のラジオ番組欄に文化放送、TBSラジオとともに深夜~翌朝の番組のみ掲載することが多いが、鳥取県の地方新聞である日本海新聞では関東のラジオ局で唯一当局を取り上げ、それを早朝からの全日分掲載しているが現地では通常昼間は電波は届かない。
沿革
1950年代 - 1990年代
- 1953年(昭和28年)12月23日 - 日本放送株式会社として予備免許取得。
- 1954年(昭和29年)
- 1955年(昭和30年) - ポニーキャニオンの前身となる関連会社 株式会社ニッポン放送事業社を設立。その後、1966年(昭和41年)10月1日に株式会社ニッポン放送サービスへと発展。
- 1957年(昭和32年)11月 - 東京地区のテレビ免許割り当てで、文化放送と共同でフジテレビジョン(以下フジテレビ)を設立。
- 1958年(昭和33年) - 文化放送と共同でステレオ実験放送を実施。
- 1959年(昭和34年)3月
- 株式会社深夜放送(後に株式会社フジサンケイエージェンシーへ)を設立。
- 24時間放送開始。
- 1962年(昭和37年)11月3日 - 国内初のサテライトスタジオを新宿小田急百貨店店内に開設。
- 1965年(昭和40年)5月3日 - 文化放送と共同で全国民放ラジオ31社を結ぶ全国ラジオネットワーク(NRN)を発足。
- 1967年(昭和42年)10月1日 - 深夜放送の長寿番組『オールナイトニッポン』が放送開始。また、この頃略称を「LF」に変更。(NBSの略称は、現在長野放送が使用)
- 1971年(昭和46年)
- 6月 - 増力のため東京都足立区から千葉県木更津市椿へ送信所を移転。
- 11月1日 - 周波数を1240kHzに変更、出力100kWに増力。
- この周波数変更前後(10月29日の朝8時半から11月2日正午まで)、出力100kW拡大にちなんで「100時間マラソンラジオ」と題した特別番組を開催。
- 周波数変更直前から新周波数(1240kHz)では鐘の音を鳴らしながら「このシグナルは1240kC・100kW、ニッポン放送木更津送信所から送信しています。周波数をおあわせ下さい」という試験電波のアナウンス・音源が放送された。そして午前3時の時報と同時に「ニッポン放送です。ニッポン放送はただいまから周波数1240kC、出力100kWで放送します」というアナウンスが行われ、「第2の開局」と称して周波数変更と出力拡大が行われた。この当時のアナウンスは高岡寮一郎によるものである。
- 1973年(昭和48年) - 『銀座音楽祭』開始(フジテレビ共催。歌手の新人賞の一つ)。
- 1975年(昭和50年) - 視覚障害者のために音響装置付信号機その他を贈るべく、毎年12月24日から翌日12月25日にかけて24時間放送しているチャリティー番組『ラジオ・チャリティー・ミュージックソン』を開始。
- 1977年(昭和52年)10月1日 - 深夜放送『オールナイトニッポン』放送開始10周年。
- 1978年(昭和53年)
- 1981年(昭和56年)12月 - 大型多目的公開スタジオ「ラジオハウス銀河」(第1スタジオを改装)完成。
- 1982年(昭和57年)2月16日 - プリエンファシスを導入。
- 1986年(昭和61年)4月1日 - フジサンケイグループ統一CI導入に伴い、ロゴ・マークを現在の「目玉マーク」に変更。
- 1987年(昭和62年)10月1日 - 深夜放送『オールナイトニッポン』放送開始20周年。
- 1991年(平成3年)10月 - 「オールナイトニッポン」25年目突入を記念して、中島みゆき、タモリ、ビートたけし、笑福亭鶴光の各オールナイトニッポンが、一夜限りの復活放送特別番組を放送した。
- 1992年(平成4年)
- 1994年(平成6年)3月 - 国産初の全固体化大電力デジタル振幅変調方式の送信機(日本電気製 MBT-9050A)を導入。
- 1996年(平成8年)12月2日 - 東京証券取引所第二部に株式を上場。
- 1997年(平成9年)
- 3月24日 - 本社ビルが老朽化し建て替えるため、本社等を有楽町の糖業会館ビルからFCGビル(東京都港区台場、通称フジテレビ本社ビル)に移転。本社・スタジオ・主調整室はFCGビルのメディアタワーの22階~24階に設けられていた。
- 10月1日 - 深夜放送『オールナイトニッポン』放送開始30周年。放送開始30周年を記念して、翌年3月までの間、過去のパーソナリティが登場する特別番組「オールナイトニッポンDX」を放送。
- 1998年(平成10年)
- インターネット公式サイトを、フジサンケイグループのサイト内に開設。
- 1999年(平成11年)
2000年代
- 2000年(平成12年)
- 3月25日 - ニュース、交通情報のジングルを変更(塩塚博作曲 2011年7月まで使用)。
- 12月1日 - BSフジの超短波放送チャンネルの一つとして「LFX488」の放送開始。『ブロードバンド!ニッポン』はじめ一部の番組はインターネットラジオとしても送信。BSデジタルラジオ用サイトlfx488.com開設。
- 2001年(平成13年)
- BSデジタルラジオ用サイトを、lfx.jpに移転。
- 11月 - フジテレビ系列にて「福山雅治と西川貴教のオールナイトニッポンTV」が放送。
- 2003年
- 2004年
- 3月29日 - 新年度開始と同時に昼番組のサイト「1242.com」、夜番組のサイト「allnightnippon.com」、会社要覧・ラジオリビングのサイト「jolf.co.jp、jolf.net」の各全公式ウェブサイトをリニューアル。
- 7月15日 - 開局50周年を記念した特別番組「ニッポン放送開局記念日スペシャル 笑顔が一番!あなたと一緒に50年」を放送。
- 9月6日 - 有楽町の糖業会館・ニッポン放送本社ビル竣工。台場から有楽町に戻る。
- 2005年
- 1月17日 - フジテレビジョン(現・フジ・メディア・ホールディングス)がニッポン放送発行済み株式の公開買付 (TOB) を発表(これにより両社の資本関係が逆転し、フジテレビの子会社になる予定だった)。
- 2月8日 - インターネット関係会社ライブドア(現:LDH)が子会社のライブドア・パートナーズと合わせて株式の35%を取得、ライブドアグループが筆頭株主となる。
- 2月10日 - フジテレビがニッポン放送株式TOBでの株式保有比率目標を「50%超」から「25%超」に引き下げ、買い付けの期限を3月2日まで延長すると発表。
- 2月23日 - フジテレビに対し4720万株分の新株予約権を割り当てると発表。
- 2月25日 - ライブドアがフジテレビを対象とした新株予約権発行を不服として東京地裁に発行差し止めの仮処分申請。
- 3月8日 - フジテレビによるニッポン放送株式TOBが成立、同社発行済み株式総数(3280万株)の36.47%を取得したと発表。
- 3月11日 - ライブドアの差止請求が認められ上記の新株予約権発行は無効に。ニッポン放送は東京高裁に対して即日抗告。
- 3月23日 - 上記の新株予約権発行差し止めの仮処分を不服としたニッポン放送の東京高裁に対する抗告が棄却された。同社は新株予約権発行を断念。
- 3月24日 - ニッポン放送はソフトバンク・インベストメント (SBI) に対して、ニッポン放送が現在所有するフジテレビ株を5年間の期限付きで貸し与えた。
- 3月27日 - 1955年以来、50年間続いた長寿番組『新日鉄コンサート』が終了。
- 4月18日 - ライブドアとフジテレビが和解、ライブドアグループが所有するニッポン放送株式全てをフジテレビに譲渡すると発表。フジテレビによる完全子会社化に目途が立つ。
- 4月22日 - ライブドアが「ニッポン放送株式をフジテレビと“共同保有している”」とした「大量保有報告書」を関東財務局に提出。
- 5月23日 - フジテレビがライブドア・パートナーズを買収し同社の商号を「LFホールディングス」(2006年4月に存在した「ニッポン放送ホールディング」とは別の会社で、2005年7月12日にフジテレビと合併)に変更、フジテレビ保有のニッポン放送株式が合わせて68.87%となる。フジテレビによるニッポン放送の子会社化を円滑に進めるため、産業活力再生特別措置法の適用認定を申請。
- 5月24日 - ニッポン放送株式を東京証券取引所が監理ポストに割り当てる。
- 5月25日 - ニッポン放送が自社株式のTOBを開始。
- 6月10日 - 総務省が産業活力再生特別措置法の適用を認定。
- 6月16日 - ニッポン放送による自社株式のTOBが完了。ライブドアが保有する株式の大半を含む964万株を取得。これに伴いライブドアは主要株主から外れる。
- 6月22日 - フジテレビの深夜ドラマ枠『ディビジョン1』で、ニッポン放送(主にオールナイトニッポンの制作現場)を舞台としたドラマ『1242kHz こちらニッポン放送』放送開始(全4回)。22日深夜(23日未明)放送の『松浦亜弥のオールナイトニッポン』で松浦がこのドラマの模様を解説。
- 6月24日 - 磯原裕専務が社長に就任、亀渕昭信社長は退任し相談役に。
- 6月28日 - ニッポン放送株式が東京証券取引所の整理ポストに移行。
- 6月30日 - SBIに貸し出されていたフジテレビ株式がニッポン放送に返却される。これによりニッポン放送がフジテレビの筆頭株主に復活。
- 7月28日 - ニッポン放送株式が東京証券取引所の上場廃止。
- 9月1日 - フジテレビとの間で株式交換を実施、フジテレビによるニッポン放送の完全子会社化完了。
- 10月3日 - 「ニッポン放送Podcasting STATION」を開設、ポッドキャスティングによるインターネットラジオ配信を開始。
- 12月25日 - フジテレビ系列にて「松任谷由実のオールナイトニッポンTV」が放送。
- 2006年
- 1月19日 - 総務省がニッポン放送のラジオ事業部門の会社分割に伴う免許承継を認可。
- 3月31日 - BSフジの超短波放送チャンネル撤退にともない、「LFX488」の放送が終了。
- 4月1日(休日につき、登記は4月3日に実施)
- 「株式会社ニッポン放送ホールディングス」に商号変更すると共に、中波ラジオ放送事業会社としての新会社(新)「株式会社ニッポン放送」を会社分割(新設分割)により設立。中波放送局免許及び中波ラジオ放送事業を(新)「株式会社ニッポン放送」に承継。ロゴマークも新会社がそのまま承継。
- 「ニッポン放送ホールディングス」をフジテレビが吸収合併。
- アナウンサーを含む47人(全社員の約2割)を除いたすべての社員が(新)「ニッポン放送」に転籍(事実上ニッポン放送に残留)、47人はニッポン放送ホールディングスのフジテレビへの合併によりフジテレビの社員になった(事実上のフジテレビへの転籍)。
- これにより、フジテレビは(旧)ニッポン放送が保有していたフジテレビ株式(20.80%)とニッポン放送子会社(ポニーキャニオンなど)株式を取得し、ニッポン放送保有のフジテレビ株式がなくなるとともに、ニッポン放送子会社がフジテレビの直接子会社となりフジテレビが事業持株会社化した。
- LFXBBを、地上デジタル音声実用化試験放送及びインターネット放送を行うデジタルステーションLFX mudigiとしてリニューアル。
- 9月30日 - 4月の会社再編でフジテレビの社員になっていた元ニッポン放送アナウンサー全てが番組から降板、もしくは番組終了。
- 10月1日 - 地上デジタルラジオ実用化試験放送のチャンネルが、9501チャンネル(愛称mudigi)に移動し、1セグメント放送のみに変更。
- 2007年
- 3月中旬 - Suono Dolce専用サイト開設(suono.jp)。
- 4月2日 - LFX mudigiを地上デジタルラジオ実用化試験放送及びインターネット放送を行うデジタルステーションSuono Dolceとしてリニューアル。地上デジタルラジオのチャンネル名をD-JOLFに変更し、サブチャンネルのJOLF+を創設。
- 10月1日 - 深夜放送『オールナイトニッポン』放送開始40周年。
- 2008年
- 1月29日・1月30日 - 北京オリンピックハンドボールアジア地区最終予選の再試合を行うにあたり、日本で行われる国際試合としてラジオ史上初のハンドボール実況生中継を放送(ハンドボールのラジオ実況は1997年世界男子ハンドボール選手権の熊本放送以来)。
- 2月18日 - 番組が受け付けるFAX番号を一般電話番号からナビダイヤルに変更。
- 2月23日13:00-2月24日29:00 まで 「オールナイトニッポン」40周年の特別番組・「俺たちのオールナイトニッポン40時間スペシャル」を放送。ビートたけし・笑福亭鶴光・タモリ・松任谷由実・ウッチャンナンチャンなどの歴代パーソナリティーが久々に放送し、福山雅治・ナインティナインと現在のパーソナリティも放送した。
- 9月29日 - 地上デジタルラジオ「D-JOLF」のサブチャンネル「JOLF+」を、「ニッポン放送DIGITAL」に改称。地上波ニッポン放送のサイマル放送を開始。
- 10月1日 - フジテレビの持株会社化により、フジ・メディア・ホールディングスの完全子会社となる。
2010年代
- 2010年
- 3月15日 - 他の在京ラジオ6局と共同で、インターネットのIPサイマル放送「radiko」の試験配信を開始(南関東-1都3県限定)[7][8]。
- 6月22日 - 協同廣告(クオラス子会社)会長の村山創太郎が、社長に就任。 磯原裕社長が相談役に就任。
- 6月28日 - 7月期大幅改編と同時に「1242.com」をリニューアル。
- 10月4日 - 1年間をかけて行う、ステーションキャンペーン「人生を豊かに! ニッポンをもっと楽しもう計画」始動。毎月テーマを設けて、各ワイド番組がテーマと番組カラーに特化した話題を届けていく(2011年3月11日発生の東日本大震災のため、キャンペーン展開を打ち切られた)。
- 2010年10月:旅に行こう(キャンペーンパーソナリティ 茂木健一郎)
- 2010年11月:映画を観よう(キャンペーンパーソナリティ テリー伊藤)
- 2010年12月:音楽ダイスキ!!(キャンペーンパーソナリティ 小倉智昭)
- 2011年1月:ケータイ・ネットを楽しもう!(キャンペーンパーソナリティ 大宮エリー)
- 2011年2月:走ろー! 歩こー!(キャンペーンパーソナリティ 高橋尚子)
- 2011年3月:お酒のある人生(キャンペーンパーソナリティ 田崎真也)
- 2011年
- 1月1日 - CS放送専門チャンネルゴルフネットワーク「ジャンボ尾崎世界ゴルフ殿堂入り記念特番 新世紀ゴルフ伝説 ジャンボ尾崎と若武者の挑戦」(1月2日夜放送分)の50分編集版特別番組「新世紀ゴルフ伝説 ジャンボと若武者の挑戦」[11]がLFをキー局にNRN系列で放送(LFでは同日19:00 - 19:50に放送)。パーソナリティは師岡正雄。
- 3月11日 - 東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)発生。「災害特別放送」に移行[12]、終日震災関連の情報を提供。
- 地震発生時(14:46)から18:00まで、発生時に放送していた『ごごばん!』の上柳昌彦アナウンサーと森田耕次報道部長(当時。現:解説委員)が担当(ただし、第一報は宮崎裕子デスク)。このあとも14日5:00まで断続的にアナウンサー・報道部デスク持ち回りで実施。また土曜日は『とくモリ!』の徳光和夫・石川みゆきや『ラジオサーキット』の小倉智昭が出演するなど、通常番組ではあるが内容を大幅変更して放送されたケースも存在する。また13日5:00までは時報、音楽、CMをすべてカットして報道に専念。これ以降も18日までは番組ジングルなどは基本的にカットされた。
- 他の在京局と共に史上初の「ラジオ災害情報交差点」(J-WAVE主導)、またニッポン放送独自のネットワークによる「首都圏学校安否情報」「首都圏お勤め先安否情報」発動。
- 当日19:00から2時間など、一部時間帯は大阪・朝日放送(ABC)へも同時ネットされた。なお、全国ネット対応枠(ex.オールナイトニッポンの枠)は首都圏ローカル情報枠とネット局向け枠の二重制作の上で後者を裏送りした。この裏送り分は大阪ではラジオ大阪が主にネットしていたため、大阪地区では二重制作分を両方聴取することが可能であった。
- この影響で『テレフォン人生相談』は聴取率調査週間のみの放送(それ以外の日は裏送り)となった。
- 3月29日 - この日行われた「東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ がんばろうニッポン!SAMURAI BLUE(日本代表) vs Jリーグ選抜 TEAM AS ONE」(19:00 - 21:50)の生中継を19:20以降、宮城県のコミュニティFMである仙台シティエフエム RADIO3(仙台市青葉区)とエフエムたいはく(仙台市太白区)へ向けてネットされた。また、在阪NRN加盟局がいずれも放送しなかったため、独立局のラジオ関西へもネットされた。実況は煙山光紀アナウンサー。
- 3月31日 - 地上デジタル音声放送実用化試験放送終了に伴い、95チャンネル「D-JOLF」、9501チャンネル「Suono Dolce」・9502チャンネル「ニッポン放送DIGITAL」閉局。
- 4月9日 - 午後1時から24時間、福山雅治をメインパーソナリティに「ラジオ・チャリティー・ミュージックソン スペシャル 『I'm with U キミと、24時間ラジオ』」を生放送。ミュージックソンの特別版は今回が初。また、今回は普段と異なり、深夜早朝に問わず全国の放送局が任意の時間に番組をネットできる体制をとり、企画ネットで放送されない地域でもニッポン放送の番組が入中される。
- 6月22日 - 8月31日にかけて自主的にライトダウンの呼びかけを行う「昼も。夜も。節電ライトダウン2011」に参加。
- 8月1日
- ニュース、交通情報のジングルを変更(中塚武作曲)し、当日の『高嶋ひでたけのあさラジ!』より使用開始。
- 26日までの間、「Summer Time HAPPY HOUR 編成」と題して期間限定で2本番組を放送する。平日朝の起点を30分繰り上げて4:30 - 5:00に「新保友映のもうすぐ あさラジ!」を編成。また夕方は、22日からの1週間はスペシャルウィークとの連動で16:00 - 17:40に「ごごばん!スペシャル ザ・ニュースショー〜そこまで言うか!〜」を編成する。
設備
- 糖業会館・ニッポン放送本社ビル
- 建て替え前は「糖業会館ビル」という名称で、社団法人糖業協会所有のビルにテナントとして入居していた。建て替えを機に合築し、共同所有となった。
- 地下4・3階、地上2・3階は、糖業協会が使用。地下1階はテナント「ニユートーキヨー 綴 TSUZURI」が使用。
- 地下2階
- imagineSTUDIO(イマジンスタジオ) - 第1スタジオ。大型多目的公開スタジオである。ジョン・レノンの楽曲「イマジン」に由来。壁面ガラスにジョン・レノンのサインが刻まれたプレートが埋め込まれている。公開番組や『ラジオ・チャリティー・ミュージックソン』、ニッポン放送主催イベントで使われる。かつての「ラジオハウス銀河」の系譜を受け継ぐもの。
- 1階 - 受付・車庫
- 2・3階 - (糖業協会)
- 4階 - 生放送フロア。第2スタジオと第3スタジオを交互で使用している。
- マスター(東芝 社会インフラシステム社製)
- 報道部
- テレフォンセンター
- 第2スタジオ - 生放送用スタジオ。スタジオの窓からはザ・ペニンシュラ東京や日比谷公園が見える。
- 第3スタジオ - 生放送用スタジオ。スタジオの窓からDNタワー21が見える。また、再移転後しばらくは通称レトロスタジオとして、昭和30年代をイメージした家具や雑貨が置かれていたが、2006年に撤去された。
- 5階
- アナウンスルームなど
- 6階 - 準放送フロア
- 第4、5、7スタジオ - 主に録音番組の収録に使用。
- 第6スタジオ - 録音番組・地方局向け番組の収録に使用。
- 編集室
- 7・8階 - 事務部門
- 9階
- スタジオX - インターネットラジオ・デジタルラジオSuono Dolce専用スタジオ。かつてBSデジタルラジオ LFX488専用スタジオとして設置・使用されていた。
サテライトスタジオ
ニッポン放送は1960年代前半、当時テレビに押され気味だったラジオの媒体価値を高めるべく、ラジオがより身近な存在である事をアピール。局舎以外に公開スタジオを設置する事となり、これをサテライトスタジオ(通称・サテスタ)と呼んだ。このサテスタ作戦は成功し、文化放送は追従したが、TBSラジオは街頭中継に力を入れた(=ラジオカーの増強)こともあり追従はしなかった。
現在ではニッポン放送も含め、同様の施策はAM局よりはむしろFM局の方が力を入れている(例:TOKYO FMのスペイン坂スタジオ)が、全国各局で採用されている。
- 過去に設置されたニッポン放送のサテライトスタジオ所在地
- 新宿(小田急百貨店2階。現在は三菱東京UFJ銀行の一部 1962年-?)
- 新宿(伊勢丹内)
- 雷門サテライトスタジオ(浅草 常盤堂本店1階 現在は店舗の一部)
- 池袋(西武百貨店2階。現在は百貨店のディスプレイ)
- 銀座(三愛ドリームセンター内)
- 西銀座サテライトスタジオ(西銀座デパート1階 現在は隣接していた宝くじチャンスセンターが増床 サテライトスタジオのさきがけ)
- 有楽町Radio Town(有楽町 読売会館2階南側(ビックカメラ有楽町店内) 現在はビックカメラ有楽町店の一部 2001年6月-2004年3月)
ラジオカー
他社に先駆けて1960年(昭和35年)頃に主要13交差点の混雑状況を報じる「交通ニュース」放送開始。その後アメリカのラジオ局にならい「ニッポン放送ヘリ情報」と題してヘリコプターから交通情報や報道を行っていたが、日本道路交通情報センターが設置されたためヘリコプターを廃止。その後1970年(昭和45年)3月2日に街角からのリポート・報道中継を目的として、中波民放ラジオ局としては初めてラジオカーを導入。その後、各局が追随した。当初は2台(セダン型の車両を使用 愛称:ニッポン1号・ニッポン2号 塗装は、緑と白の塗り分け)で、JAFのロードサービス隊員が乗車していた。 なお現在の車両には、車体側面に社名が、ボンネットにフジサンケイグループの目玉マークが、必ず描かれている。
- ラジオカー1号車 - 代々日産自動車の車が使用され、青色の塗装が施される。現在はエクストレイルを使用。「三宅裕司のサンデーハッピーパラダイス」の中継では、必ずこのラジオカーが使用される。
- ラジオカー2号車 - 代々トヨタ自動車の車が使用され、桃色の塗装が施される。現在はマークIIブリットを使用。
- ラジオカー3号車 - 黄色の塗装が施される。1号車・2号車と違い、メーカーが変遷している。
- 中継車 - ラジオカーの電波が受信基地に届かない場合に、ラジオカーの電波を受信基地まで中継するために使われる。他の車に比べ出力の大きい送信機を搭載。現在はトヨタ・ランドクルーザーとトヨタ・ハイエースを使用。ハイエースは黒色で、車体側面にニッポン放送のロゴ・目玉マークがある。ランドクルーザーは、阪神・淡路大震災の際に被災者にポケットラジオを寄贈した際にも使用。
- マイクロバス - 別途機材を積んでラジオカーとして使用することがあり、「ニッポン放送社屋移転特別番組 有楽町からお台場へ 1242人夢のマイクリレー」等で使用されている。トヨタ・コースターを使用。
- ウェザーカー - 車体側面に青空をモチーフにした絵と番組名が塗装され、代々トヨタ自動車のトヨタ・エスティマが使用されている。2台所有。TOYOTA ハッピータウンサーキット専用。1999年(平成11年)に前身番組の「TOYOTA 飛び出せ街かど天気予報」の放送開始に伴い導入。車両は番組の単独スポンサーであるトヨタ自動車より提供されたもの。
車両は4年ごとに更新される。ラジオカーの最大出力は50W。中継は、本社・霞が関ビル・新宿・サンシャインビル・支局等に設置された受信装置に送られ、そこから専用回線を使って本社に送られる。
ナンバープレートは希望番号制度により、基本的に「1242」となっている。
ID
- 開局当時から、民間放送では珍しく君が代が演奏されている。1998年(平成10年)3月までは毎日の放送開始=24時間放送に移行後は1日の基点時間に毎日演奏されていたが、同年4月以後は月曜日と土曜日の早朝の開始(基点)時間に演奏されるのみとなり、火 - 金曜日と日曜日の早朝のジャンクションは、フランク・ミルズの「街角のカフェ(from a sidewalk cafe)」の演奏と共にアナウンスが行われていた。
- 2011年4月現在、基本的にIDの放送は日曜の早朝と月曜の早朝のみとなった。
- 日曜の早朝は、4:28頃に『オールナイトニッポンR』のCM枠内で「今週の推薦曲」を流し、4:29.20から男性アナウンサーの声で流している。4:29.40から4:30.00まではCM枠を再びフェードインさせてつないでいる。
- 月曜の早朝は、以下の通り、試験放送後に那須恵理子アナウンサーによるコールサインチェック、緊急警報放送し試験信号の発信、5:00の時報となって、平日朝一番の番組へつなぐ。
- 火曜〜土曜の早朝は5:00が起点であるが、『オールナイトニッポンR』(くり万太郎/金曜R/はる)後にチェックはせず、時報まではCMを流すのみ。なお、朝一番の番組が『小倉淳の早起きGoodDay!』だった時代は、4:29.47から那須アナ「JOLF こちらはニッポン放送」という多く流されているパターンのものを挿入していた[13]。また、かつて土曜の起点が4:30だった時代にも特に流されることはなく、『オールナイトニッポンR』からはステブレレスで『ラジオアーカイブ 発掘!ラジオ天国』へとつないでいた(ラ・テ欄上は前日深夜扱いだったが、ニッポン放送の編成上では土曜起点の番組)。
- 終了時は増山さやかアナウンサーのアナウンス(2011年3月までは増田みのりアナ)後、クロード・チアリ演奏によるジョニー・ピアソンの「朝もやの渚(SLEEPY SHORE)」が流れる(違いは、ピアソンの原曲はチアリのそれに比べテンポがやや速い。なお、クロード・チアリバージョンは「ベスト盤」がすでに廃盤となっているが、iTunesなどでのダウンロード購入は可能)。ただし、最近はアナウンス後にすぐ停波するパターンも多い。
- 1980~1990年代には、「朝もやの渚(SLEEPY SHORE)」の後にも、朝の局名告知で使用される「街角のカフェ(from a sidewalk cafe)」が、続いて1分15秒ほど流れていた。
- 一日中放送内でCM明けにコールサインが放送され、また1時間ごとに、IDコールが行われる(無線局運用規則第138条第2項の毎時最低1回の局名告知義務に基づくもの)。広告入りの物もある。
- 月曜日の早朝はメンテナンスが行われるが、4:45から試験放送が行われる(2007年9月から2010年6月までは、小倉淳の早起きGoodDay!(4:30開始)が放送されていた為、4:15からであった[14])。その際流れるのは2007年度(平成19年度)まではエンヤの「Orinoco Flow」「Caribbean Blue」「Book of Days」「Anywhere Is」、2008年度(平成20年度)からは同じくエンヤの「Amarantine」「It's In The Rain」「Long Long Journey」の順に流される。そのあとコールサインチェック、君が代の演奏、緊急警報放送システムの試験信号放送が行われ、通常放送がスタートする。なお、この緊急警報放送システムの試験信号放送は、自動的に信号で動作することが出来るラジオの電源をOFFにする信号であるため、ラジオの周波数を1242に合わせてあって、この信号を仮に受信したとしても急に電源が入る心配はない。ただ、対応ラジオで聞いていた場合には電源が切れる。
- 緊急警報システムの試験信号放送は以前は日曜深夜の放送休止のアナウンスが入る前に行なわれていた。
- 1999年(平成11年)7月から2001年3月にかけて、学研が終了時の枠を買い取り、突如終了時にノイズが入り(終わったかのように思わせて)、雑誌ムーの宣伝とオカルト怪談のラジオドラマを放送していた。当時のタイムテーブルには「日曜の夜に何かがおこる」とあった。そのあとに本当のクロージングは放送している。
番組
- ニッポン放送タイムテーブル(※オールナイトニッポンも含む)
- ニッポン放送番組一覧
アナウンサー
アナウンサーは、生活情報・音楽・バラエティなどが中心の制作部と、スポーツ専門のスポーツ部に分かれる。なおニュース専門の報道部はアナウンサーではなく、報道部デスクと呼ばれる。所属は報道部の記者という扱いで、プロフィールも公開されていない。また契約アナウンサーは、報道部の宿直勤務を中心に局アナ業務のフォローを担っている。
2011年6月にそれまで情報・バラエティ担当の制作部とスポーツ部に分かれていたアナウンサー室が集約され、スポーツ部はディレクターのみが所属する。
なお、各番組に出演する際に、ニッポン放送所属であることを前面に出し、「ニッポン放送の○○です。」と言う。
- 旧制作部アナウンサールーム
- 旧スポーツ部
※くり万太郎・清水は公式サイトにプロフィールが公開されていない。
- 報道部記者
※森田は平日午前5時から7時台まで、井土は平日午後1時から5時台まで、勝山は土曜日午後1時から3時台まで、それ以外は平日の午前のニュースを担当、平日午後6時以降・日曜日は制作部のアナウンサーや契約アナウンサーが担当する。
- 契約アナウンサー
※桜林は報道部記者と同じ業務を担当、西村はスポーツ中継時のスタジオ待機担当、他の3人は主に当直となり深夜の交通情報などを担当する。当直勤務は他にOBの斉藤安弘や現役アナウンサーの栗村も行う。
支局アナウンサー
すべてフリーアナウンサー。交通情報(昼・夕方 2010年3月より各支局からの交通情報を休止)や、地域情報番組「ハロー埼玉」(2008年度から休止)・「ハロー千葉」・「ハロー神奈川」を担当。なお東京都内の交通情報は日本道路交通情報センター・警視庁が担当。
- 東日本支局(通称 埼玉支局)
- 酒井美穂(月・火 -2010年3月)
- 久米ちえ(漢字表記不詳 水-金 -2010年3月)
- 千葉支局
- はやしまりい(月・火 -2010年3月)- 2009年以降は交通情報のみの担当となる
- 屋木綾伊子(水-金 -2010年3月) - 2009年以降は交通情報のみの担当となる
- 廣田みゆき(2009年1月-2010年3月) - 「ハロー千葉」のみ担当
- 松井華織(2009年1月- 「ハロー千葉」のみ担当)
- 平塚アミ(2010年3月- )
- おだりょうこ(漢字表記不詳 2010年11月-)
- 神奈川支局
- 久米ちえ(月・火 2010年4月-)
- 田中久恵(水 - 金)
- 三宅和美(-2008年)
※かつては静岡支局も存在していたが、営業拠点であり地域情報や交通情報の枠はなく、1990年代に神奈川支局に統合された。
ディレクター・プロデューサー
- 勅使川原昭
- 節丸雅矛
- 桜井達也
- 石田誠
- 角銅秀人
- 遠藤竜也(報道部から移籍)
- 高田陽平
- 鳥谷規
- 曽我部哲弥
- 長浜純
- 丹羽一弘
- 柿崎竜也
- 松村有希子
- 宅野淳
- 三宅正希
- 松尾紀明
- 宗岡芳樹
- 桐畑行良
- 下の名前が不明の人物
- 柴田ディレクター
- 小山ディレクター
- 青木ディレクター
- 富山ディレクター
- 木村ディレクター
- 竹崎ディレクター
晴れ晴れキャスターズ
1994年(平成6年)10月-2006年(平成18年)9月まで放送されていたTOYOTA 飛び出せ街かど天気予報のウェザーキャスター。
過去の在籍者
フジテレビに転籍したアナウンサー
2006年(平成18年)4月にニッポン放送ホールディングス(旧ニッポン放送)が親会社のフジテレビジョンに吸収されたため、11人のアナウンサーがフジテレビに転籍した(なお7月に栗村がニッポン放送に戻った)。これらのアナウンサーは転籍後半年はテレビ・ラジオ双方に出演していたが、9月いっぱいで契約が切れたため、番組自体が終了したり、担当している番組から降板した。10月以降これらの穴埋めはニッポン放送のアナウンサーやタレントが行っている(ただし小野のみテレビだけでなく、2007年10月から2009年3月までニッポン放送のスポーツ中継で実況を担当していた。この場合、ニッポン放送の番組担当時は出向扱いとなっていた)。
- 塚越孝(1977年入社) - 現・クリエイティブ事業局
- 小野浩慈(1979年入社)
- 桜庭亮平(1983年入社)
- 田代優美(1991年入社) - 現・法務室
- 松元真一郎(福島放送→1992年中京テレビより移籍)
- 川野良子(1994年入社)
- 福永一茂(1998年入社)
- 山本麻祐子(1999年入社)
- 冨田憲子(2001年入社)
- 鈴木芳彦(2003年入社)
その他
胡口・宮田・山田透は退社した現在もニッポン放送ショウアップナイター内ではニッポン放送アナウンサー扱いとなる。また、石川・小口・斉藤・荘口・高嶋・仲佐・波多江も現在ニッポン放送を中心に活動している。
- 阿部宏美(1991〜1993、元・アナウンサー、現・昭和プロダクション所属のフリーアナウンサー)
- 石川みゆき(1981〜1989、元・アナウンサー、現・シグマ・セブン所属)
- 石黒新平(元・東北放送→圭三プロダクション、2004〜2006、再び圭三プロダクションに所属後、2011年1月から広島ホームテレビアナウンサー)
- 石原捷彦(元・編成部長、扶桑社常務を経てFM802へ。現・同局相談役)
- 糸居五郎(1954〜1981、元・アナウンサー、近畿放送=現:京都放送(KBS京都)から移籍、1984年死去)
- 入江たのし(元・ディレクター、現・スタジオビーバ代表取締役)
- 岩上和代(元・アナウンサー)
- 岩下方彦(元・アナウンサー、現・フジテレビ記者)
- 岩附孝(元・報道部記者)
- 今仁哲夫(1961〜?、いまに哲夫、元・アナウンサー)
- 海野尾順子(元・アナウンサー)
- 大平透(1954〜1955、開局当時のアナウンサー兼プロデューサー、現・声優)
- 岡部豊(1994〜2005、元・制作部ディレクター、現・アンビッシュ代表取締役社長)
- 小口絵理子(1998〜2003、元・アナウンサー 現・エル・ファクトリー所属)
- 梶幹雄(1965〜1992、梶みきお、元・アナウンサー、現・オフィス梶所属)
- 勝呂智子
- 加藤久雄(元・スポーツ部アナウンサー)
- 神田比呂志(元・制作部ディレクター、現・フジテレビプロデューサー)
- 木藤隆雄(1971〜1974、木藤たかお、現・フリーアナウンサー)
- 木村篤
- 胡口和雄(元・アナウンサー、現・エル・ファクトリーアナウンス部長)
- 倉本聰(ニッポン放送時代から脚本家)
- 小林達彦(元・アナウンサー、RKB毎日放送から移籍、1969〜2000、現・サッカージャーナリスト)
- 斉藤安弘(元・アナウンサー、現・フリーアナウンサー)
- 柴田かおる
- 下角陽子(元・アナウンサー)
- 東海林のり子(1957〜1971、元・アナウンサー 現・フリーのリポーター)
- 瀬戸将男
- 鈴木智子(現在静岡第一テレビに勤務されている方とは別人)
- 荘口彰久(1992〜2004、そーぐち 元・アナウンサー 現・アミューズ所属のフリーアナウンサー)
- 高嶋秀武(1965〜1990、高嶋ひでたけ・高島ヒゲ武 元・アナウンサー 現・オフィスR&M所属)
- 高崎一郎(元・プロデューサー、現・三越顧問)
- 高橋尚代(アナウンサーとして入社前にラジオっ娘の高橋めぐみとしても出演)
- 高岡寮一郎(元・アナウンサー)
- 土屋夏彦(1980〜2002、元・プロデューサー、現・So-netポータル事業部門部門長・エグゼクティブプロデューサー)
- 常木健夫(元・アナウンサー、1986年死去)
- 田中千恵
- 手島里華(1995〜1997、TOKYO FMアナウンサー、1997〜2006 → 現・J-WAVEアナウンサー)
- 寺内壮(1987〜1991、寺内たけし、その後日本テレビに移籍。音楽番組担当プロデューサーを経て現在は編成局編成部企画担当チーフ)
- 堂尾弘子(1977〜1986、元・アナウンサー、現・プラステン所属)
- 中山千彰(元・ディレクター、現・イースト・エンタテインメントプロデューサー)
- 仲佐かおり(元・アナウンサー、現・フリーアナウンサー)
- 西尾安裕(西尾末広の孫、現・デジタルハリウッド大学客員教授、ラブリバー多摩川を愛する会事務局長)
- 西村知江子(1973〜1981、元・アナウンサー、大橋巨泉事務所(現:オーケープロダクション)所属→現・エル・ファクトリー所属)
- 根岸紀子(元・アナウンサー)
- 能勢裕子
- 波多江孝文(琉球放送から移籍、1978〜、はたえ金次郎・はた金次郎、現・エル・ファクトリー所属)
- 枇杷阪明(1957〜1992、元・アナウンサー)
- 比嘉憲雄(ひがのぼる、現・J-WAVE報道キャスター)
- 檜山信彦
- 深澤弘(東北放送から移籍、1964〜1994、元・アナウンサー、現・新潟県民エフエム放送[FM PORT]東京支社長)
- 宮崎文子(旧:日本短波放送から移籍、1972〜2008、元・アナウンサー→報道部デスク、現・エル・ファクトリー所属)
- 宮田統樹(元・アナウンサー、現・オフィスカノン所属)
- 深山計(中国放送から移籍、1989〜2002、元・アナウンサー、現・フリーアナウンサー、スポーツマネジメント会社「ライツ」取締役)
- 村上正行(NHK松山支局から転籍、2005年死去)
- 村上真由子(1990〜2000、村上まゆこ 元・アナウンサー 現・フリーアナウンサー・タレント)
- 安岡喜郎(元・ディレクター、現・日本テレビ制作局チーフプロデューサー)
- 山岡和美(ジャネット山岡、元・アナウンサー 1998年3月ニッポン放送ディレクター(当時)田所健太郎と結婚)
- 山田透(RFラジオ日本から移籍、1983〜1996、元・アナウンサー、山田くらのすけ、現・キャスト・プラス所属)
- 山田祐嗣(1957〜1962、元・アナウンサー 1962年にフジテレビへ移籍)
- 湯浅明(産経新聞記者を経て、現在は音楽ジャーナリスト。NACK5「WARMING UP MUSIC」でピンチヒッターを務めることがある。国際弁護士の湯浅卓は実弟)
- 吉村達也(元・ディレクター、小説家として独立)
LF+R
- LF+Rを参照。
オーディエンス・セグメンテーション
「オーディエンス・セグメンテーション」(Audience Segmentation)は、ニッポン放送が提唱したラジオ番組編成理論。時間帯によって主たる聴取者を選択し、その聴取者層に合わせて番組を編成する(例:朝・夕方―通勤者、昼―自営業者、車両で外回りする人、夜―若者 これは大まかな分け方で、実際には更に細分化している)。
元々は1960年代前半に広告業界でテレビへの大規模なシフトが起き、ラジオ広告費が大きく減少したことに対応して抜本的な編成方針の見直しを迫られたことから導入したものである(ラジオ離れ#1960年代も参照)。厳密な市場調査を重ね、1964年(昭和39年)4月編成より導入した当初は各方面から無謀ととらえられたが、ニッポン放送の成功により文化放送も追従。毎日放送など全国各局もこれを取り入れた。TBSラジオは当初これに対抗してあらゆる層の聴取者を対象とした総合番組(「オーナー」等)を制作・編成する方針を打ち出したものの、結局は導入した。
この理論は長らく民放中波ラジオ編成の基本とされてきたが、近年では聴取者の高年齢化や若年層のラジオ離れが作用し、理論が当てはまらなくなりつつある。
特徴
- 送信所の位置関係から、TBSと文化放送は北関東の企業・自治体のCMが多い(文化放送は埼玉県を更に重視)のに対し、ニッポン放送は、在京ラジオ局では神奈川県と千葉県等南関東の企業・自治体のCMが多く放送されている。
- 送信所の項で書かれているように、静岡県中部では他の在京局よりもクリアに受信できる。東名高速道路の日本坂トンネル(静岡市と焼津市の境)以東の全トンネルでは、在京民放AMラジオ(TBSラジオ、文化放送、ニッポン放送)が受信できるようになっているが、国道150号の新日本坂トンネル、大井川以東の国道1号、静岡県道29号梅ケ島温泉昭和線、国道362号、国道473号、静岡県道・山梨県道10号富士川身延線 、および静岡県道64号島田川根線 の各トンネルでは、在京民放局で唯一ニッポン放送が受信可能となっている。要するに、同県中部地区でラジオ再送信を行っているトンネルすべてにおいて、ニッポン放送が受信できるということである。ニッポン放送が企画する書籍が首都圏以外に静岡県のコンビニでも販売されるのは、このような理由からである。ちなみに送信所からの直線距離を比較すると、同局を再送信しているトンネルの北限である関越トンネルまでと、静岡県大井川流域までは、ほぼ同じ距離となる。
- 17時頃より関西地区(神戸~姫路付近まで)でも受信可能である。特に冬場は15時頃から受信可能である。
- ニッポン放送のアナウンサーはプロ野球や競馬の観衆を表現するときに、伝統的に「お客様」という表現をしている。この表現は、アナウンサーがフジテレビに転籍したりフリー転向後も概ねこの表現をしており、ニッポン放送出身アナウンサーの特徴となっている。
- ニッポン放送では電話番号やファックス番号の「0」は「ゼロ」と読むよう指導されている。対してライバル局のTBSラジオでは「れい」と読むように指導されている。」という。これは両局でパーソナリティの経験がある伊集院光が伊集院光 日曜日の秘密基地(TBSラジオ)内で語っている。ただし、局内で統一されているわけではなく、上柳昌彦アナウンサー(日曜日の秘密基地のリスナーであることを公言している)はこれを意識してか「0」を「れい」と読んでいる。
- 統一されていないエピソードとしては、上柳アナだけではなく、最近は新保アナや増山アナなども「れい」と読む。一方で垣花アナは「ゼロ」と読んでいる
- なおニッポン放送の郵便番号「100-8439」の読み方は「いちまるまるのはちよんさんきゅう」で統一している(局内では基本的にこの読みだが、外部からのパーソナリティは「いちれいれいの~」と読むこともある)。
- 他の放送局に比べて、流行りのものをいち早く番組に取り入れたり、話題の人物を番組に起用する姿勢が見受けられる。時代の流れに敏感ともいえるが、それに対する揶揄として「いいときだけのニッポン放送」という言葉がある。ニッポン放送番組一覧も参照。
- 2009年からは『週刊フジテレビラジオ』、『私の正論』を放送するなどフジサンケイグループの一員の強調ぶりが目立つ。また、月曜朝のニュースではフジテレビ『新報道2001』からの音声を引用することが多い。またその場合も「フジテレビの『新報道2001』で・・・」とニュース原稿を読み上げるが、その他の番組(ex.テレビ朝日『サンデー・フロントライン』など)の場合は「民放の番組で」という原稿となっている。
その他のメディア
以下はニッポン放送が編成・発行する、中波放送以外のマスメディア。
- インターネットラジオ
- LFX BB: インターネットラジオ局。LFX488の一部番組のサイマル放送と、ブロードバンドニッポン!の一部コーナーのオンデマンド配信のみを行っていた。2001年9月24日開設。2006年4月1日よりLFX mudigiに改称。
- LFX mudigi: 旧LFX BB。インターネットラジオ局。2006年4月1日に改称し、2007年4月2日よりSuono Dolceに改称。
- ニッポン放送 ポッドキャスティングステーション: ポッドキャスティングによるインターネットラジオ局。2005年10月開設。
- 地上デジタルラジオ
- Digital Radio 98 The Voice: 地上波デジタルラジオ実用化試験放送局のチャンネル。東京地区9801チャンネル 2003年10月10日の実用化試験放送局開局から2006年9月30日まで、エフエム東京・ジャパンエフエムネットワークと共同運営していた。デジタルラジオの構成社再編に伴い、10月1日にmudigiへ移動。
- mudigi: 地上波デジタルラジオ実用化試験放送局のチャンネル。東京地区9501チャンネル。2003年10月10日に9801チャンネルで開局し、2006年10月1日より現在のチャンネルに移動。割り当てチャンネル枠自体は伊藤忠商事と共同運営。
- Suono Dolce(D-JOLF): 旧mudigi。デジタルラジオ・インターネットラジオ局。2007年月2日に現在の名称に改称。デジタルラジオでは2011年3月31日をもって閉局し、以降はインターネットラジオのみとなる。
- ニッポン放送DIGITAL(旧 JOLF+): 地上デジタルラジオD-JOLFのサブチャンネルとして、2007年4月2日に特別番組専用のチャンネルとして開局し、2008年9月29日にニッポン放送DIGITALに改称。2011年3月31日閉局。地上波ニッポン放送のサイマル放送を行う。
歴代キャッチコピー
※カッコ内はイメージキャラクター等に起用されたタレント
- 1974 - 1975年 「ハッピーラジオ」 (74年:研ナオコ、75年:林寛子)
- 1976年 「ハッピーラジオ・健康作り」 (秋野暢子)
- 1977年 「フレッシュラジオ」 (木之内みどり、松本ちえこ、岡田奈々)
- 1978年 「フレッシュラジオ・笑顔でファイト」 (荒木由美子)
- 1979 - 1980年 「笑顔がきこえる」 (79年:能瀬慶子)
- 1981 - 1982年 「いまラジオ時代」
- 1983年 「ボクハキミノココロノナカニイル」
- 1984年 「いますぐ逢いたい」 (THE ALFEE)
- 1985年 「また、おまえか!」(チェッカーズ)
- 1986年 「もお!たーいへん!」 (とんねるず)
- 1987年 「まかせてチョンマゲ!夢工場」(デーモン小暮閣下、南野陽子)
- 1988年 「トンデモはねてる!」 (光GENJI)
- 1989年 「かぼちゃ計画 もも計画」(B21スペシャル、ジングル歌唱:久保田利伸)
- 1990年 「オモスルドロイカ!?」
- 1991年 「みんなのラジオ~ごはんとおふろとニッポン放送」
- 1992年 「そこまでいうか! そこまでやるか!」
- 1993年 「あっけら、感動(CAN DO)。」[15]
- 1994年 「みんなでやんちゃ ラジオはおもちゃ おちゃめでニッコリ!」
- 1995年 「未来(みら)くるラジオ」 (トータルプロデューサー:テリー伊藤)
- 1996年 「笑ってチョーナイ!」
- 1997年 「青春花吹雪!」(テリー伊藤)
- 1998年 「がんばれ!ニッポン放送」
- 1999年 「ゆずとだんごとニッポン放送」(ゆず)
- 2000年 「ビビッと!夢見る」(コブクロ)
- 2001年 - 2002年 なし
- 2003年 「あなたがいるから」(矢口真里)
- 2004年 「メジャーなラジオ」(松井秀喜)
- 2005年 なし
- 2006年 「だったらラジオ!」 (オリエンタルラジオ(4月~6月)→いきものがかり(7月~12月))
- 2007年 「ニッポン放送があるじゃないか!」[16]
- 2008年 「ビビッとくる!」[17][18]
- 2009年 「55&GOES ON」(開局55周年、糸居五郎のフレーズから)
- 2010年上半期 「情報タップリ!! オモシロ万博」(AKB48 ~6月27日)
- 2010年下半期 「声出していこー。」(高嶋ひでたけ・上柳昌彦・徳光和夫・テリー伊藤・柳原加奈子 6月28日~)
- 2011年 「ひとつになろう!ニッポン」(4月 - 9月)[19]
- 2011年 「みんな、つながる。 今、聴かなくちゃ。」(10月 - )
TBSラジオの「聞けば、見えてくる。」、文化放送の「QRソング」といったステーションソングは導入実績がない。
ニッポン放送 THEラジオパーク in 日比谷
詳細は「ニッポン放送 THEラジオパーク in 日比谷」を参照
関連企業
- フジ・メディア・ホールディングス(フジサンケイグループの持株会社。現在の完全親会社。)
- ニッポン放送グループ
ニッポン放送の子会社だった企業
- 株式会社フジパシフィック音楽出版 - 1966年、パシフィック音楽出版として設立、1985年フジ音楽出版と合併。
- 株式会社ポニーキャニオン - 1966年設立のポニー(設立時ニッポン放送サービス)と1970年設立のキャニオンレコードが1987年合併。
- 株式会社ディノス - 1971年設立(1973年にフジサンケイリビングサービスに社名変更)。1991年に設立された同名の新会社(2004年ディノスに再度社名変更)に事業承継されるまでニッポン放送の子会社だった。
- 株式会社ビッグショット - フジサンケイグループ内の広告代理店再編に伴い、フジサンケイアドワーク・ティーコムコーポレーション・富士アドシステムと合併し、株式会社クオラスとなり、フジテレビグループに移動。
- 株式会社彫刻の森 - 箱根 彫刻の森美術館内のテナント・フジテレビ本社内のアンテナショップ運営。2006年株式会社フジランドに合併。
関連放送事業者
- フジテレビジョン(フジサンケイグループ、元子会社で現在は兄弟会社[20])
- 文化放送(フジサンケイグループ、フジ・メディア・ホールディングスに出資)
- 東海ラジオ放送(東海テレビ放送・中日新聞社と関連)
- 大阪放送(ラジオ大阪、フジサンケイグループ)
資本関係のある放送事業者
※ニッポン放送が出資している主な放送事業者は以下の通り。なお、記載の数字は発行済株式総数に対する出資比率、放送局名が太字のものは筆頭株主であることを表す(いずれも2010年3月31日時点[21])。
- エフエム山形(JFN系列) - 4.2%
- エフエムナックファイブ(非系列) - 5.0%
- ベイエフエム(非系列) - 6.0%
- J-WAVE(JFL系列) - 4.85%
- 横浜エフエム放送(非系列) - 5.89%
- 長野エフエム放送(JFN系列) - 3.5%
- エフエム石川(JFN系列) - 4.0%
- エフエム京都(非系列) - 2.37%
- FM802(JFL系列) - 10.0%
- エフエム徳島(JFN系列) - 4.8%
- エフエム高知(JFN系列) - 3.0%
- エフエム熊本(JFN系列) - 4.34%
- ラジオ沖縄(NRN系列) - 5.15%(文化放送も同比率で出資)
脚注
- ^ この略称は現在では長野放送が使用している
- ^ ただし、創立時の社名は日本放送表記である。
- ^ 日によって終了時間を繰り上げることもある。2011年8月7日は「ホップ!ステップ!bump.y」「サウンドピクチャー」「東北魂」の枠を30分ずつ繰り上げた上で26:40から放送休止。なお、2011年8月1日 - 26日までは4:30起点
- ^ 清水克彦『ラジオ記者、走る』新潮新書、p31。
- ^ 花輪如一『ラジオの教科書』データハウスより。
- ^ 同じ時報を秋田放送ラジオも使用している
- ^ 『民放ラジオ局13社、3月から番組ネット配信』 - 読売新聞 2010年2月13日
- ^ 『在京・在阪の民放13局が3月からネット配信解禁へ』 - CNET Japan 2010年2月15日
- ^ 新会社radikoを12月1日に設立、IPサイマルラジオ放送が本格始動 - 朝日新聞 2010年11月25日
- ^ 株式会社radikoが12月1日発足、区域の拡大や新局の参加を2011年春までに - NIKKEI BP 2010年11月25日
- ^ 遼、勇、峻がジャンボ尾崎とガチンコ勝負! - ALBA.Net2010年12月21日。
- ^ 東京や首都圏で震度5強以上の地震が発生し、大きな被害が起きた場合に移行する。「ラジオ災害情報交差点」「首都圏学校安否情報」「首都圏お勤め先安否情報」を含めて情報を発信するもの(2011年9月1日「あなたとハッピー!」より)
- ^ 時期にもよる。「ニッポン放送 55 & Goes on!」や「情報タップリ!! オモシロ万博」と歌うものであったり、スペシャルウィーク期間中は番組宣伝ミニスポットだったりした
- ^ 2011年8月の30分繰り上げ編成の時も同様に行われていた。(22・29日を除く)
- ^ 「あっけらkan-no 菅野美穂」に似ているが、その番組は1995年から放送していたもの。
- ^ イメージキャラクターを設けず、ニッポン放送の各番組のパーソナリティがコールした。
- ^ 2000年のキャッチコピーにタイトルが似ているが、リメイクである。
- ^ 上柳が2008年3月21日のNHKラジオの特番の発言・ニッポン放送デジタルタイムテーブル2008年9月号より
- ^ フジテレビを中心とするFNSのキャッチコピーと同様のもの。
- ^ 設立時はニッポン放送・文化放送の出資により設立され、その後文化放送が出資比率を下げたため長らくニッポン放送の子会社であったが、資本関係のねじれの是正に伴い旧ニッポン放送を吸収合併して親会社となり、さらに旧フジテレビジョンの持株会社化に伴い新しくフジテレビジョンが設立された。このため現在のフジテレビジョンは兄弟会社になる。
- ^ 『日本民間放送年鑑2010』 - 日本民間放送連盟編
関連項目・人物
- フジサンケイグループ
- フジ・メディア・ホールディングス
- オールナイトニッポン
- 通信と放送の融合
- ラジオびんびん物語
- フジテレビ深夜ドラマ ディビジョン1 1242kHz こちらニッポン放送
- ニッポン放送の経営権問題
- ニッポン放送 ポッドキャスティングステーション
- ニッポン放送番組一覧
- 横浜ベイスターズ(1978年以降第2位株主)
- 東京ヤクルトスワローズ
- SBIホールディングス
- 大滝詠一(自身のレコードレーベルナイアガラレコードが倒産してからCBSソニーレコード移籍まで傘下だった。)
- 鹿内春雄
- 鹿内宏明
元社長
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参考文献
- ニッポン放送編 『ラジオ・カタログJOLF』(サンケイ出版、1982年)
外部リンク
- 株式会社ニッポン放送(企業トップページ) (日本語)
- ニッポン放送(昼の番組のサイト) (日本語)
- オールナイトニッポン(夜の番組のサイト) (日本語)
- ニッポン放送広報部 (1242_pr) - Twitter(各種番組情報を発信している。)
- インターネットラジオ(デジタル・インターネットラジオ Suono Dolceのサイト) (日本語)
- ニッポン放送EVENT(イベント情報のサイト イベント部運営) (日本語)
- FUJISANKEI COMMUNICATIONS GROUP (日本語)
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