ノーベル文学賞
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| ノーベル文学賞 | |
|---|---|
| 受賞対象 | 文学への顕著な貢献 |
| 主催 | スウェーデン・アカデミー |
| 国 | スウェーデン |
| 初回 | 1901年 |
| 最新回 | 2011年 |
| 最新受賞者 | トーマス・トランストロンメル |
| 公式サイト | http://nobelprize.org/nobel_prizes/literature/ |
ノーベル文学賞(ノーベルぶんがくしょう)はノーベル賞6部門のうちの1つ。文学の分野において理念をもって創作し、最も傑出した作品を創作した人物[1]に授与される。定数1。
目次 |
概要
アルフレッド・ノーベルは若い頃から文学を好み、自分自身で創作や外国語からの翻訳を行っていた。文学は人類にとって重要なものであると認識し、遺言の中で文学を表彰の対象に含めた[2][3] 。
ノーベル文学賞はその作家の作品、活動の全体に対して与えられるものであって、1つの作品に対して与えられるものではないとされているが、場合によっては特に代表的な作品や選考の上で評価された作品などの名前が賞記に記されることもある。原則として選考の時点で生存している作家が対象であり、追贈は行わない。資格を持っている各地のペン・クラブや大学、文学者などから候補が推薦され [4] 、これをスウェーデン学士院が選考する[5]。
他の科学賞や平和賞の趣旨と歩調をあわせて人類の進歩、発展に寄与する理想主義的、人道主義的な文学者に授与されることが多かったが、第二次世界大戦後は「理想」あるいは「理想主義」と関係が薄れ、既存の社会に対して批判的な作家に対して贈られるケースが増えた。さらに、1947年にアンドレ・ジッドが受賞したように、世界的に著名で高齢の文豪が選ばれる傾向が強くなった。それまでは比較的若く、以後の創作が望まれる作家が選ばれる傾向があった[3][6]。1970年代以降はパトリック・ホワイトをはじめ前衛的な作家が選ばれ得るようになり、広い地域から受賞者が生まれた[7]。
過去には歴史家のモムゼン、哲学者(オイケン、ベルクソン、ラッセル)など文学者以外の受賞者もいたが政治家のチャーチルの受賞を最後に文学者のみが対象と決められた[3][8]。
これまでにボリス・パステルナークとサルトルの2人が受賞を辞退している。
選考
第1回の選考の際にはトルストイが存命で、有力候補とされていたがフランスのアカデミーが推薦した詩人シュリ・プリュドムが選ばれた。 この選考結果に対してスウェーデン国内で一部の作家たちが抗議を行うなど世論の批判があったが、トルストイの主張する無政府主義や宗教批判が受け入れられず、翌年以降も選ばれることは無かった[9]。
1913年には、インドのタゴールがヨーロッパ以外の地域から初めて選ばれた。タゴールはベンガル語で詩を作り、『夕べの歌』の出版以来、高い評価を得ていた。子供の頃から英語を学び、イギリス留学の経験もあるため英語に通じていたタゴールが自分自身で詩を英語に訳したところ、アイルランドの詩人イェイツなどの協力によって英語で出版され、ヨーロッパでも好評を得た[10]。
1914年の選考ではカール・シュピッテラーが候補になっていたが、第一次世界大戦の勃発により授賞は中止された。1916年の11月に、1915年のロマン・ロランと1916年のヴェルネル・フォン・ハイデンスタムの二人への授賞が発表された。式典自体は戦争が終結する1918年まで実施されなかった[11]。
1925年に選ばれた劇作家、バーナード・ショーは当初受賞を拒否していたが、説得により賞を受け、賞金はイギリスにおけるスウェーデン文学の為の財団設立に投じられた[12]。
第二次世界大戦が始まると4年の間、ノーベル文学賞は中止された。1945年に1944年の受賞者ヨハネス・イェンセンと1945年の受賞者ガブリエラ・ミストラルが同時に発表された。1945年の選考ではフランスのポール・ヴァレリーに決まりつつあったが、正式決定前の7月にヴァレリーが死亡した為、ミストラルの南米初の受賞が決まった[13]。
1958年のソ連のボリス・パステルナークは政府からの圧力により、辞退を強要された[14]。パステルナークは1960年に死亡し、1988年に息子がメダルを受け取っている[15]。
サルトルは1964年に選ばれたが、辞退した。サルトルは公的な栄誉を否定しており、過去にもフランス政府による勲章等を辞退していた。公式な声明ではノーベル賞の辞退は個人的な理由としているが、この賞が西側中心のものであることへのサルトルの批判として受け止められた [16] [17]。
日本人では川端康成と大江健三郎の2人が受賞している。このほか、賀川豊彦が1947・1948年の2度候補に挙がっている[18]。ノーベル賞の候補者や選考過程は50年間の守秘義務があり、ノーベル財団のウェブサイトでは1950年までの候補者が公表されている[19]。2009年、朝日新聞がノーベル財団に50年以上経過した過去の情報公開を請求した結果、賀川の後は1958年に谷崎潤一郎と西脇順三郎が候補となっていたことが確認された[20]。さらに、公開された日本の外務省公電からの間接的な形ではあるが、谷崎と西脇は1960 - 1962年にも候補者となっていたことが研究者によって確認されている[21]。これ以外に古くは1926年に内田魯庵が野口米次郎を「日本の文芸家からノーベル賞の候補に挙がる最初の人物」と評した[22]のをはじめ、戦後は三島由紀夫、芹沢光治良、井伏鱒二、井上靖、遠藤周作、安部公房、村上春樹らが「候補者」として報道されたことがあるが、いずれも下馬評や過去の受賞者が獲得していた他の文学賞との関連などに基づく類推の域を出るものではなく、現在公表されているノーベル財団の公式な資料に基づくものではない。
歴代受賞者
1900年代
1910年代
1920年代
1930年代
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
| 年 | 肖像 | 受賞者 | 出身 | | ジャンル | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 2010年 | ファイル:Mario Vargas Llosa-2.jpg | マリオ・バルガス・リョサ | ファイル:Flag of Peru.svg ペルー | 小説 | ||
| 2011年 | ファイル:Transtroemer.jpg | トーマス・トランストロンメル | ファイル:Flag of Sweden.svg スウェーデン | 詩 |
受賞者の執筆言語
(2011年現在。サミュエル・ベケットは英語・フランス語両方に加えた)
- 26人 - 英語
- 14人 - フランス語
- 13人 - ドイツ語
- 11人 - スペイン語
- 7人 - スウェーデン語
- 6人 - イタリア語
- 5人 - ロシア語
- 4人 - ポーランド語
- 3人 - デンマーク語、ノルウェー語
- 2人 - 日本語、ギリシャ語
- 1人 - トルコ語、ハンガリー語、中国語、ポルトガル語、アラビア語、チェコ語、イディッシュ語、ヘブライ語、セルビア・クロアチア語、アイスランド語、フィンランド語、ベンガル語、プロヴァンス語
脚注
- ^ Nobel Media AB. “Full text of Alfred Nobel's Will”. 2011年10月22日閲覧。
- ^ 柏倉、2-3頁。
- ^ a b c 戎崎俊一監修 『ノーベル文学賞と経済学賞 : 暮らしと心を豊かにした人びと』 ポプラ社、2003年。ISBN 4-591-07516-8。 、2-3頁 16頁。
- ^ The Asahi Shimbun Company. “ノーベル文学賞 選考の地を訪ねて〈上〉”. 2011年10月22日閲覧。
- ^ 柏倉、4-7頁。
- ^ 柏倉、104-105頁。
- ^ 柏倉、179-180頁。
- ^ 柏倉、79頁。
- ^ 柏倉、8-9頁。
- ^ 柏倉、15-23頁。
- ^ 柏倉、42-43頁。
- ^ 柏倉、56-59頁。
- ^ 柏倉、99-101頁。
- ^ a b Nobel Media AB. “Nobel Prize Facts”. 2011年10月29日閲覧。 Four Nobel Laureates have been forced by authorities to decline the Nobel Prize!
- ^ 柏倉、141-147頁。
- ^ Nobel Media AB. “Nobel Prize Facts”. 2011年10月29日閲覧。 Two Nobel Laureates have declined the Nobel Prize!
- ^ 柏倉、148-151頁。
- ^ 賀川豊彦:ノーベル文学賞候補だった 1947、48年連続--日本人初毎日新聞2009年9月13日
- ^ Nomination Database The Nomination Database for the Nobel Prize in Literature, 1901-1950(英語)
- ^ 「谷崎潤一郎、58年ノーベル賞候補 三島由紀夫が推薦状」朝日新聞2009年9月23日。谷崎はパール・バックやドナルド・キーン、エドウィン・O・ライシャワー、三島由紀夫ら5人から推薦を受け、最終選考より一段階前の41人に含まれていた。
- ^ 吉武信彦「ノーベル賞の国際政治学」『地域政策研究』高崎経済大学地域政策学会、第12巻4号、2010年、p21 - 43[1]
- ^ 星野文子「近代日本における、ある異邦人の宿命 -ヨネ・ノグチの再評価に向けて-」 『ICU比較文化』No.42、ICU比較文化研究会、2010年、p77[2]。なお、上記のノーベル財団ウェブサイトの候補者データには野口の名前はない。
参考文献
- 柏倉康夫 『ノーベル文学賞 : 作家とその時代』 丸善、1992年。ISBN 4-621-05064-8。
関連項目
外部リンク
- ノーベル文学賞受賞者の一覧 - 公式サイト (英語)
- データベース・ノーベル文学賞
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