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ハビエル・パストーレ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ハビエル・パストーレ ファイル:Football pictogram.svg
ファイル:Javierpastore.JPG
名前
本名 ハビエル・マティアス・パストーレ
愛称 El Flaco(やせっぽち)[1]
ラテン文字 Javier Matías Pastore
基本情報
国籍 ファイル:Flag of Argentina.svg アルゼンチン
ファイル:Flag of Italy.svg イタリア
生年月日 1989年6月20日(22歳)
出身地 コルドバ
身長 187cm
体重 78kg
選手情報
在籍チーム ファイル:Flag of France.svg パリ・サンジェルマンFC
ポジション MF
背番号 27
利き足 右足
クラブチーム1
クラブ 出場 (得点)
2007-2009
2008-2009
2009-2011
2011-
ファイル:Flag of Argentina.svg タジェレス
ファイル:Flag of Argentina.svg ウラカン (Loan)
ファイル:Flag of Italy.svg パレルモ
ファイル:Flag of France.svg パリSG
5 (0)
31 (8)
69 (14)
7 (5)
代表歴 2
2009- ファイル:Flag of Argentina.svg アルゼンチン 9 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2011年10月5日現在。
2. 2011年6月11日現在。
テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj
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ハビエル・マティアス・パストーレJavier Matías Pastore, 1989年6月20日 - )は、アルゼンチンコルドバ出身のサッカー選手リーグ・アンパリ・サンジェルマンFC所属。アルゼンチン代表である。ポジションはMF(トップ下)。

タジェレス・デ・コルドバからデビューし、CAウラカンを経て、2009年7月にセリエAUSチッタ・ディ・パレルモに移籍した[2]。2010年夏にはアルゼンチン代表として2010 FIFAワールドカップに出場し、2011年7月、リーグ・アンパリ・サンジェルマンFCに移籍した[2]

目次

経歴

クラブ

初期の経歴

タジェレス・デ・コルドバの下部組織で育ち、2007年にリカルド・ガレカ監督の下でトップチームデビューを果たしたが、プリメーラB・ナシオナル(2部)に所属する同クラブでは5試合しか出場できなかった。

CAウラカン

2008年、プリメーラ・ディビシオン(1部)に昇格したばかりのCAウラカンにレンタル移籍し、5月24日のCAリーベル・プレート戦(0-1)でデビューした。クラウスーラ2009で飛躍的に成長し、プレーメーカーとしての才能を惜しみなく発揮した。1試合2得点を3回達成するなど得点意識が高く、最終的に7得点3アシストを記録してチーム内得点王になり、マティアス・デフェデリコとともに最終節まで優勝を争ったCAウラカンの柱であった。同シーズンのCAリーベル・プレート戦でのプレーは特に称賛されている。25ヤードの距離から先制点となるミドルシュートを決め、さらに追加点も決めて4-0の勝利に導いた。CAウラカンがCAリーベル・プレートに対して4点差を付けて勝利するのは60年以上ぶりであった。ミゲル・アンヘル・カッパ監督には「アルゼンチン代表でフアン・ロマン・リケルメの後を継げるのは彼しかいない」と称賛され[3]、2009年夏にはマンチェスター・ユナイテッドFCFCポルトACミランチェルシーFCなど、ヨーロッパの多くのクラブから興味を示された[4]

USチッタ・ディ・パレルモ

2009年7月11日、イタリア・セリエAUSチッタ・ディ・パレルモと5年契約を結んだ[2][5][6][7] [8]。移籍金は約470万ユーロ。8月15日のコッパ・イタリアでデビューし、8月22日にはSSCナポリ戦に先発出場してセリエAデビューを果たした。10月4日のユヴェントスFC戦で飛躍的な成長を遂げ、エディンソン・カバーニの得点をアシストして2-0で勝利を飾ると、イタリアのすべてのウェブサイトと全国紙に名前が登場した。ワルテル・ゼンガ監督の下では途中出場がほとんどであったが、デリオ・ロッシ新監督はファブリッツィオ・ミッコリとカバーニの背後にパストーレを据えるフォーメーションを採用し、後半戦は完全にレギュラーに定着した。2010年1月30日のASバーリ戦(2-4)で初得点を決め、2009-10シーズンはリーグ戦34試合に出場してUEFAヨーロッパリーグ出場権獲得に貢献した。

2010年11月14日のカターニアとのシチリアダービーで自身初のハットトリックを達成した[9]。2011年1月、セリエA最優秀若手選手賞を受賞。2010-11シーズンはリーグ戦で11得点5アシストを記録し、決勝に進出したコッパ・イタリア枠で2シーズン連続でのUEFAヨーロッパリーグ出場権を獲得した。7月30日、パレルモのマウリツィオ・ザンパリーニ会長はパリ・サンジェルマンFCへの移籍で移籍金が合意に達したことを明らかにした[10]

パリ・サンジェルマンFC

2011年8月6日、フランス・リーグ・アンパリ・サンジェルマンFCがパストーレとの契約を公式に発表し、背番号は27に決まった[11]。この際に明らかにされた移籍金は3980万ユーロであり[2]、4200万ユーロなどとも報道されたが[12][13]、第三者として選手の所有権を持つ代理人のマルセロ・シモニアンによれば、(代理人手数料が含まれているかいないかは定かでないが)2150万ユーロしか支払われておらず[2]、パレルモは2280万ユーロしか支払っていないことをウェブサイトで公表している[14]。なお、パリ・サンジェルマンFCが公表している移籍金が正しければ、2000年のニコラ・アネルカの例(3350万ユーロ、レアル・マドリードからパリ・サンジェルマンFCに移籍)を上回ってリーグ・アン史上最高額の移籍金となる[12]。FIGCはいかなるイタリアのクラブにも第三者が選手の所有権を保持することを認めておらず、ザンパリーニ会長自身が罪に問われる危険にさらされているにもかかわらず[15]、ザンパリーニ会長は法的手段行使に動き始めた[2]

代表

2009年夏に移籍したUSチッタ・ディ・パレルモで活躍し、12月、ディエゴ・マラドーナ監督によってアルゼンチン代表に初招集された。12月22日に行われた非公式親善試合のカタルーニャ選抜戦に後半から出場して得点を挙げたが、国際サッカー連盟(FIFA)に認められていない試合のため代表キャップは記録されていない。つづいてドイツとの親善試合にも招集されたが、この試合では出場機会がなかった。2010年5月25日、カナダとの親善試合で公式にアルゼンチン代表デビューを果たした。

2010年5月、2010 FIFAワールドカップに出場する代表メンバー23人に選出された[16][17]。グループリーグ初戦のギリシャ戦では、77分にセルヒオ・アグエロとの交代で途中出場し、その試合には2-0で勝利した[18]メキシコ戦では87分にマキシ・ロドリゲスとの交代で途中出場し、その試合には3-1で勝利した[19]

エピソード

  • ファンを大切にする選手として有名であり、来日中はサインを書かない日がなかったほどである。[要出典]
  • アルゼンチンのカカと言われることもある[20] [21] [22]

所属クラブ

タイトル

ファイル:Pastore.png
パリ・サンジェルマンでのパストーレ
個人

個人成績

クラブでの成績

利用者:Bcjp/t/fbp国内表 top 利用者:Bcjp/t/fbp国内表 th |- |2007-08||タジェレス||||プリメーラ||5||0||0||0||0||0||5||0 |- |2008-09||CAウラカン||||プリメーラ||31||8||0||0||0||0||31||8 |- 利用者:Bcjp/t/fbp国内表 th |- |2009-10||パレルモ||6||セリエA||34||3||1||0||colspan="2"|-||35||3 |- |2010-11||パレルモ||27||セリエA||34||11||3||2||colspan="2"|-||37||13 利用者:Bcjp/t/fbp国内表 通算始36||8||0||0||0||0||36||8 利用者:Bcjp/t/fbp国内表 通算行68||14||4||2||colspan="2"|-||72||16 利用者:Bcjp/t/fbp国内表 通算終104||22||4||2||0||0||108||24 |}

代表での得点

# 日時 場所 相手 スコア 結果 大会
1. 2009年12月22日 ファイル:Flag of Spain.svg バルセロナ ファイル:Flag of Catalonia.svg カタルーニャ 1 – 2 2 – 4 非公式親善試合

脚注

  1. ^ W杯選手名鑑・アルゼンチン:ハビエル・パストーレGoal.com、2010年5月10日
  2. ^ a b c d e f “Zamparini:" ricattato” (Italian). La Repubblica. (3 September 2011). http://ricerca.repubblica.it/repubblica/archivio/repubblica/2011/09/03/zamparini.html 4 September 2011閲覧。 
  3. ^ 「いつだって楽天南米 No.130」、ワールドサッカーダイジェスト、日本スポーツ企画出版社、2009年8月6日号
  4. ^ Richards, Joel (2009-05-29). “Maradona the only one still to be blown away by Huracán's Pastore”. London: The Guardian. http://www.guardian.co.uk/football/blog/2009/may/29/javier-pastore-huracan-manchester-united 2009-07-11閲覧。 
  5. ^ El futuro de Pastore estaría en Italia Sports YA (スペイン語)
  6. ^ “PASTORE: DEPOSITATO IL CONTRATTO” (Italian). US Città di Palermo. (2009-07-11). http://www.ilpalermocalcio.it/it/0809/news_scheda.jsp?id=17430 2009-07-11閲覧。 
  7. ^ FOOTBALL press (2009-07-08). “Pastore to Palermo”. 2009-07-10閲覧。
  8. ^ 公式発表:パレルモが「カカ2世」パストーレを獲得livedoorスポーツ、2009年7月9日
  9. ^ Palermo 3-1 Catania: Sensational Javier Pastore Hat-Trick Wins Sicilian Derby Goal.com
  10. ^ Zamparini: Pastore deal done with PSG ESPN Soccernet
  11. ^ PSG sign Pastore パリ・サンジェルマンFC公式サイト
  12. ^ a b PSG、フランス史上最高額でパストーレを獲得 UEFA.com、2011年8月6日
  13. ^ パストーレがパリSG入団会見「タイトルを獲得するために来た」 サッカーキング、2011年8月9日
  14. ^ “UN PALERMO CHE INVESTE” (Italian). US Città di Palermo. (2011-09-01). http://www.palermocalcio.it/it/1112/news/scheda.php?id=25379 
  15. ^ Regolamento Agenti dei Calciatori (2011)” (Italian). FIGC (2011-03-03). 2011-09-04閲覧。
  16. ^ WM-Debüt für Pastore – Ki beeindruckend
  17. ^ アルゼンチン代表、W杯に臨む23人を発表Goal.com、2010年5月20日
  18. ^ World Cup 2010: Greece 0–2 Argentina: Second Half Goals Doom Europeans
  19. ^ Argentina Dumps Mexico, Reaches WCup Quarterfinals with Tevez's 2 Goals
  20. ^ パレルモ会長:「パストーレの技術はカカー以上」livedoorスポーツ、2010年5月8日
  21. ^ パストーレの将来を確信するカッパ氏livedoorスポーツ、2010年4月3日
  22. ^ 『ワールドサッカーダイジェスト』、日本スポーツ企画出版社、2010年5月6日号、62-63頁

外部リンク