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ベルリン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ベルリン
Berlin
ファイル:Assemblage Berlin.jpg
ベルリンの風景
ファイル:Flag of Berlin.svg ファイル:Coat of arms of Berlin.svg
市旗 市章
位置
ファイル:Berlin in Germany and EU.png
欧州連合およびドイツ国内におけるベルリンの位置
座標 : 北緯52度30分59秒 東経13度22分39秒 / 北緯52.51639度 東経13.3775度 / 52.51639; 13.3775
行政
ファイル:Flag of Germany.svg ドイツ
  都市州
 市 ベルリン
クラウス・ヴォーヴェライト
SPDLinke連立)
地理
面積  
  市域 891.82km2
標高 34 - 115m
人口
人口 (2008年8月現在)
  市域 3,426,354人
    人口密度   3,842人/km2(9,951人/mi2
  市街地 3,700,000人
  都市圏 5,000,000人
その他
等時帯 中央ヨーロッパ時間UTC+1
夏時間 中央ヨーロッパ夏時間UTC+2
郵便番号 10001–14199
市外局番 030
ISO 3166-2 DE-BE
公式ウェブサイト : doitsu.com/berlin / berlin.de / 3D Berlin

ベルリンBerlin伯林)は、ドイツの北東部に位置する都市で、ドイツ連邦共和国の首都である。

目次

都市概要

2008年の人口は342万人。2010年都市的地域の人口は370万人であり、世界第85位、EUでは第8位である[1]ヨーロッパ屈指の世界都市でもあり、アメリカの外交専門誌フォーリンポリシーにより、世界第16位、ドイツ国内では第1位の都市に選ばれている[2]

ベルリンという名前の由来は諸説あるが、スラブ語で池や湿地を意味する「Berljina」(ベルジーナ)からきていると言われている。標準ドイツ語の会話における一般的な発音では「ベアリーン[bɛɐˈliːn]となる 発音例。漢字では伯林という表記があてられる。

ベルリンは、1871年ドイツ帝国成立から1945年第二次世界大戦の終結まで、ドイツ国首都であった。第二次大戦戦後の冷戦時代には東西に分断され、東ベルリンは旧東ドイツの首都、西ベルリンは事実上旧西ドイツの州の一つ(名目上は米英仏共同管理区域)であったが、1990年の統一以後は再び統一ドイツの首都となった。

ドイツ最大の都市であり政治の中心地ではあるが、地方分権の歴史が長いドイツでは、金融と交通の中心地はフランクフルト、産業の中心はルール地方ミュンヘンシュトゥットガルトケルンとされ、東京(日本)やソウル(韓国)、パリ(フランス)のように一極集中という状態はない。さらに1811年まではドイツ人全体の帝都は形式的にはウィーンであり、その後も1868年まではこちらのほうがドイツの中心と見なされていた。この年にプロイセンがオーストリアを盟主とするドイツ連邦軍を破ってこれを解体することにより新統一ドイツの首都がベルリンに確定、以後、人口、経済、文化いずれも急進していく。特に両大戦の間にはワイマール文化を擁して世界を席捲した。

1988年の欧州文化首都に選ばれていた。

歴史

第二次世界大戦以前

ベルリンという名称が歴史的文書で最も古く遡れるのが1244年である。1448年にはブランデンブルク辺境伯ブランデンブルクからベルリンに宮殿を移した。

1871年にプロイセン国王が皇帝となってドイツ帝国が成立し、ベルリンはその首都となった。ビスマルクの外交手腕とオーストリア・ハンガリー帝国の凋落とによって、ベルリンはヨーロッパにおける国際政治の中軸となる。1880年代には日本文豪森鷗外が留学したことでも知られている[3]

第一次世界大戦でドイツ帝国は崩壊し、戦後はヴァイマル共和国の首都となった。ベルリンはなおもヨーロッパの芸術・学問の中心として栄えた。その一方でベルリンは政治的に「赤いベルリン」の異名を持つ社会主義共産主義の牙城であり、1928年の選挙では票が社会民主党が33%、共産党が25%であるのに対してナチスは2%であり[4] 、ヒトラー政権成立直前の1932年11月の選挙ではドイツ共産党がベルリンで投票総数の31%を獲得して単独第一党となった[5]。1933年にナチスが政権を奪取し、ベルリンはそのゆがめられた政策によって文化が衰退する。そして第二次世界大戦ではナチス・ドイツの最後の戦場となり徹底的に破壊された(ベルリン市街戦)。

冷戦時代

ファイル:Potsdamer Platz 1945.jpg
第二次世界大戦後の荒廃(1945年、ポツダム広場)

第二次世界大戦後、ベルリンの周辺地域はソ連の占領地域となったが、ベルリンはアメリカイギリスフランスソ連によって周辺地域とは別に分割占領され、西側3か国占領地域はソ連占領地域の中に位置する飛地西ベルリンとなった。1948年にはソ連が西ベルリン封鎖を行ったが、西側は空輸作戦でこれに対抗した。

1949年に東西ドイツが分裂して独立し、ソ連占領地区はドイツ民主共和国の首都東ベルリンとなり、西側3か国占領地域はドイツ民主共和国の中の飛び地のまま、形式的には米・英・仏の共同信託統治領ながら、実質的にはドイツ連邦共和国が主権をもって実効的に統治する西ドイツ領となった(西ベルリン)。西ドイツ本土と西ベルリンは空路または直通専用道路で往来が可能だったが、形式的には西側3か国の管理下に置かれたため、テーゲル空港など西ベルリンの空港への乗り入れは米・英・仏の航空会社のみが認められ、ルフトハンザの乗り入れは禁止されていた。

スターリンの死から3か月後の1953年6月、東ベルリンで、直接的にはノルマ引き上げなどを理由とする大規模な反政府デモが起きたが、人民警察とソ連軍によって鎮圧された(ベルリン暴動)。西ベルリンの主要な道路であるシャルロッテンブルク通りはこの事件を機会に「6月17日通り」と改名された(6月17日は暴動鎮圧の日で、旧西独はこの日を「ドイツ統一の日」とした)[6][7]

東西ドイツの国境が封鎖された後も東西ベルリンの間だけは往来が自由であったため、ベルリン経由で東ドイツから西ドイツへ脱出する人が続出した。労働人口の流出を恐れた東ドイツ政府は1961年8月13日に東西ベルリンの境界線を封鎖。後には西側占領地区と東ドイツとの境界線上にベルリンの壁を建設した。この時代のベルリンは、東西冷戦の最前線であった。また超大国・米ソ両国の戦車が睨み合う場面があった。1989年11月9日、東ドイツ政府は東西ベルリンの境界線を解放し、ベルリンの壁は崩壊した。

ベルリンの壁崩壊後

ファイル:Sony Center Berlin.jpg
東西ドイツ統一後、再開発されたポツダム広場

1990年10月3日には東西ドイツが統一し、1991年には東西統一ドイツの首都と定められた。以降、東西に分断されていた道路網や地下鉄も含む鉄道網といった、交通網の東西直結工事が行われ、インフラ整備や再開発が旧東ベルリン地区を中心に進行した。また、再度首都と定められて以降、ボンからの連邦政府諸機関の移転も漸次進められた。首都機能移転は2001年5月2日に完了し、現在では再度、名実ともにドイツの首都となっている。

ベルリンの壁が撤去され市内中心部には広大な空き地が出現した。その一つであるポツダム広場は再開発され、巨大なビジネス・商業エリアになっている。ベルリン東西分断まで最も賑わっていたウンター・デン・リンデン通りの代わりを自然に担わされたクーダム通りは、ベルリン統合・再開発後、皮肉にもその座を追われている。

地理

ベルリンはドイツ東部の平原(北緯52度31分、東経13度24分)に位置し、周りをブランデンブルク州に囲まれている。面積は約890平方キロメートル、人口は約340万人(2005年11月)である。市の中央を東西にシュプレー川が流れており、テーゲル湖などの湖を擁している。

気候

ベルリンの気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
平均最高気温 ℃ (°F) 3
(37)
4
(39)
9
(48)
13
(55)
19
(66)
22
(72)
26
(79)
24
(75)
19
(66)
13
(55)
7
(45)
4
(39)
13
(55)
平均最低気温 ℃ (°F) −2
(28)
−2
(28)
1
(34)
4
(39)
9
(48)
12
(54)
15
(59)
14
(57)
11
(52)
6
(43)
2
(36)
0
(32)
6
(43)
降水量 mm (inches) 42
(1.65)
33
(1.3)
41
(1.61)
37
(1.46)
54
(2.13)
69
(2.72)
56
(2.2)
58
(2.28)
45
(1.77)
37
(1.46)
44
(1.73)
55
(2.17)
571
(22.48)
出典: worldweather.org 2007-07-26

行政

ベルリンはハンブルクブレーメンとともに、行政区画上は一市単独で都市州を構成している。そのため16に線引きされた州の一つとなり、「ベルリン特別市」や「ベルリン州」とも表記される。他の連邦州同様議院内閣制で、市長は市議会から選出される。

欧州連合はベルリンにインフラや教育などの分野において、その予算から融資している。現在の市長は2001年から任期が始まったクラウス・ヴォーヴェライトドイツ社会民主党)が務めている。

ファイル:BerlinDistricts.svg
ベルリンの行政区画

ベルリン特別市の行政区分としては、12の区 (Bezirk) に区分されている。

経済

2008年のベルリンの都市GDPは950億ドルであり、世界第69位である[8]。ロンドン(5650億ドル)やパリ(5640億ドル)の6分の1程度と経済規模はさほど大きくない。ベルリンにおける経済は、政情にしばしば振り回されてきた。この町はかつて製造業や金融の中心地として繁栄していたが、冷戦期における東西ベルリン分裂によって、東西ベルリンはそれぞれ東ドイツ西ドイツの経済に組み入れられることとなる。東ベルリンは、東ドイツの商業、工業、金融、輸送の中心となり、シュプレー川の重要な内港としての機能を擁し、運河によってバルト海とも結ばれた。一方、第二次世界大戦で破壊された西ベルリンの経済は、ソ連1948 - 49年に実行したベルリン封鎖によって再び打撃を被った。しかし1950年代に入ってからは、アメリカによるマーシャル・プランの経済援助のおかげで町は復興を始める。急速に工業化がなされ、国際金融や学術、研究、映画産業の中心ともなり、高速道路や鉄道、運河、空路で西ドイツと結ばれた。1989年ベルリンの壁崩壊によって、東西ベルリンは再び一つの町となる。経済統合は公式には1990年7月に開始し、特に東ベルリンの経済はかつての国有企業が民営化されるなど大きな変動を経験することとなった。東西再統一を果たしてからは、ベルリンの財政状況は依然好転しなかったものの、第三次産業で活況を呈した。近年急速な伸びを見せている部門としては、ITや通信技術、メディア、広告、デザイン、バイオテクノロジー、環境改善事業、輸送工学、医用工学がある。

交通

航空

空港は旧西ベルリン地域のベルリン・テーゲル国際空港テンペルホーフ空港、旧東ベルリン地域のシェーネフェルト空港がある。シェーネフェルト空港はかつてのインターフルクの拠点であるが、拡張されてベルリン・ブランデンブルク国際空港となる予定で、その際にテーゲル国際空港は閉鎖される見込みである。

鉄道

鉄道は、ベルリン地下鉄Uバーン(ウーバーン)、都市近郊電車のSバーン(エスバーン)、旧東ベルリン地域の路面電車(トラム)が運行されている。長距離列車は、ドイツ国内各地への ICE やインターシティ、パリウィーン、東欧各国への列車が運行されている。東西分断時代は、西側がツォー(Zoo. 動物園)駅、東側はベルリン東 (Ost) 駅がターミナルとなっており、2つのターミナルが併用されていた。2006年5月、東西のターミナルを統合した新しいベルリン中央駅が完成し、営業を開始している。

観光

  • 連邦議会が置かれている国会議事堂 (Reichstagsgebäude am Sitz des Deutschen Bundestags)
  • 世界文化館(旧称:コングレス・ホール、又はコングレスハレ) - 貝殻の形に似たモダン建築物。冷戦真っ盛りの時代、当面見通しも立たない東西ドイツ統合がいつか叶った暁には、ここを新たなドイツ象徴の新国会議事堂にという西ベルリン市民からの声望が強かった。
  • ブランデンブルク門 (Brandenburger Tor)
  • ベルリンテレビ塔 (Fernsehturm)(旧東ベルリン)
  • ドライエック・フンクトルム(ドライエック放送塔、もしくはドライエック電波塔、ベルリン放送塔、ベルリン・ラジオ塔) - 旧東ベルリン地区にベルリンテレビ塔が建設されるより以前である1926年、大ラジオ・ショウ開催を記念して旧西ベルリン地区に建てられていた高層テレビ塔。パリのエッフェル塔を参考にしている為、デザインが似ている。高さは約150m(さっぽろテレビ塔とほぼ同じ)あり、50m地点にある第1展望台にはレストランが営業されている。東西ドイツ統合後、ベルリンテレビ塔の人気の陰に隠れているが、ここもれっきとした観光スポットの一つである。
  • 博物館島 (Museumsinsel)(世界遺産
  • 新ナショナル・ギャラリー(Neue Nationalgalerie) - 旧西ベルリン。モダニズム建築の巨匠ミース・ファン・デル・ローエの作品 
  • シャルロッテンブルク宮殿 (Schloss Charlottenburg)
  • フンボルト大学(旧称ベルリン大学)(Humboldt-Universität zu Berlin)
  • 赤い市庁舎
  • カイザー・ヴィルヘルム教会 (Kaiser-Wilhelm-Gedächtniskirche)
  • ベルリン国立歌劇場 (Staatsoper Unter den Linden)
  • ベルリン・フィルハーモニーベルリン・フィルの本拠)(Berliner Philharmoniker)
  • ベルリン・ドイツ・オペラ (Deutsche Oper)
  • ベルリン・コーミッシェ・オーパー (Komische Oper Berlin)
  • ベルリン・ユダヤ博物館(Jüdisches Museum Berlin)
  • DDR博物館(DDR Museum)
  • シュタージ博物館(Stasimuseum)
  • ティーアガルテン (Tiergarten)
  • ウンター・デン・リンデン (Unter den Linden)
  • クーダム通り - 旧西ベルリン一であった繁華街。歴史の深さや緩やかな凋落の流れ等から、日本・東京の銀座通りと類似が多い。
  • フリードリヒ通り - 旧西ベルリンとの国境通関駅があった地の利を活かし、やがて旧東ベルリン一となっていた繁華街。
  • カール・マルクス・アレー(カール・マルクス大通り) (Karl-Marx-Allee) - 旧東ベルリン一の繁華街を目指して造られたが、やがてフリードリヒ通りにその地位を脅かされ、奪われていった。通りの両側に壮麗な社会主義建築物(当時は国営商店や共産党官僚向け高級マンションの入居する建物)が並び、現在は(「負の文化遺産」的位置付けの)文化保護地域とされている。東ドイツ時代は建国記念日の軍事パレードの会場などにも使用された。建設当初は「スターリン・アレー」という名称だった。同市内にあるカール・マルクス通りは全く別の通り。
  • ポツダム広場 (Potsdamer Platz) - 戦前・戦中のドイツ、及び東西ドイツ統合以降のベルリン一の繁華街。
  • エルンスト・ロイター広場 - ロイター通信社と縁のある噴水広場。商業繁華街的な要素は無い。
  • オイローパ・センター(ヨーロッパ・センターのドイツ語読み) - かつては東ベルリン・東ドイツに対し、西ベルリンの経済の優位性を象徴させるのを目的に建設された近代的超高層ビル・ショッピング・センターであったが、東西統一後は存在意義の低下と共に寂れ、東南アジアの繁華街、はたまたベルリン版中野ブロードウェイの如き様相が売りの観光スポットに変貌している。
  • 戦勝記念塔 (Berliner Siegessäule)
  • ノイエ・ヴァッヘ(戦没者国立中央追悼所)(Neue Wache)
  • ハンザ地区
  • ルター・ウント・ヴェーゲナー
  • ベルリン大聖堂 (Berliner Dom)
  • ベルリン・オリンピアシュタディオン (Olympiastadion Berlin)(オリンピックスタジアム、ブンデスリーガ1部・ヘルタ・ベルリンのホームスタジアム)
  • ベルリン動物園(Zoologischer Garten Berlin)
  • カレーソーセージ博物館

文化

映画

音楽

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を初めとする、幾つものオーケストラ歌劇場を抱えている。欧州では、ウィーンなどと並ぶクラシック音楽の中心都市ともなっている。ウィンナワルツ全集などやや軽めのレパートリーが多いベルリン交響楽団(旧西)を別格とした4つのシンフォニーオーケストラと3つの歌劇場(それぞれの管弦楽団も)はいずれも世界第一流であり、これだけ質と量のそろった都市は他に存在しない。そのためもあって、しばしば各楽団や劇場の統合問題が蒸し返される。

また、同じドイツ圏のウィーンが「音楽の都」と称せられるのに対し、作曲家が活躍する伝統という点では劣るが、帝都の威容を整えた19世紀後半以降、こと指揮者と声楽家に関しては非常に多くの人材を輩出し続けている。

指揮者

声楽家

歌劇場
おもなオーケストラ

食文化

ベルリンが発祥とされるカレー・ヴルストの屋台をあちこちで見かける。トルコ人移民が経営するケバブサンドの店も多い。ヨーグルトソースが入っているのはトルコ移民ケバブを欧州風にアレンジしたもの。最近ではそれが逆輸入されトルコでもヨーグルトソース入りのケバブをみかける。

ナイトクラブ

ベルリンの特徴の一つがナイトクラブを核としたアンダーグラウンド・シーンである。壁の崩壊後から、欧州各地から若手アーティストが続々とベルリンへ集まってきており、今日ではロンドンに対等するヨーロッパ随一のクラブシーンとなっている。市内には220を超えるナイトクラブがあり、交通機関が24時間運行する週末の夜にはクラブからクラブへ渡り歩く多くの若者を目にすることが出来る。その形態は豪華な内装がほどこされたポッシュなものから、倉庫跡地を利用したものまで様々である。入場料はほとんどのクラブが10ユーロ以下で、日本や他の欧州都市と比べても安い。また、営業時間も多くが23時前後から朝の9時ごろまでオープンしている。

特にテクノミュージック(現地では Electro,House music 等に分類されるが、ここでは総称してテクノとする)においては世界のテクノミュージックシーンの牽引役となっている。人気のテクノクラブとして Watergate, Berghain/Panorama bar, Weekend club, そして2年間の休止を経て2007年春に再オープンした圧倒的人気のトレゾアがある。また、近年サルサダンスも根強い人気を見せており、多くのサルサクラブで無料または格安の初心者レッスンが開かれ、サルサ人口の増加を促進している。

日本と比べても、その規模は夜遊びの枠を超えており、ナイトクラブはベルリン文化の重要な一翼を担っている。

スポーツ

放送局

  • ベルリン・ブランデンブルク放送 (RBB) - ARD加盟9局のひとつ。2003年5月1日、ベルリンを放送エリアとする「自由ベルリン放送 (SFB)」とブランデンブルク州を放送エリアとする「ブランデンブルク・東部ドイツ放送(ORB)」が合併して誕生した。
  • ドイッチュラントラジオ

姉妹都市

脚注

  1. ^ ベルリン市中央区との姉妹都市縁組提携

関連項目

外部リンク

公式

日本政府

観光


その他