ベン・ウォーレス
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| ベン・ウォーレス Ben Camey Wallace デトロイト・ピストンズ No.6 | |
|---|---|
| ファイル:BenWallaceCavs.jpg | |
| 名前 | |
| 本名 | Ben Camey Wallace |
| 愛称 | Big Ben(ビッグ・ベン) |
| ラテン文字 | Ben Camey Wallace |
| 基本情報 | |
| 国 | ファイル:Flag of the United States.svg アメリカ合衆国 |
| 誕生日 | 1974年9月10日(37歳) |
| 出身地 | アラバマ州ホワイトホール |
| 身長 | 206cm |
| 体重 | 111kg |
| 選手情報 | |
| ポジション | C[1] |
| 背番号 | 6 |
| ドラフト | ドラフト外 |
| 経歴 | |
| 1996-1999 1999-2000 2000-2006 2006-2008 2008-2009 2009- |
ワシントン・ブレッツ オーランド・マジック デトロイト・ピストンズ シカゴ・ブルズ クリーブランド・キャバリアーズ デトロイト・ピストンズ |
ベン・ケミー・ウォーレス(Ben Camey Wallace , アラバマ州ホワイトホール生まれ , 1974年9月10日 - )は、アメリカ合衆国のバスケットボール選手。北米プロバスケットボールリーグNBAのデトロイト・ピストンズに所属している。「ベン・ウォレス」と表記される場合もある。
身長206cm/体重111kg。ポジションはC。アスリート揃いのNBAの中でも、類まれなるフィジカルの強さと、驚くべき身体能力を備えている。過去に4度もディフェンシブ・プレーヤー・オブ・ザ・イヤーを受賞しており、高い守備能力を発揮する、純ディフェンシブ・プレイヤー。愛称は「Big Ben」。無名校出身でドラフト外からNBA入りし、現在の地位を築いた苦労人で、叩き上げのNBAプレイヤーである[2]。
目次 |
経歴
学生時代
11人兄弟の10番目で、幼少時代は兄弟とバスケットボールに打ち込んだ。弟分のベンはろくにパスをもらえず、この頃から既にリバウンドとディフェンスに精を出していたという。高校時代はバスケットの他にアメリカンフットボール、ベースボールをやっておりいずれも州の代表に選ればれるほどのアスリートだった。にもかかわらず大学からはフットボーラーとしてのスカウトはあってもバスケットボーラーとしてのスカウトは無かったという。クリーブランドの短期大学で2年プレー後、高校時代からベンに注目していた元NBAプレーヤーのチャールズ・オークリーの推薦で2部リーグ校バージニア・ユニオン大学に編入。卒業後はNBA入りを熱望していたが、ドラフトでどのチームからも指名されず、イタリアでプレイした後ルーキーフリーエージェントとしてワシントン・ブレッツ(現ワシントン・ウィザーズ)に入団した。因みにボストン・セルティックスのサマーリーグでは、身長の関係から有無を言わさずシューターとしてコンバートされ、シュート力皆無の彼はすぐに解雇されたという逸話がある。
NBA
ブレッツでは控えながら得意のリバウンドとディフェンスでアピールした。1999-2000シーズン開幕前に、ベンのディフェンスに目をつけたオーランド・マジックがトレードで獲得、マジックでは出場した81試合全てに先発出場を果たした。1試合平均13.2リバウンド、1.6ブロックと、ディフェンス面で持ち味を十二分に発揮し、前評判の非常に低かったチームをプレーオフ後一歩まで引き上げる要因となった。しかし2000年8月3日に、グラント・ヒルとのトレード駒としてデトロイト・ピストンズへ移籍することとなった。
ピストンズ移籍後は、脅威のディフェンス力を発揮しリーグを代表するインサイドプレーヤーとして開花。ベンは2001-02、2002-03、2004-05、2005-06の計4シーズンに渡りNBA最優秀守備選手賞を獲得。特に2001-02シーズンはリバウンドとブロックショットのタイトルを同時に制した史上4人目の選手となった。翌2002-03シーズンも2年連続リバウンド王を獲得した。2003-04シーズンにはチャウンシー・ビラップス、ラシード・ウォーレスら強力なチームメイトを得てNBAファイナルに進出。最強のセンター、シャキール・オニール率いるレイカーズを4勝1敗で退け、NBAチャンピオンに輝いた。翌2004-05シーズンもファイナルに進出。サンアントニオ・スパーズに敗れたものの、ウォーレスは自己最高成績の9.7得点を挙げる。2003年のオールスターでは東カンファレンスの先発センターとして出場している。当時のベンの人気は非常に高く、ピストンズのホームコートは彼のトレードマークであったアフロヘアのウィッグを被ったファンで賑わっていた。しかし、新ヘッドコーチのフリップ・サウンダース体制の下で徐々に居場所を失っていった。
2006年7月13日、ウォーレスはシカゴ・ブルズと契約した。しかしシーズン開幕から自身もチームも不調、さらにチームで禁止されているヘッドバンドをつけスコット・スカイルズHCと対立など、序盤は苦しいシーズンを送ったものの、チームメイトの活躍、そして自身の調子も上がり、3年連続のプレーオフ進出に貢献したがカンファレンスセミファイナルで古巣のピストンズに敗れた。
2008-09シーズン、レードデッドラインの2008年2月21日、3チーム11人が絡む大型トレードにてシカゴ・ブルズからクリーブランド・キャバリアーズへと移籍した。しかし、この頃から故障により欠場が増え個人成績は低迷するようになり、2009年のファイナル終了後は一時、引退を匂わす発言もしたがシャキール・オニールとのトレードでサーシャ・パブロビッチと共にフェニックス・サンズへ移籍することが決まった。
2009年7月13日、サンズはウォーレスをバイアウトし、ウォーレスは引退を決意した。 しかしリチャード・ハミルトン、テイショーン・プリンスのピストンズの黄金期を共に築いた2人の友の説得により2009年8月7日、ウォーレスはピストンズとベテランミニマムで契約することに合意、キャリアの中でも栄光の時期を過ごした古巣に戻ることになった。
プレイスタイル
NBAを代表する″純ディフェンシブ・プレイヤー″。超一流の守備選手の証であるディフェンシブ・プレイヤー・オブ・ザ・イヤーを4度も受賞するほどの、卓越したディフェンス技術を備える。「ディフェンスのオールラウンダー」とも形容される。そのプレイスタイルから、歴代屈指のリバウンダーであり、90年代NBAを代表する名ディフェンダーでもあったデニス・ロッドマンと比較されることも多い。現在、通算2000ブロック&1200スティールを達成している、4人の選手の一人[3]。身長6′9″とサイズがあるわけではないが、そのフィジカルの強さや、ディフェンス技術の高さから、チーム内では殆どの場合Cを務める。
身長6′9″(約206cm)[4]とインサイドプレイヤーとして、上背(サイズ)があるわけではない。しかし、体重246lb(約111kg)ながらも体脂肪率は4.0%未満と、アスリート揃いのNBAの中でも圧倒的に筋肉質な肉体を誇る。上背はないが、広い肩幅に加えて身長7′0″以上(約213cm以上)のビッグマンに匹敵する長いウィングスパンを備えているため、結果的にマッチアップマンとの身長差を帳消しにしている。怪力の持ち主であり、自身の体重の倍近い460lb(約209kg)ものベンチプレスを持ち上げる。
リーグ屈指のディフェンダーとして、インサイドにて鬼の如く激しいディフェンスを相手に仕掛ける。ウォーレスを象徴する技術の一つに、豪快なブロックショットがある。強靭な肉体から瞬く間に生み出されるパワー、跳躍力、敏捷性で抜群かつ絶妙のタイミングで、相手のシュートを次々と叩き落とす様は圧巻の一言である。ウォーレスのブロックショットの威力がもっとも顕著に表れたのは、2006年5月のイースタン・カンファレンスファイナルでの、デトロイト・ピストンズ対マイアミ・ヒートの第5戦、第3クォーターである。ゴール下から1m弱の距離でシャキール・オニールがボールをレシーブし、ピストンズのラシード・ウォーレスをコートから押し退け、"シャック・アタック"を試みた。しかし、身長7′1″(約216cm)・体重328lb(約148kg)のオニールに対して、ウォーレスがすさまじい勢いと気迫で空中戦に挑み、ボールを手でむんずと掴んで、オニールをブロックして床に叩き付けた。その後に続くジャンプボール(審判がボールを2人のプレイヤーの間にトスアップする)では、ウォーレスがオニールとのボール争奪合戦に勝ち、これがピストンズへの勝利へとつながった[5]。ウォーレスは、ボールはもとよりシューターもろとも吹き飛ばす様にブロックを仕掛けるが、その一連の過程でファウルを犯すことは少なく、彼の高いブロック技術が伺える。
インサイドプレイヤーとしては珍しく、要所でのスティールを得意としている。リバウンド争いにも類まれな強さを発揮し、ロッドマンに比較されるほどのリバウンドにかける嗅覚・執念を持つ。
垂直跳び42in(約107cm)[6]と跳躍力にも優れており、抜群のボディバランスと他の選手を凌ぐ最高到達点で、迫力ある様々なダンクをバスケットに叩き込む。
ウォーレスの超人的な肉体とプレイを支えているのが、日々のウエイトトレーニングである。自他共に認めるウエイトマニアであり、チームメイトにもウエイトトレーニングを積極的に勧めている。週に3-4回の頻度でウエイトを行い、全身のコンディショニングにも1日4時間を費やす。シーズン中でも、ホームゲームの後はたいていウエイトをすることを習慣としている。自分の実力以下のプレーをしたと感じたときも、同じようにウエイトを行っている。[7]。
ウォーレスはディフェンスでは最大級の評価を受ける一方、オフェンスにおいてはリーグ最下層である。オフェンス時の主な仕事は、リング下でのこぼれ球処理、味方へのスクリーンなど数字に残らないプレイに徹している[8]。ゴール付近からのダンクによる得点以外は、実質的にシュートバリエーションは存在せず、シュート能力は皆無である。リング下以外でボールを保持した場合、ほぼ手詰まりとなる。得点能力が異常に低い点も、ロッドマンと比較される。特にフリースローにいたってはキャリア通算で41.8%で、これはNBA史上でも最低クラスである。相手チームからはハック・ア・シャックならぬ、ワック・ア・ウォレスの標的となっている。手首に古傷を抱えている影響もあって、フリースローではエアボールを放つことも珍しくない[9]。
その他
- 2001-02シーズン、好調ピストンズの原動力となったベンとジェリー・スタックハウスの二人で「ben & jerry'sアイスクリーム」の宣伝キャラクターを務めていた。
- 手首の関節に異常があり、スナップを利かせると骨が外れカクカクなるためシュートが入らない。フリースローの低確率の原因とされている。
- ヘアスタイルは彼の長年のトレードマークでコーンロウとアフロヘアの2通りがあった。コーン・ロウは頭皮に負担がかかるので7日経つと解いて、更に7日頭皮を休ませていた。因みにアフロの時の方がチームは勝率がいいため、プレーオフ期間はアフロであった。しかし、2008-2009シーズンの2月、オールスター休暇中の怪我(ローラーボードで遊んでいた際、誤って転倒し、自動車のガラスに右腕前腕部をぶつけ、10針縫った)を境に丸刈りになった(同時期にアレン・アイバーソンやカーメロ・アンソニーも丸刈りにした)。
- 2004-05シーズン前に盲腸炎の手術を受けた。
- 腕にロンドンにある時計台「BigBen」のタトゥーをいれている。これは、自身のニックネーム「ビッグ・ベン」とかけている。また、ウォーレスが交代してコートに入る時や得点した時など、キャブスのホーム、クイックン・ローンズ・アリーナでは「BigBen」の鐘が鳴らされる(全く同じ鐘が、ミルウォーキー・バックスのチャーリー・ベルについてもバックスのホーム、ブラッドリー・センターでは同様に流されている)。
- 現在でも8人の男兄弟の中で最も身長が低い。
- ヘアバンドを常時着用している。
タイトル・記録
- 最優秀守備選手賞:2002, 2003, 2005, 2006
- オールNBAディフェンシブ
- 1stチーム:2002, 2003,2004, 2005, 2006
- 2ndチーム:2007
- オールスター出場:2003 ~ 2006
- リバウンド王(1試合平均):2002 (13.0), 2003 (15.4)
- ブロック王(1試合平均):2002 (3.5)
- 4シーズン連続で1000リバウンド、100ブロック、100スティールを記録した唯一の選手
- ドラフト外からオールスターの先発に選出された唯一の選手
- 最優秀守備選手賞を4回獲得したのはディケンベ・ムトンボとウォーレスのみ。
脚注
- ^ 毎試合、ポジションはCとしてプレイするが、時折PFも務める。C-F(センターフォワード)とされる場合もある。
- ^ 参考-「マッスル・アンド・フィットネス 2007年1月号」
- ^ 参考-「月刊DUNK SHOOT 2010年11月号増刊 日本スポーツ企画出版社」
- ^ 実際は6′7″(201cm弱)とウォーレス自身が自認しており、公言している。
- ^ 「マッスル・アンド・フィットネス 2007年1月号」より、一部変更の上、抜粋。
- ^ 参考-「スーパースターに学ぶバスケットボール ナツメ社 2003年8月30日発行」
- ^ 参考-「マッスル・アンド・フィットネス 2007年1月号」
- ^ 因みに、ウォーレスはスクリーナーとしても超一流である。
- ^ 「月刊DUNK SHOOT 2010年11月号増刊 日本スポーツ企画出版社」より、抜粋
外部リンク
- NBA.com 紹介ページ (英語)
- basketball-reference.com (英語)
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