ペドロ・ラミー
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| ペドロ・ラミー | |
|---|---|
| ファイル:Pedro Lamy Le Mans Series Interlagos Novembro 2007.jpg | |
| 基本情報 | |
| フルネーム | ホセ・ペドロ・モウラン・ラミー・ヴィソゾ |
| 国籍 | ファイル:Flag of Portugal.svg ポルトガル |
| 出身地 | 同・リスボン県アレンケール |
| 生年月日 | 1972年3月20日(40歳) |
| F1での経歴 | |
| 所属チーム |
'93-'94 ロータス '95-'96 ミナルディ |
| 活動時期 | 1993-1996 |
| 出走回数 | 32 |
| 優勝回数 | 0 |
| 通算獲得ポイント | 1 |
| 表彰台(3位以内)回数 | 0 |
| ポールポジション | 0 |
| ファステストラップ | 0 |
| 初戦 | 1993年イタリアGP |
| 初勝利 | ─ |
| 最終勝利 | ─ |
| 最終戦 | 1996年日本GP |
| タイトル | 0 |
ペドロ・ラミー(José Pedro Mourão Lamy Viçoso、1972年3月20日 - )は、ポルトガル出身の元F1ドライバー。
目次 |
経歴
ラリードライバーだった父の影響でモトクロスを始め、その後カートへ転向。1989年にフォーミュラへ転向し、この年のポルトガルFormula Ford 1600でチャンピオンを獲得。
1991年にGMロータスユーロシリーズ、1992年にドイツF3で共にチャンピオンを獲得した。1993年に国際F3000に参加し、ロータスのテストドライバーも勤めた。
F1
ロータス時代
93年の第12戦ベルギーGPで、フリー走行中にアレッサンドロ・ザナルディが大クラッシュし負傷。このことで、ロータスは続く第13戦イタリアGPから、代役としてラミーを起用することになった。
F1デビュー戦では、予選最下位ながら決勝は11位。続く地元の第14戦ポルトガルGPでは、予選18位からスタートしたが、途中でスピンを喫しリタイアした。第15戦日本GPでもスピンを喫してリタイアしたが、13位で完走扱いとなった。最終戦のオーストラリアGPはスタート直後に接触しリタイヤ。結局チェッカーフラッグを受けたのはデビュー戦のみとなった。
そのまま1994年はレギュラーシートを獲得、4戦中3戦完走の成績を残していた。しかし、第3戦サンマリノGPでのリタイヤは、スタートでエンストしたJ.J.レートに追突したもので、その際にパーツが観客席まで飛び、負傷者を出すこととなった。
そして第4戦モナコGP後、イギリスシルバーストン・サーキットでのテスト中に高速コーナーであるアビーカーブで、大クラッシュを起こす。高速コーナーで強い負荷の掛かったリヤウィングが支柱から折れ、270km/hでコントロールを失ったマシンはコースアウトしてタイヤバリアを飛び越えフェンスを突き破ってコース外へ飛ばされると、エンジン等が千切れコクピットのみになった車体が観客席に落下。反動で何回転もしながらコースをくぐるための地下道の入口に落下し炎上するという凄まじいクラッシュであった。両膝の皿、右足首、右手首を骨折し、両手親指を脱臼する全治1年とも言われる重傷を負い離脱。幸いにもテスト中だったために観客等はおらず、ドライバー以外の死傷者はいなかった。この頃は、JJ・レート、ジャン・アレジ、ルーベンス・バリチェロ、アンドレア・モンテルミニが負傷、カール・ヴェンドリンガーが意識不明に陥り、ローランド・ラッツェンバーガー、アイルトン・セナが死亡するなど、開幕前から重大事故が多発していたため、関係者に再度衝撃を与えた。
ミナルディ時代
1995年は、当初パシフィックからの参戦が決定していたが、開幕直前にティレルと交渉を開始。ミカ・サロとのシート争いとなったが、最終的には敗れ、また鞍替えでキース・ウィギンスを激怒させたことから、パシフィックのシートをも失う形となった。
この結果、前半戦はF1浪人となったが、資金難に苦しむミナルディに持参金を持ち込み、第10戦ハンガリーGPからピエルルイジ・マルティニに代わって参戦。最終戦オーストラリアGPでは、完走8台というサバイバルレースを生き残り6位入賞、これが自身初・そして唯一の入賞となった。またミナルディにとっては、この年唯一の入賞だった。
1996年も引き続きミナルディに在籍、全戦に出走し唯一のフル参戦となる。しかし入賞は記録できず、最高位は第5戦サンマリノGPにおける9位となった。そしてこの年をもって、ラミーはF1を去る結果となった。
エピソード
- 1993年ポルトガルGPのフジテレビ中継では、丁度実況席で彼の話題を言っていた際にスピンを喫した。このため、実況の古舘伊知郎は「言ったそばからラミー!」との言葉を残した。このフレーズが気に入ったのか、次戦日本GPで彼がスピンした際にも「言ったそばからラミー、あ、今は言ってませんが」と再び使用している。
- ポルトガル語を話せることでアイルトン・セナに可愛がられていた(セナの出身地・ブラジルの公用語がポルトガル語であるため)。




