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ボビー・アブレイユ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ボビー・アブレイユ
Bobby Abreu
ロサンゼルス・エンゼルス #53
ファイル:Bobby Abreu.jpg
基本情報
国籍 ファイル:Flag of Venezuela (state).svg ベネズエラ
出身地 ファイル:Flag of Venezuela 1930-2006.svg アラグア州マラカイ
生年月日 1974年3月11日(38歳)
身長
体重
6' 0" =約182.9cm
210 lb =約95.3kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手
プロ入り 1990年 アマチュア・フリーエージェントとしてヒューストン・アストロズと契約
初出場 1996年9月1日 パイレーツ
年俸 $9,000,000(2011年)[1]
経歴(括弧内は在籍年)
国際大会
代表チーム ファイル:Flag of Venezuela (state).svg ベネズエラ
WBC 2006年2009年

ボビー・アブレイユ(Bobby Abreu, 1974年3月11日 - )は、ベネズエラアラグア州マラカイ出身の野球選手。フルネームはボブ・ケリー・アブレイユ(Bob Kelly Abreu )。外野手左翼手)、右投左打。MLBロサンゼルス・エンゼルスに所属している。

第1回ワールド・ベースボール・クラシックベネズエラ代表第2回ワールド・ベースボール・クラシックベネズエラ代表にも選ばれた。

目次

経歴

プロ入り前

1974年3月11日、ベネズエラのアラグア州マラカイで生まれる。父ネルソンが熱狂的野球ファンだったため、アブレイユは3人の兄弟とともに野球のテレビ中継を観戦し、父から「多くの人が見逃してしまうようなプレーの細かい点まで、丁寧に解説」を受けた、という[2]。アブレイユが16歳になった1990年、ベネズエラにヒューストン・アストロズ直営のベースボール・アカデミーが設立されたため、アブレイユは1期生としてアカデミー入りする。

アストロズ

1990年8月21日にアブレイユはアストロズと契約。1996年9月1日にメジャーデビューを果たすが、その後2シーズン合計で74試合しか出場機会がなかった。1997年エクスパンション・ドラフトで、アストロズは同じベネズエラ人リチャード・ヒダルゴをプロテクト・リストに載せるためにアブレイユをリストから外した[3]。その結果アブレイユはタンパベイ・デビルレイズ(現タンパベイ・レイズ)に指名されたが、数時間後にケビン・ストッカーとの交換でフィラデルフィア・フィリーズへ移籍した[3]。その後、アブレイユは短期間でリーグの中でも有望な強打強肩の若手右翼手として台頭し、デビルレイズの短い歴史上最悪のトレードとなった[3]

フィリーズ

アストロズでは期待されながらも思うような成績を残せなかったアブレイユだったが、フィリーズ移籍後に才能が開花。短期間でリーグの中でも有望な強打強肩の若手右翼手として台頭した。初めてシーズンを通して出場した1998年にはチームトップの打率.312を記録。続く1999年に打率.335(リーグ3位)を記録したが、これはフィリーズの選手としては1967年にトニー・ゴンザレスが記録した.339以来の高打率だった[4][3]。シーズン終了後、球団と3年総額1,425万ドルで契約延長した。球団が昨年提示したが合意に至らなかった4年総額850万ドルを上回る契約となった[3]

ファイル:Baseball bobby abreu 2004.jpg
アブレイユのバッティング(2004年)

2001年には全162試合に出場し、31本塁打・36盗塁で球団史上初めて30本塁打・30盗塁(30-30)を達成。2003年シーズン終了後にFA権を取得するアブレイユに対し、フィリーズは2003年から球団史上最高額となる5年総額6,400万ドル(6年目のオプションを含めると7,800万ドル)で契約延長[5]2002年にはリーグ最多・球団史上70年ぶりの高水準となる50二塁打を記録した[6]2004年、MLB公式サイト上のネット投票により「32番目の男」としてMLBオールスターゲームに初出場を果たす。シーズン通算では30本塁打・40盗塁で自身2度目の30-30を達成し、初めてシルバースラッガー賞を受賞した。

2005年のオールスターゲームでは、ファン投票で253万票を得て外野手部門2位に入り、初めてファン投票による出場を果たす。試合前日に行われたホームランダービー[7]では、フィールドの形状が投手有利とされるコメリカ・パークを舞台にしながら1ラウンド24本・全ラウンド合計41本と2つの新記録を樹立して優勝した[8]。また、同年のシーズン終了後には自身初のゴールドグラブ賞を受賞。しかしながら「強肩ではあるものの打球処理が未熟」「闘争心の不足」「時たま明らかに集中力を欠いたプレーをする」という批判も地元などから多く出ており、受賞に疑問を呈す声も少なくなかった。これについて地元フィラデルフィアの新聞記者は「ボビーのプレーはスムーズすぎて情熱が伝わりにくいため、ファンから誤解を受けていたのだろう」と説明している[2]

ヤンキース

ファイル:Abreu.jpg
守備に就くアブレイユ

2006年7月31日、トレード期限最終日にコリー・ライドルとともにトレードでニューヨーク・ヤンキースへ移籍[9]。この時ヤンキースが出した交換要員は、遊撃手C.J.ヘンリー(2005年ドラフト1巡目。フィリーズ移籍、解雇後、ヤンキースに外野手として復帰もバスケットボールへ転向)、左腕投手マット・スミス、捕手ヘスス・サンチェス、右腕投手カルロス・モナステリオスの4人であり、「あまり戦力になりそうもない」と評された[10]。このためフィラデルフィアの地元紙はこのトレードを批判したが、この後フィリーズは快進撃を遂げワイルドカード争いを演じた。一方、移籍したアブレイユもヤンキースの勝利に大きく貢献した[10]。ヤンキースは松井秀喜ゲイリー・シェフィールドの故障離脱を乗り越え地区優勝を果たし、デトロイト・タイガースとのディビジョンシリーズで敗れたが、アブレイユは同シリーズで打率.333、チーム最多の4打点を記録[11]

2007年もアブレイユはレギュラーとして158試合に出場。4月23日から29日にかけて自己ワーストとなる19打数連続無安打を記録し[12]、5月の月間打率は.208など序盤は不調に陥った。後半は持ち直したものの、序盤の成績が響き、本塁打が2年連続で10本台に終わり、出塁率も6年ぶりに3割台に落ちた。しかし、自己最高の123得点を記録している。シーズン終了後、ヤンキースは1,600万ドルのオプションを行使し、アブレイユは2008年もヤンキースでプレイすることになった[13]。しかし、またしても前半戦に打撃不振となり、チームも下降。なんとか中盤、後半戦で持ち直し20本塁打、100打点を記録したがチームは浮上できず、地区優勝を14年ぶりに逃した。

エンゼルス

シーズン終了後FAとなっていたが、2009年2月12日、ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムと1年総額500万ドルで合意[14]。機動力と長打力を組み合わせたエンゼルス野球に対し、アブレイユは「積極的に次の塁を狙っていく。こういう野球をやりたかった」としている[15]

第2回ワールド・ベースボール・クラシックのベネズエラ代表としてベスト4に貢献してシーズンを迎えた。シーズンでは当初やブラディミール・ゲレーロ不在時は3番、他は主に2番として出場し、エンゼルスの地区優勝に貢献した。シーズン終了後に2年1,900万ドルでエンゼルスと契約延長をした[16]

2010年は、 ピーター・ボージャスのAAAからの昇進があり、シーズン途中からセンターを守っていたトリー・ハンターライトを守り、アブレイユはレフトを守る事になった。シーズンでは154試合に出場したが、打率は自己最低の.255に終わった。友成那智は、主砲のケンドリス・モラレスが5月に離脱して以降、打順が2番から3番になり、長打狙いになったことが大きな原因だと分析している[17]。一方で、OPSも自己最低に終わったことを理由に、衰えによる成績の低下を指摘する論調もある[18]

2011年は、バーノン・ウェルズがエンゼルスに加入したため、アブレイユはDHを務めることになると見られている[17][18]

選手としての特徴

かつては「メジャーで最も過小評価されている選手」と呼ばれていた[2]5ツールプレイヤー。MLB史上3人目の8年連続100四球・5年連続出塁率.400・4年連続100打点・3年連続30盗塁(打点以外はいずれも2006年まで)といった記録を達成しており、それに加えて2004年シルバースラッガー賞を受賞している。

アブレイユの最大の長所は選球眼[19]、1999年からフランク・トーマスのメジャー記録に並ぶ8年連続で100四球を記録している[9]。また、並外れた長打力があるのにホームラン狙いのバッティングに陥らず、フライの打球よりもゴロになる打球の方が多い[19]。出塁すると足で投手にプレッシャーをかけ、チャンスメーカーとしての機能も高い[9]

守備面では守備範囲が広く強肩で、前方向の打球に強い。しかし、後方に飛んだフライの目測を誤ることがよくある[20]

年度別打撃成績

















































O
P
S
1996 HOU 1524221510061000020031.227.292.273.565
1997 5921018822471023702672002101480.250.329.372.701
1998 PHI 151589497681552961724774191044841401336.312.409.497.906
1999 15266254611818335112030093279041098311313.335.446.549.995
2000 15468057610318242102531979288031009111612.316.416.554.970
2001 1627045881181704843131911036140910611113713.289.393.543.936
2002 15768557210217650620298853112061049311711.308.413.521.934
2003 15869557799173351202701012290710913212613.300.409.468.877
2004 15971357411817347130312105405071271051165.301.428.544.972
2005 16271958810416837124279102319081171561347.286.405.474.879
2006 984383396194252814765204069152868.277.427.434.861
NYY 582482093769160710642102233311525.330.419.507.926
'06計 1566865489816341215253107306291246313813.297.424.462.886
2007 1586996051231714051626910125807840311511.283.369.445.814
2008 15668460910018039420287100221101732110914.296.371.471.842
2009 LAA 152667563961652931524510330809947111315.293.390.435.825
2010 154667573881464112024978241005873213213.255.352.435.787
2011 142585502541273018183602151378511138.253.353.365.717
通算:16年 2247966981281412238455458284390613253931267821419112331763155.293.397.481.878
  • 2011年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

獲得タイトル・表彰

奉仕活動

ファイル:Abreu98.jpg
ボビー・アブレイユ(1998年)

アブレイユはフィラデルフィアデラウェア川流域において様々な地域活動に携わってきた。2001年にはアメリカ赤十字輸血キャンペーンの名誉チェアマンを務めた。また、2003年・2004年シーズンには「アブレイユのアミーゴ」プログラムを通じて金曜ナイターの試合に1万ドル分のチケットを購入し、子供たちを招待。練習着やクーポン、試合前の練習風景見学などを見学する機会を子供たちにプレゼントしていた。これらの活動が評価され、2004年にフィリーズ地域活動賞を受賞し、同年のロベルト・クレメンテ賞の式典にチーム代表として出席した。

2008年1月には日本を訪問、福岡県北九州市でイベントを行っている[21]

脚注

  1. ^ Bobby Abreu Stats, News, Pictures, Bio, Videos” (英語). ESPN.com. 2011年10月8日閲覧。
  2. ^ a b c 三尾圭 「知られざるスーパースター ボビー・アブレイユ[フィリーズ]」 『月刊スラッガー』2005年10月号、日本スポーツ企画出版社、2005年、雑誌15509-10、38-41頁。
  3. ^ a b c d e The Ballplayers - Bobby Abreu biography” (英語). BaseballLibrary.com. 2008年9月13日閲覧。
  4. ^ "1999 Career Highlights," The Official Site of The New York Yankees. 2008年1月22日閲覧。
  5. ^ Chass, Murray (2002年2月21日). “Twins Up for Sale; Will Likely Survive” (英語). The New York Times. 2009年12月26日閲覧。
  6. ^ "Philadelphia Phillies Batting Leaders," Baseball-Reference.com. 2008年1月22日閲覧。
  7. ^ 通常は両リーグから4選手ずつが選出されるが、この年は第1回ワールド・ベースボール・クラシックを翌年に控えていたため、特別に「国別対抗戦」の形式をとった。アブレイユはベネズエラ代表として出場。
  8. ^ それまでの最多記録は前年の2004年にミゲル・テハダが記録した1ラウンド15本・全ラウンド合計27本だった。
  9. ^ a b c Bobby Abreu from the Chronology” (英語). BaseballLibrary.com. 2008年9月13日閲覧。
  10. ^ a b 李啓充 「金満ヤンキース トレード戦線での圧勝」 『NumberWeb』、2006年8月3日。2008年4月1日閲覧。[リンク切れ]
  11. ^ 2006 AL Division Series - DET vs. NYY” (英語). Baseball-Reference.com. 2008年9月13日閲覧。
  12. ^ Kepner, Tyler (2007年4月30日). “Yankees Go to Bat for Torre After Another Loss” (英語). The New York Times. 2009年12月26日閲覧。
  13. ^ Hoch, Bryan (2007年11月2日). “Abreu coming back to Yanks” (英語). MLB.com. 2009年12月26日閲覧。
  14. ^ Spencer, Lyle (2009年2月12日). “Out of left field, Abreu joins Angels” (英語). MLB.com. 2009年12月26日閲覧。
  15. ^ 小林信行 「MLB30球団レポート ロサンゼルス・エンゼルス/LAA 早くも首脳陣から高い信頼度」 『月刊スラッガー』2009年5月号、日本スポーツ企画出版社、2009年、雑誌15509-5、79頁。
  16. ^ Spencer, Lyle (2009年11月5日). “Angels ink Abreu to two-year deal” (英語). MLB.com. 2009年12月26日閲覧。
  17. ^ a b 村上雅則監修 友成那智編著 『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2011』 廣済堂出版、2011年、225頁。
  18. ^ a b月刊スラッガー』2011年4月号、日本スポーツ企画出版社、2011年、29頁。
  19. ^ a b 友成那智、村上雅則 『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2007』 廣済堂出版、2007年、45項。ISBN 978-4-331-51213-5
  20. ^ 友成那智、村上雅則 『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2008』 廣済堂出版、2008年、67項。ISBN 978-4-331-51300-2
  21. ^アブレイユが北九州市でチャリティー」 『nikkansports.com』、2008年1月31日。2008年4月1日閲覧。

外部リンク