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マルコ・マテラッツィ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

マルコ・マテラッツィ ファイル:Football pictogram.svg
ファイル:Marco Materazzi - Inter Mailand (1).jpg
名前
愛称 マトリックス
ラテン文字 Marco Materazzi
基本情報
国籍 ファイル:Flag of Italy.svg イタリア
生年月日 1973年8月19日(38歳)
出身地 レッチェ
身長 193cm
体重 92kg
選手情報
ポジション DF
利き足
代表歴 2
2001–2008 ファイル:Flag of Italy.svg イタリア 41 (2)
2. 2008.10.26現在。
テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj
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マルコ・マテラッツィ (Marco Materazzi, 1973年8月19日 - ) はイタリア共和国プッリャ州レッチェ県レッチェ出身のサッカー選手。ポジションはディフェンダー。現在は無所属。

非常にアグレッシブなプレースタイルで知られ、キャリア通算で60枚以上のイエローカードと25枚以上のレッドカードをもらっている。また、2006年ドイツワールドカップ決勝でいわゆるジダンの頭突き問題の当事者となったことで世界的な注目を集めた。愛称はマトリックス

目次

選手歴

キャリア初期

1990-91シーズンにFCメッシーナ下部組織で競技生活を開始。アマチュアのトア・ディ・クイント (1991–92) 、セリエC2のマルサラ・カルチョ (1993-94) 、セリエC1のASトラパーニ (1994-95)を経て、1995年に当時セリエBに所属していたペルージャ・カルチョに移籍する。

ペルージャ

1996-1997シーズン前半はセリエC1のカルピFCにレンタルで修行に出され、18試合7ゴールを記録。冬にペルージャに復帰し、1997年2月2日のインテル戦で23歳にして初めてセリエAのピッチに立つ。その後、シーズン後半のみで14試合に出場し2ゴールの成績を残した。

1998–99シーズンにはプレミアリーグエバートンFCに移籍し、25試合1ゴールの成績を挙げたが、翌シーズンにはペルージャに復帰。この頃からレギュラーに定着し、半年ほどの間であったが中田英寿とチームメートとしてプレーしている。2000-2001シーズンにはそれまでダニエル・パサレラが持っていたDFによるシーズン最多ゴール記録(11得点)を更新する12得点を挙げる活躍を見せた。2000-01シーズン終了後、1000万ユーロの移籍金でインテルへと移籍した。

インテル

インテルでは在籍10シーズンで276試合に出場、20ゴールを決め、15のタイトルを勝ち取った[1]。2008-09シーズン以降は出場機会が減少したが、ロッカールームのまとめ役としてチームに貢献し、サポーターからも愛された。

2010-11シーズン終了後、残り短いキャリアを考え出場機会を求めての移籍の可能性を示唆[2]。2011年6月20日、本人とクラブの合意の上で契約期間を1年残して契約を解除したことが報じられた[3]

代表歴

2001年4月の南アフリカ戦で27歳にしてイタリア代表として初キャップを記録。2002年と2006年の二度のFIFAワールドカップに出場した。

2002年日韓ワールドカップではパオロ・マルディーニアレッサンドロ・ネスタの控えであったが、グループステージのクロアチア戦でネスタの負傷退場にともない途中出場。しかし、低調なプレーで失点に絡み、以後の試合では出場機会がなかった。

2006年ドイツW杯では、グループステージのチェコ戦で前回大会同様に負傷したネスタに代わって途中出場。決勝点となる代表初ゴールを決める活躍でマン・オブザ・マッチに選ばれた。以後、出場停止となったウクライナ戦を除くすべての試合でファビオ・カンナヴァーロジャンルイジ・ブッフォンらと共に鉄壁のディフェンスを築いた。

決勝戦ではフランス代表の先制点となるPKを献上するファウルを犯すが、その12分後にコーナーキックからのヘディングで自ら同点ゴールを叩き込んだ。試合は延長戦を経てPK戦にもつれこむと、マテラッツィは2人目のキッカーとしてPKを決め、イタリア代表の24年ぶり4回目の優勝に貢献。ジダンの頭突き問題の当事者となったことも相まって大きなインパクトを残した。

人物

  • 体に多くの入れ墨を彫っていることでも有名。左前腕にはローマ数字で "XIX VIII MCMLXXIII" と彫られている。
  • 新しく加入した選手が場に溶け込めるよう積極的に気を配り、チーム内での信頼は常に厚い。また、ペルージャ所属時代にチームメイトのファビオ・リヴェラーニが黒人差別的な野次を受けたのに憤慨し、以後は人種差別撤廃運動にも積極的に参加している。
  • 見かけによらずお酒が全く飲めない。

私生活

  • ダニエラ夫人との間に、3人の子どもがいる(2人の息子、ジャンマルコとダビデと娘のアンナ)。
  • 子煩悩で知られており、練習や合宿にも常に子供をつれて来る。しかし、息子がACミランのファンである事には複雑な感情を抱いているという。
  • 父はSSラツィオなどの監督を務めたジュゼッペ・マテラッツィ。幼いころ、父にサッカー選手になりたいと告げたところ「背が高いからバスケットの方がいいだろう」と暗に反対された。ジュゼッペとは疎遠であると告白している。理由は「親父は監督業が忙しかったし、帰っても女を家に連れ込んでいたからいい印象を持てなかった」と述べている。

エピソード

  • 2004年2月1日のACシエナ戦、マテラッツィはピッチの外からシエナのDFブルーノ・チリッロに対し野次を浴びせ続け、双方がエキサイトした結果、試合終了後に控え室への通路で揉み合いになる。この直後、チリッロは中継のカメラの前で切れた唇を見せ、マテラッツィによる暴行を視聴者に訴えた。この一件の後、マテラッツィはインテルから罰金と2ヶ月の出場停止処分を受けた。
  • 2006年7月9日のドイツワールドカップ決勝・フランス戦では、フランスのジネディーヌ・ジダンを侮辱的発言で挑発。激昂したジダンはマテラッツィに頭突きを加え、主審オラシオ・エリソンドからレッドカードを提示された。大会終了後、頭突きをしたジダンに罰金7500スイスフラン(約70万円)と3試合の出場停止、挑発行為を行ったマテラッツィに罰金5000スイスフラン(約47万円)と2試合出場停止の処分がFIFAより下された。(詳細: ジダンの頭突き問題)
  • 2006年12月8日のメッシーナ戦では小笠原満男が蹴ったボールが下腹部を直撃し悶絶したが、その後のプレーでズラタン・イブラヒモビッチからのヘディングの折り返しを、とても大柄なディフェンダーとは思えない見事なオーバーヘッドキックでゴールに突き刺し、その試合の解説者であった原博実を驚愕させた。
  • 2007年1月28日のUCサンプドリア戦において、サンプドリアのMFジェンナーロ・デルヴェッキオがインテルのGKジュリオ・セーザルに激しく接触したことにマテラッツィが抗議。両者は口論になり、デルヴェッキオがマテラッツィに頭突きを浴びせた。結果、デルヴェッキオは一発退場、激昂し抗議し続けたマテラッツィにもイエローカードが提示された。試合後マテラッツィは「(頭突きを食らって勝てるのなら)それでいい」と前向きに言い放った[4]
  • 2010年1月24日のACミラン戦で勝利した試合終了直後に、イタリア首相でミランのオーナーでもあるシルヴィオ・ベルルスコーニの顔を模したマスクをかぶってピッチに現れ、チームメートと勝利を喜びあったことがイタリア国内で物議を醸した[5]。後日、自身のホームページで「あれはほんのジョークのつもりだった。いつだって僕がやることは問題になる。どこでも売っているようなカーニバル用のマスクでさえもね。トラブルを起こすつもりなんかなかったし、むろん、揶揄したり政治的な意味があるなんてことはまったくない。ベルルスコーニ氏自身、痛烈な皮肉好きの人物なのだから、今回のことは笑って許してくれると思う」と釈明をした。
  • 2010年4月20日に行われたバルセロナとのチャンピオンズリーグ準決勝ファーストレグの試合終了後、ファンの批判に怒ってユニフォームを地面に投げつけたマリオ・バロテッリに激怒し、ロッカールームで制裁を加えた[6]。この様子を目撃したズラタン・イブラヒモビッチは「マテラッツィはバロテッリを殺す勢いだった」と語っている[7]

所属クラブ

ファイル:Marco Materazzi - Inter Mailand (3).jpg
インテルでプレーするマテラッツィ
ユース
シニア
ファイル:Flag of Italy.svg カルピ 1996-1997 (loan)

個人成績

利用者:Bcjp/t/fbp国内表 top 利用者:Bcjp/t/fbp国内表 th |- |1990-91||メッシーナ||||||0||0|||||||||||| |- |1991-92||トール・ディ・クイント|||||||||||||||||||| |- |1992-93||トール・ディ・クイント|||||||||||||||||||| |- |1993-94||マルサラ||||セリエC||25||4|||||||||||| |- |1994-95||トラパーニ||||セリエC||13||2|||||||||||| |- |1995-96||ペルージャ||19||セリエB||1||0|||||||||||| |- |1996-97||カルピ||||セリエC||18||7|||||||||||| |- |||ペルージャ||23||セリエA||14||2|||||||||||| |- |1997-98||ペルージャ||23||セリエB||32||5||2||0|||||||| |- |1998-99||エバートン||15||プレミア||27||1|||||||||||| |- |1999-00||ペルージャ||23||セリエA||21||3||2||0|||||||| |- |2000-01||ペルージャ||23||セリエA||30||12||2||0|||||||| |- |2001-02||インテル||23||セリエA||23||1||1||0|||||||| |- |2002-03||インテル||23||セリエA||20||1|||||||||||| |- |2003-04||インテル||23||セリエA||14||3|||||||||||| |- |2004-05||インテル||23||セリエA||26||0||5||0|||||||| |- |2005-06||インテル||23||セリエA||22||2||7||0|||||||| |- |2006-07||インテル||23||セリエA||28||10||3||0|||||||| |- |2007-08||インテル||23||セリエA||23||1||4||0|||||||| |- |2008-09||インテル||23||セリエA||8||0|||||||||||| |- |2009-10||インテル||23||セリエA|||||||||||||||| |- |2010-11||インテル||23||セリエA|||||||||||||||| |- 利用者:Bcjp/t/fbp国内表 通算始|||||||||||||| 利用者:Bcjp/t/fbp国内表 通算終|||||||||||||| |}

脚注

  1. ^ 誕生日:マテラッツィ、おめでとう!インテル公式 2011年08月19日
  2. ^ マテラッツィ:「移籍の可能性はある」goal.com 2011/06/06
  3. ^ マテラッツィ、インテルと契約解除で合意へgoal.com 2011/06/21
  4. ^ マテラッツィ、今度は“アッパー頭突き”を食らうlivedoorスポーツ 2007年01月29日
  5. ^ マテラッツィ、冗談のつもりが処分に?goa.com 2010/01/26
  6. ^ マテラッツィ、バロテッリを蹴飛ばす?goal.com 2010/04/22
  7. ^ 【バルサ】イブラヒモヴィッチ「マテラッツィはバロテッリを殺す勢いだった」wowow 2010年4月22日

関連項目

外部リンク