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ミハイ1世 (ルーマニア王)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ミハイ1世
Mihai I
ルーマニア国王
ファイル:Mihai.jpg

先代 カロル2世
摂政 ニコラエ・アル・ロムニエイ
先代 フェルディナンド1世
次代 カロル2世

出生 1921年10月25日(90歳) Template:Safesubst: ファイル:Flag of Romania.svg ルーマニアシナヤ Template:Safesubst:
死亡 Template:Safesubst: Template:Safesubst:
埋葬 Template:Safesubst: Template:Safesubst:
実名 Mihai
ミハイ
王室 ホーエンツォレルン=ジグマリンゲン家
父親 カロル2世
母親 エレナ・デ・グレチア・シ・ダネマルカ
配偶者 アナ・デ・ブルボン=パルマ
子女
マルガレタ
エレナ
イリナ
ソフィア
マリア
信仰 キリスト教正教会

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ミハイ1世ルーマニア語: Mihai I, 1921年10月25日 - )は、ルーマニア王国国王(在位:1927年7月20日 - 1930年6月8日1940年9月6日 - 1947年12月30日)。父はカロル2世、母はギリシャ国王コンスタンティノス1世の長女ヘレーネ

生涯

1921年にカロル2世とヘレーネ(エレナ)王妃の長子として生まれる。1927年に祖父フェルディナンド1世が死去するが、本来ならばこの時に父カロルが王位を継承するはずであった。ところが父は愛人関係のもつれから王位継承権を放棄し、愛人とともに国外逃亡してしまった。

そのため、わずか6歳のミハイ1世が即位することになった。しかしその3年後、父が突如帰国してミハイ1世を退位させ、代わって自身が国王カロル2世として即位した。しかしカロル2世の親政に非難の声が高まり、結局カロル2世は1940年に退位して再び亡命、ミハイ1世が国王の座に返り咲くことになった。

第二次世界大戦の結果を受けて、ルーマニア王国にはソ連軍に駐留していた。結果、共産化の波はルーマニアにも押し寄せ、君主制廃止の世論に抗しきれず、ミハイ1世は1947年に亡命に追い込まれる。

その後スペインに渡り、イベリア航空のパイロットなどをしながら亡命生活を強いられたが、ルーマニア革命によるルーマニア社会主義共和国の崩壊後、1992年にようやく帰国が許され、1997年以降ルーマニアに在住している。

家族

退位後の1948年ブルボン=パルマ家アンヌ・アントワネットと結婚し、5女を儲けた。

  1. マルガレタ(1949年 - )
  2. エレナ(1950年 - )
  3. イリナ(1953年 - )
  4. ソフィア(1957年 - )
  5. マリア(1964年 - )

関連項目

先代:
フェルディナンド1世
ルーマニア国王
1927年 - 1930年
次代:
カロル2世
先代:
カロル2世
ルーマニア国王
1940年 - 1947年
次代:
(王制廃止)