ヤップ島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
座標: 北緯9度32分 東経138度07分 / 北緯9.533度 東経138.117度
ヤップ島とはミクロネシア連邦のヤップ州の州政府が置かれた島である。
目次 |
概要
ミクロネシア連邦の西端に位置し、州都コロニアが置かれている。古代よりヤップ州の離島とサウェイ交易を通じた主従関係にあるが、民族的出自や言語は大幅に異なっている。
歴史
第一次世界大戦までドイツ領。戦後、日本の委任統治領となる。 太平洋戦争中は陸海軍の基地となり、1944年には航空部隊を中心に、合わせて約6000名の将兵が配置され、想定されたマリアナでの戦いに備えて、二本の滑走路が作られた。またその過程で、島民3000名は沿岸部から島の中央に疎開させられた。 結果的に米軍の上陸は行われず、終戦まで日本軍はこの島を維持したが、補給の途絶と人口過多により食糧不足に悩まされ、島民と協力して農業や漁業に努めたものの、陸軍250名、海軍94名の戦病死者を出している。 戦後、アメリカ合衆国の信託統治領となり、現在はミクロネシア連邦に属する。
石貨
詳細は「石貨 (ヤップ島)」を参照
巨大な石の貨幣(のようなもの)を用いていることで知られる。ただ、個々の石貨には(例えば1000ドル相当とか2000ドル相当というような)厳密に決められた価値が設定されているわけではない。また普通の貨幣のように人から人へと渡るものではなく、屋外に据えられた状態で、所有者が変わってもその場所は変わらない。よって、経済学的には石貨は貨幣とは見なさない。石貨の価値を決めるのは個々の石貨そのものの来歴であり、それを所有している者とそれを譲られる者の話し合いによって譲渡の条件が決定される。例えばこの石貨はサイズも大きく、西洋人が来る前からヤップにあったので極めて価値が高いから、あのパンの木の大木何本と交換しよう、というような条件である。であるから、現在では、石貨はむしろ極めて高価な骨董品と見なすべきである。ただし、かつては石貨は来歴によらず、貨幣として通用していたとする記述も日本国内の文献には存在している[1]。また、かつて島を支配していたドイツの現地役人も石貨を貨幣とみなし、役人の命令に従わない場合の懲罰として罰金を徴収する際には、石貨にペンキで×印を書き入れたケースがあった。島民が慌てて役人の命令に従うと、役人は×印を消してまわり、島民も安堵したという。
ヤップの石貨には、古代に石器で切り出してパラオから航海カヌーで運んで来たものと、19世紀にオキーフというアイルランド系アメリカ人が鉄器で切り出して機帆船で持ち込んだものがあり、前者のほうが価値が高いとされている。また1990年代に日本のNPO「アルバトロス・クラブ」がマウ・ピアイルックの協力を得てパラオから航海カヌーで石貨を運ぶ実験を行い、その時に運ばれた石貨をヤップの酋長に寄贈している。
交通
コンチネンタルミクロネシア航空のアイランドホッパーと呼ばれる島巡り便が就航するヤップ国際空港がある。
外部リンク
- ヤップ州観光局 (日本語)
注
- ^ 「ミクロネジアの風土と民具」(染木煦著)




