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尹晶煥

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

尹晶煥 ファイル:Football pictogram.svg
名前
カタカナ ユン・ジョンファン
ラテン文字 YOON Jung Hwan
ハングル 윤정환
基本情報
国籍 ファイル:Flag of South Korea.svg 韓国
生年月日 1973年2月16日(39歳)
出身地 ファイル:Flag of South Korea.svg光州広域市
身長 173cm
体重 69kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
クラブチーム1
クラブ 出場 (得点)
1995-1999
2000-2002
2003
2004-2005
2006-2007
富川SK
セレッソ大阪
城南一和天馬
全北現代モータース
サガン鳥栖
68 (8)
81 (9)
30 (1)
42 (3)
67 (3)
代表歴 2
1994-2002 ファイル:Flag of South Korea.svg 韓国 38 (3)
監督歴
2011- サガン鳥栖
1. 国内リーグ戦に限る。2008年7月26日現在。
2. 2008年7月26日現在。
テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj
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尹 晶煥(ユン・ジョンファン、윤정환、Yoon Jung-Hwan、1973年2月16日-) は、大韓民国光州市出身の元サッカー選手で、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。元サッカー韓国代表選手で、現在はJリーグサガン鳥栖の監督を務める。

目次

経歴

選手時代

東亜大学校在籍時の1994年に韓国代表デビューを果たすなど、中盤のプレーメーカーとして早くから将来を嘱望された。1995年Kリーグ・油公コッキリ(現済州ユナイテッドFC)でプロデビュー。1年目から出場機会を得る。

2000年にJリーグ(J1)・セレッソ大阪と契約し、C大阪のJ1ファーストステージでの優勝争いの原動力となった。2001年にはJOMO CUPのメンバーにも選出され、MVPを受賞。日韓共催の2002 FIFAワールドカップを控えていたため、当初はこの年限りで韓国に復帰するつもりだったが、C大阪がJ2へ降格した悔しさを晴らすために残留を決意し、2002年はJ2でプレー。見事C大阪を1年でJ1へ復帰させる。日韓ワールドカップの韓国代表メンバーにもJ2から選出されたが、出場機会はなかった。

2003年に韓国に帰国し、この年は城南一和天馬、翌年からの2年間は全北現代モータースでプレーした。

2006年、「再び日本でプレーしたい」という本人の強い希望によりJ2のサガン鳥栖に移籍。この年は当時鳥栖のクラブ史上最高成績となる4位躍進に大きく貢献し、チームを支えた。2007年は先発出場の機会は減ったものの、スーパーサブとして活躍した。同年オフ、鳥栖との契約満了とともに現役を引退。

指導者時代

引退後の2008年はテクニカルアドバイザーとして引き続き鳥栖に残り、鳥栖のユースチームやサッカースクールでの指導のほか、地域の子どもたちを対象にサッカーの普及活動に取り組んだ。

2009年、鳥栖のトップチームコーチとして指導者として現場に復帰。クラブは当初から尹を将来の監督候補として期待しており、この年限りで監督の岸野靖之が辞任した際には、尹が監督に昇格する予定であったが、尹の所持するAFCのA級ライセンスではJリーグクラブの監督就任条件を満たさないと判断された。そこで、クラブスタッフで監督就任に必要なJFA S級ライセンスを唯一所持していた、元監督でGMを務めていた松本育夫が監督に復帰し(GMは解職)、尹はヘッドコーチに昇格して松本と尹の二頭体制を取ることとなった[1]。なお、実際の指導は尹が中心として執るが、松本は鳥栖での前回の監督最終年(2006年)にも実際の指導を当時ヘッドコーチだった岸野に任せていた前例がある。

2010年にS級ライセンスを取得したのを受けて、2011年より鳥栖監督に正式に就任。この年の開幕時におけるJリーグ38クラブの監督の中では唯一の韓国籍監督で、最年少でもある。2010年は選手の大半が入れ替わった影響もあり9位に終わったが、主力選手の大半を残すことが出来た2011年は後半戦で16試合連続負けなしの快進撃を見せ、チームを過去最高の2位に導き、同時にクラブ初のJ1昇格を果たした。

プレースタイルと人柄

ポジションはトップ下、ボランチ。フィジカルを活かすタイプの選手が多かった90年代の韓国人選手には珍しい、テクニックタイプのパサーであり、天才肌の選手として若いころから注目を受けていた。キャリア最晩年は運動量の衰えが否めなかったが、それをカバーする技術を持つ選手だった。

リーダーシップのある選手で、鳥栖時代はベテランとして全幅の信頼を寄せられ、尹を慕う若手選手は多かった。鳥栖時代には韓国人の通訳がいなかったが、チームメイトとの会話では日本語を流暢に話すなど、コミュニケーション等にも問題は全く無かった。

所属クラブ

ユース経歴

プロ経歴

個人成績

利用者:Bcjp/t/fbp国内表 top 利用者:Bcjp/t/fbp国内表 th |- |1995年||油公コッキリ||||rowspan="5"|Kリーグ||19||3||5||0||colspan="2"|-||24||3 |- |1996年||富川油公||||15||0||7||2||?||?|||| |- |1997年||rowspan="3"|富川SK||||7||2||9||1||?||?|||| |- |1998年||||16||1||12||3||?||?|||| |- |1999年||8||11||2||7||1||?||?||18||3 利用者:Bcjp/t/fbp国内表 th |- |2000年||rowspan="3"|C大阪||rowspan="3"|6||rowspan="2"|J1||29||3||3||0||3||3||35||6 |- |2001年||26||4||1||0||5||6||32||10 |- |2002年||J2||26||4||colspan="2"|-||3||0||29||4 利用者:Bcjp/t/fbp国内表 th |- |2003年||城南一和||6||rowspan="3"|Kリーグ||30||1||colspan="2"|-||0||0||30||1 |- |2004年||rowspan="2"|全北現代||rowspan="2"|8||23||2||11||0||2||0||36||2 |- |2005年||19||1||12||1||5||0||36||2 利用者:Bcjp/t/fbp国内表 th |- |2006年||rowspan="2"|鳥栖||rowspan="2"|8||rowspan="2"|J2||41||2||colspan="2"|-||2||0||43||2 |- |2007年||26||1||colspan="2"|-||0||0||26||1 利用者:Bcjp/t/fbp国内表 通算始203||20||63||8|||||||| 利用者:Bcjp/t/fbp国内表 通算行55||7||4||0||8||9||67||16 利用者:Bcjp/t/fbp国内表 通算行93||5||colspan="2"|-||5||0||98||5 利用者:Bcjp/t/fbp国内表 通算終351||32||67||8|||||||| |}

タイトル

  • 2001年 JOMOカップ MVP

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ38試合3得点

指導歴

監督成績

年度所属クラブリーグ戦カップ戦
順位 試合 勝点 勝利 引分 敗戦 ナビスコ杯 天皇杯
2011J2 鳥栖 2位 38 69 19 12 7 -2回戦敗退(初戦敗退)
J1通算 -- -- - -
J2通算 -38 -19 12 7

関連項目

参照