ライアン・グリン
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| 統一セブンイレブン・ライオンズ #14 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 国籍 | ファイル:Flag of the United States.svg アメリカ合衆国 |
| 出身地 | バージニア州ポーツマス |
| 生年月日 | 1974年11月1日(37歳) |
| 身長 体重 |
190cm 89kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 1995年 ドラフト4巡目 |
| 初出場 |
MLB / 1999年5月16日 KBO / 2003年7月24日 NPB / 2006年5月21日 CPBL / 2011年5月19日 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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ライアン・デイヴィッド・グリン(Ryan David Glynn , 1974年11月1日 - )は、アメリカ合衆国バージニア州出身のプロ野球選手(投手)。
目次 |
来歴
アメリカ陸軍訓練学校(バージニアミリタリー大学)出身。学生時はパワーヒッターとして活躍し、1995年のドラフトでも野手としてMLBテキサス・レンジャーズから指名を受けるが、プロ入り後間もなく投手へ転向。
韓国プロ野球などを経て2006年4月21日にツインズ3Aロチェスター・レッドウイングスから東北楽天ゴールデンイーグルスに入団。
- 2006年
5月中旬に来日すると先発ローテーションに定着。後半5連敗を喫するもその後持ち直して4連勝、最終的にチーム最多タイ(一場靖弘と同数)の7勝(7敗)、防御率3.96の成績を残した。雨天コールドゲームで記録した1試合を除いて完投はなかった。この年の右打者の被打率は.208、左打者は.353と、シュート回転のストレートを武器に右打者に強さを見せた。シーズン終了後、契約交渉が決裂し退団。自由契約選手として公示された。
- 2007年
北海道日本ハムファイターズに入団。開幕当初から先発ローテーションを任される。セ・パ交流戦では6試合に登板して5勝0敗、防御率1.01で最優秀選手に選ばれた。5月から7月にかけて7連勝し、その後も防御率1点台前半と好投したが、打線の援護に恵まれず8月以降は1勝に終わる。最終的に9勝8敗、防御率2.20(リーグ3位)という好成績を残した。
- 2008年
開幕から打線の援護に恵まれず、防御率は3.66ながら、リーグワーストの14敗を記録。クライマックスシリーズではセカンドステージの第1戦と第5戦に登板するが、第1戦では3回を10失点、第2戦では2回2/3を5失点、通算防御率23.82という内容で2敗を喫した。オフに残留交渉がまとまらず退団。12月2日に自由契約選手として公示された。
- 2009年
1月、横浜ベイスターズへの入団を発表。シーズンを通して先発ローテーションの一員として登板したが、外国人投手としては20年ぶりの15敗を記録するなどチーム低迷の一因となった。9月下旬、夫人の出産のためシーズン終了前に帰国した。シーズン終了後、球団側が契約を解除したため退団した。
- 2010年
7月、アメリカの独立リーグであるアトランティックリーグのニューアーク・ベアーズと契約した[1]。
- 2011年
台湾・中華職業棒球大聯盟の統一セブンイレブン・ライオンズに入団。
プレースタイル
スリークォーターから投げ込むストレートは最速151km/h。変化球はスライダー、チェンジアップ、シュートなど。時折意図的にフォームをサイドスロー気味にし、ストレートやスライダーに角度をつけて投げることもある珍しいタイプの投手。
走者を出すと極端に神経質になり、ボールを出すと熱くなる短気な性格のため、制球を乱しがちである。セットポジション時のボークが課題であり、ボークの判定に納得できず熱くなってしまう場合が多い。この投球リズムの悪さが祟ってか、楽天時代、日本ハム時代ともにグリンが投げる試合は打線の援護が極端に少なく、好投が報われずに敗戦投手となってしまうことがしばしばあり、常に安定した防御率で年間通じてローテーションを守りながら、2桁勝利を挙げたことは一度もない。
また、高橋信二との相性がよく、2008年前半は高橋のケガなどから他の捕手とバッテリーを組むことが多かったため不振だったとも言われた。
人物
東北楽天時の野村克也監督について、「尊敬している。今まで野球をやってきて最高の監督だった。思いやりをもって接してくれた」と語った。日本ハムへの移籍が決まった際には、野村監督への感謝の気持ちを綴った手紙を贈ったという。また、野村は2007年に日本ハムがリーグ連覇を達成した際、「カモられるわ、グリンはやるわ…、本当にウチ(楽天)は日本ハムの後援会だな」と皮肉混じりにコメントした。
2007年4月22日の対福岡ソフトバンクホークス5回戦(東京ドーム)で試合途中に突然マウンドを降り、そのまま降板した。この行動に対し試合後には「二塁走者(田上秀則)が不審な動きをしていたので身の危険を感じた」と謎のコメントを残している。その後、田上のリードをしては戻るという行動がサインを盗んで打者に伝えていると思ったと言っている。
大変家族想いな選手でシーズン中もたびたび家族が来日する。家族が球場で観戦する際にグリンは、イニングごとベンチに帰るときにスタンド方向に合図を送る。
2008年はなかなか勝ち星を挙げられず、コーチに押し出すように投げていたフォームを直すよういわれたが、自分のやり方を通し拒否。しかし、息子のカイルに指摘されるとあっさり修正し、8月末からは4試合連続7回無失点と完全に本来の調子を取り戻した。
試合中はボークなどでエキサイトすることも多いが、普段は非常に物静かである。近所に住んでいる日本ハム時代のチームメイトの森本稀哲は「散歩とかしてて偶然会ってもライアンってつれないんですよ」と語っていた。
日本ハム時代はチームメイトやファンからはグリンではなく、ファーストネームのライアンと呼ばれた。これは、グリンが日本ハムに移籍した2007年に野手のアンディ・グリーンが在籍しており、紛らわしさを回避するためである。このため、アナウンスではフルネームで呼ばれた(グリーンも同様)。球団もグリンにファーストネームでの登録を薦めたが、本人は断ったという。
横浜時代の応援歌は、名前にちなんでか童謡「グリーングリーン」の替え歌となっている(なお大洋時代の高橋雅裕も同曲を使用していた)。
2009年9月5日の対中日19回戦(ハードオフ新潟)、グリンはベンチ入りメンバーから外れていたが、マネージャーが先発メンバー表にスティーブン・ランドルフと間違えてグリンの名を書き入れてしまった[2]。結局ベンチ入りメンバーを桑原義行と交代した上でグリンが先発で登板し、中日の先頭打者である井端弘和1人をアウトにした後、ランドルフに交代した。なお試合はランドルフが最後まで投げ抜き、2-0で勝利している。
古巣の北海道日本ハムファイターズ戦に勝利すれば、外国人初の全球団勝利を挙げることが出来た悲運な投手であった。
詳細情報
年度別投手成績
| 年 度 | 球 団 | 登 板 | 先 発 | 完 投 | 完 封 | 無 四 球 | 勝 利 | 敗 戦 | セ 丨 ブ | ホ 丨 ル ド | 勝 率 | 打 者 | 投 球 回 | 被 安 打 | 被 本 塁 打 | 与 四 球 | 敬 遠 | 与 死 球 | 奪 三 振 | 暴 投 | ボ 丨 ク | 失 点 | 自 責 点 | 防 御 率 | W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1999 | TEX | 13 | 10 | 0 | 0 | 0 | 2 | 4 | 0 | 0 | .333 | 262 | 54.2 | 71 | 10 | 35 | 0 | 1 | 39 | 3 | 1 | 46 | 44 | 7.24 | 1.94 |
| 2000 | 16 | 16 | 0 | 0 | 0 | 5 | 7 | 0 | 0 | .417 | 412 | 88.2 | 107 | 15 | 41 | 2 | 3 | 33 | 3 | 0 | 65 | 55 | 5.58 | 1.67 | |
| 2001 | 12 | 9 | 0 | 0 | 0 | 1 | 5 | 0 | 0 | .167 | 219 | 46.0 | 59 | 7 | 26 | 1 | 0 | 15 | 5 | 0 | 38 | 36 | 7.04 | 1.85 | |
| 2003 | 三星 | 15 | 10 | 0 | 0 | -- | 1 | 3 | 1 | 0 | .250 | 250 | 57.1 | 65 | 5 | 16 | 0 | 3 | 28 | 1 | 0 | 33 | 32 | 5.02 | 1.41 |
| 2004 | TOR | 6 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 89 | 20.0 | 19 | 4 | 8 | 1 | 3 | 14 | 0 | 0 | 9 | 9 | 4.05 | 1.35 |
| 2005 | OAK | 5 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | .000 | 82 | 17.0 | 24 | 5 | 7 | 0 | 0 | 15 | 0 | 0 | 16 | 13 | 6.88 | 1.82 |
| 2006 | 楽天 | 21 | 19 | 1 | 0 | 0 | 7 | 7 | 0 | 0 | .500 | 558 | 127.1 | 143 | 15 | 36 | 0 | 6 | 121 | 4 | 5 | 62 | 56 | 3.96 | 1.46 |
| 2007 | 日本ハム | 24 | 24 | 0 | 0 | 0 | 9 | 8 | 0 | 0 | .529 | 621 | 155.0 | 129 | 16 | 33 | 0 | 6 | 111 | 4 | 7 | 43 | 38 | 2.20 | 1.08 |
| 2008 | 26 | 25 | 2 | 0 | 0 | 7 | 14 | 0 | 0 | .333 | 699 | 163.1 | 160 | 18 | 61 | 1 | 3 | 99 | 5 | 5 | 74 | 66 | 3.64 | 1.37 | |
| 2009 | 横浜 | 23 | 23 | 0 | 0 | 0 | 3 | 15 | 0 | 0 | .167 | 521 | 118.0 | 135 | 17 | 35 | 1 | 4 | 69 | 5 | 3 | 73 | 67 | 5.11 | 1.44 |
| MLB:5年 | 52 | 40 | 0 | 0 | 0 | 9 | 20 | 0 | 0 | .310 | 1064 | 226.1 | 280 | 41 | 117 | 4 | 7 | 116 | 11 | 1 | 174 | 157 | 6.24 | 1.75 | |
| KBO:1年 | 15 | 10 | 0 | 0 | -- | 1 | 3 | 1 | 0 | .250 | 250 | 57.1 | 65 | 5 | 16 | 0 | 3 | 28 | 1 | 0 | 33 | 32 | 5.02 | 1.41 | |
| NPB:4年 | 94 | 91 | 3 | 0 | 0 | 26 | 44 | 0 | 0 | .371 | 2399 | 563.2 | 567 | 66 | 165 | 2 | 19 | 400 | 18 | 20 | 252 | 227 | 3.62 | 1.30 | |
- 2009年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
表彰
- NPB
記録
- NPB投手記録
- 初登板:2006年5月21日、対読売ジャイアンツ2回戦(フルキャストスタジアム宮城)、4回表当初から救援登板、打者:清水隆行
- 初先発:2006年5月26日、対広島東洋カープ1回戦(フルキャストスタジアム宮城)
- 初勝利・初先発勝利:2006年6月6日、対横浜ベイスターズ4回戦(フルキャストスタジアム宮城)
- 初完投勝利:2006年9月6日、対オリックス・バファローズ18回戦(フルキャストスタジアム宮城) ※6回裏一死で降雨コールドゲーム
- NPB打撃記録
背番号
- 50 (2006年)
- 14 (2007年 - 2008年、2011年 - )
- 10 (2009年)
登場曲
- Red Hot Chili Peppers / CAN'T STOP
- Matchbox Twenty / How Far We've Come
脚注
- ^ “BEARS INK GLYNN Returns to States for First Time Since 2006” (2010-07-10). 2011-11-25閲覧。
- ^ “www.sponichi.co.jp/baseball/news/2009/09/06/01.html” (2009-09-06). 2009-09-06閲覧。
関連項目
外部リンク
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