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リバウド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

リバウド ファイル:Football pictogram.svg
名前
本名 Rivaldo Vítor Borba Ferreira
愛称 リーヴォ、左足の魔術師
カタカナ リバウド・ヴィトル・ボルバ・フェレイラ
ラテン文字 RIVALDO
基本情報
国籍 ファイル:Flag of Brazil.svg ブラジル
生年月日 1972年4月19日(40歳)
出身地 ペルナンブーコ州レシフェ
身長 185cm
体重 75kg
選手情報
ポジション FW / MF
利き足 左足
代表歴
1993–2003 ファイル:Flag of Brazil.svg ブラジル 74 (34)
テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj
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リバウドことリバウド・ヴィトル・ボルバ・フェレイラ(Rivaldo Vítor Borba Ferreira, 1972年4月19日 - )は、ブラジル出身のサッカー選手。元ブラジル代表。世界最高レベルの巧みな左足のボール捌きと力強いシュートを放つことから、「レフティモンスター」「左足の魔術師」と言われる。リヴァルド、ヒヴァウド、ヒバウドと表記される場合もある。

目次

人物

フランス代表ジネディーヌ・ジダンと並び称される世界最高の選手の一人だった。中盤でプレーしても高い得点能力を誇り、ゴール数ではジダンを大きく上回っている。

1999年には世界最優秀選手と欧州最優秀選手(バロンドール)に選ばれ、2002年日韓W杯ではロナウドロナウジーニョらと共に3Rと呼ばれる攻撃陣を結成し、ブラジルの5回目の優勝に貢献した。控えめな性格ゆえにマスコミから取り上げられる機会は少なかったが、同国のペレリベリーノジーコロマーリオらと共にサッカー史に名を残す選手の一人といえる。

実家の家計が苦しく、ユース時代にはバス代を節約するために、25kmも離れた練習場まで歩いて通った。また、プロになって初めてステーキを食べた時に、それまで栄養失調だったことから歯が抜け落ち、入れ歯になってしまった。

2008年10月には古巣モジミリンECの会長に就任した。

経歴

クラブ

パルメイラスでの活躍を経て1996年、スペインのデポルティーボ・ラ・コルーニャに移籍。初年度にも関わらず46試合で21得点という好成績を残し、移籍したロナウドの後釜としてFCバルセロナへと移籍した。

バルセロナでは1997-98、1998-99シーズンでのリーグ連覇に貢献し、1998-99シーズンにはバロンドールFIFA最優秀選手賞を受賞。2000-2001シーズンから背番号が「11」から「10」になり、スター選手であるルイス・フィーゴがライバル関係にあるレアル・マドリードへ移籍したため、リバウドがエースとなった。また2001-02シーズンでは、パトリック・クライファートハビエル・サビオラと共にトリデンテ三椏の矛)とよばれるトリオの中心として、強烈な攻撃を披露していた、しかし、このシーズンのリバウドは怪我が多く、試合数得点数ともに入団以来最低の成績であった。ある試合ではゴールを決めた後に痛みで顔をしかめていたこともある

ルイス・ファン・ハール監督との折り合いが悪く、2002-03シーズンからファン・ハールがバルセロナの監督を再び就任することになると、2002年にACミランへ移籍した。だが、イタリアのプレースタイルに馴染めず、更に自身の離婚問題でコンディションを崩し出場機会に恵まれず、2003年に退団した。

その後ギリシャのオリンピアコスFCに移籍。リーグの得点王になるなど中心選手としてリーグ3連覇に貢献したが、2006-07シーズンオフに契約交渉が決裂し退団。ブラジルに帰国する予定であったが、家族がギリシャに残ることを希望したため、退団して2週間後にオリンピアコスのライバルであるAEKアテネと2年契約を結ぶ。しかし、またもチームと軋轢が生じ、2008年8月29日、ウズベキスタンリーグ1部のFCブニョドコルと2年契約を結んだことがAEKアテネより発表された。また、同クラブにおけるジーコ監督就任に関しても彼自身が仲立ちをしてのものである。その後、クラブでは2連覇に貢献し、特に2009年シーズンにはリーグ得点王にも輝いた。 2010年8月にブニョドコルとの契約を解除して退団した。その後、自身のツィッター上において、2011年にリバウド自身が会長を務めるモジミリンECで現役生活を再開することを発表した。2011年1月23日、サンパウロFCへ2011年末までのレンタル移籍が発表された。

伝説のハットトリック

バルセロナ所属時の2000-2001リーガ最終節、勝利した方が翌シーズンのチャンピオンズリーグ出場(4位)となるバレンシアCF戦で、リバウドはチームの全得点となるハットトリックを記録し勝利に導いた。1点目は前半3分、バレンシアの壁を僅かに掠めてネットに突き刺さったフリーキック。2点目は前半ロスタイムに、得意の強烈な低い弾道のミドルシュートゴールを奪った。

そして3点目は、2対2の同点のまま、後半43分と残り時間はわずかとなり、引き分けならバレンシアがチャンピオンズリーグに出場するという状況であった。ペナルティエリア外にいたリバウドは、フランク・デ・ブールからのパスを「ゴールを背にしたまま胸でトラップして、左足のオーバーヘッドキックを放ち」それを一挙動で行った。ゴールキーパーサンティアゴ・カニサレスは、アウトカーブがかかったこのシュートを止められず、ゴール左下隅に突き刺さった。

スタンドで観戦していた当時のジョアン・ガスパール会長が珍しく狂喜乱舞し、試合が終了するとカンプ・ノウの観客は興奮のあまりピッチに雪崩れ込んだ。ルイス・エンリケに「あれはキャプテン翼でしか表現できないプレーだよ」と言わしめ、メディアからも「キャプテン翼は実在した」と絶賛された。当時低迷するクラブの中で、リバウドの孤軍奮闘が目立つシーズンだった。

ブラジル代表

ブラジル代表としては1993年12月16日メキシコ戦で代表デビューを飾る。ブラジル五輪代表として1996年アトランタオリンピックに出場するが、自身のミスもあり準決勝で敗戦し戦犯扱いされた。

FIFAワールドカップではブラジルの栄光のNo.10を1998年2002年の二大会にわたって背負った。 1998 FIFAワールドカップ大会では、準々決勝で当時世界最高のゴールキーパーと言われていたデンマーク代表のピーター・シュマイケルから2得点を奪い計3得点をあげるものの、ブラジル国民を納得させることが出来なかった、それは所属クラブでのようなプレーを期待する国民が、リバウドに対して厳しい評価を向けたからであった。

2001年に行われた2002 FIFAワールドカップ南米予選では同国は苦戦を続けたが、10月7日のチリ戦で1得点を上げ本大会出場に貢献した。試合後、スタジアムを埋め尽くしたサポーターがリバウドへ大喝采を送った。リバウドはこのサポーターの行為に「代表のためにプレーして、称賛されてフィールドを後にするのはこれが初めてだ。本当にうれしい」と感激し、一生忘れられないシーンとして心に刻み込まれているという。

2002年の本大会では5得点を決め決勝でも2得点に絡む活躍を見せ、代表で活躍出来ないと言われていた批判を一蹴し、ロナウドロナウジーニョカフーロベルト・カルロスらとともに5度目の優勝に大きく貢献した。この大会の、MVPはドイツ代表のオリバー・カーンではなくリバウドだという声も多く聞かれた。また1999年のコパ・アメリカではロナウドとともに得点王になりMVPにも輝いた。

所属クラブ

→2011年 ファイル:Flag of Brazil.svg サンパウロFC (loan)

獲得タイトル

オリンピック
男子 サッカー
1996サッカー

個人タイトル

個人成績

利用者:Bcjp/t/fbp国内表 top 利用者:Bcjp/t/fbp国内表 th |- |1991||サンタクルス||||||18||8|||||||||||| |- |1992||モジ・ミリン||||||27||9|||||||||||| |- |1993||コリンチャンス||||1部||19||11|||||||||||| |- |1994||コリンチャンス||||1部||22||6|||||||||||| |- |1994||パルメイラス||||1部||29||13|||||||||||| |- |1995||パルメイラス||||1部||45||17|||||||||||| |- |1996||パルメイラス||||1部||30||23|||||||||||| 利用者:Bcjp/t/fbp国内表 th |- |1996-97||ラ・コルーニャ||11||プリメーラ||41||21|||||||||||| |- |1997-98||バルセロナ||11||プリメーラ||34||19|||||||||||| |- |1998-99||バルセロナ||11||プリメーラ||37||24|||||||||||| |- |1999-00||バルセロナ||11||プリメーラ||31||12|||||||||||| |- |2000-01||バルセロナ||10||プリメーラ||35||23|||||||||||| |- |2001-02||バルセロナ||10||プリメーラ||20||8|||||||||||| 利用者:Bcjp/t/fbp国内表 th |- |2002-03||ミラン||11||セリエA||22||5|||||||||||| |- |2003-04||ミラン||11||セリエA||0||0|||||||||||| 利用者:Bcjp/t/fbp国内表 th |- |2004||クルゼイロ||11||1部||11||2|||||||||||| 利用者:Bcjp/t/fbp国内表 th |- |2004-05||オリンピアコス||5||スーパー||23||12|||||||||||| |- |2005-06||オリンピアコス||10||スーパー||23||7|||||||||||| |- |2006-07||オリンピアコス||10||スーパー||27||17|||||||||||| |- |2007-08||AEKアテネ||10||スーパー||29||8||||||||| 利用者:Bcjp/t/fbp国内表 th |- |2008-09||FCブニョドコル||6||オリーリーグ||||7|||||||||||| |- |2009-10||FCブニョドコル||10||オリーリーグ||||20|||||||||||| |-

利用者:Bcjp/t/fbp国内表 通算始156||72|||||||||||| 利用者:Bcjp/t/fbp国内表 通算行45||17|||||||||||| 利用者:Bcjp/t/fbp国内表 通算行198||107|||||||||||| 利用者:Bcjp/t/fbp国内表 通算行22||5|||||||||||| 利用者:Bcjp/t/fbp国内表 通算行73||43|||||||||||| 利用者:Bcjp/t/fbp国内表 通算終494||244|||||||||||| |}

利用者:Bcjp/t/fbp国際表 top 利用者:Bcjp/t/fbp国際表 th |1998-99||バルセロナ||||6||3 |- |1999-00||バルセロナ||||14||10 |- |2000-01||バルセロナ||||13||11 |- |2001-02||バルセロナ||||12||6 |- |2002-03||ミラン||||13||2 |- |2004-05||オリンピアコス||||6||1 |- |2005-06||オリンピアコス||||5||2 |- |2006-07||オリンピアコス||||6||0 |- |2007-08||オリンピアコス||||6||3 |- !通算!!colspan="2"|UEFA |81||38 |}

外部リンク