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リビア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

リビア共和国
الجمهورية الليبية

ファイル:Flag of Libya.svg ファイル:Seal of the National Transitional Council (Libya).svg
国旗(国章)

国の標語: なし
国歌: リビア、リビア、リビア
ファイル:Libya (orthographic projection).svg

公用語 アラビア語
首都 トリポリ
最大の都市 トリポリ
政府

国民評議会議長 ムスタファ・アブドルジャリル
執行委員会委員長
(暫定首相)
アブドゥルラヒム・アル・キーブ

面積

総計 1,759,540km217位
水面積率 極僅か

人口

総計(2008年6,420,000人(103位
人口密度 3人/km2
GDP(自国通貨表示)

合計(2008年1,223億[1]リビア・ディナール
GDPMER

合計(2008年1,000億[1]ドル(64位
GDPPPP

合計(2008年902億[1]ドル(83位
1人あたり 14,520[1]ドル
独立
 - 日付
イタリアより
1951年12月24日
通貨 リビア・ディナールLYD
時間帯 UTC (+2)(DST: なし)
ISO 3166-1 LY / LBY
ccTLD .ly
国際電話番号 218

リビア共和国(リビアきょうわこく)、通称リビアは、北アフリカに位置する共和制国家。東にエジプト、南東にスーダン、南にチャドニジェール、西にアルジェリア、北西にチュニジアと国境を接し、北は地中海に面し、海を隔てて旧宗主国のイタリアが存在する。首都はトリポリである。

アフリカ世界地中海世界アラブ世界の一員であり、アフリカ連合アラブ連盟に加盟している。アラブ・マグレブ連合にも加盟しており、広義のマグリブ諸国に含まれる。

2011年2月17日から大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国ムアンマル・アル=カッザーフィー政権)と、ベンガジを根拠地とする勢力リビア国民評議会の間で内戦が起こり、国民評議会が首都トリポリを陥落させて政権を奪取した。

目次

国名

  • 1951年 - 1963年 : リビア連合王国
  • 1963年 - 1969年 : リビア王国
  • 1969年 - 1977年 : リビア・アラブ共和国
  • 1977年 - 2004年 : 社会主義人民リビア・アラブ国
  • 2004年 - 2011年 : 大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国
  • 2011年 - : リビア共和国

各言語の国名に共通する Libya は、古代ギリシアでは北アフリカの地中海沿岸地域(エジプトより西)をまとめて Libya と呼び、さらにこの語は、アフリカ大陸全体を指す場合もあったが、やがてこの名は消えた。

その後、現在のリビアの領域はイフリキアと呼ばれ、北西部が首都トリポリ(アラビア語名タラーブルス)の名をとってトリポリタニア(タラーブルス)、北東部がバルカ(太古の時代からの呼称、キレナイカとも呼ばれた)、南部内陸部がフェッザーンなどの地域からなっており、16世紀にこの地を併合したオスマン帝国はこの地域全体を西タラーブルス州としていたが、1911年イタリア王国がオスマン帝国からこの地を奪った際に、古名を復活させリビアとした。

歴史

古代にはフェニキア人カルタゴローマ帝国東ローマ帝国の支配を受けた。

7世紀アラブ人ウマイヤ朝に征服され、イスラム教が広がった。その後16世紀オスマン帝国に併合された。1711年に土着化したトリポリ総督のトルコ系軍人が自立し、カラマンリー朝が成立した。19世紀初頭にカラマンリー朝はアメリカ合衆国第一次バーバリ戦争を繰り広げた。その後イギリスフランスによるこの地への干渉が始まったため、オスマン帝国はリビアを再征服し、1835年にカラマンリー朝は滅亡した。

20世紀初頭の伊土戦争により、1911年にはイタリア王国がリビアを植民地化した。植民地化後はイタリア人が入植したが、サヌーシー教団オマール・ムフタールやベルベル人による激しい抵抗が繰り広げられ、特にフェザーンでの抵抗は激しく、イタリアによるリビアの完全平定は1932年にまでもつれこんだ。

第二次世界大戦中には連合国イギリス)と枢軸国イタリアナチス・ドイツ)の間で激戦が繰り広げられた(北アフリカ戦線)。イタリアの敗戦により、戦後は英仏の共同統治領とされた。

1949年の国連の決議により、1951年にリビアはキレナイカトリポリタニアフェッザーンの3州による連合王国として独立した。リビア連合王国の国王にはキレナイカの首長であり、サヌーシー教団の指導者だったイドリース1世が即位した。1963年連邦制は廃止され、リビア王国が成立した。

1969年9月1日ナセル主義者だった27歳のムアンマル・アル=カッザーフィーと同志の青年将校たちによるクーデターにより、トルコに滞在中だった国王イドリース1世は退位し、カッザーフィー(カダフィ大佐)を事実上の元首とする共和国が成立した。

その後はイスラーム主義社会主義やナセル主義やカッザーフィーが著した『緑の書』に基づく国家を建設を目指し、対外的にはソビエト連邦に接近して援助を受けた。1970年代から1990年代まで数々のテロを支援したため、アメリカイギリスなどの欧米諸国と敵対した。1985年に発生した西ヨーロッパでの一連のテロ事件により経済制裁を受け、1986年にはアメリカ軍によって空爆(リビア爆撃)されたが、その報復として1988年にパンナム機を爆破(パンアメリカン航空103便爆破事件)している。

2001年の同時多発テロ事件以降は一転してアメリカと協調路線をとる一方、成果を出せない親アラブ外交から親アフリカ外交へとシフトし、アフリカ連合内で主導権を握ろうとしていた。

2011年にはカッザーフィー打倒を旗印にした反体制派(後のリビア国民評議会)と政権側との間で約半年間内戦状態になった。当初は評議会側が優勢だったものの、評議会側が軍事的に未熟で統制が取れていなかったことから、徐々に政権側が反転攻勢をかけ、一時は評議会側の拠点だったベンガジ進攻寸前にまで至った。見かねた国際社会が、NATO(北大西洋条約機構)を中心にして、評議会側を軍事的に支援したことで劣勢は回避されたものの、しばらくはこう着状態が続いていた。ところが、ミスラタを攻めていた政権側が撤退して以降、評議会側が勢いを盛り返し、同年8月23日には首都トリポリを制圧。その後約2ヶ月間にわたって逃走を続けていたカッザーフィー本人も10月20日にスルト(シルト)で射殺されたと発表され、42年間続いたカッザーフィー政権は完全に崩壊した。

政治

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カッザーフィー政権時代は人民主権に基づく直接民主制を宣言し、ジャマーヒリーヤと呼ばれる独特の政体をとり、成文憲法は存在せず、1977年に制定された人民主権確立宣言およびイスラム法が主要な法の源とされていた。また、政党も存在しなかった。

最高司法機関は最高裁判所で、その下に高等裁判所、第1審裁判所が存在する。また、国の治安に関する事案を扱う特別裁判所として人民裁判所が置かれていたが、近年廃止された。なお、多くのイスラム国家同様死刑制度があった。

軍事

国際関係

カッザーフィー政権時代は反欧米、反イスラエルのアラブ最強硬派の国家であった(詳細は大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国#国際関係を参照)。

国民評議会政権は、リビア内戦で北大西洋条約機構(NATO)による軍事介入を受け勝利した。NATOのリビアでの作戦を主導したのはフランスイギリスであるため、関係を深める必要がある。

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地方行政区分

シャアビーヤと呼ばれる州・県レベルの自治体が34存在する。その下にマハッラと呼ばれる自治体が468置かれている(2006年現在)。

  • クフラ(南東の端)
  • フェッザーン(クフラの西、チャドに接する)
  • ムルズク(フェッザーンの西、ニジェールに接する)
  • 東部 アジュダビーヤー(クフラの北、ダルナの南)、ダルナほか4つ
  • 首都周辺 8つ
  • スルト
  • ジュフラ(スルトの南、フェッザーンの北)、
  • サウファジーン(スルトの西)
  • ガダミス(ガルヤーンの西、アルジェリア、チュニジアに接する)
  • 西部 ガルヤーン、シャーティ(ガルヤーンの南)、ゼフハ(シャーティの南東)、アウバーリー(シャーティの南)ほか1つ

地理

ファイル:Libya sat.jpg
リビアの衛星画像

アフリカ大陸の北部に位置し、地中海に面している。国土の大部分がサハラ砂漠の一部であり、面積の大半を砂漠が占める。サハラ砂漠のリビア部分を特にリビア砂漠と呼ぶ。砂漠には砂丘のみならず、岩石砂漠や礫砂漠も存在する。南部には山脈が走り、トリポリ南方にはナフーサ山脈が、ベンガジ東方にはアフダル山脈が存在する。降水は北部の地中海沿岸にわずかにある。西のトリポリタニアから東のキレナイカにかけての地中海沿岸の屈曲した部分をスルト湾(シドラ湾)と呼ぶ。国土の70%は標高500m以下だが、地中海を北から南に行くほど標高は高くなり、チャドとの国境付近は標高1,000m~2,000mの高原となっている。

ケッペンの気候区分によれば、地中海沿岸の僅かな部分は地中海性気候ステップ気候に属し、気候は温暖である。しかし、沿岸部も乾燥しており、主要都市でも年間降水量は400mmを越えない。国土の大部分を占める砂漠地帯は砂漠気候であり、年間を通して乾燥している。サハラ砂漠から北に向かってギブリと呼ばれる熱風(シロッコ)が吹き出す。

主要都市

  • トリポリ(タラブルス、首都) - トリポリタニアの中心都市。
  • シルテ(スルト) - トリポリタニアの都市。トリポリから行政機関の移転が進められている。
  • ミスラタ - トリポリタニアの都市。製鉄業が盛ん。
  • ザーウィヤ - トリポリから西に約50kmに位置するトリポリタニアの都市。巨大製油所が2つあり、経済上の重要都市の一つ。
  • バニワリード - トリポリの南東部にあるトリポリタニアの都市。ミスラタ大学のキャンパスがある。ワルファラ族の本拠地。
  • ベンガジ - キレナイカの中心都市。リビア連合王国・リビア王国の時代には複都制が採られており、ベンガジはトリポリと並ぶもうひとつの首都であった。
  • アジュダービヤー - キレナイカ最西端の都市。トリポリとベンガジを結ぶ幹線上にあり、さらに南部クフラに分岐する交通の要。オージラ油田からのパイプラインが通る。
  • アルバイダ(ベイダ) - キレナイカの都市。リビア連合王国・リビア王国の時代には首都の一つとされていた。国内有数の保養地で、サヌーシー教団の本拠地がある。
  • トブルク - キレナイカの都市。第二次世界大戦における北アフリカ戦線の激戦地として知られる。
  • セブハ - フェザーンの中心都市。

経済

2010年GDPは779億ドルであり、アフリカ第7位[2]日本岐阜県とほぼ同じ経済規模である[3]

独立以前のリビアは農牧業を主産業とする貧しい農業国だったが、独立後の1955年から油田開発が進められ、1959年にリビアは産油国となった。王政時代はオクシデンタル・ペトロリウム社等の国際石油資本により石油開発が進められたが、1969年の革命後に石油は国有化された。リビア政府が起こしたパンナム機爆破事件により1992年から1999年まで国際連合の経済制裁が続き、リビア経済は疲弊した。近年は経済制裁の解除に伴い、一度は撤退したオクシデンタル・ペトロリウムなどの石油関連を筆頭とした外国資本が次々と流入し、それにあわせて経済状況が急激に回復してきたと言われている。

油田の多くはキレナイカに集中しており、石油の埋蔵量はアフリカ最大といわれている。輸出の大部分が石油で、貿易黒字を維持するために輸出量は調節している。リビアは石油が豊富でありながらも人口が少ないために、一人当たりのGDPはアフリカでは最上位クラスである1万ドルを超える比較的裕福な国であり、先進国に並ぼうとしている。2010年のリビアの一人当たりGDPは12,062ドルであり、隣国と比べると、エジプトが2,771ドル、スーダンが1,642ドル、チャドが742ドル、ニジェールが383ドル、チュニジアが4,160ドル、アルジェリアが4,477ドルなのでその格差は歴然である。

独立以前から皮革繊維じゅうたん、金属細工などの軽工業が行われていた。独立後、石油収入を基盤に重工業化が進められ、石油精製製鉄セメント、アルミ精錬などを行う国営工場が建設されている。

国土の1.2%が耕地となっており、現在でも農業牧畜に従事する国民も多い。地中海農業オアシス農業が主な農法であり、1969年革命後の社会主義政権は農業の産業化に力を入れ、深層地下水をパイプラインで輸送して灌漑を進めている(リビア大人工河川)。

交通

トリポリやベンガジなど地中海沿岸の国内の主要都市を結び、チュニジア、エジプトの国境を越えて両国に続く高速道路が整備されている。地中海沿岸の都市から内陸部の都市を結ぶ道路も整備されている。

鉄道は、イタリア統治時代に建設されたものが一部の都市を結んでいたが、1965年までに全廃された。しかし2010年現在、全国を結ぶ鉄道網を建設する計画が進行中であり、実際に一部の区間で中国およびロシアの協力で建設が始まっている。

国民

国民の大多数がアラブ人、もしくはアラブ人とベルベル人の混血である。少数民族として先住民のベルベル人や、南部のスーダン系黒人が存在する。遊牧生活を送るベドウィンやベルベル系のトゥアレグ人も存在する。かつてはユダヤ人も存在していたが、イスラエル建国や第3次中東戦争による反ユダヤ主義的機運の高まりで、多くのユダヤ人が国外に脱出。最後まで留まっていたユダヤ人もムアンマル・カッザーフィー政権によって全員国外追放された。

移民としてアラブ諸国サハラ以南のアフリカ諸国からの出稼ぎ労働者が存在する。特にエジプトチュニジア出身者が多い。パレスチナ人難民も存在する。

部族

多くの部族がいて、部族の影響が強い。

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言語

公用語アラビア語である。西部ではアラビア語チュニジア方言の影響が強く、東部ではアラビア語エジプト方言の影響が強い。一部ではイタリア語も通用する。

宗教

宗教は国教イスラームが約97%であり、大半がスンナ派がであるが、イバード派も少数派として5〜10%程度を占める。また、キリスト教も少数ながら存在し、コプト正教会が人口の1%以上を占める他、移民によってもたらされたアングリカン・チャーチローマ・カトリックも存在する。シナゴーグも存在したが、現在は使われていないか、モスクに改装された。

教育

6歳から15歳までの初等教育前期中等教育が無償の義務教育期間となっており、その後3年間の後期中等教育を経て高等教育への道が開ける。義務教育に限らず、国公立の学校の学費は無償である。2003年の15歳以上の人口の識字率は82.6% である[4]

主な高等教育機関としてはガル・ユーニス大学(1955年)やアル・ファテフ大学(1957年)などが挙げられる。

文化

世界遺産

リビア国内には、ユネスコ世界遺産リストに登録された文化遺産が5件ある。詳細は、リビアの世界遺産を参照。

祝祭日

日付 日本語表記 現地語表記 備考
3月3日 自由の日 囚人400人を解放

国の象徴

国旗

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脚註

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参考文献

関連項目

外部リンク

政府
日本政府
観光
その他