ルーマニア王国
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- ルーマニア王国
- Regatul României
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ファイル:Flag of Romania.svg ファイル:Kingdom of Romania - Big CoA.svg (ルーマニアの国旗) (ルーマニアの国章) - ファイル:Romania MASSR 1920.png
1920年当時のルーマニア王国 -
公用語 ルーマニア語 首都 ブカレスト
ルーマニア王国(ルーマニアおうこく、ルーマニア語:Regatul României)は、1881年3月13日に、ルーマニア公国の大公カロル1世が国王に即位して成立したルーマニアの王国。1945年5月8日の第二次世界大戦の敗戦(ソビエト連邦による占領)によって崩壊し、1947年12月30日には君主制が廃止されて法的に崩壊した。
歴史
長らくオスマン帝国の宗主下に置かれていたルーマニアであったが、ワラキアとモルダヴィアの連合公国から発展したルーマニア公国が1866年に憲法を制定した後、1877年5月9日に独立を宣言。翌年のサン・ステファノ条約およびベルリン条約にて列強の独立承認を受け、1881年に大公カロル1世は国王に即位。名実共に独立国としてのルーマニア王国が成立した。
1912年、バルカン諸国とオスマン帝国の間で第一次バルカン戦争が始まったが、ルーマニアは中立を維持した。その戦後処理をめぐる対立で勃発した第二次バルカン戦争では、ルーマニアはブルガリア王国に侵攻し、南ドブロジャを獲得した。
第一次世界大戦では、連合国側で参戦して勝利。1918年12月1日、トリアノン条約を締結してブコビナ、トランシルヴァニア、ドブロジャ、ベッサラビアを獲得し、大ルーマニアを実現させた。
第二次世界大戦では、日独伊三国と同じく枢軸国側で参戦。ナチス・ドイツの圧力の下、独ソ不可侵条約を受けてホルティ政権下のハンガリー王国がトランシルヴァニアに進駐。更に南ドブロジャをブルガリアに割譲した。また、ソビエト連邦もブコビナとベッサラビアを占領した。これらの領土喪失に無為だった国王カロル2世に対する国民の不満は頂点に達し、1940年の軍部クーデターによりカロル2世は退位に追い込まれた。10月12日にはドイツ軍がブカレストに進駐し、同時期に三国同盟に加入。これ以後内政にも介入されるようになる。1941年6月22日にはドイツなどと連名でソ連に宣戦を布告、南方を中心として部隊を拠出する。1944年、再度のソ連侵攻に伴う政変によって連合国側に鞍替えし、ナチス・ドイツと戦火を交えた。
1945年5月8日のドイツの降伏により、ルーマニア王国は、一時は奪還していたブコビナ北部とベッサラビアを含めて、ソビエト連邦に併合されて崩壊した[1]。そして、ソ連軍の強い圧力の下、1947年12月30日には、王政は廃止され、ルーマニア共産党の一党独裁によるルーマニア人民共和国が正式に成立した。
脚注
関連項目
- ルーマニアの歴史
- ホーエンツォレルン家(ホーエンツォレルン=ジグマリンゲン家)




