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ロサンゼルスの戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ロサンゼルスの戦い
ファイル:Los Angeles CA 1946.jpg
ロサンゼルス市中心部(1940年代
戦争第二次世界大戦
年月日1942年2月25日
場所アメリカ合衆国カリフォルニア州
結果アメリカ軍の誤認による誤射
交戦勢力
実在せず
ファイル:Flag of Japan.svg 日本軍と誤認) 
ファイル:US flag 48 stars.svg アメリカ合衆国
指揮官
なし 陸軍第35沿岸砲兵旅団など
戦力
なし 対空砲火
陸軍航空隊戦闘機
損害
なし 死者6名、家屋破損

ロサンゼルスの戦い(ロサンゼルスのたたかい、英語:Battle of Los Angeles)は、第二次世界大戦中の1942年2月25日に、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス市で起きた幻の戦闘。日本海軍艦載機による空襲を信じたアメリカ陸軍対空砲火を中心とした迎撃戦を展開、その模様はラジオ中継されアメリカ西海岸をパニック状態に陥れた。しかし実際に日本海軍がそうした作戦を行った記録はなく、騒動の真相は現在に至るまで闇の中にある。

目次

いきさつ

アメリカ本土砲撃作戦

ファイル:I-15.jpg
巡潜乙型潜水艦

1941年12月に日本陸海軍によって行われたマレー作戦と、それに続く日本海軍の航空母艦搭載機による真珠湾攻撃以降、日本軍は太平洋戦線において、アメリカ軍イギリス軍をはじめとする連合国軍に対して連戦連勝を続けていた。

この様な状況下で日本海軍は、アメリカおよびカナダ、メキシコ太平洋岸を中心としたアメリカ本土攻撃を計画し、その一環として1942年2月24日未明に「伊号第一七潜水艦」(以下「伊17」とする)によりカリフォルニア州サンタバーバラのエルウッド石油製油所への砲撃作戦を行い、同製油所の設備に被害を出すことに成功し、アメリカ本土への日本軍の先制攻撃と上陸を警戒していたアメリカ政府に大きな動揺を与えた。

日本軍上陸に対する恐怖

ファイル:Franklin Roosevelt signing declaration of war against Japan.jpg
対日宣戦布告文書に署名するルーズベルト大統領

これらの活動に先立ち、1941年12月以降太平洋のアメリカ沿岸地域に展開していた日本海軍の潜水艦が通商破壊戦を実施し、アメリカ西海岸沿岸を航行中のアメリカのタンカーや貨物船を10隻以上撃沈し、中には西海岸沿岸の住宅街の沖わずか数キロにおいて、日中多くの市民が見ている目前で貨物船を撃沈する他、浮上して砲撃を行い撃沈するなど、開戦以来日本海軍の潜水艦による攻撃行動がアメリカ及びカナダの太平洋岸地域で行われていた。

これらの日本海軍艦艇による度重なるアメリカ本土への攻撃を受けて、当時のアメリカ政府上層部においては、日本海軍の空母を含む連合艦隊によるアメリカ本土空襲と、それに続くアメリカ本土への上陸計画が開戦直後から1942年の初頭にかけて行われる可能性が非常に高いと分析されていた。

実際に開戦直後にフランクリン・ルーズベルト大統領は、日本陸軍部隊によるアメリカ本土への上陸を危惧し、陸軍上層部に上陸時での阻止を打診したものの、それに対して陸軍上層部は「大規模な日本軍の上陸は避けられない」として、日本軍を上陸後ロッキー山脈で、もしそれに失敗した場合は中西部のシカゴで阻止することを検討していた[1](なお、実際に開戦後数週間の間、アメリカ西海岸では日本軍の上陸や空襲を伝える誤報が陸軍当局に度々報告されていた)。

また、サンフランシスコロングビーチサンディエゴ等のアメリカ西海岸沿岸の主要な港湾においては、日本海軍機動部隊の襲来や陸軍部隊の上陸作戦の実行を恐れて、陸海軍の主導で潜水艦の侵入を阻止する防潜網や機雷の敷設を行った他、その他の都市でも爆撃を恐れ、防空壕を作り、防毒マスクの市民への配布などを行っていた。

概要

飛行物体飛来

ファイル:E14Y Type 0 Reconnaissance Seaplane Glen E14Y-11s.jpg
空襲を誤認された(と思われる)零式小型水上偵察機

そのような厳戒態勢下にあったにもかかわらず、2月24日未明に日本海軍艦艇によりサンタバーバラに対する砲撃が行われたことは、日本軍のアメリカ本土攻撃とそれに続く上陸作戦の実施を恐れるアメリカの官民に衝撃を持って受け止められ、陸海軍ともにアメリカ本土に対する再度の攻撃に過敏になっていた。しかしその後、日本海軍艦艇のアメリカ西海岸一帯への接近の兆候が見られなかったことから、24日の午後10時22分には、アメリカ西海岸一帯に出されていた警戒態勢は解かれることとなった。

しかし警戒解除のわずか3時間後の25日の午前1時44分に、ロサンゼルス市にある陸軍の防空レーダーが西方120マイルの地点に日本軍機と思われる飛行物体の飛来を感知した。この情報はただちに各方面に伝えられ、対空砲火の体制が整えられるとともに陸軍航空隊の迎撃機がスクランブル態勢に入った。

対空砲火

その後飛来数は25機と報告され、さらに午前3時過ぎにサンタモニカ上空で日本軍機と思われる、時速320キロで移動する赤く光る飛行物体が陸軍の兵士のみならず多くの市民からも目視されたため、陸軍第35沿岸砲兵旅団はこれを撃墜しようと対空射撃を開始した。

ロサンゼルスの沿岸部上空をサーチライトで照らされながら飛来する飛行物体に対して、午前4時過ぎまでの間に約1440発が発射されたものの、飛行物体には命中しなかった。その後も飛行物体はサンタモニカとロングビーチを結ぶ沿岸地帯を約20分間にわたり飛行し[2]、その後目視からもレーダーからも消えてしまった。

ロサンゼルスというアメリカ有数の大都市圏への突然の「日本軍機の空襲」と、それに対する対空砲火の応酬はロサンゼルス市民に大きな混乱を招き、即座にCBSなど全国ネットのラジオ局でこの光景が中継された[3]。さらに、多くの市民によって「どこからともなく現れた小型の物体が空いっぱいをジグザグに飛び回って、突然姿を消した」、「正確な数は把握できなかったが、30機から40機の飛行物体が高速で飛び回り、交差したり追いかけっこをしたりしていた」などの詳細な目撃談も報告されたほか、翌日の地元紙には「4機が撃墜された」と報じられ、ハリウッドの中心地への日本軍機の墜落を伝える通報すらあった。

誤認

ファイル:Japanese fire balloon shotdown gun.jpg
アッツ島近辺で撃墜される風船爆弾(アメリカ海軍機のガンカメラによるもの)

この様に、飛行物体が飛行する様を多くの軍民が観察したのみならず、飛行物体に対して陸軍が対空砲火による攻撃を行い、その一部始終を多くの市民やマスコミが観察していたものの、事件の起きた25日の午後にはフランクリン・ノックス海軍長官が、「飛行物体の飛来とその後の警報は誤報である」と発表した。

しかしこれに対し、ヘンリー・スティムソン陸軍長官は26日に会見し「ロサンゼルス市上空で、1時間にわたって15機の航空機が9000フィートから18000フィートの高度を上昇と下降を繰り返していたことを確認している」と反論した上に、ジョージ・C・マーシャル陸軍参謀総長は、ルーズベルト大統領に向けた報告書内で、「15機に上る航空機の飛来が確認されたものの、空襲などの攻撃による被害がなかったことから、日本軍が(アメリカ西海岸地域の)対空砲の位置を暴くとともに、灯火管制を敷かせることで生産性を低めるために偵察機を飛ばしたと推測する」との自らの意見を述べるなど、陸海軍で対立が見られた。

なお、戦後明らかになった日本海軍の記録では、この日に日本海軍の潜水艦とその艦載機によるロサンゼルス市一帯への空襲は記録されておらず、また「15機が飛来」や「25機が飛来」と報告されていたものの、当時アメリカ西海岸沿岸で活動していた日本海軍の潜水艦は10隻程度で、その艦載機を全部足しても15機に足らなかった[4]。他にも、「日本軍が飛ばした風船爆弾ではないか」という報道もなされたものの、当時まだ風船爆弾は実用化されていなかった。

さらに、当日に陸軍第205防空部隊が気象観測気球をサンタモニカで上げていたことが判明したこともあり、最終的に、24日の日本海軍の潜水艦によるサンタバーバラ砲撃とその後の警戒態勢を受けて過敏になっていた陸軍部隊が、この気象観測気球を日本軍機と見間違え過剰対応した事がこの「戦い」の発端であると結論付けられた。

しかし、陸軍のレーダー上でサンタモニカよりはるかに離れた地点から上昇と下降を繰り返しながら飛来する飛行物体が観察されたうえに、目視においても多数の兵士や民間人が赤く光る飛行物体を確認し、撮影もされている[5]ことからこの結論を疑問視し、マーシャル陸軍参謀総長による報告書のように日本軍機の飛来を主張する者や、「日本軍の脅威を強調するために、軍需関連企業の意を受けた保守派団体などが航空機を飛ばし故意に騒ぎを起こした」という説を唱えるものがいたほか、戦後には「未確認飛行物体(UFO)が飛来した」と主張する者さえいる[6][7]英語版ウィキペディアにおいては、この方面からの分析が記事の多くを占めている。なお、事件が起きた1942年においては、アメリカにおいて「UFO」の概念は一般市民のみならず軍内部においても認識されていなかったため、事件当時には「UFOの飛来ではないか」というような意見は軍民マスコミのいずれからも全く起きることはなかった)。

いずれにしても、実際の被害の大きさよりも、アメリカ軍民に衝撃と混乱を与えることが目標とされた2月24日のサンタバーバラへの日本海軍艦艇による砲撃の成功が、このような形でのアメリカ軍の混乱と、同士討ちによる被害を招いたともいえる。

被害

ロサンゼルス市内には対空砲火の破片が多数散乱し、破片により地上ではいくつかの建物や自動車が被害を受け、3人が破片にあたり死亡した。さらに突然の「日本軍機襲来」と対空砲火に驚いた市民3人が、心臓麻痺で死亡した。

その後

このように、日本軍による上陸や空襲を恐れたアメリカ軍が過敏な警戒体制を敷いていたこともあり、日本海軍機によるロサンゼルス市を含むカリフォルニア州内への空襲は行われなかったものの、同年9月には日本海軍の巡潜乙型潜水艦伊25」に搭載されている零式小型水上偵察機が、2度にわたり隣の州であるオレゴン州へ空襲を行った。

さらに上記のエルウッド石油製油所への砲撃以降、同年の6月20日には伊17と同じ乙型潜水艦の「伊26」が、カナダバンクーバー島太平洋岸にあるカナダ軍の無線羅針局を14センチ砲で砲撃した。この攻撃は無人の森林に数発の砲弾が着弾したのみで大きな被害を与えることはなかったが、翌21日にオレゴン州アストリア市のスティーブンス海軍基地へ伊25が行った砲撃では、基地の施設に被害を与えてアメリカ海軍兵士に負傷者を出した。この攻撃は、1812年イギリス軍艦がアメリカ軍基地に砲撃を与えて以来のアメリカ本土にある基地への攻撃であった。

出典

  1. ^ 『ルーズベルト秘録』産経新聞取材班 産経新聞ニュースサービス ISBN 4-594-03318-0
  2. ^ 『帝国海軍太平洋作戦史 1』P.104 学研 2009年
  3. ^ YouTube「1942 Battle Of Los Angeles」
  4. ^ 『帝国海軍太平洋作戦史 1』P.104 学研 2009年
  5. ^ YouTube「The Battle of L.A. UFO Attacked by U.S. Army」
  6. ^ 『帝国海軍太平洋作戦史 1』P.105 学研 2009年
  7. ^ UFO事件簿

関連項目