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ロベルト・カルロス・ダ・シウバ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ロベルト・カルロス ファイル:Football pictogram.svg
ファイル:Roberto Carlos 2011.jpg
名前
本名 ロベルト・カルロス・ダ・シウバ
愛称 ロベカル、悪魔の左足、風小僧
ラテン文字 ROBERTO CARLOS
基本情報
国籍 ファイル:Flag of Brazil.svg ブラジル
ファイル:Flag of Spain.svg スペイン 
生年月日 1973年4月10日(39歳)
出身地 サンパウロ州
身長 168cm
体重 67kg
選手情報
在籍チーム ファイル:Flag of Russia.svg FCアンジ・マハチカラ
ポジション DF(LSB) / MF(LWB)
背番号 3
利き足 左足
代表歴
1992-2006 ファイル:Flag of Brazil.svg ブラジル 125 (24)
監督歴
2011- ファイル:Flag of Russia.svg FCアンジ・マハチカラ
テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj
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ロベルト・カルロス・ダ・シウバRoberto Carlos da Silva1973年4月10日 - )は、ブラジルサンパウロ州出身のサッカー選手、サッカー指導者。元同国代表。ポジションはディフェンダー(サイドバック)、ミッドフィルダー(ウイングバック)。

歴代最高の左サイドバックと評される1人。1996年から2007年までスペインレアル・マドリードに所属し、「銀河系軍団」と称されるスタープレーヤー軍団の一員として、黄金期を支えた。日本では「ロベカル」の愛称で親しまれている。

目次

来歴

クラブ

3人の姉を持つ末っ子として生まれたロベルト・カルロスは、幼少期から父と共に働き貧しい家庭を支えた。自宅から20kmの距離にある繊維工場まで通うバス代が払えなかったため、いつも走って通っていた。また、少年時代は家から学校までの距離が十数キロあったらしいが、毎日走って通学していたという。地元のクラブであるウニオン・サンジョアンでキャリアをスタートさせ、1993年にパルメイラスへ移籍。直ちに頭角を現しジーニョエバイールらと共に1993年、1994年のブラジル全国選手権連覇に貢献した。この活躍によって1995年にイタリアのインテルへ移籍。インテルには1年間在籍したが、監督のロイ・ホジソンは彼を左ウイングの位置で起用する事を望み、左サイドバックでのプレーを望むロベルト・カルロスにとっては不本意なシーズンとなった。

1996年にスペインのレアル・マドリードへ移籍。11シーズン在籍し、通算512試合出場65得点を記録、リーグ通算370試合出場46得点を左サイドバックのポジションで記録した。10年近くの長きに渡り不動のレギュラーとして君臨し、非常に攻撃的なプレーで果敢にオーバーラップを仕掛け、左サイドからの高速グラウンダークロスにラウルがニアで飛び込む得点パターンは相手チームに脅威を与え、多くの得点を記録し数々のタイトル獲得に貢献した。クラブでは慢性的にサイドバックの層が手薄でありバックアップを務める選手が未熟だったこともあって、ロベルト・カルロスが欠場せざるを得ない試合は前述のような攻撃もなくなって攻撃力が大幅に低下してしまうことになり、その存在価値はクラブにとってとても大きなものであった。2003年にイエロマケレレという守備的な選手が移籍し、攻守のバランスが崩壊してからは彼の評価は無難なものになったが、それでも攻撃面では高いパフォーマンスを維持し続けた。2005年、ブラジル人FWロビーニョの入団後はクラブのEU外国籍の選手枠を空ける為にスペイン国籍を取得した。更にアルフレッド・ディ・ステファノを抜いてレアル・マドリードで最も多くの試合に出場した外国人選手となった。

2006年ドイツ・ワールドカップ終了後にブラジル代表を引退。以降はクラブチームでの活動に専念している。2007-08シーズンからは同郷のジーコが監督を務めていたトルコフェネルバフチェへ移籍し2年契約を結んだ。フェネルバフチェでの初試合でベシクタシュを下し、トルコスーパーカップを獲得した。2007-08シーズン終盤で怪我をしてしまい、フェネルバフチェ、ガラタサライとの優勝争いから脱落してしまう[1]

2010年1月、ブラジルのコリンチャンスへ移籍し2年契約を結び、ブラジル代表やレアル・マドリードで共にプレーしたロナウドとチームメイトとなった。

2011年2月にコリンチャンスとの契約を解除し、ロシアのFCアンジ・マハチカラに移籍した(2年半契約、年俸500万~650万ユーロ)[2]。 2011年9月、所属するFCアンジ・マハチカラの監督解任に伴い、選手兼任コーチに就任[3]

代表

ファイル:Roberto Carlos.JPG
ブラジル代表でトレーニング中のロベルト・カルロス

ブラジル代表には1992年のデビュー以来、125試合出場24得点を記録した。1998 FIFAワールドカップフランス大会では7試合全試合に出場した。2002 FIFAワールドカップ南米予選ではパラグアイ代表GKホセ・ルイス・チラベルトから顔に唾を吐きかけられた。チラベルトはこの件で国際サッカー連盟から3試合出場停止処分を受けたが、この行為に至った経緯に人種差別発言があったことを示していた。本大会ではグループリーグのコスタリカ戦を除く6試合に出場。グループリーグの中国戦ではフリーキックから得点を決める等、ブラジルの5度目の世界制覇に貢献した(当時のフォーメーションは 3-5-2 でポジションはウイングバック)。

2006年のFIFAワールドカップドイツ大会の準々決勝のフランス戦の敗退を最後に代表から引退した。しかし、コリンチャンスへ移籍した2010年1月、ヘジ・グローボ2010年ワールドカップへの出場希望を述べた[4]

プレースタイル

filho do vento(風小僧)の異名を持つ快速を活かし[5]ラウル・ゴンサレスから「DFの仮面を被ったFWだ」と評された攻撃的サイドバック。レアル・マドリード時代の2005-06シーズンのフィットネステストで、当時32歳にして持久走のタイムがチームトップであり、100m走も10秒9と唯一の10秒台でトップであった。短距離、中距離、長距離のどの走力においてもトップレベルであることから、1人のスプリンターとして「究極のアスリート」と呼ばれることがある。

ドリブルやパスも非常に上手く、アウトサイドに引っ掛けたスライス系のシュートを得意としている[6]。独特の長い助走から「悪魔の左足」と評される左足で放たれる強力なフリーキックも持ち味で、時速140kmを超えるシュートは「凶器の弾丸」と呼ばれている[5]。有名なゴールには1997年6月3日のフランス代表戦でのフリーキックなどが挙げられる。このフリーキックは秒速30m程度と予測され、回転数が少ないことからボールの中心近くからインステップ気味のアウトサイドキックで蹴ったものと思われる[7]。1995年、アンブロカップ95で対戦した日本代表GK小島伸幸は、正面に飛んできたボールを両拳でガードして、左手小指を骨折している。

エピソード

  • ロベルト・カルロスという名前は、彼の父親が歌手のロベルト・カルロスから拝借した。歌手のロベルトもその事には、大いに感謝している。
  • 2005年6月24日、ブラジル南東部のベロオリゾンテにて彼の乗った車が銃を持った2人組に襲われるというトラブルに見舞われた。その時彼は偶然にも携帯電話にて生放送のラジオ番組に出演中であり、彼の悲鳴や強盗が窓を叩く音が生中継された。
  • 現役引退後は競走馬の育成をするのが夢だという。現在の副業はクラレンス・セードルフと共同でのバイクチームの運営である。
  • プライベートでは福祉活動にも精力的で、地元ブラジルのサンパウロ州アララス市には彼の寄付で建てられた保育園がある。
  • マドリード退団の際には非常に名残惜しそうにしており、その後もレアル・マドリードが望むのであれば無給で復帰すると話した[8]
  • am/pm主催の少年サッカー教室を2年連続でドタキャンし、代役としてかりだされたFC東京(当時)の加地亮に「ロベカルじゃなくてごめんな」という名言を吐かせた。

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績表
クラブ 年度 リーグ カップ戦 国際大会 Total
App Goals App Goals App Goals App Goals
パルメイラス 1993 20 1 - - - - 20 1
1994 24 2 - - - - 24 2
1995 23 3 - - - - 23 3
Total 67 6 - - - - 67 6
インテル・ミラノ 95-96 30 5 2 1 2 1 34 7
Total 30 5 2 1 2 1 34 7
レアル・マドリード 96-97 37 5 5 0 0 0 42 5
97-98 35 4 1 1 9 2 45 7
98-99 35 5 4 0 8 0 47 5
99-00 35 4 3 0 17 3 55 7
00-01 36 5 0 0 14 4 50 9
01-02 31 2 6 1 13 2 50 5
02-03 37 5 1 0 15 1 53 6
03-04 32 5 7 1 8 2 47 8
04-05 34 3 2 0 10 1 46 4
05-06 35 5 3 1 7 0 45 6
06-07 23 3 1 0 8 0 32 3
Total 370 46 33 4 109 15 512 65
フェネルバフチェ 07-08 22 2 3 0 9 0 34 2
08-09 32 4 8 2 10 1 51 7
09-10 11 0 0 0 8 1 19 1
Total 65 6 11 2 27 2 103 10
コリンチャンス 2010 35 1 - - 8 0 57[9] 4[9]
Total 35 1 8 0 57 4
アンジ・マハチカラ 2011-12 25 4 3 1 - - 28 5
Total 25 4 3 1 28 5
合計 568 66 48 8 148 19 743 94

代表通算125試合出場 11得点 2009年8月25日現在

獲得タイトル

オリンピック
男子 サッカー
1996サッカー

ブラジル代表

クラブ

  • 1997-98 UEFAチャンピオンズリーグ優勝
  • 1998年  トヨタカップ優勝
  • 1999-00 UEFAチャンピオンズリーグ優勝
  • 2001-02 UEFAチャンピオンズリーグ優勝
  • 2002年  トヨタカップ優勝
  • 2007年  トルコスーパーカップ優勝
  • 2009年  トルコスーパーカップ優勝

個人

脚注

  1. ^ Fenerbahce´s Carlos set to miss rest of season soccerway.com、2008年4月17日
  2. ^ ロシアのアンジ、ロベルト・カルロスの獲得を発表”. スポーツナビ (2011年2月17日). 2011年2月19日閲覧。
  3. ^ http://www.fc-anji.ru/users/coaches/first/?lng=en
  4. ^ Roberto Carlos still wants to play at World Cup”. fox soccer.com (2010年1月10日). 2010年3月21日閲覧。
  5. ^ a b 『ベッカムのボールはなぜ曲がるのか?』、技術評論社、2005年、31頁
  6. ^ 『技術力 サッカー 世界のスタープレーヤー』、出版芸術社、2005年、160頁
  7. ^ 『ベッカムのボールはなぜ曲がるのか?』、技術評論社、2005年、164頁
  8. ^ ロベルト・カルロス 無給でレアル・マドリード復帰を望む”. AFP BB News (2009年10月8日). 2010年3月21日閲覧。
  9. ^ a b カンピオナート・パウリスタの試合を含む。