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ロベール・ブラジヤック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ロベール・ブラジヤック
Robert Brasillach
ファイル:Robert Brasillach.jpg
1943年、撮影
誕生 1909年3月31日
ファイル:Flag of France.svg フランスペルピニャン
死没 1945年2月6日
ファイル:Flag of France.svg フランスモンルージュ
職業 著作家ジャーナリスト
国籍 ファイル:Flag of France.svg フランス
ファイル:Portal.svg ウィキポータル 文学
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ファイル:Tombe Robert Brasillach, Cimetière de Charonne, Paris.jpg
ペール・ラシェーズ墓地のブラジヤックの墓標

ロベール・ブラジヤックRobert Brasillach, 1909年3月31日 - 1945年2月6日)はフランス著作家ジャーナリストピエール・ドリュ=ラ=ロシェルやジャン・リュシェール、アベル・ボナールリュシアン・ルバテらと共に、フランス占領期の対独協力派(コラボラトゥール)として評される。

ペルピニャン出身。高等師範学校を経て、1930年に『フランス学生』の記者となり1931年から1939年までアクション・フランセーズ紙にて文学欄を担当するとともに右翼、反ユダヤ、親ナチスの『ジュ・シェイ・パルトゥ』紙(Je suis partout)紙の編集長をしていたが、フランスがドイツに宣戦布告すると召集されマジノ線に配置された。フランス降伏後、ロレーヌ地方の森をさまよっていたところをドイツ軍に捕まり10ヶ月、捕虜収容所ですごした。釈放後、ヴィシー政権に協力し対独協力を深めた。戦況が悪化してもフランスに留まりパリ解放後は、レジスタンスの追及を逃れて潜伏したが、母親が身代わりとして逮捕されたため自首。裁判では死刑を宣告された。

フランソワ・モーリアック(彼は1930年代にジュ・シェイ・パルトゥ紙上でブラジヤックから悪質な攻撃を受けていたが、対独協力派への粛清は国民の分裂を深めるだけだと考えていた)ら文化人によるド・ゴールへの助命嘆願も功を奏さず、ブラジヤックは1945年2月6日モンルージュ銃殺刑に処された。ペール・ラシェーズ墓地に埋葬されている。

邦訳作品

  • 『1945:もうひとつのフランス 4』 高井道夫訳、国書刊行会

関連項目

外部リンク