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上田佳範

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

上田 佳範
中日ドラゴンズ コーチ #87
ファイル:CD-Yoshinori-Ueda.jpg
現役時代の上田
(2008年6月26日・阪神鳴尾浜球場)
基本情報
国籍 ファイル:Flag of Japan.svg 日本
出身地 長野県松本市
生年月日 1973年11月18日(38歳)
身長
体重
188cm
86kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手
プロ入り 1991年 ドラフト1位
初出場 1995年4月1日
最終出場 2008年9月27日
経歴(括弧内は在籍年)
選手歴
コーチ歴
  • 中日ドラゴンズ (2009 - )

上田 佳範(うえだ よしのり、1973年11月18日 - )は、長野県松本市出身の元プロ野球選手外野手)。2012年現在は中日ドラゴンズの外野守備走塁兼打撃コーチを務める。

目次

経歴

プロ入り前

松商学園高校時代はエース投手として甲子園に2度(1991年第63回選抜大会第73回選手権大会)出場。前者は準優勝、同学年である愛工大名電高校鈴木一朗を無安打に抑えた。前年夏の覇者天理高校、同年夏を制する大阪桐蔭高校国士舘高校と2回戦~準決勝まで3連続完封勝利を挙げ、35イニング連続無失点と抜群の安定感を見せる。後者はベスト8まで進んだが、対四日市工業高校戦において延長16回に死球を受け、サヨナラゲームで勝利を掴んでいる(相手投手は井手元健一朗)。

国民体育大会でも優勝経験がある。打撃力もありハワイ選抜では4番に座った。その後、1991年のプロ野球ドラフト会議日本ハムファイターズに1位指名された。[1]

日本ハム時代

地元・長野の二軍戦にて初勝利を挙げるが一軍登板は無く、肩の故障をきっかけに1993年より外野手に転向。1995年に初めて一軍に昇格し、106試合に出場、49安打を記録した。投手出身ゆえの強肩と好守が持ち味で、1997年には規定打席にも到達し打率3割をマークしたが、その後は不振とケガで伸び悩んだ。

2005年オフに日本ハムから戦力外通告を受け、12球団合同トライアウトに参加した。その後、かつて日本ハムで共にプレーした落合博満[2]が監督を務める中日ドラゴンズの秋季キャンプでテストを受け、同年11月11日に合格した。

中日時代

中日移籍後は、2006年の序盤こそ先発出場が多かったものの、以降は一軍と二軍を行ったり来たりとなり、2007年2008年は二軍暮らしが主となった。

2006年10月10日、対読売ジャイアンツ戦(東京ドーム[3]で通算1000試合出場、同月12日の対阪神タイガース戦(阪神甲子園球場)に開催された日本ハム時代の同僚・片岡篤史引退試合で先発出場を果たし、試合後の胴上げに参加した。2007年のアジアシリーズ決勝戦では、9回に左翼手として守備に就きウイニングボールを掴んだが、同年シーズンは終盤まで一軍昇格できず、昇格後の出番も怪我で離脱した英智の代役としての守備固めが多かった。

2008年は二軍暮らしが続き、二軍でも代打での出場が多かった。9月26日に引退を表明、翌9月27日に一軍に昇格し、引退試合となったその日の対横浜ベイスターズ戦に6番・右翼手で先発出場。1回裏に回ってきた最終打席はマイク・ウッドの投じた初球を叩き投手ゴロに終わったが、スタンドからは上田コールが起こった。11月28日任意引退公示。

引退後

フェニックスリーグでは早速、コーチ(一塁コーチャー)としての仕事を開始する。そして、10月28日に二軍外野守備走塁コーチとして正式に就任することが発表された。

2010年は打撃コーチを兼任し、三塁コーチャーを務めていた。

2011年からは、一軍担当になり、序盤は一塁コーチャーを務めていたが、8月16日に2軍に回っていた石嶺和彦打撃コーチと入れ替わりで2軍担当になった。また、オフには落合監督が呼び寄せたコーチが多く退団したものの、上田だけは残留した。

人物・プレースタイル

走攻守3拍子揃っているため、代打代走守備固めなど幅広い起用が出来る貴重なプレイヤーであった。

長野県出身のプロ野球選手はそれほど多くなく、その中でも上田の実績(特に高校時代)は抜きんでているため、引退後も長野県野球界のスター的な存在である(現役では長野商出身のオリックス・金子千尋が先発として活躍している。但し、金子は新潟県出身)。

当時、星稜高校の選手として上田と対戦した松井秀喜は、メジャーリーガーとなった後の2007年に当時を振り返り、著書で「野球人生で初めて壁を感じて大きな影響を受けたのがこの上田さんとの対戦だった」と述べ、苦戦した経験を記している(1990年秋の北信越大会と3年時の第73回選手権大会で対戦している)。[4]また、リトルリーグ時代に、全国大会で後にチームメイトとなった小笠原道大の所属するチームと対戦した。

漫画家矢沢あいは、高校時代の上田に影響されて『うすべにの嵐』と続編の『空を仰ぐ花』を描いた。単行本に掲載されている矢沢本人の手書きメッセージ欄にも「松商学園の上田君に女学生のようにときめいてしまった」「ドラフトで上田君が日ハムに入団することが決まったとき、『今日から日ハムのファンになる!』と決めたが、ファンらしいことは何もしていない」と書いている。

爽やかで男前な風貌から、高校当時は女子高校生の追っかけも数多く存在した。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1995 日本ハム 10623621727491004711633311302695.226.275.327.602
1996 12637631934649179635831523525715.201.288.301.589
1997 1304243604110823061493972844823839.300.383.414.797
1998 12028824832601712851542423212587.242.331.343.674
1999 10914613410309124765030900393.224.273.351.623
2000 10321318722451116762940221903313.241.318.406.724
2001 771721551334316571720201302354.219.288.368.656
2002 2531282100010001020081.036.100.036.136
2003 812031772144904651723202212504.249.338.367.706
2004 5612411214263002981110912264.232.301.259.560
2005 1114120100011001010030.083.154.083.237
2006 中日 5989818186002480021302161.222.264.296.561
2007 2332272601081001020250.222.323.296.619
2008 1110000000000000000.000.000.000.000
通算:14年 1027234920582264861006377091923614451220872549446.236.312.345.657

年度別守備成績


外野
試合刺殺補殺失策併殺守備率
19951011201234.978
1996121203911.995
19971282238021.000
1998114147651.968
19998577210.988
20008191111.989
200161525021.000
20021918110.950
20035278111.988
200440481001.000
2005320001.000
20063836120.949
200715160001.000
通算 8581111471512.987

記録

初記録
節目の記録

背番号

  • 12 (1992年)
  • 44 (1993年 - 2005年)
  • 35 (2006年 - 2008年)
  • 87 (2009年 - )

関連情報

CM出演

脚注

  1. ^ オリックス・ブルーウェーブに指名された田口壮の「外れ1位」。
  2. ^ 落合の現役晩年の日本ハムには「落合道場」なるものがあり、そのころ頭角を現してきた上田は熱心に落合の指導を仰いだ。
  3. ^ 中日が2年ぶりのリーグ優勝を決定した試合。
  4. ^ 日本経済新聞 2007年9月17日

関連項目