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中森明菜

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

中森明菜
基本情報
出生名 中森明菜
出生 1965年7月13日(46歳)
血液型 A型
出身地 ファイル:Flag of Japan.svg 日本 東京都清瀬市
ジャンル アイドル歌謡曲
ポップス
J-POP
職業 歌手女優
担当楽器 ボーカル
活動期間 1982年 -
レーベル ワーナー・パイオニア
1982年 - 1991年
MCAビクター
1993年 - 1997年
ガウスエンタテインメント
1998年 - 1999年
@ease(Music@nifty内)
2001年
ユニバーサルミュージック
2002年 - )
事務所 FAITH
公式サイト 中森明菜オフィシャルサイト » index
中森明菜 UNIVERSAL MUSIC OFFICIAL WEBSITE

中森 明菜(なかもり あきな、本名同じ、1965年7月13日 - )は、日本歌手女優東京都大田区生まれ、清瀬市出身[1]。独身。所属レーベルはユニバーサルシグマユニバーサルミュージック内の私設レーベル歌姫レコーズ[2][3]。所属事務所はFAITH。公式ファンクラブはFAITHWAY[4]

目次

来歴

1965年 - 1981年

1965年7月13日、東京都大田区に、6人兄弟・姉妹(2男4女)の5番目、三女として生まれる[1]。兄弟と姉妹の名前にはそれぞれ「明」の字が採られ、中森も同様の命名を受ける[5]。出生後、清瀬市に移り住み幼少期を過ごす[1]。4歳から14歳の時には、バレエ教室「横山昭子モダンバレエスタジオ」に通っていた[6]。やがて、母親の影響から歌手の夢を抱くようになり、日本テレビ系オーディション番組スター誕生!』に幾度となく挑戦し[7]、1981年の本選3度目の挑戦時に、同番組の史上最高得点で合格する[8]。これを機に、芸能プロダクション研音所属と、ワーナー・パイオニアとのレコード契約を決める[9]

1982年 - 1989年

1982年、5月1日にシングルスローモーション」でデビュー[3][10]。1980年代のアイドルにはキャッチフレーズが付けられ、中森のキャッチフレーズは、「ちょっとエッチな美新人娘(ミルキーっこ)」であった[11][12]。同年7月、ファースト・アルバム『プロローグ〈序幕〉』を発売[13]。同作はオリコン週間アルバムランキングの10月4日付で最高位5位を記録[14]。続く第2弾シングル「少女A」が、オリコン週間シングルランキングの10月18日付で最高位5位を記録し、同曲でブレイクする[14][15]。10月には、2枚目のスタジオ・アルバムバリエーション〈変奏曲〉』を発売し、11月8日付の同社チャートで初の週間1位を獲得、74万枚を超えるセールスを記録する[13][14][16]。続いて11月に発売した3枚目のシングル「セカンド・ラブ」は、11月29日付の同チャートで初の週間1位を獲得し、1983年の同社年間シングルチャートで8位を記録、約77万枚を売り上げる[10][11][17]。歌手としての人気を着実に獲得するとともに、1983年のブロマイド売上実績の女性部門で中森は首位にもなった[18]

デビュー当時より、衣装・メイク・振り付けに自身がかかわり、楽曲製作において積極的に意見を取り入れていた中森は、1984年11月に井上陽水から楽曲提供を受けた10枚目のシングル「飾りじゃないのよ涙は」をリリース[19][10]。アイドルからアーティストへの転換期となる[19]。1985年、1月公開の映画『愛・旅立ち』で近藤真彦と共に主演を務める[17][20]。同年6月発売の12枚目のシングル「SAND BEIGE -砂漠へ-」では、新人の作家によるデビュー作を起用するなど[21][22]、作家のジャンルや有名無名にとらわれない楽曲提供を受ける。同年末には、第27回日本レコード大賞にて、11枚目のシングル「ミ・アモーレ〔Meu amor é・・・〕」が日本レコード大賞を受賞する[23]。1986年、8月発売の9枚目となるスタジオ・アルバム『不思議』で、アルバムのプロデュースを自身で担当する[24][25]。以降、楽曲やアルバムのセルフプロデュース作品を発表し、アーティスト性を発揮していく。同年末には、第28回日本レコード大賞で14枚目のシングル「DESIRE -情熱-」でも日本レコード大賞を受賞し、女性ソロ歌手としては史上初の2年連続となる日本レコード大賞受賞を果たした[26]

1987年、3月に行われた1986年度第1回日本ゴールドディスク大賞アーティスト・オブ・ザ・イヤーを受賞する[27]。同年4月、TBS系ドラマ『ベスト・フレンド』でテレビドラマ初主演を務めた[28][29]。8月発売の11枚目のスタジオ・アルバム『Cross My Palm』では、全曲英語詞に取り組む[24][30]。同年末には、日本有線大賞最多リクエスト歌手賞を1983年以来5年連続で受賞[31]日本レコードセールス大賞アーティストトータルセールスには、歴代最多の4度目(1983年、1985年、1986年、1987年)となる首位を獲得する。さらに1988年には、TBS系の音楽番組ザ・ベストテン』で1位週数69週を獲得し、番組史上最多回数となる[32]。同番組での最多1位獲得曲数も17曲の歴代1位で[32]、「ベストテンの女王」の異名を持つ。同年12月には、ベスト・アルバムBEST II』を発売し、売上枚数は80万枚を突破した[16]。こうした歌手としての記録や受賞を重ねるだけにとどまらず、中森のファッション性への評価も次第に高まり、同世代の女性達からの支持も得られる[33][19]

1989年、4月にシングル曲のみで構成されたスペシャル・ライブ『AKINA INDEX-XXIII The 8th Anniversary』を開催[34]。同年7月11日、当時交際をしていた恋人で歌手の近藤真彦の自宅マンションにて自殺未遂事件を起こし、芸能活動を1年間ほど休止、12月31日には、近藤も同席し謝罪会見を行った[35]

1990年 - 1999年

1990年、デビュー以来所属していた芸能プロダクション研音を独立し、事務所(コレクション)と、ファンクラブ(Two Call)を新たに構える(前ファンクラブはMilky House)[36][37][38][39]。同年7月、1年ぶりにリリースした24枚目のシングル「Dear Friend」が、オリコン週間シングルランキングの7月30日と8月13日付の通算2週で1位を獲得、同社年間シングルチャートで6位を記録した[40][28]。これによって、自身が持つ同社年間チャートの10位内の曲数が通算13曲となり、ソロ歌手として歴代最多記録となった。さらに、次作「水に挿した花」も11月19日付の同社チャートで週間1位を記録し、同チャートにおいて通算21曲の1位を獲得、女性アーティストでは歴代3位の記録となっている[40][41]。デビュー10周年目を迎えた1991年、7月にスペシャル・ライブ『夢 '91 Akina Nakamori Special Live』を開催した[42]

1992年、4月より自身初の連続テレビドラマ素顔のままで』(フジテレビ系月9)に安田成美と共にダブル主演し、最高視聴率31.9%を記録した[28][43][44]。一方、この時期には、新たに事務所(コンティニュー)とファンクラブ(QUATRE BAISER)を移すが、再び所属事務所のトラブルにより運営が行き詰まる[37][36][45]。また、音楽製作上の意見の相違によりデビュー以来所属していたワーナーミュージック・ジャパンを離れたが、移籍トラブルをはじめとしたスキャンダル報道なども相次ぎ不遇な時期を過ごす[46][37][36]。こうした中、この夏より新作の製作が行われていたものの、実際に中森のもとに届くことなく翌年まで持ち越される[46][47]。この年は新譜リリース実現に至らなかったが、歌手活動と並行し、7月公開の映画『走れメロス』で声優を務めるなど[48]、女優としての活動も展開した。

1993年、MCAビクターに所属レコード会社を移籍し、MCAがマネジメントの実質的な業務窓口も担う[49][36]。また、個人事務所NAPCを設け、5月には2年ぶり27枚目となるシングル「Everlasting Love ・ NOT CRAZY TO ME」を発売し、9月には、昨年来製作していた15枚目のスタジオ・アルバム『UNBALANCE+BALANCE』を4年ぶりにリリースした[49][47][50]。1994年、3月24日に自身初のカバー・アルバム歌姫』を発売[51]。同作は批評家から肯定的評価を受け、歌手としての新境地を開拓する[52][53]。同作はその後シリーズ製作される。このリリースを受け、12月にPARCO劇場にて、同カバー・アルバムを中心としたスペシャル・ライブツアー『歌姫 パルコ劇場ライブ』を開催した[54]

1995年、7月に16枚目のスタジオ・アルバム『la alteración』をリリース[55]。セルフプロデュースで製作を開始して以来、同作は、音作りから歌入れ直前までほぼ自身がかかわらないという試みをとる[55]。11月には、ブライアン・セッツァープロデュースによる32枚目のシングル「Tokyo Rose」(AKINA名義)をリリースした[56]。1996年、5月に自身初のディナーショー・ツアーを開催。8月には小室哲哉フル・プロデュースを受けた33枚目のシングル「MOONLIGHT SHADOW-月に吠えろ」をリリースする[57]。同年12月にもディナーショー・ツアーを開催し、この年以降、年末ディナーショーを開催していく。さらにこの時期には、ファンクラブ(Alteracion)の再開も伝えられた[58][59]。1997年、5月より9年ぶりの全国コンサート・ツアーFelicidad』を開催した[60][3]

1998年、MCAビクターからガウスエンタテインメントへ所属レコード会社を移籍。1月には日本テレビ系の連続テレビドラマ『冷たい月』に主演[28]。翌年の1999年1月にも、日本テレビ系の連続テレビドラマ『ボーダー 犯罪心理捜査ファイル』で主演を務めた[28]

2000年 - 2009年

2000年、音楽プロダクション楽工房と契約し、現個人事務所FAITH、現公式ファンクラブFAITHWAYを発足[61][62][63]。前年に見舞われたトラブルを整理した末、マネジメントを一新。芸能活動の基盤を整える。前年末から虚実ないまぜのゴシップが流れ、所属レコード会社との契約が決定していない状況にあったが、中森は「曲でもコンサートでもいいものを届けたい気持ちが先に立っちゃうんです。それには、スタッフと色々悩みながら作り上げていく過程が大切。そうすれば結果がどうであれ、一緒に作ったという土台は残るでしょ」とコメント[64]。こうして心機一転を図り、5月には、2年ぶり、自身初となるバラードコンサート・ツアー『中森明菜2000 〜21世紀への旅立ち〜』を開催した[3][64]

デビュー20周年目を迎えた2001年、5月にMusic@nifty内のインディーズレーベル@easeにて、40枚目のシングル「It's brand new day」を音楽配信で先行リリースする[65]。2002年、デビュー満20周年となったこの年、契約していた楽工房から現所属事務所FAITHにマネジメント業務を移し、現所属レコード会社のユニバーサルミュージックに移籍する[66][3]。同年3月20日、移籍第1弾カバー・アルバム『-ZEROalbum- 歌姫2』を発売[3]。敬愛する山口百恵の「秋桜」や、ライバル視された松田聖子の「瑠璃色の地球」などをカバーした同作は、同年4月8日付のオリコン週間アルバムランキングで7年ぶりにトップテン入りしヒットした[67][68]。以降、複数のカバー・アルバム企画を発表していく。同年末には、第53回NHK紅白歌合戦に出場、14年ぶりの紅白出場であった[3][69]

2003年、8月2日に台湾の音楽祭である第14回金曲奨にプレゼンターとして出演した[3][70]。2004年、5月にユニバーサルミュージック内の私設レコードレーベル歌姫レコーズを設立し、同レーベルより43枚目のシングル「赤い花」を発売する[3][71]。2005年、7月に品川club eXにて、カバー・アルバム『歌姫』シリーズである『歌姫』、『-ZEROalbum- 歌姫2』、『歌姫3 〜終幕』の3作を中心に構成したスペシャル・ライブツアー『Akina Nakamori Special Live 2005 Empress at CLUB eX』を開催した[3][72]

デビュー25周年目を迎えた2006年、4月より日本テレビ系の連続テレビドラマ『プリマダム』に出演[28]。自身にとって7年ぶりの連続テレビドラマ出演となる[73]。同年6月には、パチンコメーカー大一商会から自身をモチーフとしたパチンコ台『CR中森明菜・歌姫伝説』が導入、ヒット機となる[74][75]。2007年のデビュー満25周年、1月にカバー・アルバム『歌姫』シリーズのベスト・アルバム『歌姫ベスト 〜25th Anniversary Selection〜』をリリース[76]。同作は、同年1月29付のオリコン週間アルバムランキングで4年ぶりにトップテン入りする[76]。6月には、自身初となる演歌楽曲をカバーしたアルバム『艶華 -Enka-』をリリースし、こちらも同チャートでトップテン入り、第49回日本レコード大賞企画賞を受賞した[77][78]。12月31日には、初のファンクラブ限定カウントダウン・ディナーショー『AKINA NAKAMORI 25th ANNIVERSARY COUNT DOWN DINNER SHOW 2007-2008』を開催した[79]

2008年、2月に1990年代に発表してきた楽曲を総括したベスト・アルバム『歌姫伝説 〜90's BEST〜』をリリースする[80]。3月には、2007年度第22回日本ゴールドディスク大賞ザ・ベスト・演歌/歌謡曲・アーティストを受賞した[81]

2009年、カバー・アルバム『ムード歌謡 〜歌姫昭和名曲集』、『フォーク・ソング2 〜歌姫哀翔歌』、3年ぶり通算23枚目のスタジオ・アルバム『DIVA』と6月から8月にかけて3か月連続でアルバムをリリースする[82]。また、8月より、カバー・アルバム『フォーク・ソング』シリーズの『フォーク・ソング〜歌姫抒情歌』、『フォーク・ソング2 〜歌姫哀翔歌』の2作を中心に構成した3年ぶりのスペシャル・ライブツアー『AKINA NAKAMORI Special Live 2009 “Empress at Yokohama”』を開催[83][82]。9月には3年ぶり47枚目となるシングル「DIVA Single Version」を発売した[84]

2010年 - 現在

2010年、7月13日に自身初の配信限定シングル「Crazy Love」をリリース[85]。同日、パチンコ台の第2弾となる『CR中森明菜・歌姫伝説〜恋も二度目なら〜』(大一商会)を発表、9月に導入された[86][87]。同年10月28日、体調の不良により当面の芸能活動の休止を発表した[88]

2011年12月15日、TBS系で放送された音楽番組『ザ・ベストテン』の出演映像を収録した5枚組DVD-BOX『ザ・ベストテン 中森明菜 プレミアムBOX』が、デビュー満30周年を記念し、翌年の2012年2月29日に発売されることを発表した[89]。またこの発売にあたり、活動休止中にある中森直筆によるメッセージも公開された[90]

人物

スター誕生!

スター誕生!』テレビ予選3度目(1981年)の挑戦時、山口百恵の「夢先案内人」を歌い合格した[8]。なお、2度目(1980年・中学3年時)の挑戦で松田聖子の「青い珊瑚礁」を歌ったが、審査員の松田トシが「歌は上手だけど顔が子供っぽいから、童謡でも歌ったらどうかしら?」と批評[91]。これに対し、「『スタ誕』では童謡は受け付けてくれないんじゃないんですか!?」と抗議した[91]。実は最初の挑戦時(1979年・中学2年時)にも松田トシは中森を批評しており岩崎宏美の「夏に抱かれて」で挑んだが、「年齢のわりには、大人すぎる」と批評した[92]

3回目の出場時、『スター誕生!』チーフ・プロデューサーの金谷勲夫は、番組スタッフの中には中森が常連の出場者であるため出場に難色を示す声も出たという[93]。しかし3回目の時の中森には、1・2回目の挑戦時以上に光り輝くものが見えた[93]。美しさの中にあるかげりを感じられ、強く推して出場させたことを語っている[93]

デビュー当時

当初「森アスナ」という芸名でのデビューも検討されていたようだが、本名でのデビューを希望し本人が拒否した[94]。なお、デビューに際し、大東学園高等学校より明治大学付属中野高等学校定時制へ編入するが、芸能活動専念により休学[95]後中退する。

中森がデビューした1982年はアイドルの当たり年で、この時期(1981年10月から1982年9月)にデビューしたアイドル達を総称して「花の82年組」または「花の57年組」と呼んだ[96]。同時期には、石川秀美小泉今日子シブがき隊早見優堀ちえみ松本伊代三田寛子らがデビューしている[96]

デビュー当時のキャッチフレーズは「ちょっとエッチな美新人娘(ミルキーっこ)」。このキャッチフレーズのため「明菜さんはエッチなんですか」と頻繁に聞かれたり、好奇の目で見られたりする原因となり、当時、苦痛だったと本人が語っている[97]。「エッチ」というのは卑猥な意味ではなく、少し背伸びした大人の雰囲気を出そうと思って事務所がつけたとされている[97]。なお、デビュー当時の体重は58kgほどあり、事務所と契約を交わした直後に「まずは歯並びを整えましょう」と言われ、本人はわりと気に入っていた前歯の矯正をしたとコメントしている[98]

音楽番組

1982年9月20日、フジテレビ系音楽番組『夜のヒットスタジオ』に2枚目のシングル「少女A」で初出演を果たす[99]。同期デビューの歌手がデビュー曲での番組出演を決めていくなか、デビュー曲「スローモーション」での初出演は実現しなかったが、以降ヒット曲を記録し続け、同番組にはほぼ月1ペースでの出演を重ねたり、マンスリーゲスト制での出演も果たしている[100]

『夜のヒットスタジオ』の司会をしていた芳村真理は当時、中森が自身でヘアスタイルから服装に至るまでのすべてのコーディネートを行っていることを知り、番組内でそのセンスのよさを絶賛した。以降、同番組に出演するときには別の歌番組とは異なる特注の衣装で毎回番組に臨み、歌う際のセット・照明との調和にまで気を配るほど、トータルプロデュースに気合を入れていた。芳村が番組を勇退してまもなく同番組に出演した際、「真理さんに『明菜ちゃん、最近おしゃれしてる?』と訊かれ、おしゃれをした。真理さん見てますかー?」と芳村に画面を通じて呼びかけた事もある。また、芳村が中森の衣装コーディネートを特別に担当した事もある。

久米宏が『ザ・ベストテン』の司会を降板した回と芳村真理の『夜のヒットスタジオ』勇退の回の双方で、デビュー当時からいろいろと親しくしてもらった恩義と、これから番組で会う機会が無くなってしまうことを惜しみ、中森は涙を見せた。2000年12月30日に放送された『ザ・ベストテン』の復刻版スペシャルでは、歌前に久米から応援の電話が入った。「番組内でもほとんど会話という会話は交わしたことはないが、ちょっとした一言二言で人間というのは『ウマが合う』というのは分かるもの。僕と明菜さんはウマが合っていたと思う。だから明菜さんが出る日はスタジオに行くのが楽しみだった」という内容で、中森自身も感極まっていた。

中森は『ザ・ベストテン』で、さまざまなアイデアやこだわりを持った美術や照明・セットに対抗し、勝負するかのように懸命に表現してきたが、番組や出演するタレントに対する愛情の深さと熱意を番組スタッフから強く感じていたという[15]。さらに、今のテレビでは熱意を感じられる番組は限られており、この時代を過ごせたことは幸せであったと出演当時を振り返っている[15]

音楽性

中森は幼少期に、邦楽では松任谷由実矢沢永吉らを好んで聴いていたが、もともとの音楽のルーツについては、姉や兄たちがディスコミュージックソウルミュージックを聴いていた影響としてブラックミュージックを挙げており[101]、洋楽の影響を受けていることも明かしている。また、自身の作品については、すべてベースバスドラムの重低音を効かせていると語っている[101]。音楽ライターの馬飼野元宏は、デビュー以来1作ごとに作家を入れ替え、幅広い世界を歌い続けてきた中森の最大の特徴として、「『路線』が存在しないことである。」と指摘し、歌唱については、歌唱力以上に卓越した情感表現を持ち、ウィスパー・ボイスと声量を活かしたロングトーンをギア・チェンジの如く使い分ける、俗に"明菜ビブラート"と呼ばれる唱法を確立したと指摘している[102]

作品

シングル スタジオ・アルバム

公演

コンサート・ツアー

ディナーショー・ツアー
1996年5月初公演。同年12月開催以降、年末開催。

出演

音楽番組の出演はじめ、連続テレビドラマには4作レギュラー出演をしている。また、『ミュージックステーション』の第1回目放送の出演や、『スーパージョッキー』、『チューボーですよ!』、『警部補 古畑任三郎』、『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』、『SMAP×SMAP』の第1回目放送の歌のコーナー「THE TRIBUTE SONGS」の出演など、番組初回のゲスト出演を経験している。

受賞

日本レコード大賞受賞ほか、複数の受賞歴を持つ。

参照

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参考文献

関連項目

外部リンク