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中田翔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

中田 翔
北海道日本ハムファイターズ #6
ファイル:Sho Nakata 2009 Japan Series.jpg
基本情報
国籍 ファイル:Flag of Japan.svg 日本
出身地 広島県広島市中区
生年月日 1989年4月22日(23歳)
身長
体重
182cm
95kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 左翼手一塁手
プロ入り 2007年 高校生ドラフト1巡目
初出場 2009年5月23日
年俸 4,500万円(2012年)
経歴(括弧内は在籍年)

中田 翔(なかた しょう、1989年4月22日 - )は、北海道日本ハムファイターズに所属するプロ野球選手外野手)。

高校通算本塁打87本は史上2位(2010年現在)。甲子園でも歴代7位となる4本塁打を打った。

目次

来歴・人物

プロ入り前

広島鯉城シニア時代は連盟記録となる通算51本塁打。シニア全日本選抜ではアメリカ遠征で4本塁打を打ち、投手としても141km/hを計測した。

大阪桐蔭高校に進学すると、1年夏には五番・一塁手でレギュラーとなり、投手としても最速147km/hを計測。秋からはエースで四番を任され、翌2006年春には151km/hまで球速が伸びた。2年時は肩の故障で投手としては活躍が出来なかったものの、打者として大阪大会新記録となる4試合連続本塁打、甲子園では推定飛距離140メートル弾、更に秋季近畿大会では紀三井寺野球場で推定飛距離170メートルの本塁打を打つ。この頃から「平成の怪物」と呼ばれるようになる。

3年生時(2007年)の7月6日全国高校野球大阪大会直前の練習試合・生野工業高校戦にて当時の高校通算本塁打の新記録となる87本目の本塁打を記録。大阪大会の決勝ではエースの植松優友を擁する金光大阪高校と対戦し、投手としては初回に3失点、打撃でも5打数無安打とふるわず、チームも敗戦し甲子園出場を逃した。

同年10月3日プロ野球ドラフト会議(高校生対象)においては、佐藤由規唐川侑己と並んで「高校ビッグ3」と呼ばれ、北海道日本ハムファイターズ阪神タイガースオリックス・バファローズ福岡ソフトバンクホークスに1巡目で指名され、抽選で交渉権を獲得した日本ハムに入団。同年11月6日、高卒新人としては史上5人目となる契約金1億円、出来高5000万円、年俸1500万円(推定)で契約。背番号は同年オフに現役引退した田中幸雄6を引き継いだ。

ドラフト会議後、佐藤、唐川と共に『すぽると!』(フジテレビ)に出演した際に、「尊敬する人は?」との質問に対し「清原和博さんです」と答えた。清原本人も、中田に対して「俺の後継者」と期待を寄せている。

プロ入り後

高校時代は投手外野手だったが、日本ハム入団後は三塁手を志願(球団の育成方針とも一致)。入団1年目の2008年はオープン戦から木製バットへの対応に苦しみ、開幕を二軍で迎えた。6月に左手首を骨折(全治1カ月)。打撃フォームも固まらず、二軍で本塁打11を記録するも打率.255に終わり、一度も一軍に昇格することはなかった。

2009年3月、三塁手としては使えないと判断され、一塁手に専念。同年5月、二軍での好成績が評価され、初めて一軍に昇格。5月23日の対ヤクルト戦で7番・指名打者でプロ初出場、プロ初安打を記録。交流戦終了後に二軍へ降格。7月23日のフレッシュオールスターゲームでは、本拠地札幌ドームイースタン・リーグ選抜の4番に座り、2安打2打点でMVPを獲得。9月2日、イ・リーグのシーズン最多本塁打記録を更新する28号本塁打を打った。最終的にイ・リーグでトップの本塁打30(リーグ新記録)と打点95(リーグタイ記録)を記録し二冠王獲得、打率も.326でリーグ2位と好成績を残し、プロ野球コンベンション2009にて、特別賞を受賞した。シーズン終盤に故障者が続出し、再び一軍に昇格、守備機会のある一塁手としてのスタメン出場も果たし、9月27日に犠牲フライで初打点を挙げた。また、日本シリーズにも第3戦で代打で初出場した。一軍での出場機会を増やすため、シーズンオフより外野手へ転向した。[1]

2010年、開幕戦で7番・左翼手として自身初の開幕戦先発出場を果たし、杉内俊哉から自身初の2点適時打を打つ。その後も主に相手先発が左腕投手の試合で先発出場し、左翼手の守備手無難にこなしていたが、4月18日の試合を最後に二軍落ちする。その3日後の21日の二軍の試合で左ひざ半月板を損傷。5月10日に手術を受けた。[2]7月19日に一軍昇格。7番・指名打者として先発出場し、復帰後初安打。翌20日の対ロッテ戦にも先発出場し、大嶺祐太からプロ入り初本塁打(公式戦91打席目)を打った。8月6日には栂野雅史及び青山浩二から2打席連続本塁打を記録した。夏場には金子千尋涌井秀章和田毅らエース級の投手から立て続けに本塁打を打ったが、9月に入ると調子を落とし、最終的には打率.233、本塁打9、打点22に終わった。なお、9本の本塁打は全て7月20日から8月20日の約1ヶ月間に打ったものである。

2011年は開幕から19打席ノーヒットとスタートに苦しむもその後は成績を伸ばし、小谷野栄一の離脱後は4番打者に抜擢されるなどチームの主軸となり、初のオールスターゲーム出場も果たした。後半戦は不振に陥り、原因不明のめまいなどにも苦しんだがシーズンを通してレギュラーとして起用され、初の規定打席到達に加えともにリーグ3位となる18本塁打・91打点をマークした。しかし規定打席に到達した打者ではリーグワースト2位の133三振(1位との差は僅か1)、打率.237、リーグワーストとなる出塁率.283、OPSも.700を切る等課題も残した。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2009 日本ハム 2238363102001210001100150.278.289.333.623
2010 652302102049519832200021503618.233.291.395.687
2011 1435725274912532218215914008312613312.237.283.408.691
通算:3年 230840773721843932731011440011472920920.238.286.401.687
  • 2011年度シーズン終了時

年度別守備成績


一塁外野
試合刺殺補殺失策併殺守備率試合刺殺補殺失策併殺守備率
20096260011.000-
20102923117122.99618121001.000
201125809041.0001392081151.978
通算 6033726127.9971572201251.979
  • 2011年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰

記録

背番号

登場曲

関連情報

テレビ出演

脚注

関連項目

  • 広島県出身の人物一覧
  • 北海道日本ハムファイターズの選手一覧
  • 水上善雄 - 入団当時の北海道日本ハムファイターズ二軍監督(2009年まで在籍)。公私ともに中田に対して自らの体験を基に指導している。
  • 西岡剛 - 大阪桐蔭の先輩でミネソタ・ツインズ所属の大リーガー。2011年の自主トレで現在の打法を教え、飛躍に貢献した。
  • ダルビッシュ有 - 同じ日本ハムファイターズのチームメイト。水上と共に公私の付き合いが多く、人格形成に大きく影響している。ダルビッシュ登板の日には中田が決勝打を打ったり、共にヒーローインタビューを受けることが多い。

外部リンク