中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合(ちゅうぜつきんしほうに はんたいし ピルかいきんを ようきゅうする じょせいかいほう れんごう)は1970年代前半に活動した戦闘的なウーマンリブ団体。中ピ連の略称で知られた。代表は元薬事評論家の榎美沙子。新左翼のものを模した♀印のついたピンク色のヘルメットと過激な活動内容でマスコミを賑わせ、当時の社会現象となった。
目次 |
沿革
中ピ連は1972年6月14日結成された。当時日本ではピルが法的に販売規制されていたので、これを女性への抑圧と解釈することによりピルの販売自由化要求運動を展開した。1974年には有志で下部組織「女を泣き寝入りさせない会」を結成、妻に訴えられた問題のある夫の職場や、女性を蔑視しているとみなされた団体の本部などに集団で押しかけて吊るし上げを行うことで一躍有名になった。当時の人気番組だった『夜明けの刑事』の第43話はそのものズバリの『ハイ、こちら中ピ連です!!』というタイトルで、中ピ連に絡んだストーリーで実在の同団体を紹介する(榎本人も出演)など、その特異な存在と過激な活動は当時の社会現象にもなった。
1973年10月23日には突如日本家族計画連盟主催の討論会「産児制限を考える」に乱入し、「ピルを解禁せよ」とシュプレヒコールをあげたほか、1975年4月5日には京都市内で開催されていた日本産婦人科学会総会に押しかけ、ピル解禁を政府に勧告するよう要求するなどしている。このほか人工妊娠中絶の制限を主張し国会で優生保護法改正を提案していた自由民主党参議院議員玉置和郎と当時その秘書だった村上正邦(後に自民党参議院議員)に対し、「優生保護法改悪反対運動」等と称し街頭で玉置・村上を四方八方から取り囲んでもみくちゃにしたり、玉置・村上の自宅や参議院議員会館に押しかけたりした[1]。
しかし当時のピルは副作用が大きく、それ自体が女性の体に負担や悪影響を与えることが多かったため、日本ではそもそもあまり普及しなかった。このため活動内容の根幹が下火になり、1975年に解散した。
榎はその後中ピ連を母体とし、中ピ連の活動精神を継承するかたちで日本女性党を結党。「内閣はすべて女性とする」「公務員はすべて女性とし、男性は臨時職員かアルバイトとする」など後の男女共同参画と類似し、ジェンダーフリーに通ずる内容の政策を掲げ、1977年6月の第11回参議院選挙で地方区と全国区に10名の候補者を擁立して確認団体として国政の場への進出を図ったが、榎自身は立候補せず、それでいて連日派手な応援活動を行うなど、その態度には疑問点が多かった。結果は全候補者が落選、それも全員が有効投票総数に対して一定の得票数に達せず供託金没収になるという惨敗だった。女性党はその日のうちに内部分裂を起こして崩壊、2日後に解党している。
関連項目
参考文献
- 「榎美沙子と中ピ連」(秋山洋子『リブ私史ノート 女たちの時代から』所収 インパクト出版会、1993年1月、ISBN 4755400309)
- 『我、国に裏切られようとも 証言村上正邦』(村上正邦/述・魚住昭/著) 2007年10月 講談社 ISBN 9784062143332




