五城楼勝洋
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五城楼 勝洋(ごじょうろう かつひろ、本名:小島 章朋(こじま あきとも)、1973年8月18日 - )は、仙台市青葉区出身で間垣部屋所属の元大相撲力士。身長191cm、体重156kg。血液型はAB型。得意手は左四つ、寄り、突き、押し。最高位は東前頭3枚目(1998年7月場所)。趣味は釣りとパソコン。現在は年寄・濱風。
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来歴
東北高等学校時代は剣道と柔道をしており共に有段だったが、間垣親方(元横綱若乃花)からの誘いを受け高校を中退して角界入りした。1989年11月場所で初土俵。相撲経験はなかったが、長身の恵まれた体格で早くから期待され、入門から13場所で幕下に昇進した。怪我もあり一時は序二段まで陥落したこともあったがすぐに幕下に復帰し、格の違いを見せ付けた。
1995年5月場所には東幕下4枚目の地位で6勝1敗の好成績を残し、翌7月場所に十両に昇進した。十両でも安定した成績を残し、1997年3月場所に新入幕を果たした。1998年7月場所には最高位の東前頭3枚目まで番付を上げたが、三役昇進はならなかった。大胸筋の肉離れの影響もあり3度の休場を余儀なくされ、2000年11月場所には幕下に陥落し、一時は幕下中位まで番付を落とし引退を覚悟していたが、2001年7月場所に幕下優勝を果たすと翌9月場所も勝ち越し、11月場所には十両に復帰した。
1度は幕下に陥落したものの、2002年9月場所には21場所振りに再入幕を果たし、西前頭4枚目まで番付を戻し再び幕内に定着した。しかしここでも、右膝の故障もあり2003年7月場所を最後に十両に陥落。復調しかけていた2004年11月場所、西十両2枚目で9勝6敗と勝ち越し再入幕が確実視された。しかし東十両筆頭で8勝7敗と星の上では下回っていた豊ノ島が幕内に昇進し、五城楼の入幕は見送られた。続く2005年1月場所は4勝2敗から9連敗で大きく負け越し、さらに同年5月場所には十両の土俵で再び右膝を痛め途中休場。再出場したが本来の相撲が全く取れずに再び途中休場した。翌7月場所は東幕下4枚目に陥落し、怪我の状態が思わしくないながらも強行出場したが、膝の怪我を悪化させて途中休場した。翌9月場所も西幕下15枚目で全休し、西幕下55枚目まで陥落した11月場所も初日から休場を余儀なくされた。
幕下下位に陥落したこともあり、2005年11月場所5日目に引退届を提出し、準年寄・五城楼を襲名した。怪我に悩まされ続けた現役生活だった。2006年9月2日には東京都江東区のホテルで断髪式を行った。同年11月場所千秋楽に同じ間垣部屋付きの浜風親方の退職に伴い、年寄・浜風を襲名した。2007年11月11日に間垣部屋から一身上の都合で佐渡ヶ嶽部屋に移籍した。
エピソード
1995年5月場所の番付で、本来ならば五城楼と書かれるはずであったが「五城桜」と四股名を誤記されてしまった。本場所では本来の四股名である五城楼として出場。序盤から成績が好調で6勝1敗と大きく勝ち越し、十両昇進を決めた。
1場所2度の反則負け
2003年11月場所、前の場所怪我のため全休した五城楼はその場所の4日目の取組で黒海を叩きこんだ時に指がマゲに入って反則負け、さらにその2日後の6日目の取組で潮丸をまたまた叩きこんだ時に指がマゲに入って反則負けとなった。「1場所に2度の反則負け」は史上初の珍事であった。
2日連続の不戦敗
2005年5月場所7日目、琴春日との取組で、土俵際突き落とされた際に右膝を痛めた。この一番に物言いが付き、五城楼の右膝が落ちるのと、琴春日の左肘が付くのが同時とみて取り直しとなった。しかし五城楼は立ち上がれず、押尾川審判長が五城楼の棄権の意思と琴春日の出場の意思を確認、琴春日の不戦勝となった。膝を痛めた五城楼は、翌日は出る予定として休場届をすぐに出さなかったため割が組まれたが、やはり痛みが引かず(後に靱帯断裂と判明)、翌8日目春ノ山戦も不戦敗となり、2日連続の不戦敗となった。
2日連続の不戦敗は1989年9月場所の富士乃真以来16年ぶりだが、このようなケースでとなると1948年秋場所の前田山(対力道山)以来、57年ぶりのことであった。その後10日目から再出場したが、全く相撲らしい相撲が取れず、見かねた師匠の間垣親方が12日目の取組後に休場届を提出し、再び休場した。この場所は3勝8敗4休(うち不戦敗2)であった。なお引退につながったこの怪我はマスコミにより「珍事」として扱われた。
主な成績
- 通算成績:504勝446敗139休(97場所) 勝率.531
- 幕内成績:113勝135敗7休(17場所) 勝率.456
- 各段優勝:幕下2回(2001年7月場所、2002年3月場所)、三段目1回(1992年3月場所)、序二段1回(1993年11月場所)
場所別成績
| 一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
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|---|---|---|---|---|---|---|
| 1995年 (平成7年) |
東 幕下 #4 3–4 |
東 幕下 #9 5–2 |
東 幕下 #4 6–1 |
西 十両 #12 8–7 |
西 十両 #11 9–6 |
西 十両 #8 6–9 |
| 1996年 (平成8年) |
西 十両 #10 9–6 |
西 十両 #7 9–6 |
西 十両 #4 7–8 |
西 十両 #5 7–8 |
西 十両 #6 10–5 |
東 十両 #2 9–6 |
| 1997年 (平成9年) |
西 十両 #1 8–7 |
東 前頭 #16 8–7 |
西 前頭 #13 7–8 |
東 前頭 #15 4–11 |
西 十両 #3 9–6 |
東 十両 #1 8–7 |
| 1998年 (平成10年) |
東 前頭 #16 9–6 |
西 前頭 #13 9–6 |
東 前頭 #7 9–6 |
東 前頭 #3 3–12 |
西 前頭 #9 6–9 |
西 前頭 #13 8–7 |
| 1999年 (平成11年) |
東 前頭 #10 7–8 |
東 前頭 #12 6–9 |
東 十両 #2 7–8 |
東 十両 #4 8–7 |
東 十両 #2 4–4–7 |
休場 0–0–15 |
| 2000年 (平成12年) |
東 十両 #8 7–7–1 |
休場 0–0–15 |
西 十両 #9 6–9 |
東 十両 #12 9–6 |
西 十両 #6 1–4–10 |
休場 0–0–15 |
| 2001年 (平成13年) |
東 幕下 #5 3–4 |
東 幕下 #9 3–4 |
西 幕下 #15 3–4 |
東 幕下 #22 7–0 |
西 幕下 #1 6–1 |
東 十両 #10 6–9 |
| 2002年 (平成14年) |
西 十両 #13 7–8 |
東 幕下 #1 7–0 |
東 十両 #8 11–4 |
西 十両 #1 10–5 |
西 前頭 #9 8–7 |
西 前頭 #4 4–11 |
| 2003年 (平成15年) |
西 前頭 #10 5–10 |
東 前頭 #14 9–6 |
西 前頭 #8 7–8 |
東 前頭 #9 4–4–7 |
休場 0–0–15 |
西 十両 #1 3–6–6 |
| 2004年 (平成16年) |
休場 0–0–15 |
東 十両 #7 7–8 |
西 十両 #7 7–8 |
東 十両 #8 7–8 |
東 十両 #9 11–4 |
西 十両 #2 9–6 |
| 2005年 (平成17年) |
西 十両 #1 4–11 |
西 十両 #6 5–10 |
西 十両 #10 3–8–4 |
東 幕下 #4 2–3–2 |
西 幕下 #15 0–0–7 |
西 幕下 #55 引退 0–0–7 |
| 各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 十両・幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
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- ^ “Gojoro Katsuhiro Rikishi Information” (English). sumodb. 2011-02-12閲覧。
改名歴
- 小島 章朋(こじま あきとも)1989年11月場所
- 若小島 章朋(わかこじま -)1990年1月場所
- 若仙竜 章朋(わかせんりゅう -)1990年3月場所-1991年7月場所
- 若展竜 章朋(わかてんりゅう -)1991年9月場所-1993年9月場所
- 五城楼 章朋(ごじょうろう -)1993年11月場所-2000年3月場所
- 五城楼 勝洋(- かつひろ)2000年5月場所-2005年11月場所
(五城楼の名は、仙台城(青葉城)が唐の韓翅の漢詩『同題仙遊観』の冒頭「仙台初見五城楼」から名付けられたことに由来する。)
年寄変遷
- 五城楼 勝洋(ごじょうろう かつひろ)2005年11月-2006年3月〔準年寄〕
- 五城楼 昭二(ごじょうろう しょうじ)2006年3月-2006年11月
- 浜風 秀章(はまかぜ ひであき)2006年11月-2011年11月
- 濱風 秀章(はまかぜ ひであき)2011年11月-
関連項目
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