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仙台駐屯地

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

仙台駐屯地
JGSDF Camp Sendai
ファイル:GazouBoshu.png
所在地 宮城県仙台市宮城野区南目館1-1
駐屯地司令 東北方面総監部幕僚長
主要部隊 東北方面総監部
東北方面警務隊
自衛隊仙台病院 ほか
開設年 1941年昭和16年)(旧陸軍)
1960年昭和35年)
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仙台駐屯地(せんだいちゅうとんち)は、宮城県仙台市宮城野区南目館1-1に所在する陸上自衛隊駐屯地。方面総監部をはじめとする方面直轄部隊・機関が多数駐屯しており、東北方面隊の中核となる駐屯地である。

最寄の演習場は、王城寺原演習場。駐屯地司令は、東北方面総監部幕僚長が兼務。

目次

駐屯部隊・機関

防衛館

戦国時代から昭和までの陸戦や陸上自衛隊に関する写真・資料を展示している博物館

  • 開館時間:9:00-16:00
  • 休館日:祝日年末年始
    • 休館日でも事前申し込みにより開館可。

沿革

大正時代までの仙台市域は概ね仙台城下町を基礎にする市街地のみであったが、1926年大正15年)郡制が完全廃止となると、1928年昭和3年)の原町等を皮切りに1941年昭和16年)の岩切村等まで、隣接する宮城郡名取郡町村を仙台市は次々編入合併し、市内に旧宿場町農村地帯を抱え込んで人口も増加した[1]

一方、1927年昭和2年)に内務省が土地区画整理審査標準を定めたことで土地の造成が容易になった。これにより仙台市は、仙台市街地東郊の新市域において、1932年昭和7年)に東北本線東仙台駅が新設されたのに伴って、宮城野原練兵場の東側に広がる田圃等を住宅地や工業地域として順次開発していった。その一角に工場である陸軍造兵廠(のちの仙台駐屯地)も設置された。

占領期に陸軍造兵廠が進駐軍キャンプに転用されてからは同区画のみ軍事施設として使用され続け、現在も仙台駐屯地となっている。他方、同駐屯地以外の開発地域は、国道4号仙台バイパスの建設・開通に合わせて、さらに周囲の土地も含めて流通・工業地区(東部流通団地・東部工業団地)等への開発が行われた。また、宮城野原練兵場および周辺の軍事施設は、公園病院学校・合同庁舎等に転用された。なお、仙台市電原の町線戦後の開通である。

東京第一陸軍造兵廠仙台製造所

キャンプ・シンメルフェニヒ

  • 1945年(昭和20年)9月:陸軍造兵廠が接収され、進駐軍の「キャンプ・シンメルフェニヒ[6][7]」(Camp Schimmelpfennig[8]。略称:Camp Schimm。別名:苦竹キャンプ)となる[9]
  • 1950年(昭和25年):警察予備隊が苦竹キャンプ内に創設される。
  • 1957年(昭和32年)7月:苦竹キャンプでの進駐軍駐留終了[9]
  • 1957年(昭和32年)11月:苦竹キャンプが進駐軍から防衛庁に移管される[9]

仙台駐屯地

  • 1960年(昭和35年)1月14日:陸上自衛隊の「仙台駐屯地」となり、東北方面総監部が設置される。
  • 1971年(昭和46年)8月2日:自衛隊仙台病院が開設される
  • 2006年(平成18年)3月:方面混成団、方面後方支援隊及び方面衛生隊を新編
  • 2008年(平成20年)3月26日:第305保安中隊を東北方面警務隊隷下に編成替え
  • 2010年(平成22年)3月26日:第2特科群を東北方面特科隊に改編

最寄の幹線交通

その他

  • 仙台駐屯地は、周囲を国道45号JR仙石線、JR東北本線(宮城野貨物線)、市道舘西町7号線[10]都市計画道路元寺小路福室線、市道苦竹中線[11]で囲まれている。
  • 正門は南側にあり、門前から南方向に「東の杜大通」が延びている。
  • 北門から西にすぐの場所に仙石線・苦竹駅がある。これは、造兵廠への通勤者のために設置されたもの。設置された当時は宮城電気鉄道の駅で、戦時買収で国有化された。
  • 造兵廠への物資輸送のため、仙石線・苦竹駅のやや仙台駅寄りから造兵廠へ引込み線が分岐していた。また、仙台駅の東側には、仙石線と東北本線との間で短絡線も設置された(両線とも現在は廃線)。
  • アメリカ陸軍参謀長 ジョージ・ケイシー二世 (George W. Casey, Jr.) 大将は、この駐屯地が進駐軍・苦竹キャンプだった頃にキャンプ内で生まれた。
  • 自衛隊のCamp Sendaiはこの仙台駐屯地であるが、進駐軍のCamp Sendaiは大日本帝国陸軍第2師団等跡地(旧仙台城二の丸等)に設営された方を指す。現在は東北大学川内キャンパスとなっている。
  • 現在の仙台駐屯地の東側(市道苦竹中線[11]より東側)にも造兵廠の土地は広がっていた。自衛隊に引き継がれなかったこの土地では、1967年(昭和42年)4月14日6月12日に東北大博覧会が開催された。1983年(昭和58年)5月31日に払い下げられた6,500m2分は、仙台トラックターミナルとなった。また、1985年(昭和60年)3月に19億8300万円で払い下げられた26,268m2分は、仙台市中央卸売市場本場花き部の移転地となった[12]

アクセス

脚注

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  1. ^ 仙台市区政概要(仙台市)
  2. ^ a b 図1-4-1-1H10 宮城県:長町-利府線断層帯(稠密浅層ボーリング調査・地層抜き取り調査)2 既往調査成果の概要」)
  3. ^ 土地区画整理事業地区位置図(平成21年9月現在)(仙台市)
  4. ^ 仙台市の土地区画整理事業のあゆみ(仙台市)
  5. ^ 仙台市の土地区画整理事業(仙台市)
  6. ^ 『流行歌「ミス・仙台」~郷土・仙台の近現代史散歩~』(著者:石澤友隆、出版:河北新報出版センター ISBN 4-87341-196-3)には、よりアメリカ英語に近い「キャンプ・シメルフィニヒ」と記してある。
  7. ^ 『仙台市史』資料編5(近代現代1 交通建設)の220頁では「キャンプ・シメルフェニー」。
  8. ^ 第二次世界大戦中にアメリカ陸軍第11空挺師団に所属し、フィリピン戦死した将校の名前に因んで名付けられたとされる。因みに、南北戦争時の北軍Alexander Schimmelpfennigという名の将官もいた。
  9. ^ a b c 8. 苦竹 苦竹御蔵と舟曳堀(仙台市中央市民センター「仙台藩をささえた米の道 蒲生から原町」)
  10. ^ 仙台市道宮城野1196号・舘西町7号線
  11. ^ a b 仙台市道宮城野1094号・苦竹中線
  12. ^ 仙台市中央卸売市場本場花き部の沿革

関連項目

外部リンク