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代田建紀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

代田 建紀
基本情報
国籍 ファイル:Flag of Japan.svg 日本
出身地 神奈川県横浜市戸塚区(現:同市泉区
生年月日 1974年2月11日(38歳)
身長
体重
180cm
73kg
選手情報
投球・打席 右投両打
ポジション 外野手一塁手
プロ入り 1997年 ドラフト6位
初出場 1998年4月22日
最終出場 2008年7月1日
経歴(括弧内は在籍年)
選手歴
コーチ歴
  • 千葉ロッテマリーンズ (2009 - 2010)

代田 建紀(だいた たけのり、1974年2月11日 - )は、神奈川県横浜市戸塚区(現:同市泉区)出身の元プロ野球選手外野手)。

目次

経歴

プロ入り前

幼い頃から俊足だった。だが小学3年生から始めた野球は本人が言うには「ずっとヘタクソ」止まりだった。

高校時代は、2年先輩に石井貴がいた。

社会人の朝日生命2年目にJABA東京スポニチ大会で活躍した。

プロ入り後

1997年
プロ野球ドラフト会議で近鉄に6位指名され入団した。背番号33
1998年
プロ1年目の1998年、当時監督であった佐々木恭介との関係がよくなく、なかなか出番に恵まれず、翌2000年の開幕直前、衣川幸夫と共に田畑一也との1対2のトレードでヤクルトに移籍。背番号は0
2001年
この頃よりスイッチヒッターに挑戦する。60盗塁をマークし、イースタンリーグの年間最多盗塁記録を更新する。一軍でもプロ初盗塁を記録した。しかしオフの契約の席で「二軍の盗塁記録など価値がない」と言われ、2002年のシーズン終了後にヤクルトを解雇される。
2003年
千葉ロッテにテスト入団。背番号は65。外野陣がやや手薄だったこともあり、一軍で自身最多の38打席に立ち、6試合でスタメン出場した。しかしシーズン最終戦で一塁に駆け込んだ際、一塁手葛城育郎と交錯し、足に全治3か月の怪我を負い、そのままシーズンオフに自由契約となった。12月に手術に踏み切った時には引退を考えていたが、ヤクルト時代から交際していた現夫人に励まされ、1年間のリハビリに努めた。
自由契約を通告される際、重症の足を引きずりながら出向いた球団事務所で、当時代表だった川北智一から「自由契約にしておくから来年テストでも受けたら?」という配慮に欠いた発言を受け激怒したという。それでも浪人時代に現役復帰するとしたら一番入団したいと思っていた球団はロッテであったとの本人談。尚、川北は後に更迭される。
2004年
所属球団はなく、浪人生活を送る。2004年末、シーズンオフのトライアウトバレンタイン監督(当時)に認められ合格。異例の再入団を果たした。背番号は00。バレンタイン監督は2004年と2005年のチームの違いを聞かれ、「去年(2004年)は代田がいなかったが、今年(2005年)はいる」とコメントした。彼のロッテ再入団は、バレンタイン監督の強い推薦があってのことといわれる。バレンタイン監督は、彼はある意味イチローよりプロフェッショナルだといい、走るセンスを高く評価し、その準備や姿勢にも感心している。
戦後のプロ野球界において、野手として全くの浪人生活(日本国外の球団、または社会人およびクラブチームなどに属さない)を経て現役復帰した野手は2010年現在代田ひとり[1]である。
2005年
二軍でチームメイトの早坂圭介との盗塁王争いに敗れたものの、イースタンリーグ2位の26盗塁を記録した。この年は開幕からベンチに名を連ねた。開幕2試合目にはスタメン出場を果たすなど首脳陣の期待も大きかったものの、打撃が大不振で打率も1割を切った。
2006年
3月15日、ヤクルト時代から交際していた現夫人と入籍
7月29日にかつて在籍していた大阪近鉄バファローズの本拠地・京セラドーム大阪での対オリックス戦で初のお立ち台に上がった。このとき「無職のときを支えてくれた両親に感謝したい」と涙を流しながらインタビューに応じた。8月5日にはプロ入り初の長打(三塁打)を記録した。
二軍では打率.279、27盗塁(リーグ2位)を記録した。この年は、ロッテ移籍後1シーズンで1番少ない試合出場数であったが、上記のヒーローインタビューのほか、マット・ワトソンのサヨナラタイムリーを演出する好走塁を見せるなど、存在感を示した。
今シーズン途中より、吉留秀介二軍サブマネージャー(現二軍用具担当)の勧めおよび協力もあり、ほぼ毎日夕方に浦和の練習場で打撃練習をしていた。
2007年
4月29日西武戦で竹原直隆のシングルヒットで一塁から一気にホームインした走塁を評価され、JA全農Go・Go賞の3、4月度、「好走塁賞」(Go Spikes・GS賞)を受賞する。早川大輔の移籍や新人選手の入団などもあったが過去最高の37試合に出場した。また打撃でも少ない打席数ながら過去最高の打率.364を記録した。
2008年
大塚明の復活や若手選手の台頭で守備走塁要員としても起用されることが激減し、代走のみの2試合出場にとどまり、また二軍でも打撃不振に陥った。11月3日に現役引退を発表。引退時に、「寂しい気持ちはありますが、指導者になるという事も大きな夢として自分の中にありました。実績のない自分をコーチとして迎えてくれることに感謝し、ありがたく引き受けさせてもらいました。ファンの皆様には、代走で出場した時などに大きな声援をいただき、温かく見守ってもらえたことを本当に感謝をしております。本当に幸せでした」と、コメントを残した[2]
シーズンオフに球団からコーチ就任の打診があり、2009年からはロッテの二軍外野守備走塁コーチに就任。背番号は71
2010年
2010年より背番号は80に変更。
10月2日、球団から来季のコーチ契約更新はない旨を通知され[3]、今季限りで退団すると発表した[4]

プレースタイル・人物

プロ野球界屈指の俊足で、「足のスペシャリスト」とも言われる。50m走のタイムは5秒6。2009年現在、イースタンリーグおよびウエスタンリーグ両リーグで盗塁王を獲得した唯一の選手。バント技術も高い。

ニックネームは「ルパン」。ちなみに、ホームゲームでの登場曲と応援歌にもルパン三世の曲を使っていた。

エピソード

  • ロッテ時代のチームメイトの南竜介とは大の仲良しである。他球団では、ヤクルト時代のチームメイトの稲葉篤紀とは毎年オフに一緒に自主トレをしたほどの仲である。また、オフの自主トレには野中信吾神戸拓光も参加していた。
  • 父親は元陸上1500m走の選手で、東京オリンピックでは聖火ランナーを務めた。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1998 近鉄 6311000000001010010.000.500.000.500
1999 1000000000000000000----------------
2000 ヤクルト 241093300032310010020.333.400.333.733
2001 5761100010200010000.167.286.167.453
2002 35764000000520010030.000.143.000.000
2003 ロッテ 33383213400041412020280.125.222.125.347
2005 3126229200021311020170.091.200.091.291
2006 1725224401061312010050.182.217.273.490
2007 3715115420061520030130.364.533.5451.078
2008 2001000000000000000----------------
通算:10年 1911311094118210226258601204290.165.272.202.474

タイトル

  • ウエスタン・リーグ盗塁王:1回 - 1999年
  • イースタン・リーグ盗塁王:2回 - 2000年(42個)、2001年(60個、※イースタンリーグ記録)

表彰

記録

背番号

  • 33 (1998年 - 1999年)
  • 0 (2000年 - 2002年)
  • 65 (2003年)
  • 00 (2005年 - 2008年)
  • 71 (2009年)
  • 80 (2010年)

脚注

  1. ^ 投手ではロッテの先輩にあたる小宮山悟と西武から解雇され2008年浪人した河原純一がいる。
  2. ^ 代田選手が現役引退を表明 - 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト
  3. ^ コーチ契約に関するお知らせ - 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト
  4. ^ 代田コーチが退団=プロ野球・ロッテ[リンク切れ] - 時事ドットコム 2010年10月3日閲覧

参考資料

  • 株式会社アスペクト『プロ野球選手という生き方』2004年12月22日発行 「夢見る瞳でもう一度―。代田建紀、現役復帰までの遠い道」180-187ページ
  • ベースボールマガジン社『週刊ベースボール』2008年9月1日号 「白球入魂 野球ばか34の純情 代田建紀」35-39ページ

関連項目