伊勢崎空襲
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伊勢崎空襲(いせさきくうしゅう)とは、1945年(昭和20年)8月14日深夜から翌8月15日未明にかけて群馬県伊勢崎市とその周辺地域が受けた米軍による空襲。太平洋戦争において秋田県秋田市の土崎空襲や神奈川県小田原市の小田原空襲等と並んで米軍最後の日本本土空襲となった。
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概要
1945年(昭和20年)8月14日深夜、84機の米空軍B24爆撃機・戦闘機が伊勢崎市と周辺の佐波郡3村に飛来し614.1tの焼夷弾、27発の爆弾を投下した。空襲は終戦日となる8月15日未明まで続いた。この空襲で罹災者8,511人(人口罹災率21.3)、死者29人、重軽傷者150余人、1943戸の家屋が焼失(共に伊勢崎市の被害のみ)した。市街地の約40%が焼失したが、空襲当日が無風状態だったことや広大な防空空き地を設置していたために類焼が食い止められ、人的被害は最小限に抑えられた。
主な被災建造物
- 伊勢崎北国民学校(現伊勢崎市立北小学校)
- 伊勢崎市立図書館
- 佐波地方事務所
- 群馬県立伊勢崎高等女学校(現群馬県立伊勢崎清明高等学校)
- 群馬県立伊勢崎工業学校本館(現群馬県立伊勢崎工業高等学校)
- 関東航空会社
備考
- 終戦後、伊勢崎市は戦災復興都市に指定されたが、諸事情により都市計画事業を施行することができず、被災した市街地に被災以前の土地区画のまま無秩序に住宅等の建造物が建てられた。そのため、現在に至るまで狭隘な道路が多数残り、道路交通や防災面からも大きな課題を残すこととなった。
- 市内八坂町の平和公園には伊勢崎空襲の犠牲者を追悼するための慰霊塔が建立されている。
関連項目
参考資料
- 「伊勢崎市制30年誌」 伊勢崎市刊
- 「伊勢崎の歴史」 伊勢崎市刊
- 「戦災と復興」 前橋市刊




