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佐良直美

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

佐良 直美
基本情報
出生名 同じ(旧姓名:山口 納堡子)
出生 1945年1月10日(67歳)
学歴 日本大学藝術学部
出身地 ファイル:Flag of Japan.svg 日本東京都
ジャンル 歌謡曲
職業 歌手女優タレント
担当楽器
活動期間 1967年 - 1987年2010年 -
レーベル ビクター音楽産業

佐良 直美(さがら なおみ、女性1945年1月10日 - )は、日本歌手タレント女優で、現在は主に実業家として活動中。出生名:山口 納堡子(やまぐち・なほこ)、現在は芸名と同じ佐良直美に改名

目次

経歴

東京都出身。明治時代漢学者川田甕江のひ孫にあたる。遠縁に吉永小百合がいる(佐良直美の母方の大伯父である山口彰夫の妻と、吉永小百合の母が姉妹同士)[1]。また山本直純の妻の山本正美も遠縁にあたる(山本正美の妹の夫の母が、吉永小百合の母のいとこの妻と姉妹同士)[1]

日本大学藝術学部卒業後、1967年に歌手デビュー。デビュー曲の「世界は二人のために」は、120万枚のレコード売り上げを記録し、第9回日本レコード大賞の新人賞を受賞。さらに同年のNHK紅白歌合戦に初出場を果たす。翌1968年、「世界は二人のために」が同年春に開催された、第40回選抜高校野球大会入場行進曲に採用された。

1969年には、「いいじゃないの幸せならば」で第11回日本レコード大賞を受賞。女性歌手として日本レコード大賞の新人賞・大賞を両方受賞するのは、1969年当時史上初の快挙だった。1970年芸術選奨新人賞受賞。また歌手としてだけでなく、作曲(テレビドラマの音楽も担当している)、タレントとしてのバラエティー番組への出演やテレビ番組の司会、また女優としてもテレビドラマありがとう」に出演するなど、多方面で活躍した。しかし、1980年にタレントのキャッシー同性愛の関係というスキャンダル報道がされて以後は、次第に芸能活動から遠ざかっていく。また歌手活動では、1983年9月21日にリリースされたEP「YASUKOの場合/夕顔」が、昭和時代最後のレコード発売となった。

1987年頃、歌手業を含めた芸能活動を事実上引退し、実業家へと転身。後に本人が語ったところでは、「前年に師匠と仰ぐジャズボーカリストの水島早苗1978年没)へ捧げたカセットアルバムを出したところで燃え尽きた」ことに加え、同年に声帯ポリープの手術を行い1年ほど声を出せなくなったため、実家が経営する巴工業(佐良の祖父が設立した、遠心分離機製造および化学工業製品販売会社)の仕事を手伝うことになり、歌どころではなくなったという[2]

1993年からは、栃木県那須塩原市で家庭犬のしつけ教室『アニマルファンスィアーズクラブ (AFC)』を主宰。優良家庭犬普及協会専務理事を務めている。また現在も巴工業の筆頭株主である。

2003年5月25日放送、NHK-FM日曜喫茶室」へのゲスト出演。この時出た芸能界への復帰に関する質問には「もう(復帰しなくても)いいでしょう」と否定した。

2009年5月16日ABCテレビ朝日系列)「朝だ!生です旅サラダ」でゲスト出演の女優・草笛光子が「那須の旅」という題目で、佐良の経営する『アニマルファンスィアーズクラブ』を訪問。同番組で佐良自身、久々のTV出演(録画放映)となった。

2010年9月24日、新聞にて27年ぶりに歌手復帰することが報じられた。平成時代に入ってからは自身初の、CDシングル「いのちの木陰」を2010年11月24日に発売。関係者によるとレコーディングは同年の夏に行われたという。収録現場にはTBS系ドラマ「ありがとう」に主演として起用した石井ふく子プロデューサーも立ち会った。

本人が語ったところでは、当初関係者からの度重なる説得に対し「渋谷毅先生が曲を書いてくれるなら」と言って断っていたところ、本当に渋谷作の曲が用意されたため復帰を断りきれなくなったという。またCD発売についても「インディーズで別名義でリリースするつもり」だったが、石井からメジャーでのCDリリースを説得されたとのことで「私の辞書に石井先生への『NO』はありません(笑)」と語っている。ただし本格的な歌手復帰については「やってもあと1、2回でしょう」として消極的な姿勢を示した[2]

2011年9月14日、2011年9月25日放送のドラマ『居酒屋もへじ』(TBS)の主題歌へと起用されたことが発表された[3]。ドラマのプロデューサーであり、レコーディングにも立ち会った石井ふく子の強い希望で実現[4]となり、さらにドラマの音楽担当[5]として、久しぶりに作曲家としても腕を奮い、石井の要望でドラマのため、挿入歌2曲(「いのちの木陰」のカラオケに別の旋律をハミングで唄ったもの)を自ら書き下ろし、レコーディングしたという。

二十一世紀音頭

1970年に「二十一世紀音頭」という歌を歌っている。発表当時から31年後の2001年のことを歌ったこの曲は、全国の盆踊り大会で使われた。

  • 「二十一世紀音頭」[6]
作詞:山上路夫、作曲:いずみたく、編曲:大柿隆、歌:佐良直美、合唱:二期会合唱団、伴奏:ビクター・オーケストラ)ビクターレコードMVー578ーS(VEYー3516)
片面:昭和元禄ばやし
歌:鈴木正夫、小杉真貴子、ビクター少年民謡会

主な出演番組

NHK紅白歌合戦

歌手としては1967年・第18回~1979年・第30回まで13回連続出場、司会者としては1972年・第23回、1974年・第25回~1977年・第28回まで担当。歴代紅組司会者では黒柳徹子と並び最多の通算5回担当した。また、司会を務めた5回全てで歌手としても出場しており、歌手・司会兼任出場回数でも女性最多であった。

NHK紅白歌合戦出場歴

年度/放送回詳細
1967年(昭和42年)/第18回1世界は二人のために
1968年(昭和43年)/第19回2すてきなファーニー
1969年(昭和44年)/第20回3いいじゃないの幸せならば
1970年(昭和45年)/第21回4どこへ行こうかこれから二人
1971年(昭和46年)/第22回5片道列車
1972年(昭和47年)/第23回6オー・シャンゼリーゼ
1973年(昭和48年)/第24回7世界は二人のために(2回目)
1974年(昭和49年)/第25回8花のフェスティバル
1975年(昭和50年)/第26回9オブ・ラ・ディ・オブ・ラ・ダ歌詞を変えての歌唱
1976年(昭和51年)/第27回10ひとり旅
1977年(昭和52年)/第28回11ラヴ・ミー・テンダー~ハウンド・ドッグ菅原洋一との洋楽対決、同年に急逝したエルヴィス・プレスリーの曲を披露
1978年(昭和53年)/第29回12愛の消しゴム紅組全員がキャンドルを持って応援
1979年(昭和54年)/第30回13世界は二人のために(3回目)30回記念のため、三波春夫水前寺清子、菅原洋一、フランク永井島倉千代子と共に初出場曲を披露

CM

ディスコグラフィー

シングル

  1. 世界は二人のために (1967年5月15日)
    作詞:山上路夫/作曲:いずみたく
  2. 私の好きなもの (1967年12月5日) 
    作詞:永六輔/作曲:いずみたく
  3. 星になりたい (1968年2月5日) 
    作詞:山上路夫/作曲:いずみたく
  4. 恋はオールデー・オールナイト (1968年5月1日)
    作詞:橋本淳/作曲:いずみたく
  5. ステキなファニー (1968年7月25日)
    作詞:山口五十鈴/作曲:いずみたく
  6. 愛の結晶 (1968年12月10日)
    作詞:山上路夫/作曲:いずみたく
  7. ギターのような女の子 (1969年3月25日)
    作詞:橋本淳/作曲:筒美京平
  8. いいじゃないの幸せならば (1969年7月15日)
    作詞:岩谷時子/作曲:いずみたく
  9. 知らないで愛されて (1969年12月25日)
    作詞:岩谷時子/作曲:いずみたく
  10. 私が生まれかわる時 (1970年4月5日)
    作詞:岩谷時子/作曲:いずみたく
  11. 赤頭巾ちゃん気をつけて (1970年5月25日)
    作詞:岩谷時子/作曲:いずみたく
  12. どこへ行こうかこれから二人 (1970年7月25日)
    作詞:西川ひとみ/作曲:中村泰士
  13. 塩・ローソク・シャボン (1970年11月25日)
    作詞:坂田寛夫/作曲:いずみたく
  14. あいつとあの娘 (1971年3月25日)
    作詞:保田善生/作曲:いずみたく
  15. 肝っ玉かあさん (1971年5月5日)
    作詞:平岩弓枝/作曲:いずみたく
  16. 生きてるって素晴らしい (1971年7月5日)
    作詞:浜口庫之助/作曲:浜口庫之助
  17. 片道列車 (1971年10月5日)
    作詞:岩谷時子/作曲:いずみたく
  18. 若い心よ集まろう (1971年10月5日)
    作詞:増永直子/作曲:いずみたく
  19. 幸福を遠く離れて (1971年11月5日)
  20. 白夜に燃えて (1972年1月25日)
    作詞:岩谷時子/作曲:吉田正
  21. のんびりやるさ (1972年4月25日)
    作詞:阿久悠/作曲:川口真
  22. 華やかな孤独 (1972年7月25日)
    作詞:岩谷時子/作曲:いずみたく
  23. 別れ話は背中にしてね (1972年9月25日)
    作詞:さがゆうこ/作曲:佐良直美
  24. 陽が当るまで (1973年1月25日)
    作詞:たかたかし/作曲:鈴木邦彦
  25. さびしい男たち (1973年7月5日)
  26. 幸せの日々 (1973年9月25日)
    作詞:山川啓介/作曲:吉田正
  27. ベイビー (1973年12月1日)
  28. ジャスミンの部屋 (1973年12月25日)
    作詞:安井かずみ/作曲:いずみたく
  29. ありがとう (1974年7月5日)
    作詞:上條恒彦/作曲:佐良直美
  30. 大都会の子守唄 (1974年11月25日)
    作詞:山川啓介/作曲:いずみたく
  31. あなたの足音 (1975年2月25日)
  32. 出逢いとさよなら (1975年9月25日)
    作詞:岡田冨美子/作曲:加瀬邦彦
  33. ひとり旅(1976年2月25日) 
    作詞:吉田旺/作曲:浜圭介/編曲:萩田光雄
  34. 速達 (1976年11月25日)
    作詞:吉田旺/作曲:浜圭介
  35. フラワー・フェスティバル (1977年4月10日)
  36. 時計館 (1977年7月25日)
  37. 私のアンティック (1977年9月25日)
  38. 風のメロディー (1978年3月25日)
  39. 愛の消しゴム (1978年8月25日)
  40. “翔ぶ”って何ですか (1979年2月25日)
  41. 国東半島ぶらり旅 (1979年8月25日)
  42. 素顔 (1980年4月21日)
  43. 心 (1980年6月21日)
  44. 賑やかな酒場 (1980年9月21日)
  45. 隣りの席の女 (1981年9月21日)
  46. ちょっといいもの (1981年12月5日)
  47. YASUKOの場合 (1983年9月21日)
  48. いのちの木陰 (2010年11月24日)
    作詞:山川啓介/作曲:渋谷毅

CDアルバム

その他

  • 東北放送(TBC)ステーションソング「TBCの歌」(1970年代初めから1980年代半ばまで、TBCラジオの一日の放送開始の際に使われた)

脚注

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  1. ^ a b 『女性自身』1981年5月14日・21日合併号。
  2. ^ a b 東京スポーツ・2010年11月7日付 28面
  3. ^ http://www.oricon.co.jp/news/music/2001788/full/
  4. ^ http://www.rbbtoday.com/article/2011/09/14/81005.html
  5. ^ http://www.tbs.co.jp/izakaya-moheji/staff/
  6. ^ 21世紀を迎えた2001年には、同じ曲で歌詞を変更した「新・二十一世紀音頭」(歌:相原ひろ子)が発表された(鈴木正夫、藤みち子の「踊れ日本新世紀」と両A面シングルとして発売)。なお、植木等三波春夫が「二十一世紀音頭」、THE HIGH-LOWSが「21世紀音頭」という同じタイトルの歌を歌っているが、全く異なる曲である。