1. TOP
  2. Kiraku辞典
  3. メインページ

バオ・ダイ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

(保大帝 から転送)
保大帝
皇帝保大 / Hoàng đế Bảo Đại
阮朝大南国皇帝・ベトナム帝国皇帝
ファイル:保大皇帝 坐像.jpg

戴冠 1926年1月8日、於皇城太和殿
先代 啓定帝


次代 ゴ・ディン・ジェム

出生 1913年10月22日 Template:Safesubst: ファイル:Flag of South Vietnam.svg 大南富春京城皇城紫禁城 Template:Safesubst:
死亡 1997年7月30日(満83歳没) Template:Safesubst: ファイル:Flag of France.svg フランスパリ Template:Safesubst:
埋葬 Template:Safesubst: フランスパリパッシー墓地 Template:Safesubst:
実名 阮福晪 / Nguyễn Phúc Thiển
変名 阮福永瑞 / Nguyễn Phúc Vĩnh Thụy初諱
年号 保大 : 1926年 - 1945年
王室 広南阮氏
父親 啓定帝
母親 端熙宣皇后胡氏
配偶者
子女
居所 皇城紫禁城

ファイル:Commons-logo.svg ウィキメディア・コモンズには、バオ・ダイに関連するカテゴリがあります。
テンプレートを表示

バオ・ダイBảo Đại保大1913年10月22日 - 1997年7月30日)は、阮朝大南国の第13代にして最後の皇帝(在位:1926年1月8日 - 1945年3月11日)、ベトナム帝国皇帝(在位:1945年3月11日 - 1945年8月30日)、後にベトナム国国長(在任:1949年6月14日 - 1955年4月30日)。阮福晪Nguyễn Phúc Thiển、グエン・フク・ティエン、晪は日偏に典)、姓・阮福永瑞Nguyễn Phúc Vĩnh Thụy、グエン・フク・ヴィン・トゥイ)。バオ・ダイの名は治世の年号である保大に由来し、保大帝皇帝保大Hoàng đế Bảo Đại、ホアン・デ・バオ・ダイ)とも称される。

目次

生涯

ファイル:Bao Dai nho.jpg
幼少時代の保大帝
ファイル:Bao Dai 1953.jpg
1953年製ピアストル紙幣に描かれたバオ・ダイの肖像

バオ・ダイは、1913年10月22日に、富春京城の皇城の紫禁城で生まれ、当時の宗主国であるフランスへ留学した。父親である啓定帝1925年11月6日に崩御すると、1926年1月8日に皇城の太和殿にて皇帝に即位し、年号を保大とした後、留学を続けるため再びフランスへ渡った。

バオ・ダイは1932年に帰国し、その治世においては、フランスからの自立を目指して内政の改革などに努力した。1934年には、カトリック教徒でコーチシナ出身の阮有氏蘭(南芳皇后)と結婚した。

太平洋戦争末期の1945年3月には、前年のヴィシー政権崩壊に伴い、日本軍明号作戦を実行してフランス軍を制圧したことを受け、フランスからの独立を宣言してベトナム帝国を樹立し、その皇帝となった。

当時の日本軍人の中には、日本へ亡命中の畿外侯クォン・デをベトナム帝国皇帝に推す者も少なくなかったが、南方総軍第38軍はベトナム新政権へ不干渉の方針で、軍政を敷かないことや親日政権への改編をしないことを既に決定していたため、バオ・ダイは独立したベトナムの最初の元首の地位を手にした。

しかし、日本が敗戦すると、その直後にベトナムでは八月革命が起こり、バオ・ダイは1945年8月30日に退位へ追い込まれ、1945年9月2日にはベトミンによってベトナム民主共和国独立宣言ハノイでなされた。その後、バオ・ダイはホー・チ・ミンによってベトナム民主共和国政府の最高顧問に任命されたが、公式の外交代表団の一員として訪中時に亡命し、1946年にはイギリス植民地香港へ渡った。

ファイル:Mo cuu hoang Bao Dai.jpg
パッシー墓地にあるバオ・ダイの墓

ベトナムでは1946年にフランス連合とベトナム民主共和国の間で第一次インドシナ戦争が勃発したが、バオ・ダイは1949年にベトナムへ帰国し、フランスの支援により南ベトナムコーチシナ共和国を吸収して樹立されたベトナム国元首となった。第一次インドシナ戦争の講和協定として、1954年ジュネーヴ協定が成立すると、ベトナム国は国際的な承認を得た。バオ・ダイは、1954年ゴ・ディン・ジェムを首相に任命したが、ジェムは1955年にベトナムの政治体制について問う国民投票を実施した。その結果、ジェムは勝利し、ベトナム国を共和制へと移行させ、ベトナム共和国を樹立してその大統領に就任した。

バオ・ダイは元首から退任し、フランスパリへ亡命したが、その後はベトナムへ帰国せずにカンヌ付近で余生を送り、1997年7月30日にパリの陸軍病院で死去した。

宗室

后妃

子女

嫡子

  • 東宮皇太子阮福保隆Đông cung Hoàng thái tử Nguyễn Phúc Bảo Long1936年 - 2007年
  • 公主阮福芳梅Công chúa Nguyễn Phúc Phương Mai
  • 公主阮福芳蓮Công chúa Nguyễn Phúc Phương Liên
  • 公主阮福芳蓉(Công chúa Nguyễn Phúc Phương Dung
  • 皇子阮福保陞Hoàng tử Nguyễn Phúc Bảo Thắng1943年 - )

庶子

暎妃胡氏所生
  • 阮福芳明(Nguyễn Phúc Phương Minh
  • 阮福保恩(Nguyễn Phúc Bảo Ân
裴夢蝶所生
  • 阮福芳桃(Nguyễn Phúc Phương Thảo
  • 阮福保隍(Nguyễn Phúc Bảo Hoàng
  • 阮福保山(Nguyễn Phúc Bảo Sơn
フランス人女性ヴィッキー所生
  • 阮福芳慈(Nguyễn Phúc Phương Từ

保大通宝の発行

ファイル:BaoDaiThongBao.gif
保大通宝打製銭

バオ・ダイは1933年にフランスより帰国後親政を始めたが、その際、歴代皇帝の例に倣って自らの年号を冠した新たな銅銭を鋳造した。これが保大通宝(Bảo Đại thông bảo)である。大別して2種類の形式があり、一つは直径約27mm、重量3.5gから4.5gで、裏に十文(thập văn)の換当価の表示があるもの。もう一つは直径約24mm、重量約3gで裏無地のものである。これは六文に相当し、小平銭と呼ばれる。これらは円形方孔の、いわゆる穴あき銭の形態をしており、東アジア諸国において2000年以上にわたって作られ続けたこの形式の貨幣としては最後のものである。なお、裏無地のものの中に、重量が4gに達するやや重いものがあり、当初十文通用として作られたが、六文銭との区別をはっきりさせるため、直径を大きくし、換当価を明示した前述の形式に改められたという[1][2]

当時、皇帝の地位は名目的なもので、ほとんどの政治的権限はフランスによって奪われていたが、従来からあった伝統的な穴あき銭を発行する権限は保持していたのである。フランス人がサペックと呼び、安南の土民がドンđồng、銅)またはテンドン(tiền đồng、銭銅)と呼んでいたこれらの貨幣は、フランス領インドシナの公式通貨たるインドシナ銀行発行のピアストル貨とは別体系の通貨制度をとっており、互いに交換相場を変動させつつ、同一地域で2系統の通貨が各々独自に機能してきた。フランス側は通貨の統一をはかって、度々サペックの通用を無効とする布告を出したが、この地域の人口の大半を占める農村の細民の間では、日常の経済活動において、サペック貨が必要不可欠であったため、徹底させることができなかった。

翌年の1934年2月に、バオ・ダイは勅諭を発して従来変動していた阮朝発行の穴あき銭とピアストル貨との交換率を固定し、1ピアストルにつき、十文銭は1繦30枚で6繦半(195枚)、六文銭は1繦50枚で6繦半(325枚)と定めた[3]

一方、インドシナ植民地政府の側でも、バオ・ダイによる新銅貨発行と時を同じくして北部のトンキンにおいて保大通宝の銘を持つ打製の銅貨を発行し流通させた。これは直径18mm重量1.4gであり、600枚で1ピアストルと等価とされた。また、打製の保大通宝の中に、直径が26mm程度の大型銭(古銭収集界で活字体と呼ばれているもの)が僅かながら存在するが、これは試作貨であると言われている[4][5]

脚注

  1. ^ 雲南省銭幣研究会・広西銭幣学会編 『越南歴史貨幣』 中国金融出版社 1993
  2. ^ 古銭収集界で細字と呼ばれている類に該当品が見られる。このタイプは保大通宝の書体が通常の小平銭とはやや異なり、十文銭の書体に類似している。また直径も少し大きい。阮朝の発行貨は、六文通用の小平銭以外には換当価が背面に鋳出されているのが通例であった。保大通宝以前で十文銭に額面表示がないのは、同慶通宝に例がある。
  3. ^ 丁英生 「太平洋戦争下 東南アジアコインに見るサイン」 月刊『収集』Vol.19 No.11 書信館出版(株) 1994
  4. ^ BELAUBRE Jean, "Un technicien méconnu du monnayage : René Mercier et la sapèque Bao Dai, 1933". Bulletin de la Société Française de Numismatique, avril 1980, n°4, pp. 685-687.
  5. ^ 三浦吾泉 『安南銭譜 歴代銭部』 私家版 1966

関連項目