前進座
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劇団前進座(ぜんしんざ)は東京の歌舞伎劇団。1931年5月22日創立。市村座で旗揚げ公演。吉祥寺に劇場「前進座劇場」(収容人員500)を所有する。
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特色
- 創立80年の歌舞伎劇団。(創設時、幹部ではない下級俳優が結成したことから)尾上菊五郎劇団と並び、市井の庶民・江戸っ子をリアルに描く世話物を得意としている。
- 歌舞伎・時代劇・現代劇・児童劇と多彩なレパートリーで、創設直後から「演劇のデパート」という異名をつけられていた。
- 旗揚げ時から女優陣が多く所属するという異色の編成で、配役の一部を女性が演ずる歌舞伎を出すことも多い。
- 全国津々浦々を巡回公演しており、日本のはずれでも、地元草の根の観劇団体(演劇鑑賞会・市民劇場など)の招聘に応じて第一線俳優が出向いて大劇場と同じ芝居をする。
- 給与制をとっており、興行収入によって、座員の生活を保障する事が創立以来の理念。
- 自由民主党石橋湛山元首相、読売新聞務臺光雄名誉会長のように保守派から、日本共産党やその心情的支持層、文学・芸能関係者ら(松本清張・永六輔・山田洋次など)、あるいは演劇ファンまで、多種多様な層が前進座の贔屓になっている。
- 前進座を応援し次代を育てる会として、海音寺潮五郎・大佛次郎・井上靖・松本清張・水上勉ら五人の作家が発起人として1968年矢の会を創立、現在に続く。
- 今は無いが、「絶対修業」「翫右衛門のむち」という制度があり、出来が悪いと容赦なく鞭が飛んでいた。
- 創立メンバーの、四代目河原崎長十郎・三代目中村翫右衛門・五代目河原崎国太郎・五代目嵐芳三郎(五代目)・六代目瀬川菊之丞・藤川八蔵(藤川武左衛門)・坂東調右衛門ら、7人の劇団の代表的な俳優をさして七人の侍と呼んだ。
- 創立メンバーは松竹と袂を分かった者たちであるが、1933年から現在まで松竹と業務提携関係にあり、毎年1月に南座で共同興行を行っている
- 国立劇場は、当初前進座と武智鉄二の公演は拒否してきたが、『さんしょう太夫』は劇界および児童演劇分野の代表的な4賞を重ね、1977年7月国立小劇場で芸術祭賞受賞記念公演を行った。以後、毎年5月に国立大劇場にて公演を行っている。
施設と組織
現在のもの
- 前進座機関誌『月刊前進座』
- 前進座友の会(愛称『パル』)
- 劇場「前進座劇場」(収容人員500・本花道・廻り舞台あり)
- 俳優養成機関「前進座付属養成所」 女性も歓迎
- 前進座東京営業所(主に都内公演を担当)
- 前進座名古屋営業所(主に名古屋近郊公演を担当)
- 前進座京都営業所(主に南座公演、京都近郊公演を担当)
- 前進座大阪営業所(主に大阪近郊公演を担当)
- 前進座全国営業所(主に地方公演を担当)
- 前進座映画放送部(主にテレビ・映画出演を担当)
- 前進座宣伝部
- 前進座劇場部
- 前進座文芸演出部
- 前進座総務経理部
- 矢の会
- 武蔵野市立南町保育園 (前進座の私営保育施設を市が受け継いだもの)
過去のもの
- 集団住宅「前進座住宅」+稽古場「前進座演劇映画研究所」(両者は併設されている)
- 前進座児童演劇団
年譜
結成前夜
旗揚げ
長十郎体制
- 1931年暮 荒次郎が退団。劇団前進座は幹事長に河原崎長十郎を選出
- 1931年2月 新しい作品を演じたかった劇団前進座に対して市村座が「忠臣蔵」を上演するよう迫る。興行成績は大成功。劇団発足後初めて経済的に潤う。以後歌舞伎に力を入れる
- 1932年5月 市村座が火事で消失。二度と再建せず
- 1932年 劇団前進座はJOAK東京放送局(NHKの前身)に劇団としてユニット出演 以降この形式が貴重な収入源となる
- 1933年9月 劇団前進座は、浅草公演劇場公演がキャンセルされたことを奇貨として、劇団として映画「段七しぐれ」(原作長谷川伸、トーキー)を製作、映画初進出。
- 1933年11月 劇団前進座は宗家(市川團十郎家)の了承なしで歌舞伎十八番のうち勧進帳を上演(新橋演舞場)
- 長十郎の弁慶、翫右衛門の富樫、国太郎の義経
- 1934年2月 国太郎が「お染の七役」を復活(新橋演舞場)
この頃沢村いき雄らが退団
- 1935年 劇団前進座は日活映画と業務提携
- 1935年10月 劇団前進座「悲恋の白拍子」(大阪浪花座)中のラブシーンが警察官に咎められ、検挙されかかる
- 1936年 劇団前進座の江戸を舞台にした赤毛もの歴史劇「シーボルト夜話」を上演。成功を収める
- 1936年 劇団前進座は歌舞伎十八番より「助六」を上演
- 長十郎の助六、翫右衛門の意休、国太郎の揚巻。長十郎は本水に浸かった
- (以後、歌舞伎十八番ものの上演に関しては宗家はぜんぶ許可)
- 1937年 劇団前進座は初めて真山青果作品を上演
- 1937年 劇団前進座はPCL映画に劇団としてユニット出演 以降この形式が貴重な収入源となる
集団住宅と絶対修業
- 1937年 劇団前進座は集団住宅を東京都武蔵野市・吉祥寺に建設 創造(稽古)と生活(住居と食糧(田畑・養鶏))を統合した理想の場を得る
- 1940年 「絶対修業」がスローガンとして現れる
- 1941年4月 劇団の総会で「長十郎の体制」「翫右衛門の鞭」が定まる
- (四代目)「鶴蔵の向こう鉢巻」も
- 1941年-42年 映画と演劇で「元禄忠臣蔵」が大ヒット。時代物は軍国主義に歓迎された。座の歴史で唯一経営が潤い、贅沢な時期。
この非常時においてもっとも良心的な劇団であると激賞される
- 1942年 失火で建物の一部を消失
- 1945年 疎開しながら移動演劇を上演
- 1945年終戦 劇団前進座は吉祥寺に戻り、9月にラジオ、11月に帝国劇場で公演
- 1945年 四代目中村鶴蔵死去
- 1946年 営業・裏方・設営・移動等を俳優自身が行う巡演“青年劇場運動”を開始
当初は学校を廻っていたが、徐々に全国の労働組合で演ずることが増えてくる。
日本共産党
- 1949年3月7日 劇団前進座座員71名が日本共産党に集団入党(のち4人追加)
- 1952年5月24日 赤平事件
- 1955年11月 翫右衛門帰国
- 1960年2月~4月 劇団前進座は訪中公演
- 1966年3月 宮本顕治毛沢東会談決裂。以降日中共産党の関係が厳しい対立へ
- 1966年8月~10月 劇団前進座は訪中公演 この時、中国共産党紅衛兵により台本を改変。同行の他幹部団員から故障が出るも、幹事長権限で強引に押し切る。
- 1966年11月 劇団前進座は帰国凱旋公演(東京有楽町・よみうりホール)改変された台本のままで上演
- 1966年12月 劇団前進座は歌舞伎十八番のうち鳴神をオーケストラ伴奏で行うという試みを実現(作曲團伊玖磨)
- 1967年8月 長十郎は日本共産党への離党届を郵送、自ら記者会見をして明らかに
- 1967年8月 劇団前進座は幹部会を開くも決裂
- 1967年9月 劇団前進座は座員総会で長十郎幹事長を解任。幹事に降格。新幹事長に五世国太郎。
- 1968年 「株式会社前進座」設立
- 1968年7月 劇団前進座は長十郎を除名
積極的な外部出演
- 1969年 三船プロ制作『風林火山』に中村翫右衛門と中村梅之助が出演し、大ヒット。付属養成所開設
- 1970年 映画放送部新設 以降、座員がテレビや映画や舞台の外部出演で大忙しになる。中村梅之助が『遠山の金さん捕物帳』に主演。1973年まで続く人気ドラマとなる。
- 1973年 中村梅之助が日本テレビ『伝七捕物帳』に主演。1977年まで続く人気ドラマとなる。
- 1977年 中村梅之助がNHK大河ドラマ『花神』で主演。毎日放送のテレビドラマ「獄門島」(主演古谷一行)で、国太郎、翫右衛門と、河原崎長一郎(長十郎の長男)が共演 DVDあり
- 1980年12月 初めて東京・歌舞伎座に進出
- 1981年8月 初めて東京・国立劇場大劇場に進出
- 1981年12月 初めて東京・日生劇場に進出
- 1982年 調右衛門死去
- 1982年 翫右衛門死去
- 1982年 全国からの「一億円募金」が実り、建設された前進座劇場が落成
- 1985年 幹事長を国太郎から梅之助に交代
- 1989年、鸚鵡籠中記を原案にした 『元禄御畳奉行の日記』を宣伝部から刊行
- 1990年 五世国太郎死去
- 1992年、新田次郎原作『怒る富士』を公演、伊奈半左衛門役の嵐圭史が文化庁芸術祭賞受賞
- 1992年 「劇団前進座株式会社」発足。組織を新会社に一本化。代表は梅之助
- 1997年、第4回坪内逍遙大賞 受賞
- 2003年 井上靖原作「天平の甍」を中華人民共和国(北京・上海・揚州)で公演。
- 2010年 「歌舞伎十八番の内 鳴神」「狂言舞踊 茶壷」「法然と親鸞」をアメリカ合衆国(ロサンゼルス・サンフランシスコ・ホノルル)で公演。
前進座劇場
概要
集団住宅を一部取り壊し、敷地の一部に前進座劇場を新設した。残りを武蔵野市に売却。市は、吉祥寺南町コミセンを建設した。
公演の例
貸し会場としても使用している。公演されたものは以下のとおり。
- 冠船流川田禮子芸歴70周年記念公演「川田禮子の世界」(2007年)
- ミュージカル『アルプスの少女ハイジ』(2003年)
- ミュージカル『足長おじさん』(2006年7月15日)
- 舞台 母 (三浦綾子の小説) (1993年、前進座で上演し、ロングラン公演)
- 舞台「桜SAKURAサクラ」(2009年3月25日~31日)
- 舞台「GRIPPE PRODUCE Vol.2 デビルマン-不動を待ちながら-」 (2010年7月16日 - 7月19日 全7公演)
- 「やっぱりコント55号」(1992年6月)
- 南青山少女歌劇団公演『放課後のトワイライトシュート』 (1994年12月21日 - 23日)
- Program vol.1 『堕天・神殿・遅咲きの蒼』(2011年4月27日~5月5日)
- 『100LIFE ワンハンドレッドライフ』(2010年4月23日~25日、オフィスインベーダープロデュース)
- 劇団櫂創立二十五周年記念 第一回花柳辰日女舞踊会『櫂~二十五年の波の音~』(2001年5月)
- 「やっぱりコント55号」公演(1992年6月)
- 志村けんのだいじょうぶだぁ舞台公演(1990年)
- 八つ墓村 (2008年12月10日から14日、劇団ヘロヘロQカムパニー)
- 歓喜~よろこび~の歌(2008年11月22日~30日)
- 「gratitude~Endless Love~」(2011年)
- Yo-Jin-Bo 蒼月城の魔剣 (2005年2月4日、5日)
- チョコレートガールズ2 ~チョコレートガールズVSアズキガールズ~(2011年2月9日~14日)
- 前進座創立75周年記念公演「佐倉義民伝」
- 四国八十八箇所#演劇 夢へんろ ~どんな時も希望をすてず~ (2007年6月、前進座の他松山市民会館中ホール。主催:みかん一座他)
- 「歓喜の歌」(2010年)
- 会津士魂外伝・山本覚馬(1991年)
- 劇団VitaminX ~Legend of VITAMIN~(2010年9月26日~10月4日 演出:なるせゆうせい)
- SYU - RA ~仕留めて候(2003年)
- 解脱衣楓累 (2008年大阪、名古屋、浅草と前進座で公演)
- ヘロヘロQカムパニー「SYU-RA」(2003年)
- 劇団そら 「スペースモンキー」 旗揚げ公演 (1993年9月)
- 『山ホトトギスほしいまま』(1993年11月・前進座劇場・立沢雅人演出作品)
- 『山ホトトギスほしいまま』(再演、1995年7月・前進座劇場・立沢雅人演出作品)
- 「車椅子の結婚式」(2010年4月)
- 悪魔が来りて笛を吹く (2010年8月8日~8月14日)
- SIMPLE SOUL(2002年、ジョビジョバの活動停止前最後の舞台)
- 「歓喜の歌」(2008年11月)
- 龍の子太郎(2007年 製作が劇団前進座、脚色は山本響子 )
- 月山が見ている(2009年 前進座ほか仙台・山形等で上演)
- 松竹歌劇団公演(1983年、同年7月には歌舞伎座特別公演も行っている)
- だいず・岸尾だいすけ ソロイベント(2009年3月22日)
- アイドルマスター Radio For You!#公開録音 (2008年)
- 劇団「秦組」 vol.4 らん―2011New version!!―(2011年5月22日~29日、企画製作:有限会社OFFICEBLUE)
- 十六夜清心 ~花街模様薊色縫~(2011年7月)前進座劇場のほか新歌舞伎座などで公演。松井誠座長
- 前進座劇場 『春告鴬(うぐいす)』(2003年、三松座)
- 兼崎健太郎 27th Birthday Event 2011東京公演(構成・演出・司会:伊勢直弘)
- 前進座劇場ヘロヘロQカムパニィ公演「修羅」「修羅 煉」小金丸大和#舞台
- 鈴村健一の超人タイツ ジャイアント 微妙にスケジュールがあいませんでした~SAKURAI~/~IWATA~(2008年5月24日、25日)
エピソード
赤平事件
1952年5月24日、北海道赤平町で、劇団前進座の「俊寛」巡演(翫右衛門の俊寛)が警察ぐるみの組織で妨害され、巡演当日で観客も会場に集まっているのに上演の約束をキャンセルされた。会場で上演中止の挨拶を行ったことを家宅侵入罪として一行の一部を逮捕し、翫右衛門にも逮捕状を出して手配したという事件。その後翫右衛門は、一週間以上、警察から逃れて地下に潜る逃亡生活を送りながら、舞台にはちゃんと拵えをして俊寛として出るという離れ業を演じ、「神出鬼没の翫右衛門」と異名をとる。実際には、このとき演技についての論文も執筆していた。
翫右衛門の中国逃亡
太平洋地域平和会議
中国共産党の大衆組織が、1952年10月に、北京で国際会議「アジア太平洋地域平和会議」を開こうと全世界に呼びかけた。 親中派として知られる大山郁夫(戦前の労農党委員長)、日本社会党の松本治一郎、アナキスト神近市子、マクロビオティックで知られる桜沢如一というメンバーが日本代表として訪中することが決まった。
日本政府の拒否の態度が覆らないと見るや、9月下旬、突如数人の日本人が北京で発見され、それらの人が松本らに代わる日本代表団として会議に臨むことになった。その中の一人が翫右衛門だった。北京にいたのだ。結局、翫右衛門が松本の代理として会議参加を勤めた。
猿之助訪中
1955年、国慶節に中国で歌舞伎公演を行うべく市川猿之助 (2代目)(猿翁)一座が大阪歌舞伎座社長松尾國三を帯同して訪中。11月7日、猿之助は翫右衛門を連れ立って帰国した。帰国に当たっては松本治一郎ら社会党だけでなく久原房之助ら財界人も含め身元引受人となった。 翫右衛門は裁判にかけられ、有罪ではあったものの執行猶予を勝ち取った。
主な座員
第一世代
- 創立メンバー 二代目市川荒次郎(高島屋)
- 創立メンバー 五代目河原崎国太郎(山崎屋)
- 創立メンバー 四代目河原崎長十郎(山崎屋)
- 創立メンバー 四代目中村鶴蔵(舞鶴屋)
- 創立メンバー 三代目中村翫右衛門(成駒屋)
- 創立メンバー 沢村いき雄(沢村い紀雄) 退座
- 初代坂東調右衛門(大和屋)
- 藤川武左衛門(大坂屋・前名ー藤川八蔵)
- 加東大介(市川莚司) - 徴兵から帰って以降は、別劇団を作る。代表作に『南の島に雪が降る』。
- 六代目瀬川菊之丞(浜村屋)
- 五代目嵐芳三郎(豊島屋)
- 市川扇升 - 小山内薫三男
第二世代
- 四代目中村梅之助(成駒屋)
- 六代目嵐芳三郎(豊島屋)
- 初代嵐圭史(豊島屋)
- いまむらいづみ
- 五代目中村鶴蔵(舞鶴屋)(現在は座友)
- 初代市川祥之助(沢瀉屋)(現在は座友)
- 初代中村靖之介(成駒屋)(現在は座友)
- 津田伸(現在は座友)
- 村田吉次郎(現在は座友)
- 初代桐山里昇(摂津屋)(現在は座友)
- 初代山崎竜之介(山崎屋)(現在は座友)
- 初代小佐川源次郎(鯛屋)(現在は座友)
第三世代
- 初代藤川矢之輔(大坂屋“おおざかや”)
- 七代目瀬川菊之丞(浜村屋)退座
- 二代目中村梅雀(成駒屋)退座
- 六代目河原崎國太郎(山崎屋)
- 七代目嵐芳三郎(豊島屋)
- 初代山崎辰三郎(山崎屋)
- 初代姉川新之輔(鯉屋)
- 今村文美
- 妻倉和子
- 中嶋宏幸
- 初代山崎杏佳(山崎屋)退座
- 高橋佑一郎
文芸演出部
主な出身者
- 中村梅雀 - 前進座女優瀬川寿子と再婚もしている
- 中村歌門 - 前進座出身。俳名は花妻。屋号は駒村屋。 竜馬がゆく(1968年)では西郷隆盛を
- 松山梨絵(五代目国太郎の子)
- 河原崎しづ江(山岸しづ江、山岸しず江)前進座創設メンバー
- 河野秋武 - 前進座の座員をへて東宝演劇研究会に参加
- 川路夏子 - 前進座に所属していた
- 浅利香津代 - 前進座にも在籍
- 松山英太郎 - 1947年、5歳で前進座の『弁天小僧』で初舞台を踏む
- 依田英助 - かつては前進座、劇団七曜会に所属していた
- 江藤漢斉 - 一時前進座に入団
- 牧冬吉 - Template:Safesubst:、舞台芸術学院を中退し、前進座に引き抜かれ入座
- 堤康久 - 立教大学中退後、前進座に参加
- 白木美貴子 - 1981年前進座に入り、主にミュージカルを中心に活躍
- 津田延代 - かつては前進座に所属していた
- 立原博 - 終戦帰国後、前進座に入団。多くの舞台経験の後に大阪に活動拠点を移す
- 森うたう - 東京芸術座付属演劇研究所、劇団前進座付属養成所出身
- 松本染升 - 1956年(昭和31年)に前進座を退団して映画俳優となる
- 真山美保 - 前進座でも演出を
- 原ひさ子 - 当初前進座に所属し、1938年に同じく所属の俳優・石島房太郎と結婚する
- 鈴木龍男 - 演出
- 高橋和枝 - 東京家政学院を卒業後、劇団前進座に短期間在籍。その後、1949年に東京放送劇団へ
- 有田佳代 - 舞台女優、前進座36期
- 藤原琢也 - 5代目河原崎国太郎の元で歌舞伎のいろはを習う
- 土方与志 - 前進座や舞台芸術学院で演劇活動を再開している
- 伊達里子 - 1934年に日活を退社し、前進座で舞台生活をした後、1935年にフリー
- 槇ひろ子 - 前進座出身
- 小松重男 - 松竹大船撮影所から前進座文芸演出部、新協劇団演出部を渡り歩く
- 橘ミノル・双葉みどり - 一時前進座に入り中村浪之助を名乗り再出発している
- 片岡 松太朗
主な映画
座として製作に関与した映画、座としてユニット出演した映画のうち、主なもの。
- 『段七しぐれ』 : 監督小石栄一、大日本自由映画プロダクション / 新興キネマ、1933年 - 映画初進出
- 『清水次郎長』 : 監督池田富保、太秦発声映画、1935年
- 『街の入墨者』 : 監督山中貞雄、1935年 - 日活との業務提携第一弾
- 『河内山宗俊』 : 監督山中貞雄、1936年
- 『人情紙風船』 : 監督山中貞雄、1937年 - 山中の遺作
- 『元禄忠臣蔵』 : 作真山青果、監督溝口健二、1941年 - 興亜映画最後の作、忠臣蔵ものの最高峰[要出典]
- 『どっこい生きてる』 : 監督今井正、新星映画、1951年
- 『箱根風雲録』 : 監督山本薩夫、原作タカクラ・テルの歴史小説「ハコネ用水」、共演山田五十鈴、新星映画、1951年 - タカクラ・テル(高倉輝)は、日本共産党の衆議院議員、参議院議員も務めた。新星映画はプロキノ(日本プロレタリア映画連盟)設立者・岩崎昶の会社である。
参考文献
関連項目
- 日本移動演劇連盟#前進座の事例
- 大忠臣蔵 (1971年のテレビドラマ)
- 天平の甍 - 前進座が舞台化している
- さぶ (小説) - 舞台化され、前進座や松竹の舞台で上演されている
- 銃口 (小説) - 2003年から前進座にて上演
- 助六 - 戦前、「濡れ場」の場面を復活させようとする
- テレビ朝日日曜夜8時枠時代劇・伝七捕物帳#テレビ朝日版1979.02.11-1979.09.23) 前進座、国際放映 バリアンツ
- テレビ朝日木曜時代劇 1977.10~1978.05 達磨大助事件帳(前進座、国際放映 制作) 若さま侍捕物帳 (テレビドラマ 1978年)(前進座、国際放映 制作)
- 象引 - 昭和33年(1958年)に前進座で公演(平田兼三郎脚本)
- そば屋梅吉捕物帳 - 制作協力
- 遠山の金さん捕物帳 - 制作協力
- 阿部一族 - 映画製作、東宝と
- 落陽 (映画) - 制作協力
- 五重塔 (小説) - 作品を前進座が劇化
- 絵本合法衢 - 大学之助の件は八代目松本幸四郎と、前進座の上演で実現
- 与話情浮名横櫛 - お富は前進座で五代目河原崎國太郎が当たる
- 浄瑠璃 - 前進座は上演団体
- 歌舞伎役者の屋号一覧
- 日本の劇団一覧
- 新協劇団
- 希望舞台 - 劇場は持っていないが、出演俳優の縁で首都圏では前進座劇場での連続公演が組まれることが多い
- 新演劇研究所 - 前進座の稽古場で、研究生の入団試験をおこなった
- しんぶん赤旗 - 前進座も広告を掲載
- 舞台芸術学院#卒業生が活躍中の主な劇団
- 映画演劇労働組合連合会#加盟労働組合(舞芸前進座支部)
- 歌舞伎の年表
(前進座歌舞伎役者の名跡)
- 中村翫右衛門 - 三代目が前進座創立に参画。
- 中村鶴蔵 - 前進座の創立に参加した四代目は三代目の弟
- 中村梅之助 - 四代目から前進座歌舞伎。劇団前進座代表
- 河原崎長十郎 - 四代目が劇団前進座結成に参画
- 河原崎國太郎 - 五代目、六代目らが前進座結成に参画、以降は前進座の俳優。五代目は1932年4月襲名
- 嵐芳三郎 - 女形の名跡。五代目が梨園を離れ1944年に前進座に参加
- 瀬川菊之丞 - 江戸歌舞伎の女形を象徴する大名跡。屋号は濱村屋。六代目から前進座に参加、翌昭和8年に六代目を襲名。以降現在では前進座の俳優が七代目を名乗っている。七代目は付属養成所9期生
- 関連人物
- 河原崎長一郎・河原崎次郎・河原崎建三
- 談洲楼燕枝 (2代目) - 息子は二代目中村歌門、3代目中村翫右衛門の義父
- 日高哲英 - 作曲家で、前進座の舞台の音楽も多く手がけている
- 宮本百合子 - 河原崎長十郎らと親交をもつ
- 安藤鶴夫 - 第50回直木賞作品『巷談本牧亭』は前進座によって劇化され、日中国交回復前の中国・北京でも上演
- 青柳信雄 - 明治大学を卒業後、しばらくは前進座などの舞台演出を手がけていた
- 寺田路恵 - 1948年前進座『レ・ミゼラブル』で初舞台
- 木下順二 - 作品は「劇団民藝」や「前進座」でよく上演された
- 大垣肇 - 前進座への劇作提供が多い
- 岩崎昶
- 野々村潔 - 河原崎しづ江は義理の妹
- 麦人 - 親族は前進座の俳優一家
- 塚本康彦 - 歌舞伎論もやり、1995年には前進座劇場で「双蝶々曲輪日記」を一日だけ上演、主役を演
- 三林京子 - 新歌舞伎座、明治座、前進座などの舞台を中心に、俳優としてのキャリアを積む
- ジェームス三木 - 『煙が目にしみる』(1991年)、お登勢 (船山馨)(2007年9月8日~10月5日)舞台の脚本・演出
- 堤重久 - 前進座の俳優堤康久の兄
- 辻村寿三郎 - 1954年 母の死をきっかけに広島に来演した前進座の河原崎国太郎 (5代目)を頼り役者を志す
- 徳治昭 - イラストレーター。龍の子太郎ポスターなどを手がける
- 飯沢匡 - イラストレーターで、1971年、「天保の戯れ絵〈歌川国芳〉」のポスターを描くなど
- 松山政路 - 一家は前進座俳優。(東京都武蔵野市吉祥寺出身)
- 山本周五郎#舞台 - 多くの小説が前進座によって舞台化されている
- 滝沢英輔 - 監督作のうち『戦国群盗伝』は梶原金八らと製作提携、『逢魔の辻 江戸の巻』(原作大佛次郎、岸松雄・八住利雄共同脚本)は東宝映画東京撮影所と
- 久保一雄#PCL・東宝の美術監督時代 1937年『新選組』を前進座と
- 早乙女勝元 - 1959年の新協劇団「素晴らしい贈物」(演出:村山知義)は「ハモニカ工場」が原作で後に前進座でも舞台に
- 稲垣浩 - 『股旅千一夜』に前進座の面々が出演
- 五木寛之 - 舞台「旅の終わりに」原作・脚本
外部リンク
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