創価学会
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ファイル:Sanshokuki2.svg 三色旗と八葉蓮華 | |
| 設立年 | 1930年(昭和5年)11月18日 |
|---|---|
| 種類 | 宗教法人 |
| 本部 |
ファイル:Flag of Japan.svg 日本 東京都新宿区信濃町32 北緯35度40分52.85秒 東経139度43分14.47秒 / 北緯35.6813472度 東経139.7206861度 |
| 公用語 | 日本語 |
| 会長 |
原田稔 |
| 設立者 |
牧口常三郎 戸田城聖 |
| 関連組織 | 公明党 |
| ウェブサイト | SOKAnet(創価学会 公式サイト) |
創価学会(そうかがっかい)は文部科学大臣所轄の単立宗教法人。正式名称は宗教法人創価学会。現在は創価学会インターナショナル(SGI)の日本組織である。当初は日蓮正宗内部の宗教法人格を持たない法華講として発足し後に独自の法人格を取得し上部団体の正宗と完全に分裂し現在に至る。本部は東京都新宿区信濃町。機関紙として、『聖教新聞』(日刊)、『創価新報』(月2回)などを、機関誌として、『大白蓮華』(月刊)、『グラフSGI』(月刊)などを発行。通称は「学会」。 公明党の最大の支持母体である。
目次
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概要
1930年11月18日、牧口常三郎と戸田城聖たち、当時の教育者などが集い、日蓮の仏法に基づき、日蓮正宗の在家信徒団体である「創価教育学会」を創立。 1943年6月に治安維持法並びに不敬罪によって牧口、戸田を含む幹部が逮捕され、牧口は獄死する。1945年7月に出獄した戸田は、組織名を創価学会に改名。第2代会長となり、組織を整備、75万世帯の折伏を目標に掲げ、1952年に宗教法人の認証を得る。
戸田の死後、3代会長池田大作のもと、さらに会員数を増やし、公称800万世帯を超える宗教団体となった。1975年には海外の会員の為の「創価学会インタナショナル」(SGI)を設立。
1964年(昭和39年)には創価学会内に「公明政治連盟」を創設。[1]。その後、公明党と名を変えた現在も支援している。
宗門である日蓮正宗との間でしばしば摩擦が生じ[2]、1991年11月、創価学会は日蓮正宗から破門され、「宗門」と「講」という関係が解消された。
教勢
創価学会公称の会員世帯数は827万世帯(2007年時、SGIの会員数は除く)となっており、数字の上では神社本庁(およそ9000万人)に次ぐ勢力となっている。
会員数については、
とも言われているが 実際の会員数は、
と公称のおよそ3割から4割程度であるとの見方もある。
宗教法人を管理している文化庁の統計によると創価学会の会員数は
となっている。
また、文化庁発行の『宗教年鑑』(平成2年度版)における創価学会の会員数は日蓮正宗の信徒数「1800万人」の中に含まれていた。しかし創価学会単体としての数字は明らかにされていない。ちなみに創価学会は毎年発行される『宗教年鑑』に会員数を掲載していない。[10]そのため現在の会員数を公共ベースから確認することは事実上不可能である。
シンボルマーク・旗
- シンボルマーク
- 1977年3月、「八葉蓮華」がシンボルマークとして定められた「八とは色心を妙法と開くなり」という日蓮の御書の一節を踏まえ、八の葉が幾重にも広がるデザインになっている
- 元々創価学会の仏壇には日蓮正宗と同じ鶴丸印が使われていたが、破門されてからは八葉蓮華を積極的に使用するようになる。
- 旗
- 1988年に池田の提案をもとに創価学会の旗として「三色旗」が定められた。ポールから順に青・黄・赤という色の三原色が使用され、青は「平和」黄は「栄光」赤は「勝利」を意味する。
- ルーマニアの国旗やチャドの国旗とほぼ同一であるが、中心に学会の紋章「八葉蓮華」や創価学園の校章が入ることもある。
沿革
1928年 - 1949年
詳細は「創価教育学会#沿革」を参照
- 1928年(昭和3年)
- 1930年(昭和5年)
- 11月18日 牧口の『創価教育学体系』第1巻が発行される。発行人となった戸田は「戸田城外」を名乗っていた。創価学会ではこの日を創立記念日としている
- 1935年(昭和10年)
- 4月 牧口が戸田と共に「創価教育学支援会」を創設、会長に就任[11]。
- 1937年(昭和12年)
- 12月 「創価教育学会」発会式。[12]。
- 1939年(昭和14年)
- 12月 「創価教育学会」第1回総会。
- 1940年(昭和15年)
- 1941年(昭和16年)
- 機関誌『価値創造』を発刊
- 11月 創価教育学会第3回総会。
- 1942年(昭和17年)
- 1943年(昭和18年)
- 5月 創価教育学会第6回総会。直後に神社神道を批判したことで機関誌『新教』が廃刊命令を受ける[11]。
- 7月 「治安維持法」違反並びに「不敬罪」の容疑で牧口、戸田の他、21名の幹部が逮捕される。
詳細は「牧口常三郎」を参照
- 1944年(昭和19年)
- 1945年(昭和20年)
- 1946年(昭和21年)
- 1949年(昭和24年)
- 7月 機関誌「大白蓮華」創刊。
1950年代
- 1950年(昭和25年)
- 11月 戸田が理事長を退任、矢島周平が理事長に就任。
- 1951年(昭和26年)
- 4月20日 機関紙『聖教新聞』創刊。[13]
- 5月3日 戸田が「創価学会」会長に就任。小泉隆が理事長に就任。戸田は就任演説において、7年間で75万世帯を折伏することを目標に掲げる。[14]。この発言をきっかけに「折伏大行進」が始まり会員が激増した一方、強引な布教に対する社会的な批判が起こる。
- 7月 男子部・女子部など現在のスタイルに近いものを結成[12]。
- 11月 『折伏教典』を発刊[12]。
- 12月 戸田が宗務院の命により登山し、「宗教法人創価学会」設立に際して3ヶ条遵守を約束。
詳細は「#日蓮正宗との関係」を参照
- 1952年(昭和27年)
- 4月 「狸祭り事件」[1]。
堀日亨編の『新編日蓮大聖人御書全集』を刊行[1]。 - 8月27日 東京都知事より宗教法人の認証を得て9月8日「宗教法人創価学会」が正式に発足する。
- 11月 『新編日蓮大聖人御書全集』、『御書十大部講義』を発刊[12]。
- 12月 「水滸会」を発足[2]。教学部の任用試験を開始[1]。
- 1953年(昭和28年)
- 1954年(昭和29年)
- 10月 大石寺で青年部が出陣式[1]。
- 1955年(昭和30年)
- 3月 北海道小樽市において、日蓮宗と創価学会との法論が行なわれ「身延派」と呼ぶ日蓮宗を邪教と批判し、日蓮正宗の正当性を主張。
「#小樽問答」も参照
- 4月 政界進出を目指し、第3回統一地方選挙に文化部員を出馬[14]。当時はまだ政党組織がなかったため、無所属で創価学会が推薦するという形を取った。
- 大阪・鶴橋に「関西本部」を完成。
- 1956年(昭和31年)
- 1月 戸田が宗門64世法主水谷日昇の隠退表明を拝して「先代牧口先生当時から学会は猊座の事には一切関知せぬ大精神で通して来たし、今後もこの精神で一貫する。これを破る者はたとえ大幹部といえども即座に除名する」との談話を発表。[15]。同日の寸鉄では「(創価学会は日蓮正宗の)法主を宗祖大聖人としておつかえ申上げる、どなたが法主様でも一貫不変、これ信者の大精神。」と評した[16]。
「日昇#略歴」も参照
- 8月 戸田が妙霑寺落慶入仏式に出席。この席で日淳に対し、戸田は「将来、もし学会が大きくなって、宗門に圧力をかけたり、あるいは内政干渉をするようなことがあったら、いつでも解散をお命じ下さい」と将来の破門や講中解散も甘んじて受けるという発言をする。
「除名#宗門の除名」も参照
- 1957年(昭和32年)
- 7月 参議院大阪府選挙区補欠選挙をめぐる選挙違反事件で小泉理事長、池田ら合わせて47人が逮捕される。
詳細は「大阪事件_(創価学会)」を参照
- 9月 横浜市・三ツ沢グラウンドで戸田が「原水爆禁止宣言」を発表。
- 12月 戸田が本部幹部会で「学会永遠の三指針」を発表。
- 1958年(昭和33年)
- 3月 日蓮正宗の総本山大石寺の大講堂が完成。学会では「大講堂落慶記念総登山」と呼んだ。延べ20万人余の会員が参加。
詳細は「戸田城聖#大講堂と突然の死」を参照
、また同月、「広宣流布の模擬試験」を大石寺大講堂で行い青年部員6,000人が参加、[17]戸田が広宣流布の一切の後事を青年部全体に託した[18]。「大講堂 (大石寺)#概要」も参照
- 4月1日 大講堂落慶記念総登山を指揮していた戸田が体調を崩し駿河台日本大学病院に緊急入院。[19]
- 4月2日 戸田が死去。学会では死因を「急性心衰弱」と発表。小泉理事長が会長職務代行に就く。
- 4月8日 戸田の告別式を東京・池袋の常在寺で営む。学会は12万人が参列と発表。
- 4月20日 戸田の学会葬を東京・青山葬儀所で開催。学会は25万人が参列と発表。[20]。
- 6月 池田が「総務」のポストを新設し、自ら就任。
- 1959年(昭和34年)
- 6月 池田が青年部参謀室長を辞任し、総務職に専念。その一方で池田、北条、龍が理事に就任。
- 11月15日 日淳が後継者として細井日達を指名。
- 11月17日 日淳が遷化(死去)(61歳没)。直ちに日達が66世法主として登座。
1960年代
- 1960年(昭和35年)
- 5月3日 戸田の没後2年(三回忌)を経て、池田大作が会長に就任。理事長に原島が就任。戸田の七回忌までに300万世帯の信徒獲得、大石寺への大客殿の寄進、邪教撲滅を目標に掲げる。
「池田大作#会長就任以降」も参照
- 6月 理事の石田次男を支持する創価教育学会時代からの幹部が池田に反旗を翻し、創価学会内に分派、顕徳会を結成。男子部幹部約200人が顕徳会に賛同[21][22]。
- 7月 創価学会海外本部を設置[23]。
- 9月 組織に総ブロック制を敷く
- 1961年(昭和36年)
- 11月 第10回男子部総会を開催。学会では「不滅の精鋭十万結集」と呼ばれている[24]。また: 同月第9回女子部総会を開催[25]
- 11月27日 「公明政治連盟」(後の公明党)を発足。
- 大石寺大客殿の寄進の額が32億円余に達する[2]。
- 1962年(昭和37年)
- 1月25日 大阪事件で逮捕されていた47人のうち、小泉と池田が無罪判決を受ける。
- 1963年(昭和38年)
- 10月 「民主音楽協会」(民音)を設立。
- 12月 「学生部」に「法学研究会」(後に「法医委員会」に改称)が作られる
- 1964年(昭和39年)
- 5月3日 池田が政党の創設と衆議院への進出を表明[2]。また、正本堂の建立・寄進の計画を発表。同年、池田は宗門から法華講総講頭に任命される。
- 11月17日 「公明政治連盟」を改組して政党、「公明党」を結成。結党宣言で、日蓮の『立正安国論』を引用し、「『王仏冥合』・『仏法民主主義』を基本理念とする」旨を謳う。
- 12月 原島理事長が急逝。後任には和泉が就任。兼任していた公明党中央執行委員長には辻が就任。
- 1965年(昭和40年)
- 1月 池田が「法悟空」(ほうごくう)のペンネームで『聖教新聞』紙上で小説『人間革命』の連載を始める。
- 7月 『聖教新聞』が日刊化。
- 10月9日-12日 正本堂建立のため4日間の供養が行われ355億円が集まる。
詳細は「正本堂 (大石寺)#概要」を参照
- 1968年(昭和43年)
- 4月1日「創価学園」設立、「創価中学校・高等学校」開校。
- 7月 参議院選挙で学会員が有権者本人になりすまし投票を行ったとして14人が逮捕される[26]。
詳細は「新宿替え玉事件」を参照
- 1969年(昭和44年)
- 12月2 日本共産党機関紙『しんぶん赤旗』が藤原弘達の『創価学会を斬る』の出版を創価学会・公明党が妨害したと報じる。以降、マスメディアや国会で取り上げられ、社会問題となる。
詳細は「言論出版妨害事件」を参照
1970年代
- 1970年(昭和45年)
- 1月 総務会の決定で副会長職を設置。秋谷、北条、森田の3人が就任[2]。同時に公明党中央執行委員長、書記長が学会職務を離れることも決定。
- 5月3日 池田が「言論出版妨害事件」について、公式に謝罪。創価学会と公明党を組織的に分離することなど組織改革を表明し即日実行。
詳細は「言論出版妨害事件#池田会長の公式謝罪」および「公明党#創価学会との関係、政教分離問題」を参照
- 6月 第8回公明党大会で、党綱領から「王仏冥合」、「仏法民主主義」などの仏教用語を削減することを決定[2]。
- 一部の過激な信者が日本共産党委員長宮本顕治の自宅の電話に盗聴器を仕掛ける。
詳細は「宮本顕治宅盗聴事件」を参照
- 1971年(昭和46年)
- 4月1日 「創価大学」開学
- 1972年(昭和47年)
- 10月12日 日蓮正宗の総本山、大石寺に正本堂が完成。
詳細は「正本堂 (大石寺)#沿革」を参照
- 1973年(昭和48年)
- 1974年(昭和49年)
- 10月 妙信講男子部が創価文化会館を襲撃し、牙城会メンバーと乱闘騒ぎを起こす。
詳細は「和泉覚#妙信講学会本部襲撃事件」を参照
- 10月 和泉が理事長と代表役員を退任。後任に北条が就く。
- 11月 前月の本部襲撃がきっかけで妙信講講頭の浅井甚兵衛とその息子の昭衛(現・冨士大石寺顕正会会長)ら関係者33人が宗門から信徒除名にされる。
- 12月 日本共産党との間で、向こう10年間の「相互不干渉」、「共存」をうたった「創共協定」を締結[27]。
詳細は「日本共産党と創価学会との合意についての協定」を参照
- 財務(広布御供養)制度を再開。
- 1975年(昭和50年)
- 1月 グアム島において、創価学会の世界的組織、「創価学会インタナショナル」(SGI)が設立される。池田が会長に就任。
- 池田が創価学会本部に日達の認可を受けて赤沢朝陽に謹刻させた本尊を安置し、導師として入仏式を行なう。他の7体の本尊も日本国外を含む各地に安置された。
- 1976年(昭和51年)
- 1977年(昭和52年)
- 1月 池田が第9回教学部大会における「仏教史観を語る」と題する講演で「出家も在家も同格」と発言
詳細は「#昭和52年路線」を参照
- 墓苑事業を始める[28]。
- 5月 民社党中央執行委員長春日一幸から公明党中央執行委員長竹入義勝宛に国会で池田の豪華専用施設等について調査し、質問する旨を知らせる手紙が届く[2]。
- 財務部員に限られていた財務を「特別財務」として全会員に広げるための試みが始まる[2]。
- 1978年(昭和53年)
- 6月『聖教新聞』紙上で「教学上の基本問題について」と題し、教義逸脱を是正することを表明。
- 11月 創立48周年記念登山代表幹部会に幹部、全国の教師2,000人らが大石寺に出向く。創価学会が許可なしに模刻して会員に拝ませていた、いわゆる「本尊模刻問題」について創価学会側が全面的に責を負うかたちで謝罪。辻が「総本山大石寺こそ信仰の根本道場である。戒壇の大御本尊を離れて我々の信仰はない。不用意にご謹刻申し上げた御本尊については、重ねて猊下のご指南をうけ、奉安殿にご奉納申し上げた」と述べ御本尊模刻事件を認め、続けて池田が「総講頭の立場にある身としてこの席で深くお詫び致します」 と謝罪。事態の解決を図った (通称「おわび登山」)。[29]。
- 1979年(昭和54年)
- 4月24日 池田が会長職を辞任し、名誉会長に就任。北条が第4代会長に就任。理事長には森田が就いた。会長の任期を終身から5年に変更
「#名誉会長と歴代会長」も参照
- 4月26日、池田が法華講総講頭を辞任。他の法華講と同様に日蓮正宗の監督を受けることを約束する。日達は池田を法華講名誉総講頭に任ずる。
- 5月3日 日達が創価学会第40回本部総会において問題の収束を宣言。ここに一連の宗門問題が終結する。
「日達#日達と創価学会の軋轢」も参照
- 7月22日 日達が遷化(死去)(77歳没)。
- 8月6日 阿部日顕が宗門第67世法主に登座し、御座替りの儀式、及び御盃の儀を行う。池田も学会幹部とともに参列し「今後私共は、益々御法主日顕上人猊下に御奉公の赤誠を尽くすことを、固く固くお誓い申し上げます」と祝辞を述べる[30]。
1980年代
- 1980年(昭和55年)
- 4月 池田が宗門における血脈相承の正統性を主張。
詳細は「血脈相承_(日蓮正宗)#法華系新興宗教の解釈」を参照
- 10月 静岡県富士宮市に「富士桜自然墓地公園」が完成[27]。
- 1981年(昭和56年)
- 『戸田城聖全集』第一巻を刊行[1]。
- 7月 北条が死去。副会長だった秋谷が第5代会長に就任。以後2006年に辞任するまで秋谷は6選を果たす。
- 1982年(昭和57年)
- 1983年(昭和58年)
- 1月『創価新報』創刊。
- 4月 池田が宗門における血脈相承の意義を「宗祖日蓮大聖人の御内証を二祖日興上人を経て、代々の御法主上人猊下に法水写瓶して末法万年の未来へ誤りなく伝承する金口着々・唯授一人の血脈相承。これこそ、戒壇の大御本尊とともに、日蓮正宗の教義、信仰の根本中の根本であり、命脈中の命脈である。このことは、日蓮正宗の信徒であるならば、誰でも知っていることである」と再度指導し、徹底させる[31]。
- 「東京富士美術館」が開館。
- 1984年(昭和59年)
- 1月2日 池田が「法華講総講頭」に再任。
- 1989年(平成元年)
- 8月 幹部会の衛星中継が開始[1]。
1990年代
- 1990年(平成2年)
- 11月16日 本部幹部会で池田が宗門、および日顕を批判する発言を行う。
詳細は「#対立が高じ破門となる」および「日顕#創価学会破門」を参照
- 12月16日 宗門が前月の池田の発言内容について文書で質問する[2]。
- 12月27日 宗門は法華講総講頭に任期制を導入。これにより1990年末の任期終了と共に池田は法華講総講頭の資格を自動的に失うことになる。
- 1991年(平成3年)
- 1月 『聖教新聞』紙上で宗門批判を開始。
- 3月 ルノワール絵画をめぐる三菱商事の架空取引事件に、創価学会および富士美術館が関与していることが判明、国税庁から事情聴取を受ける。
- 5月 国税局より墓苑事業に関する査察を受け、修正申告を行う
- 7月 バブル崩壊のあおりを受け野村証券から4億5千万円もの損失補てんを受けていたことが判明しマスコミから取りざたされる
- 11月 宗門から解散勧告を受ける[2]。学会はこれに対し日顕の退座を要求する文書を郵送して反論[2]。
- 11月28日 宗門から破門される[2]。
- 1992年(平成4年)
- 7月 全国の地区幹部の中から「友人葬」などの冠婚葬祭を執り行う導師を任命[2]。
- 8月 池田が日蓮正宗から信徒除名処分にされる。
「除名#宗門の除名」も参照
- 11月 『創価新報』に偽造した宴席写真を掲載し日顕を批判。その後日蓮正宗との間で裁判に発展し、学会が敗訴する。
詳細は「偽造写真事件#経緯」を参照
- 1993年(平成5年)
- 10月 栃木県・淨圓寺所蔵の日寛書写(享保五年)の曼荼羅御本尊を御形木御本尊として、世界の会員に授与することを制定。
- 11月18日 池田が聖教新聞に連載していた小説『人間革命』が完結。『新・人間革命』の連載開始。
- 12月18日 オウム真理教が池田殺害を計画。創価大学キャンパス内でサリンを噴霧し牙城会員数人が被災。この後、本部、全国各地の会館、創価大学、創価学園などの警備が厳重になる。
詳細は「池田大作サリン襲撃未遂事件」を参照
「新実智光#オウム真理教での略歴」も参照
- 1995年(平成7年)
- 11月23日 第93回本部幹部会で「SGI憲章の制定」を発表。
(議事録)
- 1996年(平成8年)
- 2月「戸田記念国際平和研究所」を創設[2]。
- 6月 お金目当ての元女性会員が池田から過去数回にわたりレイプされたと告発し、池田と法人としての学会を相手取り裁判を起こす。
詳細は「池田大作レイプ訴訟」を参照
- 9月 宗教法人法の改正が施行され、所轄庁が東京都から文部省に変わる。
報#紙面刷新}}
- 1997年(平成9年)
- 1月 公式ウェブサイト「SOKAnet」を開設。
2000年以降
- 2000年(平成12年)
- 9月 東京・信濃町に創価世界女性会館が開館[32]。
- 2002年(平成14年)
- 4月 会則を変更し、初代牧口、第2代戸田、第3代池田の「三代会長」を、「永遠の指導者」とする規定を入れる。
- 4月 創価大学剣道部監督だった男性が配下の携帯電話会社社員に指示し、付き合っていた女性やその周辺の通話記録を盗み出す。9月になって、関係者3名が警視庁に逮捕される。
詳細は「携帯電話通話記録窃盗事件」を参照
- 2003年(平成15年)
- 7月 森田理事長が退任。後任に青木亨が就任。
- 9月 教学部員の任用試験が全国一斉に始まる[1]。
- 12月 国際本部・第二総東京代表協議会で池田がスピーチし、永遠の三指針に新たに2項目を追加。「学会永遠の五指針」とする。
- 2004年(平成16年)
- 2月 東京、神奈川、大阪など10の都府県において一部部員が暴走、日顕及び、妙観講を中傷する違法なビラを掲載、配布。後に裁判で学会の組織的関与が認定され学会が敗訴、損害賠償も命じられた。
詳細は「創価学会違法ビラ事件」を参照
- 9月 聖教新聞紙上で「創価学会の勤行と御祈念文の制定」を発表。それまで五座三座の長行だった日々の勤行が大幅に簡略化される。
「勤行_(日蓮正宗)#創価学会の勤行」も参照
- 2006年(平成18年)
- 11月 秋谷が会長を辞任し最高指導会議議長に。会長には原田稔が就任。また青木理事長退任、後任に正木正明が就任。同月、原田の会長就任披露を兼ねた、新時代第1回本部幹部会開催。幹部会の回数がリセットされ「学会新時代」の開始が宣言される
- 2007年(平成19年)
- 9月22日 「広布第二幕」第1回青年部幹部会。以後、各部幹部会会合の回数がすべてリセットされる。
- 2008年(平成20年)
- 5月 富士美術館閉館。収蔵品は東京富士美術館に移動。
詳細は「富士美術館#概要」を参照
- 2010年(平成22年)
- 11月18日 設立80周年。老朽化した創価文化会館を建て替え「創価学会総本部会館」を建設すると発表[33]。2013年11月の完成を目指す。
日蓮正宗との関係
本来は日蓮正宗の在家の信徒団体であったが、戸田が布教の利便と宗門である日蓮正宗を外護のため、宗門に宗教法人格の取得の許可を願い出た。日蓮正宗は「新規会員は信徒として末寺に所属させること」、「教義を守ること」、「仏・法・僧の三宝を守ること」を条件に承諾した[2]。「言論出版妨害事件」を機に、「国立戒壇」の教義を放棄したことに反対する同じ日蓮正宗の信徒団体である「妙信講」(現:「冨士大石寺顕正会」)との間で教義をめぐり対立した[2]。
昭和52年路線
1977年(昭和52年)1月の教学部大会において、池田は「創価学会は在家・出家の両方に通じる役割を果たしているから供養を受ける資格がある」、「創価学会の会館や研修所は現代の寺院である」、「信心の血脈は創価学会に受け継がれている」などの発言をする[1]。これに対し、宗門である日蓮正宗側は池田の主張は教義からの逸脱であると批判。翌1978年には、学会が法主日達の許可を得て赤沢朝陽に本尊を謹刻させ、入仏開眼法要をしていた[34]事実につき、山崎正友が独自に宗門若手僧侶を扇動し、批判活動を行わせた。「日達#日達と創価学会の軋轢」も参照
学会幹部が大石寺に登山を行う事で一応は収まったものの、その後も日蓮正宗(宗門)僧侶や檀徒による批判は続いた。
1979年(昭和54年)7月22日に管長細井日達が遷化(死去)。日達は生前、後継者を指名していなかった。67世法主として阿部日顕が登座すると学会を含めた日蓮正宗内は混乱に陥る。日顕、さらには学会に批判的な僧侶が「正信会」を結成、山崎も学会を退会して正信会に参加した。これに対し日顕は学会に友好的に接し、学会も日達から日顕に血脈相承が行われたと指導、池田も宗門を擁護する立場を取った。その結果宗務院は正信会僧侶の大量処分に踏み切り、ついには批判派僧侶のほとんどが日蓮正宗から追放された。後に池田や学会は日顕が受けたのはあくまでも内証(内定)であって、正式な儀式は行われておらず、後継指名は成り立たないと解釈を変更している。詳細は「正信会#結成とその後」および「日顕#正信会破門」を参照
詳細は「血脈相承_(日蓮正宗)#法華系新興宗教の解釈」を参照
対立が高じ破門となる
1990年7月17日、日蓮正宗との連絡会議の席上、学会側が宗門や法主を批判して席を立つ[1]。同年11月16日、第35回本部幹部会における池田のスピーチに対し、日蓮正宗側は法主や僧を軽視するものだとして学会に説明を求める「お尋ね」文書を送る[1]。これに対し、学会側は日蓮正宗側の方が自分たちを誹謗・中傷していると回答を拒否[1]。これを受け、日蓮正宗は規約を改正し、1984年1月に再任されていた池田の総講頭の役職を解くことにした[1]。一連の宗門の行動は「C作戦」と呼ばれた。
翌1991年、創価学会は『聖教新聞』紙上において日蓮正宗批判キャンペーンを開始。当時やそれ以前に宗門との間で起こった出来事が次々と暴露されていく。かつては宗門との関係を損ねることがないよう学会側が配慮していた出来事であった[1]。同年11月、日蓮正宗は学会と「創価学会インタナショナル」(SGI)を破門した。詳細は「日蓮正宗#創価学会との関係」および「日顕#創価学会破門」を参照
偽造写真事件
破門後の1992年11月、学会は機関紙『創価新報』に宴席写真を掲載し日顕を批判。後に写真は偽造と判明し日蓮正宗との間で訴訟沙汰に発展。学会が敗訴したが賠償請求は棄却される。
詳細は「偽造写真事件#訴訟へ」および「日顕#芸者遊び報道による名誉毀損」を参照
創価学会違法ビラ事件
創価学会は2001年、2004年の2度にわたり日蓮正宗を誹謗中傷するデマのビラを配布。配布された範囲は10都府県、34の市町村に及んだ。その後日蓮正宗との裁判に発展し学会が敗訴。損害賠償を命じられた。またこの裁判に絡み妙観講の婦人講員二名が不当逮捕されるという事件が発生。その後警視庁筋から今回の逮捕は元都議が警察署へ赴き立件を要請したとの情報が寄せられた。
詳細は「創価学会違法ビラ事件」および「創価学会違法ビラ事件#その他の派生」を参照
「日蓮正宗#現在の日蓮正宗と他教団との紛争」も参照
社会問題にまで発展した問題
言論の自由及び出版の自由に対する問題行動
創価学会は日本国憲法で保護されている言論の自由及び出版の自由通信の秘密に対する問題をたびたび起こし組織として問題や事件への関与を指摘されることもあった。ここにあるものはその一例である
言論出版妨害事件
1960年代末から1970年代にかけて創価学会と公明党が自らに批判的な書籍の出版、流通を阻止するために、学会員や公明党員が著者、出版社、取次店、書店等に圧力をかけて妨害したとされる事件。憲法に保障された言論の自由及び出版の自由を侵害するものだとして創価学会・公明党がマスコミから激しい社会的批判にさらされると共に、創価学会・公明党の密接な関係が政教分離の観点から問題視された。1970年(昭和45年)、池田大作が「言論妨害の意図はなかった」としながらも妨害行為に対し公式に謝罪、創価学会・公明党の問題点を改善することを公約した。詳細は「言論出版妨害事件」を参照
月刊ペン事件
雑誌『月刊ペン』が掲載した「四重五重の大罪犯す創価学会」や「極悪の大罪犯す創価学会の実相」という記事が名誉毀損罪にあたるとして、編集長の隈部大蔵が告訴され隈部が有罪となった事件。詳細は「月刊ペン事件」を参照
宮本顕治宅盗聴事件
1970年、日本共産党委員長宮本顕治の電話回線を創価学会の学生部幹部数名が盗聴。日本国憲法で保護されている通信の秘密を侵すものとして創価学会は数名の逮捕者を出した。詳細は「宮本顕治宅盗聴事件」を参照
携帯電話通話記録窃盗事件
2002年、当時創価大学剣道部監督だった創価学会幹部が交際していた女性の浮気を疑い通信会社に勤務していた部下の学会員に浮気調査の名目で女性や女性が付き合っていた別の男性 A(仮名)の通信記録を調べるよう指示し盗み出したというもの。日本国憲法で保護されている通信の秘密を侵すものとして学会員3名が電気通信事業法違反で逮捕され、全員が有罪判決を受けた。また捜査の中で創価学会に反目する団体幹部やジャーナリストの通信記録も盗んでいたことが発覚した。詳細は「携帯電話通話記録窃盗事件」を参照
Yahoo! BB顧客情報漏洩事件
2004年、外部からの不正アクセスによりYahoo! BBの顧客情報が漏洩した事件。逮捕された幹部の中に創価学会幹部が2名含まれていたことが明らかとなる。詳細は「Yahoo! BB顧客情報漏洩事件」を参照
選挙に対する問題行動
大阪事件
1957年4月に参議院大阪地方区の補欠選挙が行われた際、創価学会員が大阪あいりん地区に住む日雇い労働者達に候補者名の氏名の入ったタバコや現金を渡したとして幹部だった小泉隆、池田大作を含む創価学会員ら47人が公職選挙法違反で逮捕され池田は無罪となったが45人に有罪判決が下された。有罪となった会員45名は戸田会長の名で会員除名処分を受けた。詳細は「大阪事件 (創価学会)」を参照
新宿替え玉事件
1968年に行われた参議院議員選挙で創価学会が不在者投票を悪用し本人になりすまし投票を行ったとされる選挙違反事件。創価学会員14人が逮捕され、14人全員に有罪判決が下された詳細は「新宿替え玉事件」を参照
「連れ出し」
認知症の老人を一緒に投票所へ連れて行き公明党へ投票させようとした通称「連れ出し」という行為を行い学会員が公職選挙法の投票干渉で逮捕されたケースも存在する。特に2001年の参議院選挙で創価学会は全国各地で逮捕者を出し、各地方新聞に掲載された。[35]。しかしこのケースは自民党や民主党も選挙で行い逮捕者を出している[36]。
また創価学会は公職選挙法で禁止している「投票日当日の選挙活動」を行っているという。上記、認知症患者の選挙の件にあるように有権者の連れ出し行為を行っている。詳細は以下である(参考資料は『朝日新聞』『毎日新聞』『千葉日報』『埼玉新聞』『北日本新聞』『徳島新聞』『佐賀新聞』)
- 投票日当日は誰が町内の有権者を連れていくかを再確認。(ひとり暮らしのご老人や、投票所に出向くのが億劫な方を主に対称にしていた)。
- まず先に自分たち創価学会員が投票を済ませる。
- 前もって約束した有権者宅に向かう。時間は厳守。
- 有権者をクルマに乗せて投票所へ向かう。クルマの中では「比例区は公明党、選挙区は○○さん(公明党や自民党の候補者名)」と何回でも繰り返し唱える。覚えが悪い人には「メモ」を渡したり、手のひらに候補者名をサインペンで書く。しかしこれが投票所で発覚し、創価学会員が選挙違反で捕まったケースも多々ある。
- 有権者の投票が終わると次の「連れ出し」の準備に取り掛かる。
- この方法は投票時間終了まで続く。
佐賀新聞では逮捕された学会員が不在者投票所の入り口で『公明党の候補者名を書くように言ってある。メモを持たせてある』などと佐賀市選挙管理委員会職員に直接話したのを佐賀警察署の署員が聞いていた事も明らかになっている。また埼玉新聞では逮捕された学会員は施設に勤める介護福祉士であり、投票を依頼されたのはその施設の利用者という、完全なる「強者と弱者」の関係において実行されており、創価学会による卑劣極まりない組織犯罪であると断罪している[37]。
なお、この行為にかかる交通費など諸経費はすべて学会員の実費である。 なお、上記行動は公職選挙法で厳しく禁じられているがテレビや新聞、マスコミで取り上げられたことが無く国会で議論されたことも無い。
上記2つの事件や実態にある事例のように日本の選挙において複数回問題を起こし逮捕者を出している例は創価学会以外では無い。またそれ以外にも選挙期間中に創価学会の文化会館を使い選挙運動を行っている実態や創価学会員を使った戸別訪問や電話での投票依頼が国会、マスコミで問題視されたこともある[38]。
電話による投票依頼
公明党は支持母体の創価学会が中心となり友人、知人に対し公明党への電話による投票依頼が行われている。これは創価学会が政界へ進出してから行われており長い歴史がある。最近では携帯電話の普及もあり友人、知人へ直接投票依頼が行われるようになった。この現象は「F取り」や「F作戦」と呼ばれている。
実際には、電話による投票依頼は日本の政党すべてで行われている。創価学会と他の政党との違いは自民党や共産党などの投票依頼はアルバイトやボランティアが候補者の選挙事務所から行われ、通信費用は候補者や政党が全額負担しているのに対し、創価学会は学会員が各々の家庭や携帯電話から通話し候補者から委託されたわけではなく通話費用もすべて自己負担である。(アルバイトやボランティアが候補者の選挙事務所から電話するケースもある) という点である。
そのため創価学会が行っている電話による投票依頼は公職選挙法に抵触していると主張する者がいる。創価学会内部でも公職選挙法の問題から誰それかまわず行うのではなく選挙事務所から候補者負担の下、行うべきという意見や通信費用は自己負担ではなく党や候補者が負担すべきという意見も出ているが実現には至っていない。
慈善活動
創価学会は宗教を通じて慈善活動を行っている。特に阪神淡路大震災や東日本大震災などの災害では報道されないが創価学会として被災者に義援金の提供や文化会館の開放を行っている。他の宗教や組織との関係
戸田城聖が存命だった1950年代から、他宗教(特に「立正佼成会」や「天理教」など数多くの団体)を教祖・日蓮の教えに従い「邪宗・邪教」として批判してきた。「四箇格言」も参照
一方で宗門であった日蓮正宗からの干渉により進捗に支障をきたしたキリスト教やイスラム教など既存世界宗教との対話については、同宗からの破門と前後して徐々に軟化。その傾向が顕著になったのは「SGI憲章」が制定されたTemplate:Safesubst:11月23日以降で、憲章の7番目の項目として「仏法の寛容の精神を根本に、他の宗教を尊重して、人類の基本的問題について対話し、その解決のために協力していく」と記述され、方針転換を正式に表明した。現在、創価学会インタナショナルは世界192の国と地域に組織を持ち、特定の宗教以外が厳しく制限されている一部地域を除いて全世界に活動の幅を広げるまでに至っている。詳細は「イスラム教と他宗教との関係#現在のイスラム教徒と異教徒との関係」を参照
「イスラム教における棄教#イスラム教国」、「イスラーム教徒による宗教的迫害#現代の迫害」、「サウジアラビア#宗教」、「イランにおける信教の自由#実情」、および「朝鮮民主主義人民共和国#宗教」も参照
しかしその後も、学会を退会ないしは除名(退転)後他団体に移った元学会幹部などに対しては批判が続けられている。「除名#創価学会の除名」も参照
また、元宗門・日蓮正宗に対しては宗旨の本義を離れたとして厳しく批判。さらに、冨士大石寺顕正会に対しても、会員保護(ハイエナ折伏被害防止)の観点から警戒を強めている。
小樽問答
1955年に日蓮宗妙龍寺と日蓮正宗妙照寺所属の創価学会小樽班とで論争が起こり、日蓮宗側は宗門幹部を派遣し公開法論に臨んだ。弁士として創価学会から教学部長小平芳平と青年部長辻武寿が、司会として青年部参謀室長兼渉外部長だった池田が参加。当日の聴衆の7割を占めていた創価学会の会員は創価学会側の講師に拍手と声援を送る一方、日蓮宗側の講師には激しい野次や嘲笑を浴びせかけた。[1]。
冨士大石寺顕正会との関係
創価学会と、顕正会の前身である妙信講は共に日蓮正宗内の一法華講という立場であったが、1970年代に学会が主導した大石寺正本堂の建立をめぐり、正本堂が日蓮の遺言(御遺命)にある「本門の戒壇」にあたるか否かの解釈で対立したのを皮切りに関係が悪化した。
妙信講は「非国立」の戒壇を建立することは認めないという姿勢を顕正会に改名した現在も崩していないのに対し、学会と当時の宗門管長細井日達は折からの言論出版妨害事件もあって「国立戒壇」の建立という考え方を放棄し、正本堂をもって御遺命は達成されたと内外に認めさせようとした。詳細は「国立戒壇#日蓮正宗」を参照
その後日達の仲介で両団体が協議し「正本堂は御遺命の戒壇にはあたらない」とする学会理事長・和泉覚(当時)の談話を聖教新聞に掲載することで一応和解。この談話は落慶法要直前の1972年(昭和47年)10月3日付紙面に掲載され、法要には妙信講関係者も出席した。しかし、和解した後も妙信講は国立戒壇建立を放棄しなかったとして、1974年(昭和49年)8月12日、日達は妙信講を講中解散処分に付す。詳細は「日達#妙信講破門」を参照
妙信講はこれを学会の陰謀だと決めつけ、2ヵ月後の10月4日、男子部幹部ら70人が創価文化会館に乱入。学会側の自警団である牙城会のメンバーとの間で乱闘騒ぎに発展した。学会では警視庁に機動隊出動を仰いで鎮圧、妙信講側に12人の逮捕者を出す結果となった。詳細は「和泉覚#妙信講学会本部襲撃事件」を参照
事件に至るまでの一連の経緯は、後に山崎を中心とした学会側の秘密工作に妙信講男子部が乗せられたものと判明するが、和泉理事長は鎮圧直後の声明で妙信講を「狂信的過激派」と激しく非難。一方の妙信講も理事長の浅井昭衛が「抗議活動自体を捏造された」と反論、両団体の対立はこの時点で事実上修復不可能となった。詳細は「冨士大石寺顕正会#教義」を参照
その後も顕正会や昭衛は度あるごとに学会の陰謀論を主張。未成年者に対する強引な信徒勧誘などで顕正会が社会問題化すると、学会も未来部(18歳未満)を中心とした組織の発展に大きな支障が出かねないとして警戒を強め始めた。
政治との関係
政府の公明党と創価学会に対する見解
詳細は「政教分離原則#内閣法制局の答弁から」を参照
1969年から1970年にかけての「言論出版妨害事件」を機に、創価学会と公明党との関係は政教分離原則の観点から議論を呼んだ。1970年4月24日、民社党中央執行委員長春日一幸が「宗教団体が、議会政治機構を利用して政権を獲得することは、憲法の政教分離原則に反するのでは」と質した質問主意書を送付。政府は「宗教団体が推薦や支持をした者が公職に就任し、国政を担当しても、その宗教団体と国政を担当することとなった者とは法律的には別個の存在であり、(憲法が禁じている)宗教団体が政治上の権力を行使することには当たらない」旨の答弁書を出した。その後も一部議員により「政教一致」であるとの批判はたびたびなされている[39]
政府の見解として歴代の内閣法制局長官(斜体表記)や歴代の内閣総理大臣(太字表記)は
- 「宗教団体が政治的活動をすることまで排除するという趣旨ではない」大出峻郎
- 「宗教団体と非常に密接な関係にある政党に属する公職の候補者が、その宗教団体の推薦、支持を受けて公職に就任し、国政を担当するに至る場合でも、その宗教団体と国政を担当する者とは法律的には別個の存在であります。(中略)宗教団体が政治上の権力を行使しているということにはならない」大森政輔
- 「宗教団体又は宗教団体が事実上支配する団体が政治的活動をすることをも排除する趣旨ではない」宮崎礼壹
- 「宗教団体又は宗教団体が事実上支配する団体が、政治的活動をすることをも排除している趣旨であるとは考えていない」佐藤栄作
- 「政教分離は宗教法人の政治的活動を排除する趣旨でない」麻生太郎
などと答弁している
政治活動
創価学会がその支持政党である公明党の選挙を組織的に行うことや、その手法などについての批判が当初からある。批判者は、選挙戦で学会首脳が陣頭指揮を執り、学会の機関紙聖教新聞に会員を鼓舞する記事が掲載されると指摘している[40]。
これに対し、選挙運動をはじめとする政治活動の自由は、憲法に保障され国民に等しく認められた民主主義の根幹をなす権利であり、従って宗教団体の政治活動の自由を制限したり禁止したりすることは、憲法に定められた表現の自由や結社の自由を侵害するものとなり、宗教を理由にした差別になるという反論がなされている[41][42]。詳細は「政教分離原則#宗教団体の政治参加について」を参照
慶應義塾大学教授小林節は「創価学会が、教義である立正安国(つまり、国家権力が正しい考え方に従ってこそ、国民が大切にされる平和な時代が来る…という考え方)を実践するための政党(つまり公明党)を作ったのも、その信者たちの自由である。その結果、公明党の候補者の選定から選挙運動に至るまでを創価学会が担うのは、信教の自由の一環であるとともに会員たちの参政権(憲法15条)の行使でもある」[43]と述べている。
ただし、新進党時代は自民党が、自公政権時は民主党が、創価学会がその支持政党である公明党の選挙を組織的に行うことを批判、政局にまで利用された。自民党は1993年に有志議員が憲法20条を考える会を結成(会長は亀井静香)、民主党は菅直人や石井一が国会で創価学会の施設で公明党の選挙運動を行う事に批判を繰り返すなど各党が創価学会への攻勢を行った。詳細は「憲法20条を考える会」、「四月会」、および「政教分離を貫く会」を参照
「石井一#公明党と創価学会の関係を質問」および「P献金#参議院予算委員会での答弁」も参照
また、イギリスでは国営放送のBBCが創価学会の政治介入を問題視するなど一部海外へも波及した。
アジア諸国との関係
聖教新聞や池田の著書などを通じて韓国との親交を深める旨の話題を取り上げ、ビデオ「韓日友好」シリーズなどを例に「日韓」を「韓日」と表記している場合もある。通常、日本国内で出版される出版物や日本と諸外国との報道は必ず自国を上にして日米や日中と必ず表記、報道されること、中国も親交を深める旨の話題を取り上げることが多いが必ず創価学会では日中と表記している事から韓日表記をする創価学会のスタンスは異常なまでの韓国寄りであるとの批判が右翼系団体からある。日本の歴史的観点から、韓国を「日本文化の恩人」と位置付けている。
韓国同様中国も親交を深める旨の話題を取り上げることが多く、創価学会は日中国交正常化前から毛沢東、周恩来、鄧小平などの国家主席と会談。池田も2008年、中国国家主席胡錦濤と会談八王子市の創価大学キャンパスには記念碑もある[44]
社会的批判
離反者による批判
1980年代以降、顧問弁護士であった山崎正友、最高幹部であった石田次男、公明党所属だった元東京都議会議員藤原行正、戸田の未亡人戸田イク、公明党元書記長矢野絢也など、創価学会を離れて外部から批判する者たちが相次いだ。その原因として、池田との確執が最大の要因ではないかと指摘するメディアが多い。
反創価学会キャンペーン
創価学会へのネガティブキャンペーンの一つ。自民党が政局として利用。同党の1996年頭の運動方針には「いま、わが国の政治にとって最も憂うべきは、宗教団体・創価学会が新進党という政党の皮をかぶって国民を欺き、政治の権力を握ろうと画策していること」という文言が存在した[45]。詳細は「反創価学会キャンペーン」を参照
マインドコントロール
近年では宗教団体による事件や騒動が起こるたびに宗教団体によるマインドコントロールが問題視されている。創価学会も例外ではなくマインドコントロールの問題を指摘されている。一例として創価学園による一貫教育「子供を勧誘し、教化する」行為がマインドコントロールに該当すると指摘する人もいる。
公明党元委員長矢野絢也の著書『黒い手帖』によれば創価学会の場合、『学会員二世、三世は幼い頃から、家庭において池田大作が著した絵本やアニメを見せられ、いかに池田と創価学会の教義が素晴らしいかを刷り込まれる。しかも、一貫教育システムにより、筋金入りの創価学会員としてエリート教育される。一貫教育システムという醸成装置があればこそ、創価学会は次々と新たな学会員と「池田名誉会長」を信じて疑わない幹部を養成できる。また機関紙である聖教新聞が常に正しいと学会員へステレオタイプされている実態もある。そして今や、学会の幹部は、こうした「池田チルドレン」たちによって固められようとしている。公明党議員も創価大学出身者が多くを占めているのも実情である。そういった池田の先見性と構想力が、学会を強固で強力な組織に育て、また、池田門下生を育成したことによって、池田の独裁体制も確立された』としている。[46]
池田本仏論
歴代会長の中でも、初代・牧口、第2代・戸田、第3代・池田のいわゆる「三代会長」は、「広宣流布実現への死身弘法の体現者であり、この会の永遠の指導者である」と2002年の会則変更(同年4月6日、文部科学大臣が認証[47])の際に定められた。ただし、三代の会長個人を本仏である日蓮と同等またはそれ以上に崇め奉ることは認められていない。そのため以前から池田を現人神とみなす過激な信者も現れ、過激な行動は一部で事件化し社会問題化した。池田は聖教新聞紙上で「私などを絶対視してはいけない」と明言した。詳細は「池田大作#池田本仏論」を参照
他宗教団体、有識者からの批判
幸福の科学
1990年代に入ると幸福の科学と創価学会との対立や争いが激しくなってくる。幸福の科学は創価学会がマスメディアを資金力で乗っ取り意のままに操っていると指摘、総裁大川隆法はTemplate:Safesubst:12月16日の東京ドーム公演や自著『永遠の挑戦』で『現代社会における二つの悪』「一つは悪徳マスコミである。そして、もう一つの悪が邪教・創価学会である」と厳しく批判。対立姿勢を鮮明にした。「大川隆法#著作」も参照
大川は「たとえばオウム真理教、たとえば統一教会このような邪教は、次々と社会的に糾弾されてきた。しかし、もう一つ、最大にして最悪の邪教がまだ生き残っている。それはあなたがたがご存知の創価学会である。この宗教が戦後、日本の新宗教の評判をどれだけ落としたか。その罪はいわく言いがたいものがある。このような創価学会が、日本を乗っ取る計画を進めている今、われわれも何らかの対抗手段をとらざるをえない。創価学会の支持した候補者には一票たりともいれないようにしよう」と語った。この発言を幸福の科学の信者は万雷の拍手で迎えた。詳細は「幸福の科学#社会運動、活動、事件等」を参照
その後、幸福の科学は創価学会が起こした事件をいち早く検証、さらには2007年、自らを基盤とする政党幸福実現党を立ち上げた。その後幸福実現党は国会に1議席を保有したが創価学会同様政教分離の法則の問題には言及していない。詳細は「幸福実現党#政策」および「大江康弘#政策・主張」を参照
天理教
奈良県天理市に本拠地を置く天理教だが2001年、創価学会幹部が天理警察署長に就任してからというもの公権力の横行による弾圧を受けていると主張している。 天理教の主張は
- 天理教の祭典をおこなっている日に、境内地隣接の公道での祭典参加信者の路上駐車に対する 集中的な駐車違反の取締を行っている。実際に道路交通法に抵触しているが対象となっている車両は老人や病人用のワゴンであり他の交通の妨げになっていない場所での取締りであると主張。また他の大きな公道に駐められている車両への駐車違反は一切行っていないが地元紙ではこの取締りに苦言を呈している。
- 春や夏に行われる鼓笛隊練習(境内地内)での騒音条例を適用。ちなみに天理署は管轄内にある創価学会施設内で同様に鼓笛隊練習が行われても騒音条例を適用していない。
- 祭典日に合せて警察が不可思議な道路の車線規制を行っているため天理教施設周辺の道路(参拝信者の車は)大渋滞に巻き込まれるが、それ以外の日時に警察は車線規制を行っていない。また深夜バスの新宿ー天理-奈良便には、天理の大祭のときにだけ通常の運行ルートは異なりわざと大祭会場を横切るようにして深夜バスを通行させている実態がある。
- 天理警察署長自ら創価学会信者であると公言して天理市を集中的に摘発すると宣言している点。
上記内容から天理教は創価学会が天理教を意図的に「狙い撃ち」にしていると主張。しかし創価学会はコメントしていない。
創価学会を批判した事のある有名人、著名人
- 内藤国夫 「政界に進出し、国家権力と結びつく、また結びつこうとする権力志向、権力依存の宗教団体は邪教だということだ。オウムよりはるかに始末が悪い難問である」(『諸君』1995年8月号)。
- 田中角栄 「池田大作はヒトラー。学会員はまるで法華さんの太鼓を叩くヒトラーユーゲントだ」と発言。
- 浅見定雄(元東北学院大学教授)メンバーが結果的に一つの政党しか選ばなかったり、その宗教団体の指示による以外は他の政党に投票することもない-創価学会の指示で信者が自民党に投票する場合のように-もしそういう宗教があれば、その宗教は必ず政教分離の原則を破っているのであり、また恥ずかしいことだが、非常に未成熟で前近代的な宗教である![48]
- 乙骨正生 フォーラム21を立ち上げる。
- 俵孝太郎 学会に批判的な組織四月会の代表幹事。
- 愛川欽也 出演番組で、公明党を批判。また、愛川が創価学会員であるというデマを流された経緯から自身のHPで創価学会へ意見を表明。
- テリー伊藤、佐高信 共同著書にて創価学会を批判。
- ビートたけし、野田秀樹 共同著書にて創価学会を批判。
- 太田光、小林よしのり、筒井康隆、山崎豊子、いしいひさいち、勢古浩爾 自身の著書で創価学会を批判。
- 忌野清志郎 「宗教ロック」で創価学会を批判しているが創価学会ではなく宗教全体を批判しているとの声もある[49]。
- きっこ(有名ブロガー) ブログ上で創価学会を批判。
- ピーコ、ラサール石井、勝谷誠彦、金美齢、やしきたかじん、桜井よしこ、北野誠、竹内義和 出演番組で創価学会を批判。
- 杉田かおる自書「杉田」で創価学会を批判、主に池田大作や創価学会幹部の堕落振りを暴露した。
- 大槻義彦 ブログ『大槻義彦のページ』で池田大作・創価学会・公明党を批判。
- 田中康夫 2009年8月30日に行われた衆議院議員選挙において兵庫8区より立候補した際、街頭演説などで公明党関係者ならびに学会員から激しい選挙妨害を受けたことをラジオで暴露した。
- 桂ざこば 2009年8月30日の衆院選挙で、関西ローカルで放送された毎日放送の選挙特番にて、兵庫8区での冬柴鉄三の落選について「落選したのは信心が足らんかったという事ですか」と発言した。
文化会館周辺の路上駐車問題
2000年代まで創価学会は都市部の文化会館利用に対し近隣住民や地元企業から創価学会本部へ苦情が寄せられることがあった。内容は主に
- 路上への違法駐車
- 夜間、学会員による話し声などの騒音
- 路上へのタバコのポイ捨て
などであり大半が会合などがおこなわれる週末に集中していた。特に路上駐車は会館周辺から近隣の道路にまで延々と続いていたため交通の妨げになったことで、警察に路上駐車の通報が入ったケースや新聞の地方版で路上駐車の問題が取り上げられるようになった[50]。
事態が起こった理由として、地方の文化会館は駐車スペースも十分に確保した上で建設していたが都市部の文化会館は十分な駐車スペースを確保する事ができないためマイカーで訪れた参列者は学会員の指示の下、路上に駐車していた。また当時はコインパーキングなどの設備がまだまだ不十分であったことも路上駐車がおこなわれた理由の一つとしてあげられる。
事態を重く見た創価学会は「会館へ伺う際は公共の交通機関を利用するよう」創価学会各支部へマイカーによる参列の自粛を通達、また聖教新聞の「寸鉄」では
会館の使用はルールを守れ。感謝のない、わが物顔の幹部は皆で叱咤せよ。
会館周辺のマナーを厳守 立ち話・路上駐車・喫煙は厳禁。学会の信用壊すな。
などと十数回にわたりこの問題を取り上げ学会員に綱紀粛正を促した。近年では寸鉄による綱紀粛正やコインパーキング等の充実、道路交通法改正による罰則の強化もあり以前ほどの路上への違法駐車は見られなくなったが一部では路上への違法駐車がまだ続いていると苦情が寄せられている現実もある。
社会的批判への対応
聖教新聞、『創価新報』など機関紙や系列の雑誌などは、かつての宗門・日蓮正宗の管長(日顕)や僧侶、冨士大石寺顕正会、山崎、矢野、竹入など学会や公明党と袂を分けた者や学会に批判的なジャーナリストや雑誌(『週刊新潮』、『週刊文春』)などの主張に対し反論を行っている反面、都合の悪いことにはコメントしないという実態も存在する
創価学会に関するデマ、風説、疑惑
デマ、あるいは真相は不明ではあるが広まった風説、また情報や事実が伏せられている逸話の中で有名なものを記載する。
香典泥棒説
創価学会は香典を収奪し遺族を無一文にするという風説。主な風説として2種類の指摘がされている。
全日本仏教会が指摘する香典泥棒説
全日本仏教会による風説風説の発端は昭和30年代、戸田が発した「折伏大行進」の号令に既存の宗教団体の信徒が創価学会へ入信したことによる。これに危機感を抱いた全日本仏教会幹部がジャーナリスト大宅壮一のもとに相談に訪れる。会談内容は「最近、創価学会という宗教団体が勢いを増している。我々の信徒がどんどんいなくなってしまう。何か、創価学会はこんな嫌らしい団体だという話はないだろうか?」というもの。そこで大宅が「では『創価学会は葬式で香典を持って行く』『位牌や仏壇を壊す』というのはどうか」と提案したとされるものである。 このデマは瞬く間に全国へ広がり、一部新聞社が鵜呑みにして記事にする[51]などの事態に発展。新聞社は後日謝罪文を掲載し、また「位牌や仏壇を壊す」というデマも戸田自らでたらめと否定したが、新聞によって掲載されたデマは一部の人間の間で残り、葬式の際に香典を遺族へ直接手渡す参列者まで現れるようになる[52]。大宅は臨終の際このことを悔やんでいたというが真相は不明である。
創価学会元幹部藤原行正が指摘する香典泥棒説
創価学会元幹部・藤原行正が自著『池田大作の素顔』の中で、池田が戸田の死後、数千万円ともいわれる戸田の香典を搾取したことが香典泥棒説の発端と指摘している。戸田の遺族は池田会長就任後に創価学会を脱会したが長く脱会理由や池田会長について真相を語らなかった。後年になって文藝春秋の取材に未亡人戸田イクが応じ、戸田は池田の次男の早逝を「池田は罰を受けた」と評するなど、軋轢を示唆。その後の戸田夫人や一家の葬儀は日蓮正宗で行われた。夫人の葬儀の際、池田は欠席し創価学会幹部数人が創価学会を代表して出席した。
上記の反論として、戸田の葬式は創価学会が主催しており実際、葬儀にかかった費用を戸田の香典から捻出した可能性や相続税の節税対策であったと主張しているものがいる。また戸田生前所有していた美術品についての説明は公にされていない。
P献金
創価学会にはP献金と呼ばれる献金が存在しているという疑惑。P献金のPとは「プレジデント」の略で公明党の支持母体、創価学会名誉会長で最高実力者の池田大作を指しているというもの。公明党出身の国会議員福本潤一が外国人記者クラブで外国人記者を前に記者会見するが、その席上「公明党の議員は選挙で当選した際に衆議院議員は300万円、参議院議員は600万円の献金を行うよう要請されている」と発言したことから疑惑が浮上。民主党の石井一が国会で「P献金」を追及したこともあり疑惑が立てられた。
国会答弁の中で冬柴鐵三国土交通大臣が「選挙の際、立候補者が公明党に公認料として歳費の2か月分を納めている」と発言したことで疑惑は拡大した。その後冬柴は誤答弁であったと釈明したが同時期、冬柴が代表を務める政党支部の政治資金収支報告書に対して朝日新聞社より収支が完全に一致し、4年連続で繰越金が0円になるのは非常に不自然であるとの指摘を受けていたことから逆に2ちゃんねるや週刊誌等で政治資金がP献金にまわされたのではと疑いをかけられた。朝日新聞では(政治献金による収入や支出は年毎に変化することから)「支出を1円単位で合わせるのは至難の業」、冬柴のような事例は「偶然ではほとんどあり得ない現象」と指摘している。しかしその後この献金問題で検察、司法などで白黒の決着がつけられることはなく自然のうちに消えてしまい事実上玉虫色の決着となった。さらに現在ではP献金の指摘もなくなっている。詳細は「P献金」を参照
詳細は「冬柴鐵三#政治資金の収支が4年連続で同額」を参照
池田大作重病説、死亡説
池田が重病にある、もしくは死亡したというデマ。かつて何度も流れたことがあり、古くは1965年、最近では2003年、2009年8月や2010年の例が知られている。
主に流れたものとして
- 1965年、死亡説
- 2003年、重病説(脳梗塞、心臓病)
- 2009年8月、慶応大学病院で死亡したとのデマ
- 2010年、重病説(下記参照)
- 2011年2月、死亡説
がある。
根拠は池田が1928年(昭和3年)生まれで既に80歳を超え、高齢の域に達していることが要因だが、池田が学会内ないしは学会系以外のメディアにほとんど出ることがないことも同説を加速させている。学会執行部は「過労による体調不良」や「風邪を拗らせた」と発表、重病説はデマだとしている。最近では『週刊新潮』や『週刊実話』等複数の週刊誌が「池田がこの数ヶ月学会の会合に姿を見せていない」[53]「学会員が池田に配慮し選挙で勝利した際の祝いを自粛している」等と書き再び重病説を指摘[54]している。しかし創価学会は池田は夫人の病気介護のため表には出てこないと偽りの発表を行い、池田自身の健康問題について一切、公式コメントをしていない。そのことがかえって死亡説、重病説を加速させてしまう。新潮45は2011年2月号で、池田大作は脳腫瘍にかかり半身不随の状態であると具体的な病名を出すまでに至った。また朝日新聞解説委員の星浩も公演で創価学会からの内部情報として池田は脳腫瘍にかかっていると公演しており全国へ飛び火しつつある。学会内部では以前「学会員に無用な心配をかけさせないため真実(池田の病状)を伏せている」という噂が流れ、星浩が創価学会からの内部情報として得た内容としてはガンの一種である脳腫瘍は学会の中で“仏罰”と見られており、池田先生がそうだとしたら絶対に公表できないため外には脳梗塞と伝わっているという。[55]
人の不審死にまつわる風説、疑惑
創価学会は人の不審死に対するデマや疑惑が多く、中には騒動にまで発展したものも多い。主なものを記載する
映画監督伊丹十三の転落死
1997年に自殺(転落死)した伊丹十三の死が自殺ではなく他殺説(創価学会が関与したと断定する内容)が2ちゃんねるに掲載された。創価学会は2ちゃんねるの運営者を相手取り、名誉棄損訴訟を起こし、東京地方裁判所は2009年2月、証拠もないのに断定的な内容を掲載し続けたとして、被告に損害賠償金80万円の支払いを命じる判決を言い渡した[56]。 噂が広まった主な根拠として、
- 伊丹が映画『マルタイの女』の中で、創価学会を批判していたこと、
- 伊丹の死因は後藤組による突き落としであったとするジャーナリストジェイク・エーデルスタインのレポートである[57]。
これとは別に自殺説の否定として
- 「死をもって潔白を証明する」と書かれた遺書は直筆ではなくワープロで打たれたものであったこと
- 立川談志、大島渚等伊丹を良く知る人間達が「伊丹は不倫報道くらいで自殺するような人間ではない」と自殺という警察の発表を否定し続けたこと[58]
などがあげられている。
山口組系暴力団後藤組といえば1990年に伊丹の監督作『ミンボーの女』を巡って、上映を妨害したり伊丹への襲撃事件を起こしていたり創価学会は共謀し日蓮正宗総本山大石寺のある富士宮市で問題(富士桜公園墓地問題や百条問題等)を起こし、それらが政争事件に発展している[59]などの行動を起こしていた。
裁判が結審した後の2010年に、指定暴力団山口組系後藤組(現在は除籍)組長後藤忠政が、暴露本『憚りながら』の中で創価学会と暴力団後藤組との関係を詳細に告白している。
東京都東村山市議会議員朝木明代の転落死事件
1995年9月、東村山市議会議員朝木明代がマンションから転落死した。警察は当初転落による自殺と断定したが司法解剖鑑定書には他人に強く掴まれたときなどに出来る「アザ」が、死体の両腕内側にあった事が記されていた事がわかり、朝木が創価学会や公明党を追及していたことから、遺族、国会(自民党)、マスメディアが中心となって自殺を疑う声があがり、マスメディアは様々な特集を組んた。また警察官僚出身で反創価学会の急先鋒であった亀井静香などは検察に「この転落死事件は自殺として処理するな」と要請し、当時の政局にも利用された。しかし捜査が終了していたため警察による再捜査は行われなかった。詳細は「朝木明代#転落死」および「亀井静香#創価学会との対立」を参照
また黒田大輔がこの事件に対し市民活動を行ったが学会は名誉毀損だとして黒田と槇泰智を民事で訴え、東京地裁は2人に連帯して110万円の支払いと東村山・東大和市内での街宣禁止を命じた。詳細は「黒田大輔#街宣名誉毀損裁判」を参照
大鳳会という組織
「創価学会には大鳳会という組織があり外務省を通じ皇室へ働きかけている」という風説がネット上で広く流布する(以下参照)が、この話は外務省、宮内庁、学会ともに根拠のないものとして否定している。
- 大鳳会 創価学会組織Google(日本語)
池田大作朝鮮人説
池田は朝鮮人から日本人に帰化しており、本名は成太作(성대작、ソン・テチャク)であるという説。イオンド大学に籍をおく冨士谷紹憲が國民新聞に掲載したものであり、支持される背景には下記の創価学会は朝鮮宗教であるという批判が存在する。 またこの説はネット上に流布されており、インターネットジャーナリストのリチャード・コシミズが公演の話題にしている。
詳細は「在日認定#日本人による在日認定」を参照
池田大作朝鮮人説もうひとつの理由
池田以前の2代の会長、即ち牧口と戸田は教員免許を取得していた(戦前の創価教育学会の時代には教育者を育成する団体であったため)にも関わらず、3代目の池田だけこれを取得していなかったことから異質な人物ではないかという噂が前々から流れていた。この一端として国籍も疑われた。「創価教育学会#概要」も参照
池田が大白蓮華の中で 「父が韓国語を教えてくれた思い出がある」 「私の少年・青年時代には多くの 在日韓国朝鮮人の方々との出会いがあった」[60]と誤解ともとれる発言をしていたことが挙げられる。池田大作朝鮮人説の否定
池田大作本人や創価学会は池田大作朝鮮人説に対し公式なコメントをしていないが第三者の文献から池田大作朝鮮人説を否定する文章の存在がある。
- 週刊読売が池田家の家系図を添付した際、池田の先祖は天保時代から続く海苔問屋であったと記載[61]。
- 池田が逮捕・起訴された大阪事件の裁判における人定質問、判決文には『池田大作』として確認がとれていること
詳細は「刑事訴訟法」を参照
創価学会は朝鮮宗教であるという批判
創価学会が朝鮮宗教と批判される理由、原因
創価学会が朝鮮宗教と批判される理由、原因として主に下記の事が挙げられている。
- 以前から創価学会系の出版物には「日韓」でなく「韓日」と相手国を上にした表現が多く、創価学会が韓国で複数回反日集会を開いていた事実も発覚したこと[62]
- SGI(創価学会インターナショナル)テーマソング 『21世紀のマーチ』の中で日本が領土として主張している竹島を「独島(韓国名で竹島の事)は韓国のものである」という人文字が存在したこと[63]
- 支援団体の公明党が1970年代に代表団が北朝鮮を訪問した際、北朝鮮の国家主席金日成と公明党訪問団との共同声明の中で、北朝鮮の人権弾圧政策主体思想(チュチェ思想)を賛美したこと[64]
- 聖教新聞に池田が夫人の池田香峯子とともに朝鮮民族の民族衣装チマ・チョゴリを着た写真が掲載されたこと[65]。
- 池田や創価学会が朝鮮、韓国、中国のことを「文化大恩の、兄の国」と讃えていること(浜四津敏子元公明党代表も公式の場で同様の発言をしている)[66]。
詳細は「在日認定#日本人による在日認定」を参照
「嫌韓#「嫌韓」支持者の言い分」および「朝鮮民族#起源・分布」も参照
金に関する疑惑
お布施(財務)に関する疑惑
池田が会長に就任して間もない1962年、池田は聖教新聞の中で「永久に皆さん方から、ただの一銭も寄付を願ったり、供養を願うようなことはいたしません」と発言[67]。しかし現在は年に1回行われる「財務」と呼ばれる寄付と、新年勤行会などの主要行事の際に各会館で集められる「広布基金」という2つの寄付が行われている。 本部壮年長や教学部教授を務めた元幹部は 「昔は選ばれた限られた人だけしか財務のできる財務部員(応布部員)になれなかった。今のように何でも金、金、金、になってしまったのは、池田が3代会長に就任して1965年に池田が行った大石寺の正本堂建立御供養という資金集めで、学会は目標の10倍以上の355億円[68]を集めたことに味をしめたことが原因。池田は、全国規模の供養について、「将来は一切、いたしません″と言っていたのに、以後次々と金集めを行うようになったんです。正本堂完成の2年後には、特別財務をやり、やがて会員のことごとくが財務部員になることができるようになり、「財務をやれば福運がつく″と会員は煽られ、各支部で集金を競いました。私も経済的に余裕が出てからは毎年100万円単位の財務をやるようになりました。座談会などでは財務が多いほど、功徳があり、福運がつくと説かれ、体験談や決意が発表されます。財務の時はお金を出し、額収書をもらうためとても少額を出せる雰囲気ではありません。今財務は金額は1口一万円で銀行振込ですが、銀行に振り込む浄財なんてあるんでしょうか。私には、創価学会がただお金を集めるのが目的という団体になってしまったような気がします」と話している[69]。また、週刊実話では最近の経済事情が財務にも影響しているとし学会員の大半が財務自体に対して良い印象を持っていないとしている[70]。
また、別の側面もある。「財務」に力を注ぐようになったのは宗門との争いが契機とする意見もある。学会は日蓮正宗からの独立を模索した。カネは力とばかり、第一次宗門戦争の直後の1980年頃から、学会は三ケタ財務、すなわち年間100万円の寄付を学会員に呼びかけた。当時の大卒サラリーマンの初任給が12万円ほどの時代、100万円は大金である。それでも、財務は信心の証と指導されている学会員は、爪に火を灯すように生活を切り詰め、財務に励んだ。矢野元公明党委員長によれば100万円財務は、戸田第二代会長の表現を借りれば、学会が決して手を染めてはならない「邪宗教」への一歩を踏み出した瞬間だったとしている。[71]
1990年代に入り、学会が総本山大石寺から破門されると一層、財務主義は強化され「財務」に拍車がかかりなんと年間1000万円の寄付を目標としたという。こうした法外な財務を求める際に、学会が使ったのは甘い言葉である。たとえば、寄付をすればするほど、功徳があり、おカネが回ってくるとして、実際、多額の寄付をしたおかげでそれを上回る利益を手にできたとする体験者などの話を学会員に聞かせ、[72] 高額の財務を納めるためのコースやパンフレットも用意していた[73][74] しかし、バブル崩壊以降、まさしくカネは力になる。景気の後退でマスコミに広告収入が入らない中、創価学会がもたらす多額の広告費は、メディアに意外な効果をもたらし、マスコミによる学会批判が聞こえなくなったという側面を生んだ。また近年では創価大学や聖教新聞社などのTVCMが頻繁に流れるようになる。現に某オピニオン・リーダーの新聞は、学会のスキャンダルに関しては、系列の週刊誌では触れても、新聞では全く報道しないと苦言を呈すまでになった。
財務流用疑惑
学会員の貴重な財務が実は学会本部で流用されていたのではという疑惑が流れている。 1977年に 民社党の春日一幸が国会で池田の豪華専用施設等について調査したところ財務が流用されていたのではという疑惑を持ち当時の公明党委員長委員長竹入義勝宛に質問する旨の手紙を送り、国会審議で池田会長の証人喚問の実施を求めたが自民党、公明党の反対で証人喚問は見送られた経緯がある。 また1991年7月にはバブル崩壊による証券不安の中、野村証券が公表した損失補填リストの中に創価学会の名前があり4億5千万円もの補てんを受けていたことが判明、学会側は「損失補てんではない」と主張したが、これにより学会が、会員から集めた財務70億円を株取引などに運用していた(損失を出していた)ことが明らかとなりマスコミで取りざたされた。
税金に対する疑惑
1991年(平成3年)3月に発覚した、ルノワール絵画をめぐる三菱商事の架空取引事件に、創価学会の八尋副会長(当時)および富士美術館が深く関与していることが判明、三菱商事が創価学会幹部の依頼を受けてフランス印象派の巨匠、ルノワールの絵画二点(「浴後の女」「読書をする女」)を都内の画商から21億2500万で購入、東京富士美術館に41億円で売却したのだが三菱商事は「絵画はフランス人から36億円で買った」と国税庁の調査員に虚偽の報告を行った。そのため差額の15億円が使途不明金となっている。その後の調査で複数の会社や経営コンサルタントに仲介手数料として12億円を支払っていた事実が判明したが残る3億円については未だに消息が不明となっており、架空取引事件に使われた使途不明の15億円が創価学会の裏金になったのではないかとの疑惑がもたれた。 2002年度の創価学会の申告所得は143億円だが、実際には創価学会全体で10兆円規模の資産を有しているという。かつて自民党は国会で創価学会の資産・税問題を徹底追及、1995年11月自民党の熊代昭彦は国会質問の中で「我々が内々にいろいろ聞いたところでは、不動産資産9兆円、流動資産1兆円というような堂々たるお力を持っておられるようなことでございますが……」と発言[75]、以後「創価学会資産はおよそ10兆円」という認識が国民の中で生まれた。これら資産のほとんどは、創価学会の事業収入、株式などの有価証券や土地・全国にある創価学会施設の不動産価値を価格にしたものであるが、2ちゃんねる等では「創価学会の資産は非合法ビジネスによって作られた」というデマが流れた。ジャーナリストの山田直樹は『新・創価学会を斬る』の中で創価学会の資産は宗教法人非課税制度を利用して作られたものとしている。 池田は個人資産として1兆円以上の金を持っているとされるが、国税局は池田が宗教法人の名誉会長であること等を理由に、資産を一度も課税対象にしていない。池田が亡くなった際、個人資産を相続税として課税対象とすることは週刊誌が時折報じているが、あくまでゴシップの域を出ず、池田の資産はそのほとんどがアメリカとブラジルにある[76]ため、死亡後の税金対象は日本だけではなくアメリカやブラジルにも及び、その全貌は未知数である。
学会常勝不敗説
創価学会は常勝不敗を謳っており、前述の2ちゃんねるとの裁判をはじめ、週刊新潮との裁判や乙骨正生との裁判など、多くに勝訴している。しかし実際は裁判で創価学会が敗訴したケースもかなり存在する。例として創価学会と反目する日蓮正宗のHPでは、創価学会が破門された1990年以降、日蓮正宗と創価学会との民事裁判では実に84%が和解もしくは創価学会の敗訴としている[77]。また矢野との裁判でも学会側の敗訴が確定[78]したほか、竹入との裁判では和解が成立[79]、乙骨との係争に至ってはお互いに勝訴と敗訴を繰り返している。詳細は「日顕#創価学会との対立」、「竹入義勝#経費流用訴訟」、「矢野絢也#「黒い手帖」問題」、および「乙骨正生#裁判」を参照
しかし聖教新聞等では学会が勝訴した内容は大きく掲載するものの、学会が敗訴した内容は小さく掲載、または掲載しない場合が多く、実際に日蓮正宗との係争で敗訴した問題や竹入との和解の内容は聖教新聞では掲載されていない。そのため創価学会員は裁判について真実を知らされていない事が多く、創価学会は常勝不敗説の虚偽や真実を伏せている。ただし、創価学会が勝訴した内容を反創価学会陣営の機関紙が伏せている例もあり、創価学会、反創価学会陣営ともに都合の悪い内容は伏せているのが現実である。
池田会長就任の真実、一般信者へ伏せられた内部対立
池田は戸田から後継者に指名され円滑に第3代会長へ就任したというデマ。一部でこの話が出回っていたが信憑性は全くなく、創価学会のHPにも戸田は広宣流布の一切の後事を青年部全体に託したとあるが、その中に池田など特定された個人の名前は無いため、全くのでたらめ、デマである。ただ、戸田が生前、「創価学会の組織の中にいつかご出現されるであろう久遠の一念三千様が・・必ずやご出現なされるのだ!」と常々周りに予言していた。一部学会関係者が『久遠の一念三千様』を池田大作と勝手に解釈、その流れから池田が戸田から後継者に指名されたという話が広まった可能性があるが、真相は不明である。[80]詳細は「戸田城聖#大講堂と突然の死」を参照
「池田大作#池田本仏論」も参照
また以下の内容は2010年12月2、12月9日と2週にわたり週刊文春で特集が組まれた記事から内容を得ているものである
Template:Safesubst:4月2日、戸田は東京・駿河台の日大病院で急死した。当時、戸田は後継者を選定していなかったため学会内は混乱。理事長の小泉隆は学会をまとめきれず、一部で後継者と目されていた石田次男も、誠実だが病弱ということもあり、トップに立とうとする欲望が無かった[81]。他の幹部も組織を支えることで手一杯となり、学会は空中分解寸前となる。小泉は最善策として戸田の長男を会長に据えようとするが、本人が固辞したため会長選びは白紙に戻る。「石田次男#人物」も参照
そんな中、会長の名前に池田が突如浮上する。池田は当時、幹部ではあったが席次は37位と低かった。しかし、自身が実質経営していた大蔵商事で活躍し稼いだ金銭を青年幹部に分配し支持を獲得[82]。また他の幹部から信頼を寄せられていた原島宏治(後に初代公明党中央執行委員長)が池田支持を表明[83]。牧口の薫陶を受けた壮年幹部、理事からの反発はあったが、戦後に戸田の薫陶を受けた青年幹部を中心に、大蔵商事を支えた池田の豪腕に学会再建を期待する声が高まり、会長就任を後押しされるようになったというのが会長就任の真実である。「原島宏治#人物」も参照
しかし、就任当初は少なからず批判もあった。まず、池田が会長に就任した直後、石田次男を支持する創価教育学会時代からの幹部が、分派、顕徳会を結成[84]、池田に対抗した。結成当初、男子部幹部が200人ほどが顕徳会に賛同し気勢を吐いた。しかし石田自身が顕徳会の収拾に動いたことから、顕徳会はわずか1年で崩壊、このことが原因で石田は学会内での支持を失い、学会活動から離れていく。また実弟の石田幸四郎や義弟の秋谷栄之助とも引き離され不仲となった。詳細は「石田幸四郎#人物」を参照
また、創価教育学会時代から牧口の薫陶を受けた壮年幹部や理事は、池田が牧口から直接指導を受けていないこと、池田が学会内の席次が37位と低く、自分たちより下に置かれていたこと、池田の若すぎる年齢(会長就任時32歳)による経験不足などを指摘、反発していた[85]。学会元理事長の青木亨は大白蓮華の中で「第3代会長は池田総務以外にありえない青年部はこの思いで一致していた」と証言、また青木は牧口の薫陶を受けた壮年幹部や理事の反発を裏付けるように「理事の中には威張っている幹部もいた。教学ができることを鼻にかけいつも冷たい態度だった」と証言し、牧口の薫陶を受けた幹部を批判した。[86]当時、創価学会は11人の理事による理事会が中心となって運営していたが、その大半が牧口の薫陶を受けた年配者であった。理事たちは池田の会長就任後、『会長は理事会の決定によって任免することができる』と会則を改正した。理事たちの意図は会則を設けることで会長となった池田や青年部の動きを牽制し、状況によっては池田を罷免し別の人物を会長に擁立しようと考えていた。これに対し池田は改正を了承。改正後池田は牧口の薫陶を受けた理事(和泉、辻、北条雋八、柏原ヤスら)を国会や地方議会の議員に当選させることで懐柔し、会則変更から4年後『会長は副会長や理事を任免できる』と会則を再改正、盤石な基盤を確立したとされている。
また自民党の55年体制時代、創価学会内部では将来の公明党の進路に対し男子部、壮年部が自民党を中心とした自公民路線を推奨したのに対し女子部・婦人部が社会党を中心とした社公民路線を推奨したため内部対立が起き選挙にも影響が出たこともあった[87]。また新進党時代には小沢一郎の政治手法を巡り創価学会内でも親小沢と反小沢と意見が二分し、公明党再結党時には親小沢派の議員が公明党に加わらず自由党の結党に参加するなどという現象はあった。しかしその後内部対立は解消しているとされている詳細は「自公民路線」、「社公民路線」、「新進党」、および「公明党#沿革」を参照
創価学会セクト指定の真実
1990年代後半、突如フランス政府はフランス国内で活動を行っている外国の宗教法人に対しセクト指定を行った。[88]。詳細は「フランス#セクト(カルト)教団対策」を参照
また、1995年12月にフランスの下院(フランス国民議会)で採択された「通常の宗教か、セクト(カルト)か」を判定する国際的な指針は調査委員会の委員長の名前を取って『アラン・ジュスト報告書』と呼ばれ
1.精神の不安定化
2.法外な金銭的要求
3.住み慣れた生活環境からの断絶
4.肉体的保全の損傷
5.子供の囲い込み
6.反社会的な言説
7.公秩序の攪乱
8.裁判沙汰の多さ
9.従来の経済回路からの逸脱
10.公権力への浸透の試み
以上「セクト構成要件の10項目」を列挙し、このうち1項目でも該当するものがあればその団体はセクトとみなしている[89]詳細は「カルト#フランス国民議会「アラン・ジュスト報告書」によるセクト(カルト)の定義」を参照
そんな中でフランスのセクト認定は全部で174の宗教、宗教団体が対象になった。しかし、フランス政府のセクト指定は、既にテロ事件を起こしていたオウム真理教をフランス国内での活動実績がないとして看過するなど不十分な点が多く、セクト指定の段階で賛否両論があがった。それは、フランス国内でのみ有効な刑法であること。フランス国内で活動していない団体をセクト指定すると内政干渉になるためである。そんな中、創価学会はセクト指定をフランス政府がキリスト教保護のため打ちだした違法な政策であると主張。それに対して創価学会に反する団体の中には、創価とともに自らもセクト指定されていたものも含まれ、創価学会のみが指定されたことのみを強調したこともあった。創価学会の名前はフランス議会のセクト報告書から2007年4月に、その他のセクト指定されていた全団体とともに外されており、一部の創価学会員はセクト指定が解除されたと主張している。しかし、創価学会による公共施設や街中での布教活動は依然として禁止され、実際には公に反社会的セクト団体として扱われている。その後、多くの対立団体はフランス政府より正式の宗教団体認定を受けているが、創価学会は宗教団体申請を受理されないなど扱いに違いが見られ、前述の布教活動禁止と合わせ、ここでも創価学会=セクト団体として扱われている。正式の政府公文書にてセクト認定を外す旨の通知があれば、宗教団体としての申請が受理されなければならないはずであり、このことは創価学会側がセクト指定が解除されたと主張するには不都合の多い点である。 なお、創価学会はドイツ政府、ベルギー政府、オーストリア政府、チリ政府などからも同様にセクト(カルト)団体としての扱いをうけている。
[90]。詳細は「政府の文書によってカルトと分類された団体一覧#フランス」を参照
このように、創価学会、他宗派(反創価側)ともに真実を伏せ、周囲に違う内容を説明したこともあり、日本では2ちゃんねるやネット上で激しい論争になった。当初は創価側、反創価側、中立の三者で論争が行われたが、中立の立場を取った人間が真っ先に攻撃を受けるという現象が起き、論争は意義のない中傷合戦へと発展した。 海外では創価学会への批判は根強く、セクト指定はフランスだけではなくドイツ、チリ、ベルギー、オーストリア、アメリカといった他国にも広がり[91]、イギリスでもBBCが創価学会の政治介入を問題視したことがあるが、日本のマスコミは創価学会への配慮からかこの事実を報道していない。
また日本では「日本脱カルト研究会(JCDD)」が1999年に「集団健康度チェック目録」というものを発表した。チェック項目には114のチェック項目がありそれは、実はほぼ日本国憲法の人権条項の順序に沿うようグループ分けされているという
元信者の著書から判明した池田大作、創価学会幹部の事実
女優の杉田かおるが自書『杉田』(2005年11月発売 小学館発行)で自分が創価学会で体験した内容を元に創価学会幹部や池田大作について事実を暴露した。一部を記載する
暴露1「月の砂漠事件」
- ある時杉田が創価学会総会後のに池田と会食をすることになった。会食の席で池田は杉田に「月の砂漠を歌え」と指示。杉田はピアノの伴奏とともに歌うが緊張して声が上ずってしまう。すると池田は「へたくそだねぇ」とダメ出しを行い納得するまで何度も歌いなおしを命じた。
暴露2「男性幹部によるセクハラ未遂事件」
- 著書によれば複数の男性幹部の行動について記している。学会広報機関紙の記者が取材にかこつけて杉田に「今から会えませんか」と誘われたことがあったり、酒席に呼ばれた際には上層部からお酌やセクハラまがいのことを強要されたと暴露。最後は酒席でハメを外している最高幹部たちに疑問や不信感をいだいたと締めくくっている。尚、創価学会の最高幹部に女性信者が就任したことは今まで一度もない。
暴露3「幹部と一般信者の待遇の格差」
- 著書で上層部幹部と一般信者、芸術部所属信者との待遇の格差を上げている。通常、地方への交通費や宿泊代は一般信者は自己負担であるが芸術部所属の信者は地方への交通費や宿泊代を学会が負担してくれるというもの。また上層部幹部は地方への交通費や宿泊代に加え日当まで学会が負担してくれるとしている。
暴露4「お下げ渡し」
- 池田大作を囲む食事会の席で、デザートにメロンが出たときのエピソード。池田はメロンが出るといきなり「これは天皇陛下と私(池田大作)しか食べることができない特別なメロン」と話し池田が食べた後のメロンを列席していた隣の幹部に差し出したというもの。幹部は池田が使ったスプーンでメロンをすくって食べ、また隣の人に渡す。誰も池田の行為をとがめたり出されたものを断ることができない。杉田も覚悟を決めてメロンを飲み込んだという。その後、池田の行為に不信感を抱き後に創価学会を脱会することになる
暴露5「脱会後に受けた嫌がらせ、ご本尊確認事件」
- 1991年、学会が宗門から「破門」されたことが起因となり学会を脱会したが脱会後杉田自身が勧誘した信者や芸術部員の女優、歌手などが次々と押しかけてきたという。著書には別の女優も同様の体験があったとしているまた破門後に学会員は信者の家を一軒一軒周り日蓮大聖人の御本尊を使用しているのか創価学会が配布した26世日寛上人が書写した御本尊を使用しているのか確認しにきたという。杉田の家も例外ではなく女性信者が確認のため訪れたところ来客中のため改めてほしい断った。すると女性信者が逆上し力づくで玄関のドアを開けて中に入ろうとした。恐怖のあまり家に鍵をかけたが鍵をかけた後も女性信者は家の前から一歩も動かずに居座ったという。
神社・仏閣への参拝
創価学会は神社・仏閣への参拝を全面的に禁止しているというデマ。1980年代に信教の自由を理由とし修学旅行での観光をボイコット、その後学校から停学などの不当な処分を受けたとして訴訟発展したケースもあった。実際に戸田会長時代は参拝を禁止していたが池田会長時代以降、考え方が軟化し仕事などやむをえない状況や修学旅行などの観光目的の参拝であれば神社仏閣へ参拝をしても良いと公式に認めている。民主音楽協会に所属している創価学会の芸能人が仕事のため神社で行われる行事等に参加するケースなどは一例である。しかしこのようなデマが流れる背景としては創価学会の地方支部や班、家庭でのローカルルールによるところが多い。
総会でのやらせ疑惑
創価学会で行われる総会にやらせ疑惑がある。主なものとして
- 信者が壇上で発言する内容は創価学会幹部があらかじめ作成した池田名誉会長を賛美した内容を渡される。
- 総会当日会場に出席できるのは優良な信者のみを選抜し参加させている。
- 池田名誉会長から質問指名される信者はあらかじめ決まっており、出身校を聞かれたときは必ず「創価大学」と答えるよう指示されている。
- 壇上で不適切な発言があった場合はその内容をカットし一般信者へは良い部分のみ放映している。
というものである。特に出身校についてはあまりにも皆が創価大学と答えてしまい挙句には池田名誉会長が「皆が創価大学と答えるからつまらない」と発言し、場内が苦笑したほどである[92]
また、池田名誉会長の不適切発言に対しその内容をそのまま放送したため国会やネット上で非難を受けたこともあった。
疑惑が起こる背景として池田名誉会長に良いところを見せ少しでも出世しようと考える創価学会幹部に責任がある。不適切発言に対しては総会の著作権を持つ創価学会が削除すれば問題にならなかったが池田先生の発言をカットできるわけがないとそのまま放送したことが問題につながった。
ジャーナリストの山田直樹は創価学会を斬るのなかで「創価学会によるマインドコントロールもあるが自らの出世欲のため池田会長に良いところを見せようとこのような愚公に走ったことが要因」と称した。
池田大作落書き事件
1970年(昭和45年)当時、会長職にあった池田が当時、創価学会第一庶務に在籍していた女性信者の娘(幼女)の顔にマジックで落書きをした。後日、娘から事実を知った女性信者が激怒、創価学会を脱会し池田を民事訴訟で訴えた。読売新聞では裁判での陳述を以下のように掲載した[93]
- 弁護人:昭和45年当時、創価学会第一庶務に在籍していた女性信者の娘(幼女)の顔にマジックで落書きをしたことは
- 証人:あります
- 弁護人:なぜ(マジックを)塗ったのか
- 証人:いたずらで。ちょうど聖教新聞社の昼休みの時間でしたので、みんなで大笑いをしました。
- 弁護人:いたずらにしては度が過ぎるのではないか
- 証人:子供があんまりかわいいので・・・
- 弁護人:(問題の写真[94]を見せながら)この子はあんまり喜んだ顔をしていない。
- 証人:恥ずかしがっていますね
と続いた。この事件は新聞に掲載されたが今まで公にはされず近年になって、2ちゃんねるや反創価系のブログ等で紹介された事で明らかになった。創価学会は学会員に対しこの事実を伏せている。
ゴーストライター疑惑
池田大作の著書は実は本人が執筆しておらずゴーストライターの作品であるという疑惑。元創価学会数学部長の原島嵩によれば、創価学会内部には『特別書籍部』という秘密の部署が存在し『人間革命』は篠原善太郎が書いている[95]。また、池田の著書や媒体によって作者が違い実際は数人から十数人のゴーストライターを所有しているという。また、「週刊新潮」によれば、2010年5月以降、脳梗塞、脳腫瘍、アルツハイマーなどの病気で表舞台に出てこない池田が次々と執筆したり出版しているのはおかしいと指摘している。
反論として、ゴーストライターは著名人や芸能人、作家なども疑惑があり近年では有名歌手の作詞や大河ドラマの脚本までゴーストライターが行っていたという実態があり、池田だけが特別に行っているわけではないという現実もある。
教義関連
経典
『法華経』(方便品・寿量品)、『新編日蓮大聖人御書全集』、『日蓮大聖人御書辞典』(「創価学会」発行)
本尊・本仏
- 本尊
- 一閻浮提総与(全世界に与えられたという意)・三大秘法の大御本尊。2002年の会則変更前は日蓮正宗総本山大石寺に安置せられているTemplate:Safesubst:10月12日の本門戒壇の大御本尊とされて来た。その頃までは大石寺の板曼荼羅を書写したものを本尊として会員に授与していた[1]。そして、それを祀る日蓮正宗独自の「正宗用仏壇」を自宅に安置する。
詳細は「本尊 (日蓮正宗)#本尊の形態」を参照
戦前から戦後期にかけては、「謗法払い」といって従来の仏壇や神棚を焼却させることもあった[1]。ただ現在では、入会希望者自身が、自分の手でかつての信仰対象の処分・返却を行うこと、本人が承諾しても他人が手伝ったり預かって持ち帰ったりしないこと、同居家族や所有関係者の事前了解を得ることなどが、原則として徹底されている[96]。詳細は「信者#創価学会」を参照
「折伏大行進#歴史」も参照
- 日蓮正宗と決別後の1993年(平成5年)9月以降、同宗を離脱した栃木県浄圓寺に所蔵されていた大石寺26世法主日寛書写の本尊を形木本尊として会員への授与を開始した。
詳細は「法華曼荼羅#日蓮の法華曼荼羅」を参照
- 何らかの理由で自宅に仏壇を安置できない場合は、「お守り御本尊」と呼ばれるペンダントの授与を受け、首からかけることもできる。この場合、毎日の勤行では東を向いて座るとされる。
「勤行 (日蓮正宗)#顕正会の勤行」も参照
- 各会館にも前述の日寛書写本尊が安置されている。ただし、大型会館や建設時期が古い会館では大石寺64世水谷日昇や66世細井日達書写の本尊が安置されている場合がある。
- 本部と東京牧口記念会館[97]には日昇書写の「大法弘通慈折広宣流布大願成就」と脇書されている創価学会常住本尊が安置されており、この本尊は学会の最高の重宝とされる。
- 本仏
- 日蓮を末法の本仏と仰ぐ。
詳細は「本仏#日蓮本仏論」を参照
また富士門流系の宗派・団体において、日蓮から法の付属を受けた唯一の正当な後継者と信じられている日興に対しても、仏法上の三宝(仏・法・僧)のうちの僧という立場から、南無(帰依)する旨が『勤行要典』の祈念文に記載されている。詳細は「日興#略歴」を参照
- しかし、近年では名誉会長の池田大作を末法の本仏と仰ぐ過激信者が現れ池田自身が苦言を呈す場面もあった。
詳細は「池田大作#池田本仏論」を参照
教義
- 日蓮を末法の御本仏と仰ぎ、御本尊を信受し、日蓮の御書(書き残したもの・遺文)を根本として、日蓮の御遺命である全世界広宣流布を実現することを目的としている。
詳細は「広宣流布#創価学会の主張」を参照
- 日蓮の教えは、釈迦の説いた法華経であり、この釈迦の説いた法華経にも三種の法華経があると定めている。
- 日蓮正宗を「邪」「邪教」と定め、その他の宗教を他宗とし呼び分けている。
- 仏法を破壊する者を指して仏敵と呼称している。
- 人々の幸福を、相対的幸福と、絶対的幸福とに分け、成仏とは後者の絶対的幸福を確立することとしているがこの教えは日蓮正宗や冨士大石寺顕正会など日蓮宗の流れを汲む団体も同様の教えを主張している。
- 「蔵の財よりよりも身の財すぐれたり。身の財よりも心の財第一なり」
- 霊魂の存在は否定している。
- 創価学会独自の教義としては戸田時代の「師が弟子を守る」という教義が池田時代へ入ると「弟子が師を守る」というように様変わりした。
活動
勤行
『法華経』のうち、方便品の冒頭から十如是までと、如来寿量品の自我偈を読誦ののち、「南無妙法蓮華経」と題目を唱える。朝と夕方(夜)の2回行う。詳細は「勤行 (日蓮正宗)#創価学会の勤行」を参照
組織活動
会合、幹部会、指導会、協議会、各部の活動者会、御書講義、記念総会、法要、合同法要、諸精霊追善勤行法要、彼岸法要、世界平和記念・戦没者追善勤行法要、座談会(地区座談会、ブロック座談会など)唱題会
『聖教新聞』の購読者の開拓
詳細は「聖教新聞#購読について」を参照
財務
創価学会では年1度(12月)、会員より「広布基金」(以下財務と表記)という集金活動を行っている。
- 「財務」は銀行振込で行われており、金額は1口1万円から1万円単位、会員歴1年以上の者であれば資格がある
実際に一部支部や班では以下の指導をしている。
- 『全員参加のまごころ財務』
- 『感謝と歓喜の毎日財務』
- 『高目標・高題目・生命がけ財務』
また創価学会では以下の財務コースが存在する。
- 『ダイヤモンドコース』(100万円以上)
- 『ゴールドコース』(10~99万円)
- 『パールコース』(2~9万円)
それとは別に創価学会では『1.0運動』という毎日財務運動を行っていた。1.0とは一口財務(1万円財務)を無くそうという意味である。上記財務コースが難しい人には
- 『それいけ55』(1日55円財務)
- 『やったぜ300』(1日300円財務)
という簡単なコースを設定し『それいけ55』では年間2口(2万円)『やったぜ300』では年間で10口(10万円)の財務を収められるようになっている。
教学の研鑽
学会がまとめた『新編日蓮大聖人御書全集』を基に行われる。その資料として機関誌『大白蓮華』が使われ、会員には教学試験の受験が奨励されている。詳細は「大白蓮華#教学試験」を参照
葬儀
日蓮正宗破門前は僧侶による葬儀が主流だったが、現在は会員を読経の導師とする「友人葬」(「学会葬」「同志葬」とも呼ばれる)の形式で執り行われるのが一般的である。 原則として友人葬への参列では香典は必要ないとされているが、参列者が香典を持参する事は各位の自由である。また遺族は、参列者が持参した香典を受け取っても問題ではない。また「読経料」「戒名料」などが必要な他宗派と違い、友人葬の導師は、謝礼を一切受け取らないものと定められている[98]。
友人葬料金
友人葬を取り扱っている葬儀社や住んでいる地域によって若干の差は存在するが、東京では友人葬の基本料金は概ね35万円~50万円である。[99][100] 友人葬を取り扱う葬儀社によっては、サービスが基本料金に含まれているケースとオプション料金として別に請求されるケースにわかれている。 一例として
- 遺体保全のために使用するドライアイスの費用(夏場、冬場問わず)
- 棺に入れるお花の代金
- 病院から自宅、自宅から斎場などの運搬料金
- 参列者への振る舞い料理など通夜や葬式での料理
などが基本料金に含まれている葬儀社、オプション料金として別に請求する葬儀社がある。また、ネット上でオプション料金を表示していない葬儀社もあり、詳細は葬儀社への確認が必須である。
布教活動
折伏
新規会員の開拓。対象者が入信しなかった場合を他分派と同様「逆縁(ぎゃくえん)」と呼ぶ場合がある。詳細は「折伏#なぜ折伏するのか」を参照
折伏大行進
1951年に戸田が「青年訓」を発表し、青年部を中心に折伏大行進と呼ばれる大々的な勧誘が1969年まで行われた。この時の勧誘活動は多くの会員を増やすことになった反面、その強引な手法から社会問題になった。詳細は「折伏大行進」を参照
入会手続き
創価学会は入会希望者を即入会させないが理由は定かではない。まず、入会希望者には信者から「会員希望カード」を渡され、氏名、住所を記載する。会員希望カードは
- 勤行・唱題の継続
- 聖教新聞の定期購入(最低3カ月)
- 座談会への出席
「3つの実践」が記載されている。この条件を満たし、地区部長以上の幹部を含む2名以上の既存会員による紹介と本人への意思確認、同居家族の了解が必要である。また、未成年者については親権者の承諾という手続きを経て、最寄りの会館で「新入会記念勤行会」に参加し、正式に入会となる。一連の過程には概ね3ヶ月程度の時間を要する。
退会手続き
創価学会を退会する際は
- 幹部に直接退会する意思(信仰をするつもりがない事)をはっきり伝える。
- 各地域組織にある退会届に必要事項を記入し各支部長に提出を行う。
このいずれかを行えばよい。 最近ではパソコンなどで自作の退会届を作成し直接内容証明郵便を使い創価学会本部へ郵送し退会を行う手続き方法も増えてきており、手軽に行うことができる。 しかし以前は金銭の貸し借りも含め脱会に関するトラブルも時折見受けられたこともあり現在では学会員間で金銭の貸し借りなどは一切禁止されている。
組織
現在の主要役員
(2011年現在)
- 名誉会長:池田大作
- 会長:原田稔
- 理事長(代表役員):正木正明
- 副理事長:西口良三、大野和郎、大場好孝、山本武、長谷川重夫、原田光治、池田博正
- 尚、歴代の会長、副会長、理事長、副理事長の職に女性の学会員は就任した事が無い
また、会長の任期は当初終身制だったが、池田が会長を辞任した際、「1期5年で再任を妨げない」と変更された。会長が途中で辞任、または死亡によって欠けた場合、後任者は前任者の残存任期を引き継がないとされる。
組織体制
創価学会では世代、地域、職業分野などの形で会員(信者)を結びつける体制を採っている。これらを集中的に管理するのが中央の「統監部」であり、各世帯ごとに作成し中央に提出された「会員カード」によって会員や家族の移動などを把握する。詳細は「折伏大行進#統監」を参照
年齢別組織
- 多宝会 - 60歳以上の男女が所属。東京では「宝寿会」、関西では「錦宝会」と呼ばれる。
- 壮年部 - 40歳以上男性が所属。
- 婦人部 - 既婚者または40歳以上の独身女性が所属。香城会 白樺会などがある
- 男子部 - 15歳から40歳未満の男性が所属。主なグループは創価班 、金城会、牙城会、文化班、サテライトグループがある
- 女子部 - 15歳から未婚かつ40歳未満の独身女性が所属。おもなグループは白蓮グループ、華冠グループ 白樺グループがある
- 学生部 - 大学(院)生・専門学生の男子学生で構成。21世紀伸一会もこの中のひとつ
- 女子学生部 - 大学(院)生・専門学生の女子学生で構成
- 未来部- 18歳未満(高校生)を対象とした組織。高等部(男子、女子)中等部(男子、女子)少年少女部(小学生を対象)がある
地域別
上から、中央(学会本部) - 方面 - (小)総県 - (分)県 - 圏(地域によっては無し) - 本部 - 支部- 地区 - ブロック となる。
- 「方面」は北海道・東北・東京・関東・東海道・信越・中部・北陸・関西・中国・四国・九州・沖縄の13に区分されているが一般的な都道府県や道州制の区分けと若干異なるところもある。
分野別組織
文芸部、ドクター部、白樺グループ 教育本部、学校教育部、幼児・家庭教育部、社会教育・教育相談部、国際本部 通訳・翻訳部国際ボランティア部、国際交流部、在日外国人部、社会本部、社会部専門部、地域本部、農村部、離島部
財務システム
- 創価学会の財務システム
創価学会は年に1度11月~12月中に、財務という形で銀行窓口から1口1万円個人で現金で振り込む。なお、振り込むか振り込まないかは個人の自由であり、地域の指定された銀行での、窓口からの振り込みとなっており、財務をした後は、必ず金額が記載された領収書が、各人に届く。 また、生活困難な人は財務はできない。 創価学会の職員は総務や事務などの仕事の対価として職員の給料を貰える。創価学会芸術部に所属する信者や学会幹部は交通費、宿泊費が出るほかに動いた分の手当てが創価学会から支給されることがある[101]。ゆえに学会幹部は交通費や宿泊費などの諸経費は自腹で賄うことはなく、必然的にお金を使わない仕組みとなっている。 財務省発表によると2002年から2004年までの創価学会の収益額は平均160億円前後である。
- 創価学会の不動産資産
創価学会の施設は全国に約1200箇所存在する。島田裕巳の試算によれば本部がある新宿区信濃町の施設の不動産合計は地価約479億2412万9千円。 仮に全国の不動産資産が新宿区信濃町の地価と同程度だと考えてもは8280億円ほどである[102]。なお、自民党が以前内々に試算したところでは創価学会の資産はおよそ9兆円という。[103]
マスメディア・芸能界との関係
芸能界
関連の社団法人に民主音楽協会があり、その公演を通して芸能人の多くが創価学会との接点を持っている。現在、芸能人の中に会員が多くいることが知られている(「民主音楽協会」などを通して接点があるとはいえ、全員が会員ではない)。 ただ、他の宗教と同様、芸能人会員の多くは自身の内面の問題である信仰について、あくまで個人的な内容であるとして、公表しているかどうかは芸能人によって異なる。 「大の学会嫌い」というキャラクター設定で知られこれまでにも公演名に「ダメ。ガッカイ。」(平成21年)、「鳥肌実の人間『核』命」(同23年)といった学会を揶揄する命名を行ってきたお笑い芸人の鳥肌実と仕事で共演した(公称している)現役学会員の芸能人も多く、締め付けはそう厳しくない。
関連メディア
機関紙である聖教新聞は会員による全国的な宅配網が整備されており、一般紙と同じく日刊で全国に配達されている。聖教新聞社は自前の印刷所を持たず、全国紙の系列の印刷会社や複数の地方紙に聖教新聞の印刷を委託している。地方紙としては輪転機を遊ばせておく時間を減らし且つ印刷代金を確保できる貴重な収入源、聖教新聞社(=学会)としては自社で全国に高速輪転印刷機の設備を維持せずに全国津々浦々に日刊で新聞を届ける事ができるという風に、両者の利害が一致している。全国紙でも、毎日新聞社や読売新聞社は聖教新聞の印刷を傘下の印刷会社で受託している[104]。「聖教新聞#印刷」も参照
一方、雑誌メディアでは、特に週刊誌を中心に創価学会に対する批判が目立つ。池田大作や学会幹部・学会員の言動や学会員個人の起こした「犯罪」行為・創価学会と公明党との政教分離問題に絡む批判が主である。メディアのいう犯罪が刑法の犯罪に当たるかどうかは、創価学会関係の裁判の判例を参照。
創価学会にも聖教新聞社(『グラフSGI』)を始め潮出版社(『潮』、『pumpkin』)・第三文明社(『第三文明』、『灯台』)などの系列出版社がある。
また、全国・地方を問わずラジオ局への番組提供は数多い(下記参照)。テレビ局では地方局や独立U局を中心に池田原作のアニメや広報番組が放映されているほか、在京キー局で聖教新聞のCMが放送されているが、国政選挙期間中の公明党や創価大学、創価学園の行事などやむを得ない場合を除き一切受け入れない(TBSテレビ、関西テレビやテレビ熊本、J-WAVEなど)方針を取る放送局が存在する他、受け入れても全国ネット番組に限定(逆もある)するなど極端に制限している場合もある。詳細は「TBSテレビ#特色」および「関西テレビ放送#ローカル編成」を参照
「MBSテレビ#その他」、「MBSラジオ#番組編成の特徴」、および「テレビ熊本#補足」も参照
スポンサーとして提供している番組
- あなたへモーニングコール(TBSラジオ)
- ミュージックギフト〜音楽・地球号(文化放送)
- サウンドトラベル(ニッポン放送)
- 世界名曲大全集(ABCラジオ)
- ごきげんサンデー・ミュージック(MBSラジオ)
- ヒューマントーク〜あの日あの時(アール・エフ・ラジオ日本)
- ヒューマン ストリート(エフエム福岡・エフエム長崎)
- RADIO BREAKERS(エフエム大阪)
- ほっとココロ765・ほっとココロSATURDAY・ほっとココロSUNDAY(FM COCOLO)
- 交通情報(エフエム山口)・・・ただし、半クールごとにスポンサーありとノンスポンサーを繰り返している
- 世界が愛した絵本(テレビ朝日)
関連する企業・団体
団体
- 宗教
- 創価学会インタナショナル(SGI)
- 政党
- 学校:幼稚園から大学院まであり、日本国外にもある。
- 創価大学
- 創価学園
詳細は「学校法人創価学園#設置している学校」を参照
- 芸能・芸術
企業
- メディア
- 「潮出版社」
- 「第三文明社」
- (なお、「聖教新聞社」は「創価学会」の出版部門であって一般企業ではない)。
- 「シナノ企画」:また、会員向けのビデオソフトの企画製作や販売を行う
- 「鳳書院」(書店・不動産)
- 「東弘」(広告代理店)
創価学会に関連する作品
- 『人間革命』(戸田城聖著 精文館書店 1957年)
- 『人間革命(全12巻)』(池田大作著 聖教新聞社)
- 『新・人間革命(1-22巻)』(池田大作著 聖教新聞社)
- 『折伏鬼』(志茂田景樹著 文藝春秋 1980年)
- 『立正残酷物語(上巻) - 日蓮正宗が正、創価は邪』(藤本光陰著 文芸社 1999年)
- 『外から見た創価学会』(村尾 行一著 第三文明社 2003年)
- 『反人間革命 - 創価学会へ入信した男の一生』(段勲著 リム出版新社 2005年)
- 『憚りながら』(後藤忠政著宝島社2010年)
- 『創価学会解剖』(朝日新聞アエラ編集部著朝日文庫)
脚注
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 島田裕巳 『創価学会』(新潮社 2004年6月20日) ISBN 978-4106100727
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 朝日新聞アエラ編集部 『創価学会解剖』(朝日新聞社 2000年1月1日) ISBN 978-4022612861
- ^ 米本和広『となりの創価学会 - 内側から見た学会員という幸せ』 宝島社、1995年7月12日
- ^ a b 沼田健哉 『現代日本の新宗教 - 情報化社会における神々の再生』 創元社、1988年1月
- ^ 島田裕巳『創価学会の実力』(朝日新聞社、2006年8月30日) ISBN 978-4023303720
- ^ 村上重良 『新宗教その行動と思想』 (岩波書店 2007年2月) ISBN 978-4006001704
- ^ 島田裕巳『日本の10大新宗教』幻冬舎、2007年11月 ISBN 978-4344980600
- ^ http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r3-1.htm
- ^ http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r3-01.htm
- ^ http://www.bunka.go.jp/shukyouhoujin/nenkan/pdf/h20nenkan.pdf
- ^ 引用エラー: 無効な
<ref>タグ。「syukyokeieigaku」という名前の引用句に対するテキストがありません - ^ a b c d 大島宏之 『日本の現世宗教』(自由国民社 2002年1月10日)ISBN 978-4426619008
- ^ 当時は1ヶ月に3回の「旬刊」からスタートした。
- ^ a b 古川利明 『システムとしての創価学会=公明党』(第三書館 1999年10月25日) ISBN 978-4807499229
- ^ 1956年1月29日付聖教新聞
- ^ 1956年1月29日付聖教新聞
- ^ 当初は内閣総理大臣岸信介の参列も予定されたが、名代として安倍晋太郎が出席。
- ^ 新会員のために:質問コーナー(5)広宣流布の記念式典とは - 創価学会公式ホームページ 2010年7月19日閲覧。
- ^ 大白蓮華2010年4月号P21「会長就任50周年記念企画 永遠に師と勝利を共に」
- ^ 大白蓮華2010年4月号P28「会長就任50周年記念企画 永遠に師と勝利を共に」
- ^ 「創価学会に内乱起る・鉄の団結にいどむ顕徳会」 『週刊公論』昭和35年7月12日号
- ^ 顕徳会はわずか1年で解散する
- ^ 大白蓮華2010年8月号P19「世界広布50周年記念企画 師恩の地から世界へ」
- ^ 大白蓮華2008年11月号「師弟に生き抜け!不滅の精鋭十万結集」
- ^ 大白蓮華2008年10月号P25「師弟に生き抜け!立正安国と第二室戸台風」
- ^ 毎日新聞 1968年7月10日夕刊
- ^ a b 古川利明『シンジケートとしての創価学会=公明党』(第三書館 1999年11月20日) ISBN 978-4807499243
- ^ 第120回国会 参議院決算委員会 第2号 1991年5月22日 議事録
- ^ - 聖教新聞 1978年11月8日付・要旨
- ^ 大日蓮1979年9月号P20
- ^ 創価新報 1983年4月20日号
- ^ 新宗教研究会 『図解 新宗教ガイド』(九天社 2006年1月31日) ISBN 978-4861670817
- ^ 全世界の同志と創立80周年を祝賀 広宣勝利の本陣・総本部を建設 2013年秋に完成 - 聖教新聞 2010年11月19日付
- ^ 『聖教新聞』(昭和50年1月4日付)
- ^ 『千葉日報』(2001年8月2日付)『埼玉新聞』(2001年8月4日付)『北日本新聞』(2001年7月31日付) 『徳島新聞』(2001年7月31日付)『佐賀新聞』(2001年7月31日付)
- ^ 自民党、毎日新聞、産経新聞、読売新聞2009年9月1日付他、民主党2011年7月12日付毎日新聞、産経新聞、読売新聞など
- ^ 『埼玉新聞』(2001年8月4日付)
- ^ 2007年参議院予算委員会 民主党石井一議員の質問より
- ^ 第168回国会 参議院 予算委員会 第2号』参議院、2007年10月16日(議事録)
- ^ 『しんぶん赤旗』2007年6月4日付など
- ^ 橋本公亘著『日本国憲法』改訂版、有斐閣
- ^ 芦部信喜著『憲法学』、有斐閣
- ^ 大阪日日新聞2008年7月8日付「コラム一刀両断 創価学会・公明党問題の真の論点」
- ^ http://www.soka.ac.jp/創価大学HP
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- ^ 矢野絢也 黒い手帖 創価学会「日本占領計画」の全記録第四章 カルト化する「池田教」
- ^ 『しんぶん赤旗』 2002年3月30日付
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- ^ 『ザ・タイマーズ』としての活動。
- ^ 1990年12月朝日新聞地方版より
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- ^ 週刊実話2010年11月25日号P206「"一菅性"なし 創価学会創立80周年直前で反学会・矢野絢也の叙勲」
- ^ 『週刊新潮』2010年9月24日号や『週刊実話』2010年11月10日号
- ^ 『週刊新潮』2011年2月10日号
- ^ 東京地方裁判所判決<平成19年(ワ)第35314号>2009年2月5日
- ^ ジェイク・エーデルスタインの取材 Jake Adelstein『Tokyo Vice』 Pantheon Books 2009年
- ^ 日めくり芸能界 12月【97年12月20日】伊丹十三監督が自殺 不倫報道に「死をもって潔白を証明」 Sponichi Annex 2009年12月20日
- ^ 引用エラー: 無効な
<ref>タグ。「gotou」という名前の引用句に対するテキストがありません - ^ 大白蓮華2000年3月号
- ^ 1976年10月30日号P127
- ^ 週刊新潮2005年5月19日号に掲載
- ^ http://www.smilevideo.jpview/2042864/1431075
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- ^ 聖教新開 1962年6月16日付
- ^ 現在の価値にするとおよそ3000億円
- ^ 山田直樹著『新・創価学会を斬る』より。毎年1月2日に新年勤行会があり、各地域の創価文化会館で広布基金の場所が設置されている。寄付額は決まっておらず、各個人が許容額を寄付している。だが強制ではなく、あくまで任意の寄付なので払わない人もいる。
- ^ 週刊実話2010年12月30日号
- ^ 矢野絢也 黒い手帖 創価学会「日本占領計画」の全記録第四章
- ^ http://ullr.no-blog.jp/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2011/07/03/photo_3.jpg
- ^ http://ullr.no-blog.jp/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2011/07/03/photo_2.jpg
- ^ 矢野絢也 黒い手帖 創価学会「日本占領計画」の全記録第四章
- ^ 「宗教法人に関する特別委員会」での発言
- ^ 9.11テロの前まではスイス銀行に口座があった
- ^ http://www13.ocn.ne.jp/~ryouran/html/souka_7.html
- ^ 毎日新聞 2009年3月28日付、asahi.com 2009年3月27日、東京新聞 2009年3月27日付、手帳持ち去りで矢野氏の勝訴確定 元公明議員に賠償命令東京新聞2009年9月1日付等
- ^ http://www.47news.jp/CN/200812/CN2008120401000826.html
- ^ 池田大作 著 『法華経の智慧』第四巻、聖教新聞社、1998年、pp. 74-75より
- ^ 週刊文春2010年12月2日号
- ^ 週刊文春2010年12月2日号44ページ
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- ^ 「創価学会に内乱起る・鉄の団結にいどむ顕徳会」(『週刊公論』昭和35年7月12日号)
- ^ - 大白蓮華2010年4月号P36「会長就任50周年記念企画 永遠に師と勝利を共に」
- ^ 大白蓮華2010年4月号P36「会長就任50周年記念企画 永遠に師と勝利を共に」
- ^ 1980年ハプニング解散で実施された衆参同日選挙後に当時公明党書記長だった矢野は敗因の一つとして自公民路線と社公民路線の対立の狭間で調整がうまく行かなかった選挙区があったことを総括で挙げている
- ^ http://ja.wikisource.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E6%94%BF%E5%BA%9C%E3%82%BB%E3%82%AF%E3%83%88%E5%AF%BE%E7%AD%96%E4%B8%80%E8%A6%A7
- ^ 古川利明 『カルトとしての創価学会=池田大作』(第三書館 2000年11月) ISBN 978-4807400171
- ^ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BF%E5%BA%9C%E3%81%AE%E6%96%87%E6%9B%B8%E3%81%AB%E3%82%88%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%88%E3%81%A8%E5%88%86%E9%A1%9E%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E5%9B%A3%E4%BD%93%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.83.95.E3.83.A9.E3.83.B3.E3.82.B9
- ^ http://m.youtube.com/details?v=OB7kGFrW5rI&stream_http=1&warned=1&v2=1&locale=ja_JP
- ^ 2003年総会における池田名誉会長の発言から抜粋
- ^ 読売新聞昭和57年10月16日8面に掲載
- ^ http://www.geocities.co.jp/WallStreet/3306/ikeda01.html
- ^ 後に篠原自身もゴーストライターであったと認めている
- ^ 1994年8月24日付「聖教新聞」4面
- ^ 東京牧口記念会館には日昇書写の紙幅本尊が、本部にはそれを謹刻した板本尊が安置。
- ^ http://www.sokanet.jp/
- ^ http://www.11ban.jp/plan_gakkaisou_a.html
- ^ http://t-ceremony.com/friend.html
- ^ 杉田かおる著「杉田」(小学館発行)
- ^ 島田裕巳著「新宗教ビジネスモデル」p70~p80
- ^ 1995年11月衆議院「宗教法人に関する特別委員会」での自民党の熊代昭彦議員の発言より
- ^ 『週刊ダイヤモンド』2004年8月9日号
外部リンク
公式サイト
- SOKAnet (創価学会 公式サイト)(日本語)
- SEIKYOnet(聖教新聞社 公式サイト)(日本語)
- 創価学会インタナショナル-SGI(公式サイト)(英語)
- 北海道創価学会(公式サイト)(日本語)
- 東北創価学会(公式サイト)(日本語)
- 関東創価学会(公式サイト)(日本語)
- 東京創価学会(公式サイト)(日本語)
- 東海道創価学会(公式サイト)(日本語)
- 信越創価学会(公式サイト)(日本語)
- 中部創価学会(公式サイト)(日本語)
- 北陸創価学会(公式サイト)(日本語)
- 関西創価学会(公式サイト)(日本語)
- 中国創価学会(公式サイト)(日本語)
- 四国創価学会(公式サイト)(日本語)
- 九州創価学会(公式サイト)(日本語)
- 沖縄創価学会(公式サイト)(日本語)
メディアなど
- 阪神淡路大震災における創価学会の対応(日本語)
- BBC記事「支配政党の危うい同盟」(英語)
- 『TIME』特集抄録「創価学会と言う権力」(英語)
- 『フォーブス』記事「"先生"の世界」と秋谷会長の反論投稿(英語)
- [1](英語)
- [2](英語)
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